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2日目

 






「……ねつ下がってる」




 翌朝、わたしはスッキリした気分で起きた。


 昨夜はかなり熱が出ていたはずだけど、今は平熱まで戻っているようだった。


 そういえば彼が来てくれたんだっけ。


 水や食べ物だけでなく最後は薬もくれた気がする。


 あれは解熱薬だったのかな?


 昼間は傷の手当てもしてくれて、おかげで今日はすごく体調が良い。


 起き上がると服の下でガサリと何かが音を立てた。


 毛布の上に座って服をバサバサと動かすと、スカートの中から四角い包みが転がり出てくる。


 何だろう、これ。


 膝の上に包みを乗せて広げると、中に四角いキツネ色にこんがり焼けたものが入っていた。


 そっと鼻に寄せてみると甘い匂いがする。




「あ……」




 これ昨日の夜に食べたやつだ!


 包みの中にはわたしの手の平よりやや小さいくらいのそれが四枚入っていて、ほのかに香ばしくて甘い匂いがする。


 キョロキョロと部屋の中を確認した。


 もちろん、いないのは分かってる。


 でも何となく警戒してしまった。


 きちんとした食べ物を誰かからもらったのは、リュシエンヌの記憶では久しぶりのことである。


 じんわりと喜びが胸に広がった。


 一枚だけ包みから出し、三枚は残しておいて、包みの口をしっかりと閉じたら部屋の隅に放置された机へ持っていく。


 机の引き出しの、三段あるうちの一番下の部分をギリギリまで引き、その奥の隙間に包みをそっと落とす。


 部屋の奥にあるボロボロの机なので運び出されることはない。


 重厚な造りの机は引き出し部分が下までぴっちり床にくっつくタイプだが、実は一番下の段と床との間に僅かな隙間が常にあるのだ。


 しかも外からはその隙間は分からない。


 死ぬ前のわたしも、リュシエンヌも、人目に触れさせたくないものの隠し場所が全く同じだった。


 この隠し場所だけはリュシエンヌが時々綺麗にして食べ物などを隠すことがあるので、実はあまり埃が溜まっていないのだ。


 引き出しを元に戻して布まで戻ると、その上に座り込んで、手に持っていた一枚にかじりつく。


 やっぱり固い。少々行儀悪いが端っこを口に含んで柔らかくなった部分を少しずつかじり取っていく。


 ……うん、少ししょっぱいけど甘くて美味しい。


 ざりざりと時間をかけて一枚食べる。


 そこまで大きくないのに一枚だけでも不思議と満腹感があった。


 残りの三枚も大事に食べよう。


 一枚丸々食べるとさすがに喉が渇く。


 口の中のものを飲み込んでから立ち上がった。


 スカートを払い、手も払ってから、部屋を出る。


 廊下の窓から外を見れば太陽が随分と高い位置にある。多分、今は昼過ぎくらいだろうか。


 とりあえず人目に触れないようにそろりそろりと廊下を抜けて、裏手の井戸へ向かった。


 井戸のところには誰もいない。


 昨日と同じく横にある桶を中へ落とし、滑車を使って少しずつ持ち上げ、桶を引き寄せて水を飲む。


 空腹と渇きが満たされるとホッとする。


 余った水は井戸の外へ捨てて、桶を元の位置に戻してから建物の中へ戻る。


 泥棒みたいにコソコソと物置部屋へ帰った。


 そうして毛布に包まって横になる。


 王妃や異母姉達は毎日来るわけではない。


 どうやら今日は来なさそうだ。


 物置部屋の周辺は人気がなく、物音もほぼしないので、毛布の中でうとうとして過ごすには丁度良い。


 確実に熱が下がるまでは静かにしていよう。


 そうやって浅い眠りの縁で寝たり起きたりしているうちに、段々と日が沈み、物置部屋が暗くなっていく。


 ふと何かを感じて目を開けると人影があった。


 でももう驚くことはない。


 僅かに差し込み始めた月明かりの中で灰色の瞳と視線が絡む。




「あ」




 彼を見つけたら眠気が吹き飛んだ。


 慌てて起き上がれば、彼が反対にその場に屈む。


 ぐっと近くなった瞳をしっかり見る。




「あの、ありがとう……」




 伸びてきた手が額に触れる。




「お礼なら昨日聞いたよぉ」




 また少し熱が上がってきたのかヒンヤリした手の感触が心地好い。




「えっと、そうじゃなくて……」


「ん〜?」


「きずにくすり、ぬってくれたの」


「あー、そっちかぁ」




 首を傾げていた彼が思い出したような顔をした。


 額に触れた手が下がり、頬をむにっと摘んだ。


 面白いのかむにむにと感触を楽しむように何度も柔く摘まれる。




