ファイエット侯爵領(2)
男性が「はいよ」と言い、水に手を入れて、わたしの選んだ貝を取る。
しっかりと閉じた二枚貝の間の隙間に、薄いナイフを入れると慣れた手付きでそれを動かした。
わたし達に差し出された掌の上で貝がパカリと開く。
「あ」
ルルが声を上げ、遅れて、わたしも気付く。
「これ、真珠……?」
丸というには少し歪な形の小さな白い粒が、身とは別に入っていた。
男性も貝の中を確認すると、真珠らしきものを取り出し、布で丁寧に拭ってから渡してくれた。
ルルが受け取り、わたしに差し出した。
掌の上に転がったそれは本当に小さくて、やっぱり少し歪で、でも艶はあった。
「奥さん、運がいいね。真珠が出るだけでもすごく珍しいけど、その大きさは滅多に出ないんだ」
言いながら、男性がルルの分の貝も取ってナイフを差し込んだ。
同様にこちらに向ければ、貝が開く。
「えっ?」
今度はわたしが驚いてしまった。
何故なら、その貝にも小さいけれど真珠が入っていた。
貝を見た男性も、驚いた様子で目を丸くする。
「おや……これは驚いた……二人揃って引き当てるなんて、あんた方、相当な強運持ちだねえ」
綺麗に拭かれた真珠がルルに手渡される。
ルルは興味がなさそうにそれを見て、すぐにわたしに渡した。
……どうしよう、落としたくない。
大事に持っているとルルが気付いて、空間魔法から小瓶を取り出した。
「とりあえず、コレに入れておきなよぉ」
「うん、ありがとう」
コルクを外し、中に真珠を入れる。
それをルルがまた空間魔法に戻した。
その間に男性が貝の処理をしてくれて、貝がらの片方をお皿代わりにして炭火の上に網に置いた。
少しすると、ジュウ……、と加熱によって水分が蒸発する音がした。
そこに男性がバターを一欠片ずつ入れ、岩塩をおろし金みたいなもので削ってかける。
岩塩とおろし金みたいなものをカンカンとぶつけて残っていた塩まで振った。
途端に美味しそうな良い匂いが漂ってくる。
「この貝にはバターがよく合うんだよ」
男性が言い、しばし焼いた後に木製の皿に貝を乗せて、串を刺して渡してくれた。
バターの甘い美味しそうな匂いと潮の匂いがする。
ルルがわたしの持っていた皿の串を取り、貝の身を取って一口かじった。
すぐに戻されたそれを、今度はわたしも食べる。
バターだけでなく、貝が持つ甘みと柔らかくて少し繊維を感じる食感、炭火の香ばしさで──……ありきたりな表現しか出てこないのだが、本当にとても美味しかった。
横にいるルルも珍しく黙って食べている。
無言で貝を食べ終えた。たった一つ食べただけなのに満足感がある。
「『人は美味しいものを食べると無言になる』って本当だね」
「オレもコレ、結構好きだなぁ」
「分かる」
わたし達の会話に男性が明るい笑い声を上げた。
「はははは! ありがとな。うちの貝は全部、俺が選んで仕入れてくるからそう言ってもらえると光栄だね。こっちとしても真珠が二つも出てくるなんて奇跡を見せてもらって、楽しかったよ」
男性がルルに値段を言い、ルルが支払いを済ませる。
食べ終わった貝の殻はお店が回収するらしい。
「貝殻を砕いて鶏の餌に混ぜると、いい卵を産んでくれるんだよ」
だそうで、この街では鶏に砕いた貝の粉を混ぜた餌を与えるのが一般的なのだとか。
……へえ、面白いなあ。
ルルが話を聞きながら、残っていた焼き魚を食べ終える。
串が残ると男性が「うちで処分しとくよ」と引き取ってくれた。
どうやら、屋台や露店で買い物をすると、そのお店でゴミを引き取ってくれるらしい。以前は街の中でポイ捨てする観光客が多かったため、そのように決めているのだとか。
……観光地にゴミが捨ててあると、他の人も地元の人も嫌だよね。
その後は焼きイカも食べたけど、ルルはあまりお気に召さなかったようだ。
珍しく、焼きイカは最初の一口以外、全部わたしが食べた。
代わりにルルは別の屋台で先ほどとは違う種類の魚を食べていた。
ある程度の腹ごしらえが済み、通りの端に辿り着いたので振り返る。
「じゃあ、今度は屋台を見て回ろっかぁ?」
「うん。髪飾り、あったら選んでね」
「貴族向けの店じゃなくていいのぉ?」
訊き返されて頷いた。
「思い出としてほしいから、こういう露店のほうがいいかな」
「リュシーがそれでいいなら、いいけどねぇ」
