嬉しい報告 / もうすぐ
妊娠九ヶ月目の半ば。お腹が大きくてかなり重い。
ここ最近は気持ち悪くなることが増え、お腹が張る日も多いし、お手洗いにも頻繁に行く。
でも、これは自然な現象で妊娠後期にはよく起きるらしい。
悪阻のすぐに吐き戻したくなるような気持ち悪さではないものの、胸焼けのような気持ち悪さもなかなかにつらい。子供がお腹にいることで内臓が圧迫されて、気持ち悪くなったりお手洗いが近くなったりするのだとか。
あと一月もしないうちにこの子は生まれてくるだろう。
ルルはまだ仕事を請け負っているけれど、十ヶ月目に入ったら産後二、三ヶ月くらいまでは休みを取ってくれるそうなので、生まれたばかりの子と接する機会は多いと思う。
朝食を摂り、そろそろ仕事に向かおうとしていたルルが振り返った。
何だろうと思った瞬間、通信魔道具の震える音が響く。
ルルが大股で通信魔道具がしまってある場所に近づき、引き出しを開けてそれを出した。
蓋を開けるとお兄様の上半身の姿が通信魔道具の上に現れる。
「こんな時間になぁに〜?」
ルルが返事をしながらわたしの横に座る。
【仕事前だったか? 突然悪い。今朝、二人目が生まれたから伝えておこうと思ってな】
「えっ? 少し早いのでは……お義姉様とお子様は大丈夫ですか?」
【ああ、二人とも健康面での問題はないらしい】
お兄様の言葉にホッとする。
お義姉様の妊娠よりわたしのほうが遅かったとはいえ、まだお義姉様の出産には早いと感じたが、どちらも無事なら何よりである。
「良かった……」
「おめでと〜」
「おめでとうございます! 男の子ですか? 女の子ですか?」
わたしの問いにお兄様が嬉しそうな表情をする。
【ありがとう。二人目は女の子だった。……我が国の新たな王女だな】
「髪と目の色は分かりましたか?」
【髪はエカチェリーナそっくりの金髪だったが、目の色はまだ分からない。医官の話だと数日、遅くても一、二週間ほどで目も開くようになるということだったから、それまで楽しみだ】
そう言ったお兄様は本当に幸せそうだった。
【とりあえず、私もこれから公務がある。朝の忙しい時間にすまなかったな】
「別にいいよぉ」
【では、また落ち着いたら連絡する】
お兄様も急いでいたのか、すぐに通信が切れてしまう。
わたしが「あっ」と漏らせば蓋を閉じかけていたルルが振り向いた。
「生まれた女の子の名前、聞いてなかったね……」
それにルルが小さく笑う。
「アリスティードらしくないねぇ。それだけ浮かれてるんじゃなぁい?」
「ふふっ、そうかもね」
子供が生まれて浮かれているお兄様を想像すると、少し面白かった。
アルベリク君が生まれた時もお兄様はとても喜んでいたので、きっと今回もそうなのだろう。
ルルが立ち上がり、通信魔道具を片付ける。
「しばらく、王都は騒がしくなりそうだねぇ」
新しい王女の誕生を祝うお祭りで大賑わいになるのは確実だ。
「まあ、そういう時ほどコッチは動きやすいからいいんだけどぉ」
戻ってきたルルがわたしの手を取り、顔を隠す布越しに手の甲にキスをする。
「行ってくるねぇ」
「うん、行ってらっしゃい」
わたしの手を元の位置に戻して、ルルは部屋を出ていった。
その背中に小さく手を振り、扉が閉まってから、お腹に声をかける。
「あなたの従姉が生まれたって。もうすぐあなたも生まれるし、仲良く出来るといいね」
もしかしたら、この子は一人っ子になるかもしれない。
もう一度妊娠出来るかも分からないし、今回の出産の様子次第では二人目は望めない可能性もある。
まだ一人目も生まれていないので二人目が欲しいかと訊かれると分からないが、二人目が望めなかったとしても、従兄姉がいて、従者もいれば、この子はそれほど寂しくないだろう。
「……せめて、あなたが成人するまでは見守りたいなあ」
わたしの言葉に返事をするように、お腹の中からポコンと蹴られた。
肩に膝掛けがかけられる。
「大丈夫ですよ、リュシエンヌ様」
リニアお母様に励まされ、わたしは頷き返した。
「そうだね。……これから母親になるのに、気弱になっていたらこの子もみんなも不安だよね」
