国境戦六日目(2)
その日は眠ることが出来なかった。
いつでもどこでも眠れるのがわたしの長所の一つであったのに、ルルが戦地で戦っていると思うと全く寝付けなかった。
……夜間戦闘って、昼間よりきっと危ないよね……。
夕方頃に来たルルが教えてくれた。
「今日は夜襲をするから何時に戻れるか分からないしぃ、先に寝てていいよぉ」
と気軽に言っていたけれど、それで眠れるはずもない。
ベッドの上で三時間ほど右に左に寝返りを打ってみたけれど、眠気はなく、仕方なく起き上がって窓辺のベンチスペースで夜空を見上げていた。
月のない夜だからか星がいつもより綺麗だった。
……そっか、月がないからこそ、夜襲をかけるんだ。
新月の夜は暗いので、自軍から仕掛ける分にはやりやすいのだろう。
敵軍も視界の悪い夜にいきなり戦闘が始まったら驚くし、焦って混乱するだろうし、夜目が利くルルなんかはきっと戦いやすい。
それでも、気になって目が冴えてしまっていた。
ぼんやりと夜空を眺めているとふっと空気の動く気配を感じ、顔を向ければ、暗い室内にルルが立っていた。
一瞬、会いたいあまり、幻影を見ているのかと思った。
「……ルル?」
呼ぶと、ルルが近づいて来た。
「うん、ただいまぁ、リュシー」
「おかえり……!」
パッと立ち上がってルルに抱き着いた。
毎晩のように抱き着いてしまっている気はするが、仕方がないと思う。
……だって、戦争に行ってるから……。
もしもの可能性は絶対にないとは言えない。
こうして毎晩、帰って来てくれることが嬉しかった。
抱き着いたわたしをルルがギュッと抱き返してくれる。
「寝てていいって言ったけどぉ、起きてたんだねぇ」
「うん、ルルに会いたくて全然眠れなかった……」
「そっかぁ」
ルルが嬉しそうに微笑んで、わたしの額にキスをする。
それから移動してベッドの縁に腰掛ける。
「まだこの後も行かなきゃいけないからぁ、あんまり長居は出来ないんだぁ。ごめんねぇ」
「ルルが謝ることじゃないよ。夜間戦闘、もしかして、まだ続いているの……?」
「今は両軍共に一旦引いてるよぉ」
それから手短にルルは状況を教えてくれた。
ファイエット王国軍はヴェデバルド王国軍の数を減らし、ルルが向こうの王太子を捕縛してきたので、そう長く戦争は続かないだろうこと。
もしヴェデバルド王国軍が諦めなかったとしても、このままいけば、ファイエット王国軍がヴェデバルド王国軍を制圧するらしい。
ヴェデバルド王国軍はこれまでの戦いでかなり兵数が削れており、正面から戦ったとしても押し勝てるだろうということだった。
「どうやって王太子を捕縛したの? まさか、スキルを使って敵の拠点に侵入して?」
「そうだよぉ」
「抵抗されなかった?」
「されたねぇ。だからちょ〜っと、ね?」
ルルが拳を握って見せ、ニッコリと笑う。
……え、それって……。
「……もしかして、殴った、とか?」
ルルが笑みを深める。沈黙は肯定である。
「それ、大丈夫? 敵国とは言え、王太子を殴るなんて大問題にならない? 後でヴェデバルド王国から抗議されない?」
「大丈夫だよぉ。治癒魔法で綺麗さっぱり治してあるからぁ」
……そういう問題なのだろうか……?
殺してしまうと戦後の話し合いで落とし所がなくなってしまうが、抵抗されて面倒だったため、ボコボコにして連れて来たのだとか。
「それでもかなり手加減したけどねぇ」
とルルは言っていた。
確かにルルが本気を出したら人を殴り殺すことも出来てしまいそうな気がするので、殴っただけ、というのは手加減した結果なのだろう。
「そぉそぉ、他にもそれなりに武勲も立てたから楽しみにしててねぇ。オレ、遊撃部隊を率いて頑張ったんだぁ」
ギュッとルルに抱き締められながら、内心で『王太子を捕縛したのが一番の武勲だと思うけど』と感じたが、ルルにとっては王太子の捕縛はわりとどうでも良かったらしい。
灰色の瞳がジッとわたしを見つめてくる。
その目がなんだか『褒めて』と言っているようで、わたしはルルの頭に手を伸ばして、ふわサラの髪を撫でた。
「ルル凄い。頑張ったね。お疲れ様。……ルルが遊撃部隊を率いてる姿もきっとかっこいいんだろうなあ」
ルルが気持ち良さそうに目を細めて、わたしの手に頭をすりつける。機嫌の良い猫みたいな仕草だ。
「見せられたら良かったんだけどねぇ。さすがにリュシーを戦場に連れて行くのは危険だしぃ」
「うん、さすがにね」
二人で小さく笑い、それから、ルルがベッドを軽く叩く。
「もうオレが出ることはないと思うからぁ、リュシーもそろそろ寝たほうがいいよぉ」
と寝るように促され、ベッドに横になる。
