束の間の休息 / いつかの話
ルドヴィクが一歳の誕生日を迎えてから一月後。
ついに今日、ルドヴィクが離乳を迎えた。
ここ最近、授乳の回数が減った実感はあったものの、初めてお乳を拒否された。
「なぁなぁ」
両手を突っぱねて拒否されるのはちょっと悲しい。
でも、それだけルドヴィクが成長しているという証拠でもある。
離乳食もしっかりと食べていたし、リンゴジュースや水分ももう摂れる。
今後もまだ子供用の食べやすい食事ではあるだろうけれど、もう授乳は終わりなのだろう。
ルドヴィクがメルティさんと手を繋いで、自分で歩くその後ろ姿に寂しさを感じた。
一歳を過ぎてから、ルドヴィクは段々と自己主張ができるようになってきた。
話によると騎士達の訓練を頻繁に見に行きたがるらしい。
ルルが頼み、庭師がルドヴィク用に小さな木剣を作ってくれた。角は全て丸くしてあり、ルドヴィクはそれをとても気に入っていて、よく振り回して遊んでいる。
『そういえば、リュシーも昔は木剣を振り回してたよねぇ』
と、ルルが懐かしそうな顔をしていたが。
ルドヴィクの木剣は体の大きさに合わせて短剣だが、それなりに重さはある。
追いかけっこやかくれんぼもそうだが、木剣も訓練の内なのだろう。
扉が閉まり、小さく息を吐くとルルに抱き締められた。
「やぁ〜っとリュシーの共有が終わったねぇ」
ルルにとっては『授乳=共有』という感覚だったようだ。
リニアお母様が紅茶を用意してくれた。
わたしの好きな、濃いめの紅茶で作ったミルクティーだった。
横のお皿にはチョコレートが綺麗に並べられている。
「リュシエンヌ様、今日まで授乳、お疲れ様でした。久しぶりにお召し上がりください」
「ありがとう、リニアお母様」
「ですが、ゆっくりですよ? 一気に食べたり飲んだりするとお体に障るかもしれませんので……」
心配そうに言われて、頷き返す。
「うん、そうする」
話している間にルルがミルクティーとチョコレートを一口ずつ確認する。
そうして、渡されたティーカップを受け取った。
そっと一口飲めば、わたしの好きなミルクティーの味そのもので感動した。
ルドヴィクの妊娠が分かってからは紅茶やチョコレートといったものからは離れていたから、余計に美味しく感じられる。ホッと肩の力が抜けた。
「リュシー、はい、あーん」
ルルが差し出してくれたチョコレートを口に入れる。
香ばしさとチョコレート特有の濃厚な甘みが広がって、その甘さが染み渡る。
「……すっごく美味しい……」
自然と笑顔になる。やっぱり美味しいものは幸せの味がする。
ルルが初めてチョコレートをくれた時のことを思い出す。
後宮の一角、埃だらけの倉庫みたいな部屋で初めてもらったチョコレートもおいしかった。
チョコレートが好きなルルが買ってくるものはどれもすごく美味しくて、ルルなりに色々とこだわりを持って選んでいるのだろう。
ルルもチョコレートを一粒取って食べる。
妊娠中とその後しばらく、ルルはチョコレートを口にしなかった。
匂いのせいでわたしが体調を崩さないように配慮してくれて、産後もわたしの前では極力食べないようにしてくれていた。
ルルはできる限りわたしと同じものを食べて、飲んで、付き合ってくれたのだ。
「ジャムちょ〜だぁい」
「何にいたしますか?」
「イチゴ〜」
辺境伯領から定期的に果物を買い付けているが、妊娠中から出産後すぐはレモンが多かった。
今はもうあの酸っぱいレモンジャムを食べたいとは思わないけれど、使用人達の間ではいまだに罰ゲームとして使われていて、在庫はあるようだ。
ルルがイチゴジャムをストレートの紅茶にたっぷり入れて、混ぜて、飲む。
「あ〜、甘いのってなんか体に染みるよねぇ」
わたしと同じことを言うので、笑ってしまった。
「分かる。久しぶりの甘さにわたしも感動してるよ」
「ルドヴィクのいない時しか楽しめないけどねぇ」
「ルドが見てる時だと、絶対欲しがっちゃうよね」
しかし、紅茶やチョコレートはまだ幼いルドヴィクには良くない。
もう少し大きくなってからでないと、体調を崩してしまう。
離乳が済んでホッとしつつも寂しく感じていたが、ルルとこうして美味しいものをまた食べられるのだと思うと嬉しい気持ちもあった。
* * * * *
「ルドヴィク」
と、主人であるルフェーヴル=ニコルソンが呼べば、坊っちゃまが振り向いた。
それにティエリーも顔を向けると、近づいてきた主人が挨拶をするように片手を上げた。
「ちぇーえ」
外遊びをしていた坊っちゃまの手には小さな木剣が握られている。
坊っちゃまは最近、この木剣がお気に入りだ。
騎士達の訓練を見ながら、真似をして振り回して遊んでいた。
