立ち会い調査(1)
領主の館に戻り、昼食後、少し休憩してからルルと共に玄関に向かった。
玄関ホールには既にロイド様と管理官がいて、本日の調査について最終確認をしているようだったが、わたし達が近づくと二人が振り向いた。
ロイド様の目が素早くわたしの服装を確かめるように見る。
そうして、小さく頷いた。
「その服装なら問題なさそうですね」
鉱山の内部に入るため、装飾の少ない旅用の動きやすいドレスにヒールのないブーツを履いて、髪もきちんとまとめてある。ルルに「腰が曲げられないと困るよぉ」と言われたのでコルセットも革製の比較的柔らかいものだ。
「鉱山の中は動きやすい服装がいいと聞いたので。これなら汚れても大丈夫です」
さすがに四つん這いになれと言われると苦しいところはあるが。
……そんな場所まで入ることはないと思うし。
管理官もメガネのツルを押し上げながら頷き、口を開いた。
「鉱山に入る前に、ニコルソン伯爵夫妻に鉱山内部での注意点をご説明いたします」
そうして、管理官から鉱山の危険性と注意点を教えてもらう。
第一に、鉱山内部の壁は魔法で固めてあり、崩れないように丸太などで補強もしているけれど、壁や丸太などには触れないこと。何か気になるものがあっても必ず管理官の確認を得てからにする。
第二に、空気の入れ替えを常時行なっているが、外に比べて空気の質が悪いので、少しでも体調に異変を感じたら即座に申し出ること。特に一番背の低いわたしは要注意らしい。鉱山から出る有毒のガスは下に溜まるため、背の高い他の人はなんともなくても、背の低い人だけ吸ってしまうということがあるそうだ。
第三に、内部では治癒魔法以外の魔法は絶対に使用しないこと。特に威力の強い魔法を使うと、壁や天井の崩落に繋がるし、空気の質が悪く狭い場所で火魔法を使うと最悪、死を招く。
第四に、管理官よりも前に出ないこと。必ず前の人間の後ろに従うこと。鉱山内部には水が溜まっている場所も多く、その水はとても透き通っていて底が浅いように見えるが実際は非常に深く、有害物質も多く含まれている。しかも一度落ちてしまうと周囲の地面が濡れていて、なかなか上がれない。鉱山の中で動くことになれている鉱夫でも、落ちて溺死する事故が多いのだとか。
最後に、鉱山内部には魔石を砕いて混ぜた特殊な塗料で目印が描いてあり、地下に進みたい時は赤色の塗料の印を右側に見て歩き、外に出たい時は青色の塗料の印を右手に戻るそうだ。もし迷子になってしまった時はそれを辿って戻ることが出来る。
「ただし、基本は動かないでください。先ほどご説明した通り、水が溜まっている場所も多く、危険な場所はそれを示す黄色の塗料が塗ってありますが、周辺の地面が脆い可能性もあります。逸れたらその場を動かず、騒がず、救助を待ってください」
管理官の言葉に頷き返しつつ、質問をする。
「声を上げないほうがいいんですか?」
「はい。内部は音が反響するので、叫ぶとどこから聞こえるか分からなくなります。救助の声が聞こえた時だけ返事をしてください。それに奥に行くほど空気の質が悪くなるため、呼吸の回数が増えると空気がより悪くなります」
……空気が悪くなるって、酸欠のことかな?