「心配なさらずとも、リュシエンヌ様もお子様も、旦那様と皆とで力を合わせてお守りいたします。子育ても、私達が全力でお手伝いいたしますので、旦那様と共にやっていきましょうね。何事も無理をしすぎるのは良くありませんから」
リニアお母様が微笑み、メルティさんが後ろで頷いている。
肩に置かれたリニアお母様の手に、わたしも手を重ねた。
「うん……ありがとう、二人とも」
子育てはわたしとルルだけでなく、多分、屋敷のみんなが関わることになる。
けれども、そのことが嬉しくもあった。
わたしがファイエット侯爵邸で暮らしたあの頃のような光景を、いつか、見られるだろう。
ルルがいて、リニアお母様とメルティさん、ヴィエラさん、クウェンサーさんがいて、屋敷のみんながいて、たまにお父様やお兄様達と会って──……それがとても楽しみだった。
* * * * *
もうすぐ、妊娠十ヶ月目に入る。
ルルは大きくなったわたしのお腹が気になるのか、いつも触れたり見たりして、子供に向かって話しかけることも多くなった。
今も横に座り、わたしのお腹をつついている。
「アリスティードのところの子供は生まれたっていうけどぉ、コッチはまだなのぉ?」
お腹の上のほうをつんつんとルルがつつくと、ポコン、と蹴り返される。
子供は遊びと思っているのか、ルルがつつくと二、三回に一回くらいの割合で反応する。
ただし数回程度の話で、何度か繰り返すと反応しなくなるので、あまりやりすぎると子供のほうが飽きてしまうのかもしれない。
ルルがもう一度つついたけれど、今度は反応しなかった。
「今だとまだ早すぎると思うよ」
「でも、大きすぎると産む時に危なくなぁい?」
「うーん……そうだけど……」
ルルがジッとわたしのお腹を見つめている。
「こんな大きいの、本当に出てくるの〜?」
疑念に満ちたルルの言葉に、グラスにレモン水を注いでいたメルティさんが笑った。
「赤ちゃんって小さいけど大きいんですよね」
「コレを産むって……相当負担がかかりそうだしぃ」
「そうですよ。だから出産後は体調が戻るまで、リュシエンヌ様に無理をさせないでくださいね」
「分かってるよぉ」
メルティさんの言葉にルルが素直に返事をする。
リニアお母様とは時々衝突するけれど、ルルがメルティさんと言い合うところは見たことがない。
何というか、リニアお母様は『母親』という雰囲気で、メルティさんは『お姉さん』なのだ。
ルルが何かやっても、言っても、メルティさんはわりと笑って受け流している。
……さすが、歳の離れた弟妹がいたというだけある。
メルティさんの弟や妹達はもう大人になって、家を継いだり結婚したりしており、家への仕送りをする必要もないそうだ。わたしがここに越してきた頃にそんな話を聞いた。
お給金を自分の好きなことに使えると喜んでいたが、今は恋人──同じこの屋敷の使用人だ──との余生のために貯めているとこっそり教えてくれた。恋人は甘えん坊らしい。メルティさんはお姉さん属性なので気持ちは分かる。
ちなみに、メルティさんの恋人とはあまり関わったことがない。
ちょっとスレた雰囲気のある人……という印象は覚えているが。
気になるが、主人達が干渉しすぎるのも良くないと思い控えている。
……でも、たまにメルティさんに訊いちゃうんだよね。
人の恋路というのは何故かとても気になってしまう。
それはともかく、三人の侍女の中で一番ルルとぶつからないのはメルティさんなのだ。
「主治医にも『産後は瀕死』って散々言われてるってぇ。まあ、こんな大きなのを育てて産むわけだしぃ……この膨らんだお腹、元に戻るのぉ?」
「私の母は一年くらいで引っ込みましたよ」
「人間の体って謎だらけだねぇ」
ルルの手がわたしのお腹を労わるように撫でる。
そして、おもむろに自分のお腹にその手を当てた。
「オレ、そんなに腹が大きくなったら死ぬかも」
と真剣な表情で言うものだから、思わず噴き出してしまった。
自分に置き換えて考え、理解しようとしてくれているのは分かるけど、想像したらおかしすぎる。
……ルルってたまにかわいい……!
