ドランザーク
それからの道も何事もなく進んでいった。
あの寄生しようとしていた行商人達だったけれど、どうやら前の村か町へ戻ったらしい。
気付いたらいなくなっていた。
ルルはこう言っていた。
「夜に野盗がうろついてたらしいからねぇ。驚いて逃げ帰ったんじゃないのぉ?」
ちなみに騎士達は異変を察してすぐに場所を移動したため、野盗の被害は特になかったそうだ。
野盗を野放しにしておくのは気になるが、それについてはドランザークの街に着いたら報告すればいいようだ。
そうすればドランザークの街で傭兵や兵士達などを集めて討伐に向かうだろうということだった。
わたし達がわざわざ手を出す必要はない。
それに騎士達もそれほど数が多いわけではないから、無理に戦闘を行わない方が良い。
森の中で他人の目もいなくなったので、そこからはカーテンを上げて、窓を開けて進んだ。
さすがに夏場の馬車の中は暑い。
窓を開けると風が通って心地良いのだ。
目的地のドランザークは山と山の間にあり、それでいて海のそばに位置する街だ。
鉱山で採れるものが主な財源で、街の人々の半数近くが鉱山で働いており、それによって経済が回っていると言っても良い。
山間にある街は華やかさはないものの、皆、堅実で真面目な働き者が多い。そんな街らしい。
それを教えてくれたのは騎士の一人だった。
「詳しいですね?」
と言えば、騎士が少し懐かしそうな顔をする。
「その、私の故郷なんです」
「なるほど」
生まれ故郷ならば詳しくて当然だ。
もしかしたら、目的地が故郷だったこともあって、この騎士も今回の旅に同行しているのかもしれない。
仕事中に抜けられるのは困るけれど、交代した後、休憩する時ならば自由にしてもらっても構わないので、会いたい人がいるならその時に好きにすればいい。
ガタゴトと揺れる馬車で街へ着く。
街はそこそこ高い外壁に囲まれているが、街の一部は城壁がなく、代わりに鉱山に直接繋がっているようだ。
門で身分証を確認して、通される。
既に話が通っていたのか兵士の一人が案内役について来て、そのままこの街の中央にある大きな屋敷へ向かう。
この鉱山は王都から派遣された管理官が任されている。
そしてこの街にはこの辺りを統治している領主も住んでおり、管理官は領主の館で世話になっている。
だから管理官に会うには領主の館へ行く必要がある。
わたし達は表向きは観光に来ているということになっているが、貴族は領主の館に泊まることが多いらしい。
案内人の兵士がそう教えてくれた。
領主の館に着くと、兵士は戻っていった。
そうして館では領主夫妻と管理官が出迎えてくれた。
「初めまして、このドランザークの街や周辺領地の統治を任されております、セクストン子爵家の当主セオドア=セクストンと申します」
「妻のツェーダでございます」
セクストン子爵夫妻は大柄だけど物腰おだやかな子爵と細身の静かな夫人という組み合わせだ。
子爵はややくすんだ赤髪にくすんだ緑の瞳。
夫人は金に近い柔らかな茶髪にダークブラウンの瞳だ。
その横に管理官だろう痩せた男性が立っていた。
「ドランザーク鉱山の管理官、ジュード=バックルといいます。鉱山のご説明やご案内は私がさせていただきます」
管理官は濃い灰色の髪に青い瞳をしている。
メガネをかけていて、やや神経質そうな顔立ちだ。
「ニコルソン子爵家の当主、ルフェーヴル=ニコルソンです」
「妻のリュシエンヌです。ご挨拶が遅くなり、すみません。いつも皆様にはお世話になっております」
浅く頭を下げると子爵が慌てたように手を振った。
「頭をお上げください! 我々は任された仕事を行なっているだけですから」
「立ち話もなんですから中へどうぞ」と招き入れられて、領主の館へ入る。
華美さはなく、実用的な内装はどこかファイエット邸や我が家の屋敷を彷彿とさせた。
応接室に通される。
使用人がお茶を持ってきて、用意をすると、静かに下がっていった。
ルルが紅茶を見て、一口飲み、カップをテーブルへ戻す。
「実は、リュシエンヌ様には感謝しているのです」
子爵の言葉にわたしは目を瞬かせた。
「わたしは何もしておりませんが……」
「以前は鉱山で採れたものは殆どが王家に召し上げられ、管理官も横領を平然と行うような人間でした。けれど、リュシエンヌ様の名義になると決まった時、陛下が監査を行なってくださり、前の管理官を解任して新たな管理官を派遣してくださいました」
それまでは本当に酷かったらしい。