ルルと回って見たお店で、選んでもらって買った髪飾りのほうが思い出がある。
今度は通りの反対側に渡って元来た方向に戻る。
露店のほうは色鮮やかで、時々どこからともなく、カラカラカラ……、と軽やかな音が響いた。
何の音だろうと思っていれば、紐にいくつも繋げた小さな可愛らしい貝殻の吊るし飾り同士がぶつかって立てる音だった。しかも貝殻はいろんな色で塗ってあって可愛らしい。
そういうものを売っているお店もある一方で、大きな法螺貝を専門に売っているお店もある。
客引きのためか、ブゥオオォオォオゥン、と露店の店主だろう体格の良い男性が吹くと、その音がとてもよく響き渡る。街の人は慣れているようだが、観光客は驚いて振り向くので分かりやすい。
「あの店、装飾品を扱ってるみたいだよぉ」
ルルが示すほうを見れば、確かにネックレスやブレスレット、髪飾りが並んでいる。
ここは貝殻を使ったものは少なく、真珠が多い。ただ、どれも小さくて、恐らく貴族向けには売れない規格外のものを加工して作った装飾品なのだろう。
それでも比較的大きさや形を揃えて作っているようで、そんなに見劣りはしない。
わたし達が立ち止まると若い店主の女性が顔を上げた。
「いらっしゃい、ゆっくり見てって。全部この辺りで採れた真珠だよ」
大きめの真珠をペンダントトップにしたネックレスや、小さな真珠を連ねたブレスレット、貝殻と真珠のピアス──……そうして、真珠の髪飾りもあった。
ルルが真剣な表情で並んでいる髪飾りを見つめ、その一つを手に取り、わたしの髪に当てる。
少し眺めたものの、髪飾りを戻して別のものを取ってまた当てる。
その様子に店主の女性が店のテーブルに頬杖をつきながら微笑ましげに笑った。
「お客さん達、ご夫婦でしょ? お貴族様っぽいけど、こんな安いのでいいの?」
「夫と回った場所で、夫に選んでもらった思い出付きのものになりますから」
「なるほど。もしかして新婚さん? お熱いね〜」
ニコニコ顔の店主の言葉に、わたしは曖昧に微笑んでおいた。
あまり悩むことのないルルが珍しく悩んでいる。
「そんなに難しい?」
と訊くと、ルルが頷いた。
「結婚式の時のこと、思い出してさぁ。普段使いするなら一つじゃなくて、二つか三つくらいあったほうがいいかもなぁって」
「あ、悩んでいた理由ってそっち? わたしは一つでいいんだけど……」
「ん〜、リュシーって真珠が似合うから、オレはもっと着けてほしいなぁ」
ルルはまた髪飾りの一つを手に取り、わたしの頭に合わせる。
「ルルがそう言うなら、いくらでも着けるよ」
ルルがわたしに装飾品の好みを言うのは珍しい──……というより、初めてだ。
結婚式の時の装いがよほど気に入ったのだろう。
それからしばらく悩み、ルルは三つの髪飾りを選んだ。
真珠を木の実に見立てたような、葉っぱの細工のあるもの。
真珠をリボンの形の土台に並べてあるもの。
一列に並んで端にリボンがついているヘアピンに近いもの。
どちらも可愛くてオシャレだった。
「ルル、良かったら、どれか着けてくれる?」
支払いを済ませたルルにお願いすると、ルルはリボンの形の髪飾りを手に取り、ボンネットのツバを挟むように髪飾りを着けた。髪ではないけれど、ワンポイントの飾りで可愛いだろう。
手を離したルルが満足げに笑う。
「かわいいよぉ、リュシー」
「選んでくれてありがとう。沢山使うね」
「ん、そうしてくれるとオレも嬉しいよぉ」
魚や貝など屋台の食べ物も美味しかったし、買い物も満足出来るものが買えて楽しかった。
他の露店も見つつ馬車に戻ると、ルルが懐中時計で時間を確認する。
「そろそろ領主の館に戻ろっかぁ。義父上とアリスティードも十分、話が出来ただろうしぃ」
「お墓参りもあるから戻ったほうがいいね」
そういうわけで、わたし達は領主の館に戻ることにした。
三時間ほどのお出かけだったけれど、楽しかったし、海を見れたのも良かった。
ウィルビレン湖も大きな湖ではあったものの、やはり、海は全く違う。
どこまでも広がる水平線も、吹き抜ける潮風も、砂の感触も、遠目に見た大型船も、どれも新鮮だった。
館に着き、客室に戻ると軽く顔を洗い、髪を解いて濡れた布で拭ってもらう。
「潮風は肌も髪も傷みますので」
と、しっかり肌も髪も保湿してから着替える。
……黒いドレス……。