先ほどまでは全く眠くなかったのに、ルルがそばにいてくれると、眠気がやってくる。
ルルが肩まで毛布をかけてくれた。
「リュシーが寝るまでココにいるからねぇ」
そっと手を繋いでくれて、ルルの手の温かさに安心する。
「……おやすみ、ルル」
「おやすみ、リュシー」
きっと、もうすぐ戦争は終わるだろう。
……早くルルとお屋敷に帰りたいな……。
* * * * *
日が昇る一時間ほど前にルフェーヴルは戦地へ戻った。
一日のうちに二度も戦ったこともあり、ファイエット王国軍の兵士達も疲労が溜まっていたため、戦闘は中断されたらしい。
両軍共に、また睨み合い状態になっているようだ。
とは言え、ファイエット王国軍が圧倒的優勢である。
「ただいま戻りました」
まだいるかどうか分からないが、会議用の天幕へ行けば、そこにはアリスティードとロイドウェル、そして辺境伯がいた。
他の貴族達は既に休んでいるのだろう。
「おお、ニコルソン子爵! この度の活躍、見事だった!」
と辺境伯に笑顔で迎えられ、ルフェーヴルは対外向けの笑みを浮かべて略式の礼を執った。
「いえ、殿下のご命令に従っただけでございます」
「はっはっは、子爵は謙虚だな。敵国も総指揮官を失った以上、士気も下がるだろうし、王太子の命はこちらの手の中だ。すぐに降伏してくるかもしれん」
「それはどうでしょう。自国の兵に対して非道な振る舞いをしていた王太子ですから、兵達は王太子の命など、気にしない可能性もあります」
「確かに、それは一理あるな」
辺境伯とルフェーヴルの会話が落ち着くと、アリスティードも話に参加する。
「そうだったとしても、総指揮官のいない軍ではもうどうしようもないだろう。抵抗するならば制圧するだけだ」
「ええ、ヴェデバルド王国も本隊が完全なる敗北となれば、援軍が来たところで巻き返すことは難しいでしょう」
「だが、出来れば素直に降伏してほしいものだ」
アリスティードと伯爵が頷き合った。
だが、アリスティード達の思いとは裏腹に、ヴェデバルド王国は軍を再編成すると、六日目の昼過ぎに攻勢に出た。
ファイエット王国軍と真正面からぶつかり合ったのである。
ヴェデバルド王国軍は『王太子殿下の奪還』を掲げて戦っていたが、兵士達の士気も低く、昨夜の戦いと混乱からの疲れもあってか勢いがない。
その結果、ファイエット王国軍に押しに押されて橋の向こうにある拠点まで兵達はほとんど押し戻されてしまった。
越境は出来ないのでファイエット王国軍が橋を越えることはなかったが、戦地の制圧は事実上の勝利であった。
さすがのヴェデバルド王国軍も勝ち目がないと理解したらしい。
夕方、日が沈む少し前にヴェデバルド王国軍より使者が訪れ、アリスティードへ休戦の提案を願い出た。
アリスティードはそれを受け入れた。
ヴェデバルド王国にとっては降伏とほぼ同義である。
それでも素直に『降伏する』と言わないところに、ヴェデバルド王国の自尊心の高さが窺えた。
たとえ今、援軍が到着したとしても、戦地へ繋がる橋はファイエット王国軍の手の内なので、どれほど大勢の軍が来たとしてもどうしようもない。
橋を渡ろうとすればファイエット王国軍に攻撃されて、兵を失うだけだ。川は大きすぎて船なしでは渡るのも難しい。
ヴェデバルド王国軍の使者曰く「国王陛下の指示を仰がねばならず、しばしお時間をいただきたく……」とのことで、アリスティードも鷹揚に頷いた。
「それは構わない。我々も陛下に報告をせねばならぬからな」
もちろん、アリスティードとベルナールは通信魔道具を持っているので毎晩戦況を報告しており、ベルナールも状況を理解していた。
この休戦はヴェデバルド王国軍が連絡を取り合うための時間だ。
その後、王太子と面会し、無事を確認すると使者は帰っていった。
王太子は使者に対して罵詈雑言を浴びせていたが、使者は黙ってそれを受け入れており、その様子にはむしろアリスティードを含めたファイエット王国軍のほうが不快そうな顔をしていた。
あまりに酷かったのでアリスティードはすぐに王太子を下げさせ、使者はその心遣いに気付いたのか深々と頭を下げて帰って行った。
「皆もご苦労だった。これより休戦に入ったので皆も休息を取るといい。まだ終戦ではないので気は抜けないが、よく休んでくれ」
まだ終わったわけではないものの、この休戦期間中は戦うことはないので、全員が少しホッとした様子だった。
日が沈み、貴族達も各天幕へ戻り、会議用の天幕にはアリスティードとルフェーヴルだけが残った。
アリスティードがベルナールへ報告を行うというので、ルフェーヴルもその場に残ったのだ。
「オレが魔道具使おうか〜?」
魔力量はルフェーヴルのほうが多い。
