狭間にて Ⅲ
* * * * *
真っ白な空間が広がっている。
そこに、同じく白い椅子とテーブルがある。
その椅子に女神が腰掛けていた。
黄金のように輝く金髪に、オレンジがかった琥珀のような瞳をした、美しい外見の女神だった。
女神はテーブルの上の水晶を見て、苦笑する。
「無茶をするのはそっくりね」
魂に干渉するなど、下手をすれば死ぬこともある。
それなのに、死すらも恐れず、リュシエンヌのためにルフェーヴルは魔法を使用したのだ。
ルフェーヴルの元となった銀の男神もそうだ。
悪戯好きで、気紛れで、自分勝手に何でもしてしまう。
今回、女神の下へ繋がる道を他の道と引き剥がした。
これが他の神々の知るところとなれば、さすがに、上位神達も庇うことは難しい。
だから他の神がまだ気付いていないうちに直させているのだが。
今なら、道が不調で上手く繋がっていなかったと言い訳をすれば何とかなる。
あの男神は上位神から気に入られているようなので、そう簡単に降格処分にはならないかもしれないが、今後も銀の行動には注意したほうが良さそうだ。
「それにしても、悪い子ね」
水晶の中では苦痛に呻くルフェーヴルと、そんなルフェーヴルを看病するリュシエンヌがいる。
ルフェーヴルは何も勝算のない賭けに出たわけではない。
祝福によって自身の体が以前よりも能力が高まり、それによって強靭になっていることを理解している。
そして女神の祝福を受けたことも計算している。
二人の幸せを願った女神が見殺しにするはずがない。
女神が小さく息を吐く。
「まさか、女神が人間に使われる日がくるなんて」
ルフェーヴルが死ねば、リュシエンヌも後を追う。
二人の幸せを願うなら、ルフェーヴルを生かす必要がある。
しかも、魂への干渉を見逃さなければならない。
それ自体は別に規則違反とはならないから良いが。
女神は水晶へ手を翳した。
ルフェーヴルの傍にいたリュシエンヌと室内にいた侍女、別の使用人を眠らせる。
それから、ルフェーヴルの体に祝福を授けた。
祝福とは神々の持つ力の欠片である。
その祝福によって、傷付き、弱っていたルフェーヴルの魂を包み込み、魔法と融合させる。
「……今回だけよ」
ルフェーヴルだけに聞こえるように女神は囁く。
弱っていた魂が返事をするように大きく震えた。
祝福により、隷属魔法と上手く融合した魂は持ち前の力強さもあってか、どんどんと自身を修復していく。
弱っていた輝きを取り戻す様に女神は微笑んだ。
……本当に、困った子ね。
それでも魂から伝わる感謝の念に偽りはなかった。
同時に、魔法が成功したことへの喜びが伝わってくる。
生まれ変わってもリュシエンヌと共にいたい。
ただそれだけをルフェーヴルは願っていた。
その願いが愛おしい。
水晶の中で、眠るルフェーヴルの顔色が段々と良くなっていく。この様子なら、きっとすぐに目を覚ますだろう。
傍らで眠っているリュシエンヌの目元にはクマがあった。
四日間、ほとんど眠らず看病をしていたのだ。
その寝顔は疲れているようだった。
「あ〜、やっと終わった〜」
カツ、コツ、と足音を立てながら銀が現れる。
長い銀髪に薄い灰色の瞳の男神は、気だるそうに歩いてくると、女神の目の前にある椅子へ雑な動きでどかりと座った。
「道は綺麗に直せた?」
「バッチリ元通りだよ。でもそのせいで結構神力を使っちゃった。あ、コレ他のヤツらには秘密ね?」
「そうね、神力が減ったって知られたら、あなたが今まで悪戯してきた神達に仕返しされるかもしれないもの」
思わず、ふふ、と笑った女神に男神が不満げな顔をする。
「笑いごとじゃないよ」
それらは銀のこれまでの行いのせいなのだが。
この男神にとっては自身のした悪戯など、所詮は暇潰しに過ぎず、誰に何をしたかまで細かくは覚えていないだろう。
「赤のに知られたら、オレ、アイツに捕まえられて手足をもぎ取られるかもしれないし」
赤の、とはこの男神がよくからかいに行く神の一人だ。
銀にとっては遊び相手くらいの感覚なのだとは思うが、何せ、男神の悪戯は時々、度が過ぎていることがある。