「はぁーえ?」
「リュシーは昼寝中だよぉ」
「ねんねん」
主人は坊っちゃまを抱き上げ、耳を確認する。
「うん、化膿してないみたいだねぇ」
世話役のティエリー達が毎日消毒をして、清潔に保たせているから当然である。
坊っちゃまが主人の腕の中から下りた。
「何してたのぉ?」
「ちぇん、ぶんぶん」
「あ〜、剣で遊んでたんだねぇ」
この主人は自分の子にそれなりに関心があるらしい。
少なくとも、主人は滅多に他人の名前を呼ぶことがない。
彼の兄弟弟子ですら『泣き虫』だし、妻の侍女達も『ねえ』としか呼ばない。
主人が名前を呼ぶのは妻と子、闇ギルドのギルド長、そして主人の義理の家族である国王と前国王くらいだろう。少なくとも、ティエリーが働いている中で名前を聞いたのはそれくらいだった。
「どうせ振るならしっかり振ったほうがいいよぉ。適当に振っても意味ないしぃ、騎士から型を教わってみたら〜?」
「あーぃ」
見守っていた騎士達に主人が声をかけた。
女性騎士がこちらに近づき、主人と坊っちゃまの前に片膝をつく。
「ルドヴィクに剣の基本の型を教えてやってぇ」
「かしこまりました。……改めまして、テラ=フィルバークと申します」
「あーぃ」
騎士が膝をついたまま坊っちゃまに名乗ると、坊っちゃまが手を上げて返事をする。
それに女性騎士テラが優しく微笑んだ。
そうして、立ち上がると坊っちゃまに剣の型を教え始める。
最初は木剣を構えさせ、手を添えて背筋を伸ばしたり、構えの位置を動かしたりして正しい構えの形を教える。
坊っちゃまは一歳を過ぎたが、それにしては筋力があるようで木剣を落としたことがない。
テラが教える様子をティエリーが見守っていると、主人が口を開いた。
「おやつは庭かどっかで食べさせといてぇ。しばらく、寝室にこもるから〜」
「……かしこまりました」
坊っちゃまが離乳してから、主人達夫婦はまた以前のように仲睦まじく過ごしている。
特に主人はこの二年ほど我慢をしていたようで、最近は夫人にべったりである。
……坊っちゃまとたまに取り合いしてるしな。
成長して顔立ちがハッキリとしてきた坊ちゃまは主人によく似ている……と思う。
やや癖のある柔らかな茶髪に灰色の瞳、ぱっちりとした目。
子供の頃の主人はきっとこうだったのだろうな、という見た目だ。
夫人は喜んでいるが、主人はいつもその話題になると微妙な顔をしていた。
これから夫人と夫婦の時間を過ごしたいから坊っちゃまの世話はこちらでやっておくように、という意味の言葉にティエリーは内心で苦笑した。
「ルドヴィク、ちゃんと型を覚えて振れるようになったら、専用の剣を用意してやるよぉ」
主人の言葉に坊っちゃまが目を輝かせた。
「ちぇん!」
目に見えて坊っちゃまのやる気が上がったのが分かる。
主人が自分の子に暗殺術を教え込む予定であることは知っているが、何もこんな小さいうちから訓練を組み込む必要はないのではと呆れてしまった。
しかし、坊っちゃまの嬉しそうな顔を見ると言いづらい。
……まあ、本人がいいなら黙っておくか。
今日もニコルソン伯爵邸は穏やかな空気に包まれていた。
* * * * *
ナイフを振り払えば、付着していた血がピシャッと床に広がる。
ゆっくりと標的に近づくと四十代後半ほどの男が地面に座り込んだまま、後退る。
男の護衛は今し方、全員殺した。
人数はそれなりにいたものの、個々の戦力があまりに低く、ルフェーヴルからすれば遊びにすらならない。まるで棒立ちの人形を相手にしているような、そんなつまらなさすら感じた。
「ヒッ……た、頼むっ、見逃してくれ……っ!」
この男は闇ギルドの職員だった。
だが、ギルドの金を横領して私腹を肥やし、それに気付かれそうになって逃げ出した。
……こんなバカなことをするヤツがまだいたんだねぇ。
ギルド長のアサド=ヴァルグセインは普段は穏やかで気の良い男である。
しかし、それはアサドに限らず他のランク上位者は大抵、穏やかで静かだ。
強者ほど己の感情を掌握し、隠し、上手く仮面を被っている。
アサドもギルド長というだけあり、戦闘面では強くはないものの、切れ者で、規則を重んじる。
ギルドの規則を遵守している間は良き味方となってくれるが、悪意を持って規則を破ると容赦がない。
……特にアサドは金と裏切りに厳しいからねぇ。
横領はその両方の条件を満たすため、決して許さない。
「無理な相談だよぉ」
ルフェーヴルはアサドを敵に回すつもりはないし、闇ギルドから脱退するつもりもない。
そもそも、ルフェーヴルは昔からこういう仕事を任されている。
ギルドを裏切れば暗殺者が殺しにくるというのは有名な話なのだが、この男は護衛を雇えば逃げ切れると考えた。