もしもルルが妊娠できたとしたら、確実に大きな子が生まれてくるだろう。
「そうですか? 結構、中年太りで妊婦さんみたいな男性もいるじゃないですか」
「あ〜、なるほどぉ? アレって中身は脂肪だよねぇ? ……似たようなものかぁ」
「全然違います」
メルティさんの言葉にルルが納得し、リニアお母様がツッコミを入れる。
そのやり取りがおかしすぎて笑いが止まらなかった。
わたしがあまりに笑ったからかポコンとお腹が内側から蹴られた。
お腹に触れながら「ご、ごめんね……っ」と謝るけれど、やっぱりおかしくて笑いが収まらない。
苦しくて、何とか落ち着こうと深呼吸をすれば、肩をさすってくれる。
「リュシー、大丈夫〜?」
「う、うん、大丈夫……っ」
深呼吸を繰り返すうちに笑いも収まり、ホッとする。
あまり体に負担がかかると良くない。お腹が張ってしまうのも心配だ。
「はあ……ルルは毎日鍛錬してるし、中年太りはないと思うよ?」
わたしが昼寝や夜に寝ている間、ルルは暇だからと変わらず体を鍛えている。
昼間も騎士や使用人と手合わせをすることがあるので、そう簡単には太らないだろう。
ルルのお腹に手を伸ばせば、服の上からでもしっかりとした筋肉が感じられる。
「相変わらずルルは筋肉すごいよね」
「これでも必要な分だけにしてるんだけどなぁ」
ルルは背が高いのもあって服を着ていると細身に見えるが、実は結構筋肉がある。
俊敏さを維持するため、がっつり筋肉がつかないように気を付けているらしい。
筋肉質な体付きだからかいつも温かい。
握力も強くて、クルミどころかリンゴも簡単に砕く。
ルルいわく「クルミはコツさえあればすぐ割れるよぉ」とのことだったが、恐らく、ルルは握力だけでなく観察眼も鋭くて、どこにどの程度の力を込めれば効率良く砕けるか理解しているのだと思う。
ぺちぺちとルルが自分のお腹を叩く。
「ルルはいつでもかっこいいよ」
キョトンとした表情をしたルルが、すぐに嬉しそうに目を細めた。
「ありがと〜。リュシーも、いつでもかわいいし綺麗だよぉ」
「ありがとう。ルルにそう思ってもらえるよう、これからも頑張るね」
寄りかかれば、ルルが優しく抱き締めてくれる。
これからしばらくはルルもそばにいるので安心だ。
いつ産気づいたとしても、すぐさま宮廷医官を連れてきてくれるだろう。
リニアお母様達も出産や子育てについて色々と勉強してくれているらしいし、ルルもお義姉様のところに行って、アルベリク君の乳母から話を聞いて、わたしにも教えてくれる。
この世界には出産や育児に関する本というのはほぼないようだ。
平民はそれほど本を沢山は買えないし、貴族なら本を買うより専属にいる主治医などに聞いたほうが早いし確実だ。平民でも医者を呼ぶか、駆け込むか。どちらにしても出産育児本は意味がないのだろう。
「子供が生まれたら、沢山話しかけて、名前を呼んであげようね」
「そうだねぇ。でも、まずは『母上』『父上』呼びを覚えさせないと〜。『リュシー』って呼び方はオレだけのものだから、子供でも許さないよぉ」
ルルはやっぱりいつものルルで、わたしは頷いた。
「この子がわたし達を『父上』『母上』ってしっかり呼べるようになるのはいつかなあ」
出産も、子育ても、初めて尽くしできっと毎日が忙しいだろう。
ルルと出会って、婚約して、結婚したみたいに十数年なんて振り返れば、あっという間の出来事になりそうだ。
「ねえ、ルル。明日、景色の良いところで写真を撮りたいな」
「いいけどぉ、その姿を残しておくの〜?」
「そう。この子が生まれて、大きくなったら見せてあげたいの」
こんな大きなお腹になって、この中にあなたはいたんだよって教えたい。
その頃には見違えるほど成長していると思う。
「この子がお腹の中にいるのは今だけだからね」
それから毎年、家族写真を撮るのだ。
他の誰かに見せることはないけれど、形だけでも残しておきたい。
画家は呼べないし、絵が上手い使用人も何人かいるが、それは彼らの仕事の範疇外である。
「じゃあ、天気が良ければ庭で撮ろっかぁ」
「まずはルルとわたしで撮って、それからリニアお母様達も入れて撮りたいな」
そのうち、子供が大きくなったら写真魔法を教えるのもいいかもしれない。
子供自身が残したいと思った景色、物、人──……この子の目に映るものをわたしも見てみたい。
翌日、天気も体調も良かったので、わたし達は庭で一番綺麗な場所に椅子を置き、写真を撮った。
ルルとわたし、それからリニアお母様達侍女三人、クウェンサーさんも交ざってきてルルが文句を言っていたが、結局みんなで撮ることも出来て楽しい思い出となった。
子供のためにも、わたし達のためにも大切な、素晴らしい写真。
ちなみに写真は何枚か余分に作り、ルルがお父様のところへ持っていった。
お父様はとても喜んでいたそうだ。
後日、お兄様が通信魔道具で【父上に自慢されたんだが】と苦笑していたのも面白かった。
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