それでも赤の女神は気の良い神である。
よほどのことがなければ、この男神の悪戯も大目に見てくれるのだけれど、前回した悪戯が問題だった。
男神は意図していなかったのだが、他の神を嵌めようと仕掛けた罠に赤の女神の髪が引っかかってしまった。
そのせいで、赤の女神の燃え盛る炎のような、沈む直前の眩い夕日のような、美しい赤い髪が半分ほど切り取られてしまったのだ。
赤の女神の怒りは凄まじく、さすがの銀もまずいと思ったのか謝罪もそこそこに逃げてしまったらしい。
今現在、赤の女神の豊かな髪は元に戻ったものの、銀を探している。
赤の女神いわく「一度痛い目を見させなければ」ということで、捕まったら男神は無傷では済まないと考えているようだ。
……まあ、実際は叱って平手打ちする程度なのだが。
赤の女神は基本的に温厚な性格なので、一時は怒りに燃えていたものの、時間が過ぎれば元の温厚さを取り戻した。
でも、あの悪戯は確かにやりすぎだったため、しばらくは反省させる意味もあって、赤の女神は怒っているという噂を流している。
おかげでこの男神は最近、あまり悪戯をしていなかった。
「そう思うなら謝ればいいのに」
「い〜や、アレは無理。あんなに怒ってる赤のは初めて見たし、多分、見つかった瞬間に八つ裂きにされる……」
「穏やかな者ほど怒ると怖いというあれね」
「そうソレ」
椅子に座り、テーブルに両肘をついて男神が頭を抱える。
銀の男神と黄金の女神からすると、赤の女神は同じ上位神から生み出された、言わば姉のような存在である。
赤の女神もこの二柱を弟妹のように可愛がってくれる。
だからこそ、赤の女神は髪を切られても、まだそれほど本気で怒っていないのだ。
もしこれが他の無関係な神であったなら、男神の言う通り八つ裂きにされていたことだろう。
神は死ぬことがないので八つ裂きにされても、少し経てば元に戻る。痛みもさほど感じるわけではない。
「あ〜…、本当どうしようかな」
赤の女神はこの男神に悪戯をされても今まで怒ったことがない。
いつも「仕方のない子ね」と微笑んで終わっていた。
そんな赤の女神が今回は烈火のごとく怒り狂った。
恐らく、男神はそう思っていて、初めてのことにどうすればいいのか分からないのだろう。
数千年は生きているのに、まだまだ幼いところがある。
「きちんと謝るなら、手助けをしてあげるわ」
男神が顔を上げる。
「手助けって?」
「心から謝って、これをお詫びに渡すのよ」
神力でテーブルの上に出したのは、バラの花束だった。
真っ赤なバラは赤の女神の神によく似ている。
「こんなもので許してくれるの?」
男神がバラを見る。
「赤のはバラが好きなのよ。真っ赤なバラが、あの綺麗な赤い髪にとても似ているでしょう? 赤のところに遊びに行くと、必ずテーブルに赤いバラが飾ってあるじゃない」
「……そうだっけ?」
小首を傾げながら、男神がバラに手を伸ばす。
「でも、あくまでそれは謝罪の気持ちを形にしただけ。あなたが心から謝罪しなければ、赤のは許してくれないわ」
赤のは温厚だけれど、他者の気持ちを察するのが上手い。
もし男神が適当に謝れば、それをすぐに見抜くだろう。
銀の男神は少し居心地の悪そうな顔をする。
「今回はちゃんと謝るよ。オレだって、赤のには色々恩もあるし、髪が切れたのは悪かったと思ってる」
「そう、それならいいの」
男神は赤いバラの花束を手に取ると、それを亜空間へ丁寧に仕舞った。
それから神力で別のバラを取り出した。
ピンク色の可愛いバラの花束だ。
「コレは君にあげる〜」
テーブル越しに差し出されたそれに驚いた。
「わたしに?」
「だって、そうしないとオレが初めて花束を渡した相手が赤のになっちゃうでしょ?」
まるで当たり前のような顔で花束を差し出してくる男神に、じんわりと喜びを感じた。
神なので強い感情は抱けないが、喜怒哀楽はある。
「ありがとう」
花束を受け取れば、男神も満足そうに笑った。
「でも、どうしてピンクなの?」