前の管理官は鉱山での採掘量を増やすために鉱夫達を昼夜問わず働かせて休ませなかったり、実際の採掘量と報告量を誤魔化して採掘品を横流ししたり、かなり横柄な態度の者だったようだ。
何度か追い出そうとしたこともあったそうだが、旧王家とは言えど、国が派遣させた管理官だったために無下に扱うことも出来ず、困っていた。
そこにある日突然、お父様の監査が入った。
わたしの嫁入り道具にする鉱山で不正が行われていないか、問題がないかの確認のためだった。
当たり前だが前の監査官は即座に所業がバレて捕らえられ、代わりに来たのが今の監査官である。
「ジュード殿が来てからここは変わりました」
鉱夫達に無理な負担を強いることもなく、採掘環境を整え、きっちり採掘量を国に報告し、決して横領などしない。生真面目な性格の人らしい。
……まあ、見た目からしてそんな感じだよね。
「リュシエンヌ様の名義に変更するというお話が出ていなければ、我々は今も前管理官によって苦しめられていたことでしょう」
それにわたしは苦笑した。
「それこそわたしは何もしておりません。このドランザーク鉱山を選んだのはお父様ですし、ここが変わったのはセクストン子爵夫妻とバックル管理官が尽力したからです」
「ですが、ここまで持ち直せたのは国からの補助金などの手助けもあったからで……」
「であればこそ、感謝の言葉はお父様にお伝えください」
きっとお父様は状況を知って、分かっていて監査に入ったのだろう。
わたしに与えるための鉱山をより良くするために。
感謝するならお父様にするべきだし、なんなら、わたしもお父様に感謝するべきなのだろう。
「手紙が届いていると思いますが、今回、観光ということにはなっておりますが、わたしの名義である鉱山の見学をさせていただきたくて参りました」
子爵と管理官が頷く。
「ええ、伺っております」
「鉱山内はさすがに立ち入りは出来ませんが、周辺などのご案内は出来ます。本日はもうこの時間ですから、明日からでもよろしいでしょうか?」
それにわたしも頷き返す。
「はい、明日からよろしくお願いします」
わたしがここの名義人だからか、それとも元王女だからなのか、子爵夫妻も管理官も丁寧な対応をしてくれる。
話している間、ルルは黙って微笑んでいた。
多分、興味がないのだと思う。
旅で疲れているだろうからと話は一度切り上げて、夫人が直々に部屋へ案内してくれた。
ちなみにヴィエラさんと騎士が二名、最初からずっとついて来ている。
他の騎士達や御者などは先に別の部屋へ通されているようだ。
わたしとルルは同じ寝室で、隣室にヴィエラさんの休める部屋があり、浴室があって、部屋の外には兵士がいた。
騎士は廊下と寝室の間にある控えの間に詰めることになりそうだ。
寝室にはベルがあり、それを鳴らせばこのお屋敷の使用人が来てくれるのだろう。
部屋は四階で、他の建物より高いからか見晴らしが良い。
「何かご入り用でしたらベルを鳴らしていただければメイドがすぐに参りますので、遠慮なくお申し付けください」
「ありがとうございます」
夫人はにっこり微笑むと「ごゆっくりお寛ぎくださいね」と言って、元来た廊下を戻っていった。
とりあえず、ヴィエラさんは馬車から荷物を下ろすために出て行き、わたしとルルが部屋に残される。
窓から外を眺めていれば、ルルも後ろから窓の外を見た。
「ここは鉄っぽい臭いがするねぇ」
すん、とルルが小さく鼻を鳴らす。
「そうかな?」
真似してみるがわたしには分からなかった。
「それに水もあんまり良くないみたいだよぉ。さっき出された紅茶も、色も味も微妙だったしぃ」
「だから渡してくれなかったの?」
うん、とルルが頷いた。
いつもなら一口飲んだらわたしに渡してくれるのに、ティーカップに口をつけたあと、それをテーブルへ戻した。
恐らく味があまり良くなかったのだろう。
「なんていうかぁ、ちょ〜っと飲み難い味だったんだよねぇ。飲めないことはないけどぉ、クセがあるっていうかぁ」
ルルが微妙な顔をする。
「そうなんだ」
「まあ、毒が入ってるわけじゃないしぃ、飲んでも問題はない……のかなぁ」
珍しく曖昧に言うルルに、それだけ微妙な味がするのだろうと少しだけ覚悟をしておいた。
「とりあえず屋敷から水も持って来てるからぁ、リュシーはそっちを飲んだ方がいいかもねぇ」
「うん、でも、出してもらったものは一応飲むよ」
「ん〜、まあ、リュシーがそう言うなら」
逆にどんな味なのか気になる。
そんな風に話をして、ヴィエラさんが戻って来た後に汗を流したら、夕食になるまでのんびり過ごした。