前世の頃、授業か何かで習ったことがある。
鉱山は有毒ガスもあるけれど、奥に行くほど空気の循環が悪いから酸欠になりやすい。
つまり、声を上げて助けを呼ぶと呼吸回数が増えて、その場の酸素が減って危険ということだ。
「もちろん、鉱山内部には至る所に魔道具を設置して、常に綺麗な空気が回るように配慮はしております。しかし、全ての通路が確実に安全とは言えません。今回は主に使われている道を少し入って確認する予定ですが……何か違和感があれば躊躇わずに声をおかけください」
「分かりました」
「はい」
わたしとルルが返事をすると、管理官が真面目な顔で頷いた。
前世では、場所によっては観光地となっている鉱山もあるけれど、それは『観光客が立ち入ることを考慮して安全性を高めてある』から入れるだけで、ここはそうではない。
「本日は調査のために鉱山での採掘は休ませています。……このようなことは滅多にないと思いますが、内部に見知らぬ者がいても、鉱夫として接してください」
「どういうことですか?」
「稀に鉱山関係者以外の者が、宝石や金銀欲しさに鉱夫のふりをして立ち入ることがあるのです。そういった者はすぐに捕縛するものの……過去に、そういった者に出会した鉱夫が盗みに気付いて止めようとした結果、殺されてしまった例があるのです」
「それは……こわいですね……」
もし内部で誰かを見つけても、鉱夫だと思って接していれば、鉱夫のふりをしている相手も『騙せている間』は襲ってこない。気付いたことを悟られないようにしろというわけだ。
……鉱山って自然の危険だけじゃないんだなあ。
想像して、思わず身を引いたわたしをルルが抱き締めてくれる。
「現在は警備をより厳重にしており、本日は休みなので必要最低限の者しかいません。調査では全員で行動するのでご安心ください。……ただ、先ほど申し上げた注意点だけは絶対に守ってください」
管理官の言葉にわたし達はもう一度頷いた。
「ジュード殿、あまり怖がらせるのは良くないと思いますよ」
と、穏やかな声がした。振り向けばセクストン子爵が歩いてくる。
それに管理官がメガネのツルを押し上げた。
「鉱山は危険ですので、恐れを持っているくらいのほうが良いのです」
「それはそうかもしれませんが……一番重要な話が抜けているのではありませんか?」
「重要? ……ああ、そうですね、失念してました」
子爵の言葉に管理官がわたし達に顔を向ける。
「調査官殿とニコルソン伯爵夫妻は狭くて暗い場所に入れますか? 鉱山内部は狭く、暗く、湿気と圧迫感があり、居心地が良いとは言えません。そういった場所に恐怖を感じ、混乱してしまう人も少なくありません」
ロイド様とわたし、ルルが目を瞬かせた。
三人で顔を見合わせ、首を横に振る。
「僕は大丈夫です」
「わたしも、狭い場所も暗い場所も平気です」
「私も問題ありません」
ロイド様、わたし、ルルが返事をすると管理官がホッとした様子で目元を少し和らげた。
「では、鉱山に向かいましょうか」
という子爵の言葉に促され、領主の館を出て、馬車に乗る。
大きな馬車に子爵と管理官、ロイド様、ルル、わたしの五人で乗り、後ろからついてくる小さめの馬車にヴィエラさんと騎士達が乗ってついてくる。
ヴィエラさんや騎士は鉱山の内部まで入ることはなく、出入り口で待機するそうだ。
鉱山内部が狭いのと、今回は事前確認なので少人数で入る予定だ。
「案内人として鉱夫が一人つき、我々だけでまずは内部を確認します。何事もなければ明日から調査団の方々にも入っていただきます。鉱夫の話によると、目的の採掘資源は多少はあるそうですが……」
「それを採掘するかどうかは鉱夫の見立てと話を聞いてから判断したほうが良さそうですね」
「ええ。一応どの程度鉱山に含有していそうか、確認してもらっています。本日はその話を聞いて、実際に見て、皆で話し合ってから採掘について決めていただきたいです。埋蔵量がそれなりにあったとしても、場所によっては掘るのが難しく……その辺りは鉱夫の意見を尊重してくださると幸いです」
「そうですね。採掘が出来ればありがたいですが、鉱夫が危険だと言うのを無視して推し進めれば大きな事故に繋がるでしょう。何かあっては陛下も王太子殿下も悲しまれます」
管理官とロイド様の話を聞きながら、思わず私も頷いた。
記念硬貨を作るために無理に鉱夫達に鉱山の採掘をさせて、大事故が起こってはお祝いどころの話ではないし、お父様もお兄様もそのようなことが起こるのを絶対に良しとしないだろう。
もちろん、わたしもそうだ。採掘はただでさえ危険を伴う作業なのに、現場の人々が『危険だ』と反対するのに耳を傾けないなんてありえない。
……でも、調査はちょっと楽しみなんだよね。
こういう時くらいしか鉱山の中には入れてもらえないので、実を言えばワクワクしている。
管理官とロイド様の話が落ち着いた頃、馬車が停まった。
ルルの手を借りて馬車から降りると、土や硫黄、鉄っぽいような独特の臭いがした。
以前来た時は鉱夫達が働いていたけれど、今日はお休みなので人気がなく、静かだった。