「オレは花の色とか種類とか分からないけど、黄金のに合う色って思ったらコレだなってずっと思ってたんだよね〜」
テーブルに頬杖をついた男神が目を細める。
「これからはこの花を飾るわ」
神力で花瓶を取り出し、そこへ花を活ける。
この空間は時間の変化がないので花が枯れることもない。
「……うん、やっぱり君にはこの花が似合うね〜」
ピンクとバラ越しの無邪気な笑顔に微笑み返す。
「ところでこのオレの偽物、なんか凄く君の気配がするんだけど? 祝福かけすぎじゃな〜い?」
水晶の中で眠っているルフェーヴルを男神が見る。
その言葉に苦笑してしまう。
「この子、自分の魂に無理やり干渉したのよ」
「え、何したの?」
「隷属魔法を刻もうとしたの。今生の記憶と隷属魔法の条件を、魂に直接ね」
それに男神が珍しく眉根を寄せた。
「げ、ソレってかなり苦痛があると思うだけど。というか、よく死ななかったね。傷なんてつけたら最悪、魂が劣化して消滅するかもしれないのに……」
そこまで言いかけて、気付いた様子で頬杖をやめた。
「あ、だから君の祝福を授けたの?」
「ええ、そうよ。そのままだったら危なかったから、わたしの祝福で魂に力を与えたの」
「コイツらに肩入れするね〜」
つん、と男神が水晶を指先でつつく。
「あら、特定の人間に肩入れしてはいけないなんて規則はないでしょう?」
「その辺りは緩いよね。まあ、そのおかげでオレも管理してる世界で結構楽しませてもらってるけど」
「でも」と男神が続ける。
「いいの? コイツ、このままだと今生の記憶を持ったまま生まれ変わっちゃうよ? 他の世界にそのまま持ち込める?」
魂は輪廻転生するが、同じ世界に生まれ直すことは出来ない。
必ず、一度は別の世界で転生する必要がある。
ルフェーヴルもリュシエンヌも死ねば、黄金の女神の管理するこの世界にすぐにもう一度生まれることは叶わない。
しかし隷属魔法がかかったままのルフェーヴルの魂を受け入れてくれる世界はそうないだろう。
もし生まれ直すなら、魂はまっさらな状態に戻されてしまう。
そこで、黄金の女神は微笑んだ。
「この二人が死んだら、あなたの世界に連れて行って」
それに男神は目を丸くする。
「あの世界でいいの? どう考えても苦労するよ?」
「でもそれしかないでしょう?」
「それはそうだけど……」
男神が考えるようにしばし黙った。
それから、仕方ないなという風に頷いた。
「分かった。この二人が死んだら、その魂はこっちで引き取るよ。だけどすぐに死んじゃうかもしれないよ?」
「その時はその時よ」
「適当だね〜」
この男神の世界はいつも戦争をしている。
だから、この二人が生まれ変わったとしても、その後、出会えるのかも、どうなるのかも分からない。
出会わずに寿命を迎える可能性もある。
そんなことはルフェーヴルも気付いているだろう。
必ず見つけ出してみせるという、気持ちと覚悟の現れが隷属魔法なのかもしれない。
……それにしても、良かった。
何度繰り返した世界でも幸せになれなかったリュシエンヌが、大切な人を見つけて、そして幸せになっている。
もう世界を、同じ時間を繰り返す必要はない。
この男神に他の魂達を放り込まれた時はどうなることかと心配したけれど、今では、それで良かったのだと思える。
「ねえ、いつものお菓子出してよ」
男神の言葉に、お菓子を出してやる。
ケーキやクッキー、パイなどがテーブルに並ぶと、男神の目が輝いて、それらに手を伸ばす。
「食べ終わったら、謝りに行くのよ?」
「分かってるよ〜」
言いながら男神が手に持ったケーキにかじりつく。
リュシエンヌ達との幸せとは違うけれど、こうして男神と過ごす時間が幸せなのかもしれないと黄金の女神は微笑んだのだった。
……それにしても、本当によく似てる。
水晶の中で目を覚ましたルフェーヴルが、繋がれた手の先にいるリュシエンヌを見て、笑みを浮かべた。
その表情はバラ越しに笑った男神ととてもよく似ていた。
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