開戦・国境戦一日目
開戦当日、朝から兵士達は少し緊張した様子だった。
アリスティードとロイドウェルもどことなく緊張しているようではあったが、あの二人は兵士や他の貴族達の前では普段通りに振る舞っていた。
王太子が戦争で尻込みしていては兵士達の士気に関わる。
朝は緊張していた兵達も、アリスティードや貴族達の落ち着いた様子に安心したのか、昼頃には強張っていた空気も穏やかになっていた。
もちろん、戦争で気を抜いていいということではないが、あまり緊張しすぎると人は動けなくなってしまう。
ほどよく緊張しつつも、自信を持つことが大事なのだ。
早めの昼食後に両軍が川を渡って戦地へ集結する。
最初の開戦宣言はアリスティードが前に立つ。
リスティナ辺境伯の情報では、ヴェデバルド王国の軍を率いているのも向こうの王太子らしい。
両国の王太子が国境で相対するというのは面白そうだ。
少しだけルフェーヴルは興味を感じ、側近という名目で馬に乗ってついて行く。
二つの川に挟まれ、北に山がそびえ立つ中州のような土地で両軍が睨み合っている。
正面軍はリスティナ辺境伯が率いて、左右軍はそれぞれ、周辺領地の領主が二人ずつ配置され、アリスティードやルフェーヴル達は後方で戦況を見つつ指示を出す。
通信魔道具を渡した時、辺境伯も他の領主達もその便利な魔道具に驚いていた。
これがあるだけでもかなり有利である。
軍の先頭に到着すると、二百メートルほど離れた先にヴェデバルド王国の軍がおり、向こうもどうやら王太子が到着したようだった。
ルフェーヴルが魔法でヴェデバルド王国軍を見た。
軍の先頭にはいかにも王族だという姿の、二十代後半くらいの男がいる。
濃い金髪に盛装姿、指輪などの宝飾品をつけているのか、太陽の光が時折キラキラと反射していた。
顔立ちまではしっかりと把握することは出来ないが、一人だけ華やかな装いなので目立つ。
魔道具でアリスティードもそれを確認し、微妙な顔をした。
「向こうの王太子は夜会に出席するつもりか?」
そう言ってしまいたくなるのも分かる。
アリスティードもパレードなどがあったため、それなりに華やかな装いはしているが、宝飾品はほぼつけていない。
もし戦場に出るとなった時に宝飾品は邪魔になる。
元より華美な装いが好きではないようだが、それでもヴェデバルド王国の王太子にアリスティードも呆れているようだった。
「少なくとも、あれは自分で剣を抜くつもりはなさそうですね」
ルフェーヴルの言葉にアリスティードが溜め息を吐く。
「……同じ王太子として恥ずかしい」
その肩をロイドウェルが励ますように叩いていた。
そうして両軍の準備が整い、宣誓予定時刻となった。
両国の王太子が軍の先頭に立り、魔道具を持つ。
使用主の声を拡大する魔道具だ。
先に声を発したのはヴェデバルド王国の王太子だった。
「この土地は我がヴェデバルド王国の領土である! そして、ここにいた我が国の兵士達を不法に捕らえたファイエット王国の暴挙を許すことは断じて出来ない! ただちに捕らえた兵を解放し、貴国の謝罪を要求する!!」
それにファイエット王国軍が騒めいた。
本来、開戦時の宣言とは互いに戦争を行うことを確認、了承し合うために行われるものである。
つまり、ここでは両軍の王太子は「戦時法に則り戦うことを誓う」とだけ言うべきなのだ。
一方的に自軍の正義を振り翳す場ではない。
アリスティードだけでなく、ロイドウェルも頭が痛いと言いたげな様子で額に手を当てている。
他の貴族達もポカンと口を開けて驚いた表情であった。
もう一度溜め息を吐いたアリスティードが魔道具を口元へ持っていく。
「我が国の主張は既に貴国に伝えている。あとは勝敗を決するだけだ。……我が国は戦時法に則り、戦うことを誓う。以上だ」
とアリスティードは言って魔道具を切った。
ヴェデバルド王国の王太子が更に喋り続けているが、アリスティードはそれを最後まで聞くつもりはないらしい。
リスティナ辺境伯へ魔道具を渡したアリスティードが短く「戻るぞ」と言うので、ルフェーヴルもロイドウェルも頷いた。
そうして馬に乗り、拠点へと戻る。
背後からまだ敵国の王太子が何か叫んでいた。
しかし、既に両国の間でやり取りをし、互いの主張がぶつかり合っての戦争なのだ。開戦宣言の場でも言い争うつもりはない。
拠点の天幕へと戻り、アリスティードが椅子に腰掛けた。
「……無駄に疲れた気分だ……」
テーブルに両肘を置き、組んだ手に額を押し当ててアリスティードが深い深い溜め息をこぼす。
「ヴェデバルド王国の王太子のことはある程度調べていたけど、あれほどとは思わなかったよ」