鉱山の入り口には警備の兵達と平民だろう服装の中年の男性がいる。
男性を見て、思わず「あ」と声を上げてしまった。
それに男性も気付くとニカッと明るい笑顔を返される。
「こちらは鉱夫達のまとめ役をしているドルッセルといいます。ニコルソン伯爵夫妻は以前お越しになられた際に、鉱害問題の件で一度お会いしていらっしゃるかと」
「おお、お久しぶりだな、伯爵、夫人。鉱害の件は本当にありがとう」
年齢は五十代後半くらいだろうか。ロイド様と同じくらいの身長だが、筋骨隆々で体格が良く、そのせいかロイド様よりも大柄なように感じられた。
ドルッセルさんが深々と頭を下げたので、わたしは首を横に振った。
「いいえ、こちらこそいつも大変なお仕事をしてくださり、ありがとうございます。この街の皆さんに感謝をするのはわたしのほうです。……それで、その、あれから体の不調は減りましたか?」
「ああ、かなり良くなったってもんよ。最近は自分でも驚くほど体が軽くなって、よく動けるし、気分も良くて、採掘の効率も上がって万々歳さ!」
「それは喜ばしいことですが、無理はしないでくださいね」
わたしの言葉にドルッセルさんが「そうだな、まだまだ現役で頑張りたいからな!」と笑う。
その嬉しそうな笑顔からも、自分の仕事に誇りを持っているのが感じられた。
「ドルッセル殿、こちらは調査官のアルテミシア様です。事前に説明をした通りにお願いします」
管理官の言葉にドルッセルさんが頷いた。
ロイド様が一歩前に出て、手を差し出す。
「ロイドウェル=アルテミシアといいます。ドランザーク鉱山の調査官を務めさせていただくことになりましたが、若輩で分からないことも多いので、何かご意見がある際は遠慮せず話してもらえると嬉しいです」
「こりゃご丁寧に……俺はバーナード=ドルッセルだ。ここで鉱夫のまとめ役をしてるが、まあ、こんなだし、鉱山は危険な場所だから状況によっては無礼を働いてしまうかもしれないが、許してもらえると助かる」
「それに関して責めることはないと誓いますので、ご安心ください」
ロイド様が胸に右手を当てて言えば、ドルッセルさんがホッとした表情をした。
セクストン子爵や管理官は慣れているだろうけれど、他の貴族相手ではそうもいかない。
わたしとルルも頷くと、何故かセクストン子爵や管理官まで同様に頷いたので、場の空気が和んだ。
「最重要の注意点は伝えていますが、鉱山内部の説明については任せてもよろしいですか?」
「ええ、ええ、むしろ『話させてくれ』ってくらいだ。この街ではみんな鉱山の事情は知っているから、こういう時でもないと話を聞いてもらえないんだよな」
「あまり熱くなり過ぎないよう頼みましたよ」
管理官とドルッセルさんが慣れた様子で話す。
神経質そうな管理官だが、ドルッセルさんと話す時は少しその神経質そうな気配が消えて親しげになるので、この二人の付き合いは長いのだろうと察せられた。
「まずは入る前にマスクを着けてもらう。これは前に夫人が教えてくれたやつを元にしたのでな。今日は採掘を止めるが、人が歩けば空気が流れて、舞い上がった細かな砂を吸い込んじまって良くないからな」
ドルッセルさんが持っていた布を広げてマスクを取り出した。
わたしが前に教えた布マスクだが、最初に伝えたシンプルな四角のものではなく、顔の形に沿うように立体的な作りになっていた。きっと使いながら改良を重ねていったのだろう。
清潔な白い布で作られたそれを受け取り、顔に着ける。
ドルッセルさんと管理官、セクストン子爵も慣れた様子で着けていたが、ルルとロイド様は少し微妙そうな顔をしている。
……マスクって慣れないと息苦しいしなあ。
メガネに息が当たって曇るのか、管理官が鼻の付け根に当たるマスクの縁に触れて、形を整えている。しつこいくらい念入りに調整しているが、中は暗いそうなので、視界不良を避けたいという気持ちも分かる。
……でも、なんとなくそういうのってつい見ちゃうんだよね。
管理官のその様子を眺めていると横から伸びてきた手に、つん、とマスク越しに鼻先をつつかれる。
横を向けば、目元しか分からないがルルが目を細めてわたしを見た。
言葉はなかったけれど、見過ぎ、と言われた気がした。
「次に、この魔道ランタンを持ってくれ。魔力量が多い人間が持ったほうがいい」
「では私が一つ持ちます」
ルルが言って、魔道ランタンというものを受け取った。
それにルルが魔力を流したのか、鳥籠のようなランタンの枠の中にあった縦長の芯部分は白く発光する。光はそれほど眩しくはないものの、ここが明るい場所だからで、恐らく鉱山内部に入ったら明るく照らしてくれるのだろう。
……あ、そっか、内部で火を使うのは危ないから魔法の明かりが必要なんだ。
ドルッセルさん、ルル、ロイド様、管理官が魔道ランタンを持つ。
並び順としてはドルッセルさん、セクストン子爵、ルル、わたし、ロイド様、管理官で鉱山に入るようだ。
後ろで控えていたヴィエラさんと護衛の騎士達が「お気を付けて」と一礼する。
「さあ、それでは鉱山内部にご案内だ!」
そう言ったドルッセルさんはとても楽しそうだった。