初めて着た色のドレスを鏡越しにまじまじと見つめていれば、同じく軽く汗を流しに行っていたルルが戻ってくる。ルルも喪服かと思ったが、本職の仕事着だった。
それでいいのかなと心配になったけれど、赤いマフラーみたいなのは巻いていない。
全身真っ黒なので喪服と言われたらそう見える──……かもしれないが。
「その格好でいいの?」
一応訊ねると、ルルは頷いた。
「オレはコレでいいんだよぉ」
ということで、ルルはその格好で行くらしい。
ちなみに、わたしのこのドレスは館に保管していたお母様のものなのだとか。
……お母様のお墓にお母様の喪服で行くっていいのかなあ。
ここに来ることも、お墓参りも、急に決まったことなので他にドレスを染める暇もなかったのだから、既製品を買うか借りるかするしかないのだが。
お母様の黒いドレスはシンプルで、よく見ると手元は付け袖だ。
「大奥様はリュシエンヌ様より少し小柄で、袖が足りなかったので付けておきました」
メルティさんが『良い仕事をした!』という顔をしていて、ヴィエラさんが横で「お疲れ様」とメルティさんに声をかけている。
街に出かけた時にメルティさんが来なかったのは、黒いドレスを準備するためだったのかもしれない。
「メルティさん、ありがとう」
「主人の衣装を手入れするのは侍女の仕事ですから、当然です」
そう言いながらも、ちょっとドヤ顔のメルティさんが可愛いかった。
* * * * *
準備を整えて玄関に向かうと、お兄様とお父様もいた。
二人もやはり黒い装いであったが、ルルを見ると呆れた顔をして、でも何も言わなかった。
……考えてみれば、ルルにとってはこれが喪服なのかも?
ただし『死者を弔う』とか『哀悼の意』とかではなく、どちらかといえば『今からお前を殺す』みたいな意味合いに感じられなくもないけれど。さすがにそれは考えすぎだろうか。
お父様が白百合の花束を持っていた。
「ヴィヴィア……妻が好きな花なんだ」
わたしの視線にお父様が微笑み、そう言った。
お母様の『好きだった』ではなく『好きな花』と表現するところに、まだお父様の中で、お母様の存在は色褪せずに残っているのだと感じられた。
人は『三度死ぬ』という話を前世で聞いたことがあった気がする。
詳しくは覚えていないが、その中に『他の人々から存在を忘れられた時、死ぬ』なんてものがあって、その時は『そうなんだ』くらいにしか思っていなかった。だが、今ならその意味が理解出来る。
……お父様やお兄様の中では、まだお母様は生きている。
全ての人々から忘れられない限り、どこかで、誰かの心の中に生き続ける。
お兄様は小さな可愛らしい小箱を持っていた。
「こっちは菓子だ。母上は甘いものが好きで、病床ではなかなか食べられなかったからな」
お兄様にとってのお母様は、多分、病で弱っていた時の記憶しかないのだろう。
それでも嬉しそうなお兄様の様子から、きっと最期まで大好きなお母様だったのかもしれない。
「もちろん、私達がいる間だけ供えて持って帰ってくるが」
「お父様もお兄様も、お母様が大好きなんですね」
お父様が微笑み、お兄様と顔を見合わせて小さく笑った。
「それもあるが、ようやく娘を紹介するからな。ずっと私達ばかりがリュシエンヌに構っていて、今頃『仲間外れにしないで』と怒っているかもしれない」
「母上は普段は優しいけれど、そういうところがありましたからね」
「これらは、なかなかリュシエンヌを紹介出来なかったことへの詫びのようなものだ」
おかしそうに笑うお父様とお兄様はどこか楽しげで、お墓参りといっても暗い雰囲気はない。
二人とも、お母様の死を受け入れて前を向いている。
でも忘れたわけではなくて、きっといつまでも大切な家族として覚えていてくれるのだろう。
……わたしも、その家族の一員だったらいいなあ。
「さあ、行こうか、リュシエンヌ。ようやく、可愛い娘を妻に紹介出来る」
お父様とお兄様の笑顔に促されて歩き出す。
……わたしはお父様とお兄様の家族になれたかな?
「はい、お母様にウェディングドレスのお礼を言いたいです」
「そうだな。ヴィヴィアもきっとあの時、見ていただろう」
でも、その質問をする必要はない。
微笑むお父様とお兄様の、優しい表情が全てを物語っていた。
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