「王族という立場を使って傍若無人に振る舞っているというのは本当のようだな……。それに場の空気が理解出来ていない」
「まさかこれから戦争を始めるという状況で、まだ自国の主張を騒ぎ立てるなんて。しかも、結局宣誓をする気はないみたいだったね」
そして開戦予定時刻となり、ヴェデバルド王国とファイエット王国の戦争が開始した。
アリスティードが通信魔道具と地図をテーブルの上に置き、ロイドウェルが地図の上に両軍に見立てたチェスの駒を並べていく。
次々と入ってくる戦況報告を聞きながら、アリスティードが指示を出し、ロイドウェルが駒を動かす。
その様子をルフェーヴルは静かに眺めていたのだった。
* * * * *
そして一日目は過ぎていった。
日が沈む一時間ほど前に本日の戦いは終わった。
戦況はファイエット王国軍の優勢である。
最も力を入れている正面戦力が二割程度の損耗を出したものの、兵士達の怪我は比較的軽く、後方で待機していた救護班が治療している。
初日の戦いとしてはまずまずといった結果だ。
通信魔道具で頻繁に戦況の確認・報告・指示のやり取りが行えるため、敵国よりもずっと早く動くことが出来た。
実のところ、ここへ到着して以降、何度か敵国の間諜らしき者を見つけてルフェーヴルが秘密裏に処理していたため、こちらの情報がほぼ向こうに漏れていないというのも戦況を有利にしているだろう。
「辺境伯達も本日はご苦労だった。貴殿達のおかげでヴェデバルド王国兵を押し返せている」
「いいえ、殿下の的確なご指示があってこそです。こちらの通信魔道具のおかげで戦況も分かり、即座に報告も出来て、指示も受けられ、これだけでも戦争が一気に変わりますな」
「まだ大量生産は出来ないが、いずれは各領地の領主が持ち、迅速に連絡が取り合えるようになればと陛下も考えておられるようだ」
「はっはっは、それは楽しみでございます!」
アリスティードと辺境伯の和やかな雰囲気に、戦でヒリついていた空気がほどよく緩む。
他の貴族達も辺境伯に同意するように頷いている。
「明日もある。今夜はよく休んでくれ」
「はっ、それでは失礼させていただきます」
貴族達が天幕を出て、アリスティードとロイドウェル、そしてルフェーヴルがその場に残った。
アリスティードが通信魔道具を仕舞う。
「……二割、か」
思わずといった様子で呟くアリスティードに、ロイドウェルが返事をした。
「しかし、大半は酷い怪我ではないと報告が上がっているよ。治療が済めば再度戦いたいという兵も多いみたいだし、全体数を思えば死者は軽微だね」
「……だが、死者も出た」
「戦争だからね。命懸けで戦っているのだから、どちらかは死ぬか怪我を負うことになる」
アリスティードが胸に手を当て、目を閉じる。
死者への祈りを捧げているようだ。
「死んだ者のためにも負けるわけにはいかない」
「そうだね」
ルフェーヴルはヒョイとテーブルへ腰掛けた。
「二人とも生真面目だねぇ。兵達だって報奨金とか、普段多めに給金とかもらってるんだからぁ、これも仕事のうちでしょぉ?」
「命懸けで戦っているんだぞ?」
「オレだって本職はいつも命懸けだよぉ」
アリスティードとロイドウェルが押し黙った。
「まあ、比べるつもりはないけどさぁ。武勲を立てて出世してやろうってヤツもいるんだしぃ、そんなに兵士全部の命を背負わなくたっていいんじゃなぁい?」
それからルフェーヴルは地図を見下ろした。
「側面はほとんど損耗がなくて良かったねぇ」
「ああ、向こうも正面に兵士を注ぎ込んでいるらしい。側面同士は触れ合った程度だろう」
「正面突破で拠点を叩くって痛快だしぃ、力の差を見せつけるって意味では一番華やかな勝ち方だしねぇ」
しばらく地図を眺めた後にルフェーヴルはテーブルから降りた。
「とりあえず、今日はそろそろオレも休もうかなぁ」
背筋を伸ばすように両腕を軽く上げ、ルフェーヴルが軽く左右の肩を回した。
せっかく戦えると思ったが、アリスティードの指示がなければルフェーヴルは戦に出ることは出来ない。
手が出せないのは退屈である。
「何かあったら通信魔道具で呼ぶ」
「お疲れ様です、ニコルソン子爵」
それにルフェーヴルは軽く手を上げた。
「二人もお疲れ様ぁ」
会議室代わりの天幕を出て、ルフェーヴルは空を見上げた。
もう星が煌めき、日が沈んでからだいぶ時間が経ってしまっている。
……リュシー、心配してるかなぁ。
そう思うと自身の天幕へ向かう足が自然と速くなる。
天幕を開ければ絨毯が敷かれ、王太子用の天幕より簡素なベッドと机が置かれている。