夕食の頃になるとメイドが呼びに来て、そのメイドに案内されて食堂へ向かった。
食堂では子爵夫妻と管理官がいて、わたしとルルの五人で食事を共にした。
山の中だからか、鹿やイノシシの肉などがメインの味の濃い、がっつりした料理だった。
ルルが全部一口ずつ食べてからわたしのお皿と自分のものを交換し始めた時は、夫妻も管理官も一瞬こちらを見たけれど、何かを言われることはなかった。
……嫌な顔をされなくて良かった。
わたしもルルもそれが当たり前になっていたけれど、場合によっては『あなた達を信用していません』という風に受け取られてしまう。
王女だった頃ならまだしも、今のわたしは子爵夫人だ。
これからは先に断りを入れたほうがいいかもしれない。
料理は味が濃くて量も多かったけれど、美味しかった。
ちなみに紅茶はあまり美味しくなかった。
色が濃くて、でも味は薄くて、紅茶の味はあまりせず、なんだか鉄っぽい味がするし、若干舌がピリピリした。
わたしが一口飲んで一瞬固まると夫人が苦笑した。
「この辺りの水はあまり美味しくないでしょう?」
と、申し訳なさそうな顔をされた。
「そのせいか、紅茶を淹れてもこのような味になってしまって、滞在中、不自由な思いをさせてしまいますが……」
「いえ、大丈夫です。場所によって水の味や性質が違うのはよくあることですから」
同じ国と言っても場所によって水の味や性質が変わることは、さほど珍しいことではない。
ここの水はこういう味というだけだ。
……なるほど、だからルルは勧めなかったんだ。
この味は確かにあまり好ましくはない。
飲めなくはないけれど、美味しくはなかった。
この土地で暮らしている子爵夫妻は気にしていないようだったが、管理官は紅茶よりも、ワインなどの方を好んでいるようだった。
紅茶の件以外は特に問題もなく、子爵はお喋りが好きなようで、終始和やかに夕食は過ぎていった。
主に子爵とわたしが会話をし、夫人とルル、管理官は時々参加するといった程度だが、空気は悪くなかったと思う。
子爵夫妻と管理官の前ではルルは猫を被っていた。
食事を終えて、少し談笑した後に部屋へ戻る。
ヴィエラさんに手伝ってもらい、ドレスを脱いで、寝間着に着替える。
もう一度湯浴みをするか訊かれたけど、食事をしただけだったので断っておいた。
この辺りは山の中で、少し標高が高いのか、自宅の屋敷がある場所よりも気温がやや低い。
それでも暑いので恐らく寝ている間に汗を掻くだろう。
どうせ湯浴みをするなら、朝入ればいい。
「紅茶、どうだった〜?」
二人して寝間着姿でベッドへ寝転がる。
「うーん、あんまり美味しくはなかった、かな?」
「だよねぇ」
「ちょっと口の中に残る味だった」
ルルが体を起こし、横向きになってこちらをみる。
「確かに。最初は毒でも入ってるかと思ったけどぉ、飲んでも変化はないしぃ、毒の味もしなかったから変だなぁとは思ったんだよねぇ」
「多分、あんまり水質が良くないのかも」
子爵夫妻は普通に紅茶を飲んでいたので、昔から、この辺りの土地の水はあのような感じなのだろう。
……水質かあ。
土が混ざっているだけなら濾過魔法で何とかなるだろうが、水質自体を変えられるわけではない。
先ほどの夕食時に管理官も言っていた。
「どうしてもここの水が合わなくて、普段は酒気の殆どない酒やジュースを飲んでいます。水は時々ですね」
ちなみに最初に一杯紅茶を出してもらったけれど、それ以降はわたし達にはリンゴのジュースが出された。
聞くところによると街の人々もどちらかと言うと自領の水よりも、エールやシードルといった度数の低い酒やジュースを日常的に飲料としているようだ。
紅茶であれなのだから、沸かしただけの水となるともっと独特な風味がするそうで地元の人間も好んで飲んだりはしない。
まだ紅茶を淹れるとマシな味になるみたいだが。
「喉が渇いたら言ってねぇ」
「うん、分かった」
子爵夫妻や管理官には申し訳ないけれど、しばらくは屋敷から持ってきた水で過ごした方が良さそうだ。
明日から鉱山付近の見学があるため、早めに寝ることにする。
寝る前にルルが空間魔法から取り出した果実水をくれて、それを飲むとホッとした。
……ここの水はわたしも合わないかも。
ルルもついでとばかりに、返したグラスで水を飲むと、空間魔法へ戻す。
その夜はルルと二人、くっついて眠りについた。
最近は暑くて寝苦しかったけれど、少し標高の高いこの街は窓を開ければ過ごしやすかった。