「まあ、仕事の内容的に死なれると面倒だし、なぁんか惜しい気がしたんだよねぇ」




 頬から離れた手が自分の上着を探る。


 それから「あったあった」と何かを取り出した。




「はい、これ飲んで〜」




 手を出すと、コロリと小さな粒が手の平の上へ落とされる。




「きのうのくすり?」


「そう、解熱薬。そろそろ薬が切れる頃でしょ?」




 そうか、やっぱり解熱薬だったか。


 というか今日熱が下がってたのは薬が良く効いていただけで、治ったわけではなかったらしい。


 リュシエンヌの体でそう簡単に治るはずもない。


 素直に頷いて薬を口の中に放り込む。


 すると平たい入れ物を差し出された。


 上の丸い穴に口をつければ、中から水がゆっくりと口内に流れ込んでくる。


 一口二口、水を飲んで返す。




「くすりとお水、ありがとう」


「どーいたしましてぇ」




 恐らく笑ったのだろう。


 灰色の瞳が細められた。




「あのね、わたしはリュシエンヌっていうの」


「知ってるよぉ。王妃がそう呼んでたから〜」


「そっか……」




 自己紹介すると彼は一つ頷いた。


 沈黙が落ちる。


 ……名前、教えてはくれないよね。


 暗殺者だし、後宮にもこっそり忍び込んでるんだろうし、さっきの話の感じからしてわたしに関わったのは気まぐれかもしれない。


 薬の影響か眠くなってくる。


 毛布の上に座って船を漕いでいると彼が声もなく笑う気配がする。




「眠いなら寝たら〜?」




 その言葉に必死で瞼を押し上げる。




「ねない」


「何でぇ?」


「……もっと、お話ししたい」




 そう、リュシエンヌは飢えている。


 人と接することに、人の愛情に飢えている。


 わたしはリュシエンヌで、リュシエンヌはわたしだ。


 だからリュシエンヌが寂しいと感じれば、それはわたしの寂しさでもある。


 原作でリュシエンヌがヒロインちゃんを虐めたのも、兄や婚約者を奪われる恐怖を感じたからだ。


 三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。


 リュシエンヌは幼い頃の辛い記憶のせいで、他者の存在に飢えていて、引き取られたファイエット家の嫡男である兄や婚約者に半ば依存していた。


 それもそうだろう。


 初めて家族と呼べる人達が出来て、その人達はリュシエンヌを人として扱ってくれる。


 年頃になって引き合わされた婚約者は、いずれ結婚して、家族となる人なのだ。


 愛情に飢えたリュシエンヌが幼い頃に得られなかった『家族』に固執するのは仕方のないことである。


 もう後数年で結婚という時に、突然現れた女の子に兄や婚約者を奪われそうになれば恐怖を感じただろう。


 思い返せばリュシエンヌがヒロインちゃんに行う虐めは、リュシエンヌが幼い頃に王妃や異母姉達から受けたものを真似したものだった。


 持ち物を壊したり捨てたりするのも。


 ヒステリックに罵倒するのも。


 突き飛ばしたり頬を叩いたりといった暴力も。


 幼い頃にリュシエンヌが受けたものばかりだ。


 きっと原作のリュシエンヌは心が成長し切れないままだったのではないかと思う。


 心に傷を負った状態で引き取られ、教育を受け、礼儀作法は身についていたが、それでも心の方は幼い頃からあまり育たなかったのではないだろうか。


 だから自分の世界を壊されそうになって、リュシエンヌは必死に抵抗したのだ。


 見上げれば灰色の瞳が瞬いた。




「オレと話したいから起きてるのぉ?」




 それにこっくりと頷いた。


 灰色の瞳が細まる。




「そっかぁ」




 その声はどこか喜色が滲んでいる気がする。




「大丈夫、また来るからぁ」


「……いつ?」


「明日〜?」




 思ったより早かった。


 でも安心した。




「ほら、もう寝なよぉ」




 コロンと毛布の上に転がされる。


 抵抗する間もなく毛布に包まれた。


 そして屈んだまま、彼は手を引っ込めると膝を抱えるようにわたしの顔を覗き込んだ。


 顔の下半分は相変わらずマフラーみたいなので隠れて見えないが、その灰色の瞳は僅かに目尻を下げている。




「……ねるまで、いる?」


「うん、いてあげるぅ」


「ありが、と……」




 ほぼ目は閉じかけていたけど笑いかける。


 すると頭に手が触れる感触がした。




「おやすみぃ」




 間延びした声を聞きながら意識を手放した。