これでも貴族だから良いほうだが、兵士達は一つの天幕を何人かで使っているし、ベッドなんてものはない。
絨毯の上で毛布に包まって雑魚寝である。
ルフェーヴルは天幕の中に変化がないことを確認する。
荷物も何も置いていないし、そもそも、一度も使ったことがない部屋なので何者かに侵入されて困るようなことはないが、変化の確認はもはや癖だった。
詠唱を行い、転移魔法でリュシエンヌの下へ移動する。
「おかえり、ルル」
寝室の窓際に座っていたリュシエンヌが駆け寄ってくる。
「ただいまぁ、リュシー」
「今日は開戦日だったでしょ? どう?」
「こっちの軍がちょ〜っと優勢って感じかなぁ」
ルフェーヴルはリュシエンヌを抱き締め、ソファーへ移動し、二人でそこへ腰掛けた。
控えていた侍女が静かに動き、紅茶を用意する。
戦場では優雅に紅茶を飲むことは出来ないので、出征後はこうやってリュシエンヌと共に紅茶を飲む時間がルフェーヴルの密かな楽しみでもあった。
紅茶を飲みつつ、ルフェーヴルはリュシエンヌに今日一日の出来事について出来る限り詳細に説明する。
大まかに伝えるだけでも良いのかもしれないが、あまり情報を隠しすぎるとリュシエンヌを不安にさせてしまうだろう。
だから包み隠さずルフェーヴルは全て話した。
リュシエンヌがこれを漏らす心配もない。
話し終えるとリュシエンヌが両腕を組んで思案する。
「そもそも、ヴェデバルド王国の王太子ってどんな人なの?」
「闇ギルドの情報だと、傍若無人でかなり我が儘で、王族の身分を使って結構好き放題してるらしいよぉ」
「それでよく王太子になれてるね……」
「まあ、向こうは身分が徹底してるみたいだしぃ、王族が下級貴族や平民に何かしても耐えるしかないって感じなんだろうねぇ」
リュシエンヌが納得出来ないといった顔をする。
ちょっと尖った唇にルフェーヴルは口付けた。
すると、眉根を寄せていたリュシエンヌの表情が柔らかくなる。
「向こうの国の事情はともかく、嫡男の王太子が次期国王なのは仕方ないよぉ。ただ、二歳年下の第二王子もなかなかにクセのある人物らしいからぁ、王太子がこの戦争で負ければ立場が逆転するんじゃなぁい?」
「その第二王子は悪い人じゃない?」
「善悪で言うなら悪かもしれないけどぉ、王太子に比べたらわりとマシかも〜? 少なくとも命令に従わないからってすぐに処刑しろって騒いだりはしないらしいよぉ」
リュシエンヌが呆れた顔で溜め息を吐く。
それがどことなくアリスティードに似ていて、血が繋がっていなくても、似ることがあるのだなとルフェーヴルは少し感心した。
「それで、ヴェデバルド王国の王太子は宣誓したの?」
「しなかったよぉ。多分、正々堂々戦うつもりがないんじゃなぁい? あの国の王族ってそういうところあるでしょぉ?」
「……確かに」
ヴェデバルド王国は数年前まで大飢饉で苦しんでいた。
放っておけば滅んでしまうのではというほど酷いもので、周辺国は協力して、ヴェデバルド王国に様々な支援を行った。
全てが善意で行ったわけではない。
もしも国が滅べば周辺国に難民が押し寄せてくるだろう。
あまりに多い難民は国を圧迫するし、場合によっては劣悪な環境から流行病などが広がる可能性もある。
そうなっては周辺国も国益を損ねるだけだ。
十年もの歳月をかけて周辺国はヴェデバルド王国に支援をした。ファイエット王国もその一つだった。
それなのに、国力を取り戻した途端にこれである。
……そりゃあ義父上も怒るだろうなぁ。
別に恩を返せとまでは言わないが、恩を忘れて戦争を仕掛けてくるのはさすがのルフェーヴルでもどうかと思う。
「義父上もアリスティードもそういう意味ではかなり不快に思っているだろうしぃ、ヴェデバルドに勝った時はしばらく戦争なんて馬鹿な真似出来ないくらいには賠償金を毟り取るつもりだろうねぇ」
「まあ、そうなるよね」
リュシエンヌの呆れた顔は、やはりアリスティードに少しばかり雰囲気が似ていた。
今頃、アリスティードも義父上達に通信魔道具で報告をしているだろう。
明日も今日と同じように過ごすと思うとつまらないが、そのうちアリスティードがルフェーヴルを使うだろうから、それまでは待機時間と思って待つしかない。
「とにかく、こっちが優勢だから大丈夫だよぉ」
劣勢になればルフェーヴルが投入される。
それが待ち遠しいと言ったら、リュシエンヌは良い顔をしないだろうからルフェーヴルは黙っておいた。
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