アリスティードもそれを分かったのか頷いた。
「ああ、頼む」
アリスティードの手から通信魔道具を受け取り、ルフェーヴルが魔道具に魔力を注いで通信を繋げる。
ややあって、ベルナールのほうが通信を受けた。
声のみの通信魔道具なので互いの姿は見えない。
「やっほぉ、義父上〜」
「定期報告のために連絡しました」
ルフェーヴルとアリスティードが正反対だからか、ベルナールが魔道具の向こうで微かに笑った。
【今日はルフェーヴルもいるのか】
「ルフェーヴルからの報告も必要だと思いましたので」
そうしてアリスティードが昨日から今日までの流れを報告した。どうやら昨日は連絡する暇がなかったらしい。
夜間戦闘の話は前もってしてあったようだが。
ルフェーヴルも偵察時の様子について報告をする。
ヴェデバルド王国の王太子の様子を説明すると、ベルナールの溜め息が聞こえてくる。
【……ヴェデバルド王国の王太子に一度会ったことはある。確かに傲慢な雰囲気は感じられたが、それほどとは……】
特に自国の兵が確実にいる山に火を放つというのは、ベルナールからしても想像の範囲外だったのだろう。
「まあ、戦争前に脱走するのは重罪っていうのは分からなくもないけどねぇ。でもその場で斬り殺すのはなぁ」
【恐怖で支配された人間も、ある意味では恐ろしいぞ】
「言いたいことは分かるよぉ」
ルフェーヴルの本職でも、死に面した人間は予想外の行動を取ったり、想定外の力を発揮したりすることもある。
だからこそルフェーヴルは殺す時に躊躇わない。
躊躇ったことで反撃されるのを避けるためだ。
「とにかく、現在は休戦状態になっています」
【そうか。よく、そこまで持っていったな】
「今回はリスティナ辺境伯の勇猛な私兵と、ルフェーヴルに助けられました。辺境伯率いる中央軍の勢いは目を見張るものがあります。それに、ルフェーヴルが部隊長を討ち取ったおかげで相手の指揮系統が崩れ、戦いやすくなりました」
アリスティードの言葉を聞きながら、ルフェーヴルはどこかむず痒い気持ちになった。
こうして手放しで褒められると少し落ち着かない。
それを隠すためにルフェーヴルは茶化すことにした。
「オレ頑張ったでしょ〜? もっと褒めてくれてもいいんだよぉ? なんなら報奨金もたっぷりちょうだぁい」
「調子に乗るな」
「ええ〜、ひどぉい」
ルフェーヴルとアリスティードの会話に、ベルナールがまた魔道具の向こうで小さく笑った。
【王太子を捕縛したこともきちんと功績として数える。爵位も伯爵に上がれるだろうし、報奨金も十分に用意しよう】
「さっすが義父上〜、分かってるぅ」
ベルナールは長年ルフェーヴルの雇用主なので、ルフェーヴルのこともそれなりに理解しているのだろう。
【それで、兵士達の様子はどうだ?】
「全体の損耗は三割と少しですが、負傷した兵士達の半数以上は治癒魔法で癒せば問題なく自力で帰還出来そうです。……死んだ者もおりますが」
【戦争で死者が出るのは仕方がないことだ。……ルフェーヴル、その者達の遺体を空間魔法で持ち帰ることは可能か?】
ベルナールの問いにルフェーヴルは小首を傾げた。
「ん〜、リストを作ってくれるなら大丈夫だと思うよぉ。さすがにそのままポイッと入れちゃうと、誰を入れたか分からなくなっちゃうからぁ」
「ではこちらでリストを作り、遺体の収納を頼む」
「りょ〜かぁい」
入れたものを覚えていれば取り出せるが、数十、数百の遺体を入れて、全てを覚えておくのはルフェーヴルでも難しい。
だからリストを作成しておけば、取り出す時に忘れる心配もなく、誰が亡くなったかの確認にもなる。
【亡くなった者達は帰還後にきちんと国葬を執り行い、遺族にも生活していくために十分な報奨金を出そう】
ベルナールの言葉にアリスティードが頷く。
「よろしくお願いします。ヴェデバルド王国より返答がありましたら、また改めて連絡します」
【ああ、アリスティードもルフェーヴルも休むんだぞ? やるべきことはあるだろうが、王太子であるお前が倒れては周りが混乱するからな】
「はい、そうします」
【お前達が帰ってくるのを私も、皆も、待っている】
「必ずや無事、勝利を持って帰還します」
報告は問題なく終わり、ルフェーヴルは魔道具へ注いでいた魔力を止めた。
通信が切れ、魔道具をアリスティードへ返す。
「オレもリュシーに報告してくるねぇ」
「ああ、私もエカチェリーナに連絡する。……まあ、私の魔力量では一言二言くらいしか話す余裕はないだろうが」
それにルフェーヴルは小さく笑って詠唱を行う。
「それじゃあ、また明日ねぇ」
そして、転移魔法で離宮へ飛んだのだった。
* * * * *