* * * * *







 ふんふんと鼻歌が薄暗い部屋に響く。


 依頼主に本日の報告を済ませたルフェーヴルは、大変に座り心地の良いソファーの背もたれに寄りかかりながら受け取った報酬を数えている。


 腕の良い暗殺者であり間諜でもあるルフェーヴルに依頼するには、任務完遂時の報酬の他に、前金や別途料金など色々と金がかかるのだ。


 今回の場合は後宮の様子を報告する度に報酬が支払われることになっていた。




「今日は機嫌が良さそうだな」




 依頼主の言葉にルフェーヴルは手元から顔を上げずに「まあね〜」と返事をする。


 依頼主は貴族の中でも高位の存在なのだが、ルフェーヴルはそういったことを気にしない。


 そもそもこの暗殺者はいつもそうだ。


 地位や権力、財力などで態度を変えたりしない。


 だからこそ仕事を任せられる。


 だが逆を言えば、いつでも変わらない態度のせいで何を考えているのか全く読めない。


 顔の半分を隠しているせいもあるが、常に語尾を伸ばした気の抜けるような口調も、暗殺者にしては奇妙に明るい声音も、ふらふらした動きも謎である。




「面白い生き物、見つけたんだぁ」




 そんなルフェーヴルが、仕事のこと以外で何かを話すのが実は今回が初めてだった。


 依頼主は僅かに目を瞠る。




「ちっちゃくて、弱くて、傷だらけで、無防備で、オレに自分から首を晒しちゃうような感じぃ」




 それはまた随分と命知らずな。


 暗殺者に首を晒すなんて自殺行為だ。




「でも意外と頭は良いんだよねぇ」




 ルフェーヴルが珍しく可笑しそうに笑った。


 どこか喜色混じりの声で「面白そうだから餌づけしちゃった〜」と言うが、その声にぞくりと背筋を冷たいものが駆け抜けた。


 何故、今、この暗殺者はこの話をしている?


 いつの間にかこちらを向いた顔が、その瞳が、うっそりと獲物を狙うように細められた。




「……お前、まさか……」




 先ほどの報告を思い出す。


 小さくて、弱くて、傷だらけで、無防備で、ルフェーヴルが餌づけしてしまった生き物。


 暗殺者に首を晒した、それは……。




「リュ、」




 シュ、と顔の横を何かが通り過ぎる。


 顔を横へ向ければ背後の本棚に細身のナイフが一本、突き刺さっていた。




「任務以外での行動に制限をかけない」




 ルフェーヴルの声が低くなった。


 灰色の目は笑っていない。




「そういう契約でしょ?」




 契約に反するならば容赦しないということか。


 依頼主は小さく息を吐いた。


 この暗殺者と契約して数年経つが、ここまで感情を露わにしたのは初めてである。




「分かった、口出しはしない」


「そ〜そ〜、それでいいんだよぉ」




 ルフェーヴルが手招くような仕草をすると、本棚に突き刺さっていたナイフが抜けて、その手元へ戻っていく。


 餌づけしたということは、少なくとも今は殺す気はないのだろう。


 この暗殺者には血筋の貴賎も関係ない。


 相手が王族だろうが貧民街の子供だろうが、依頼があれば何の躊躇いもなく殺す。


 そのルフェーヴルに目をつけられてしまったのは、恐らく、昨日と今日の報告にあった子供のことに違いない。


 国王は自分が気に入ればどのような女性でも抱く。


 それが貴族の娘でも、既婚者でも、平民でも、使用人でも、娼婦でも、関係ない。


 恐らく後宮にいる子供はそういった関係だろう。


 今まで存在が明るみに出なかった子供。


 ルフェーヴルの報告では王妃達に虐待されている、琥珀の瞳を持つ、しかし魔力が全くない憐れな子供。




「……殺すなよ」




 ルフェーヴルが頷いた。




「そのつもりはしばらくないよぉ」





 それはつまり、飽きたら殺すということか。


 せめてクーデターを起こすまであと二週間ほどは、その気が変わらないことを願うしかない。


 今の王族達はともかく、その子供に罪はない。


 しかしどこかの孤児院に入れるのは難しい。


 王族の血を引いているため、その子供が悪用される可能性が高い。


 生涯幽閉するか、監視出来る場所に置くか。


 ……アリスティードが良いと言うのであれば、クーデター後、その子供をファイエット家が引き取ることも考慮に入れておこう。


 その子供が手元にいれば、この暗殺者ももう少し態度を改めるかもしれない。


 依頼主、ベルナール=ファイエットはもう一度、ひっそりと溜め息を零した。







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