……そこもムカつくんだよねぇ。
ギルドランク一位になった暗殺者から本気で逃げられると思っているのだ。
実力を軽く見られたことがルフェーヴルにとっては不愉快だった。
それでも逃げずに横領した金を全額返し、謝罪料を払い、ギルドから身を引けばこんなことにはならなかっただろう。
アサドは裏切りには容赦ないが、心から反省し、謝罪し、誠意を見せれば話の分かる男でもある。
そこでこの男は逃げた。アサドが最も嫌う、無責任で身勝手な行動だ。
「っ、い、依頼料の倍……いや、三倍払う!!」
それにルフェーヴルは思わず噴き出した。
「ぷっ……あははっ! 横領してたってわりに頭悪いねぇ。オマエを見逃して、オレに利点があるって本気で思ってるのぉ? その首持って帰ったほうがよっぽど役に立つよぉ」
「っ、このギルドの犬め……!!」
「はいはぁい、その言葉ももう飽きるほど聞いたよぉ」
壁際に追い詰められた男がこちらに手をかざす。
その口が詠唱を発するよりも先に、ルフェーヴルのナイフが喉に深々と突き刺さった。
ルフェーヴルがナイフを引き抜けば血が噴き出し、障壁魔法で返り血を防ぐ。
「任務完了〜」
そうして、ルフェーヴルは転移魔法で闇ギルドに帰還した。
ギルド長室の前に出れば、ゾイが顎で扉を示す。
ルフェーヴルは遠慮なく扉を叩き、返事を待たずに開けて中に入った。
「終わったよぉ」
「ありがとうございます」
アサドがペンを置き、顔を上げた。
「後片付けはいつも通りヨロシク〜」
「ええ、既に手配は済ませてあります。突発で仕事を増やしてしまい、すみません」
「いいよぉ。オレとしても稼げるなら大歓迎だしぃ」
アサドが机の上に袋を置いた。硬貨のぶつかり合う小さな音がする。
ルフェーヴルは袋を手に取り、空間魔法に放り込む。
「それにしてもさぁ、ああいうヤツらって何でみんな揃ってオレのこと『ギルドの犬』って言うんだろうねぇ。表現力なさすぎて『その言い方流行ってんの?』って感じ〜」
「当たらずとも遠からずではありますがね」
「わんわん」
ルフェーヴルは犬の鳴き真似をすると、アサドが小さく笑う。
「優秀な猟犬にはもっとご褒美が必要ですか?」
「いんやぁ、今で十分だよぉ。魔力回復薬とか安く売ってもらって助かったしぃ」
そこまで話して、ルフェーヴルはふと思い出した。
「あ、そぉそぉ、今度子供用の剣を注文したいんだよねぇ。素材は普通の剣でいいんだけどぉ、小さくて刃が潰してあるヤツがいいなぁ。そのうち持たせたいんだぁ」
「もう剣を? さすがに重すぎて持てないのでは?」
「木剣は振り回してるしぃ、筋力つけるためにいいんだよぉ。アイツ負けん気が強いしねぇ」
最初に木剣を渡した時も剣先が上がらず、癇癪を起こしていた。
その後も木剣を持ち続けて筋力をつけ、持ち方を覚えると振り回すようになった。
……暗殺者は簡単に諦めるようじゃあ続かないしねぇ。
どのような状況でも目標を殺すこと、生き延びて報告をすること──……暗殺者は人を殺す技術だけあっても意味がない。忍耐力だけでなく強靭な精神力も必要不可欠だ。
「昔のあなたのように?」
「そうだねぇ。でもルドヴィクのほうが分かりやすくて可愛げがあるよぉ」
「ふふっ、そのうち顔を見る機会があれば嬉しいですね」
「転移魔法に耐えられる年齢になったら一回くらいは顔見せに連れてこようかぁ?」
「おや、よろしいのですか?」
驚いた顔をするアサドにルフェーヴルは頷いた。
「もしかしたらオレと同じ道を選ぶかもしれないしぃ、そうじゃなかったとしても繋がりくらいはあったほうが役立ちそうだからねぇ。ソッチだって王家との関わりは保っていくんでしょぉ?」
「ええ、その予定です」
「まあ、そうは言っても顔合わせは二、三年先の話になるかもだけどねぇ」
子供がどのような生き方を望むとしても、それは子供の自由である。
暗殺者になったとしても、伯爵になったとしても──……どちらも選ばずに生きることを望むなら好きにすればいい。ルフェーヴルは親としてその選択肢を広げておくだけだ。
……アイツはどんな人生を歩むんだろうねぇ。
せめて、ルフェーヴル達が生きている間は死んでもらっては困る。
もし子供のほうが先に死ねばリュシエンヌが悲しむだろうから。
「その時はちゃんと声かけるよぉ」
アサドが「楽しみにしていますよ」と楽しそうに微笑んだ。
* * * * *
『悪役の王女に転生したけど、隠しキャラが隠れてない。』オーディオブック3巻が2026年1/26配信!
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