寄生(2)
* * * * *
「くそっ」
ルドルフ=アルドラントは苛立っていた。
いつものように少ない護衛を引き連れ、町で見かけた貴族の一団の後ろをここまでついて来た。
ルドルフは自分の見た目を理解していたし、腰を低くして、気の良さそうな商人のふりをしていた。
それもこれも儲けるためだ。
護衛を雇う金だって安くはない。
遠くへ行けば行くほど、金はかかる。
だが小さな商会ではそれすらも重荷になる。
だから、ルドルフは金のかからない方法を選んだ。
他の旅人について行くという方法だった。
最初は偶然だった。
本当に、依頼した傭兵達に前金を持ち逃げされて、でもどうしても運ばなければならない荷物があって、覚悟を決めて町の外へ出た。
すると、たまたま出会った貴族が同行しないかと申し出てくれた。
おかげでルドルフは目的地に安全に、安く到着することが出来たのだ。
高い金を払って傭兵を雇うよりいい。
もし何か言われても、村や町の外では誰も取り締まれないし、ルドルフはあくまで「同じ道を進んでいるだけ」である。
たまたま後ろにいるだけだ。
しかし、これがまた上手くいった。
これで行商をすれば護衛代が浮いて儲かる。
今回もそうなるはずだったのに。
「まさかもう気付かれてるなんて」
最初から気付かれていては、あまり近付けないし、同行を申し出てくれることもないだろう。
今までも気付かれることはあったものの、それは大抵、最後の方だったから、今回もいけると油断していた。
「お前達が『離れるな』と言うから従っていたが、これじゃあもう近付けないじゃないか!」
ルドルフが怒鳴ると、傭兵達が不満そうな顔をする。
「仕方ないっすよ、あの旅団、速いんですから」
「あれ以上離れたら俺らが見えなくなって守ってもらえなくなるし」
「そうそう」
「私達だって、まさか最初から気付かれるとは思わなかったわ」
言い訳ばかりにルドルフはフンと鼻を鳴らす。
「まあいい、ああは言っていたが、どうせ近くにいれば助けてくれるだろう」
殆どの人間には良心というものがある。
口では冷たく言っていても、いざとなれば、無視出来ずに手を差し出してくる。
これまでの者達も皆そうだった。
どうせいくらか謝礼を払えばいいのだ。
払わなくていい金を払うのは嫌だが仕方ない。
「ワシは寝る。お前達、しっかり見張っておけよ!」
傭兵達はやる気のない返事をする。
他の傭兵を雇うのに比べれば安い額だが、タダで雇っているわけではない。しっかり働いてもらわなければ。
荷馬車に戻り、ルドルフは毛布に包まると荷台の隅で横になる。
目一杯、荷物が積まれているため狭いが、眠る場所はなんとかあった。
使用人もコソコソと荷台に上がって来ると、毛布に包まり、ルドルフからやや離れた場所で荷物に寄りかかるように座っている。
……くそ、今日はツイてない。
ルドルフよりも若い貴族の夫婦だった。
ただ貴族というだけで金を持っているくせに、平民への施しというものを知らないのだろうか。
少しくらい旅に同行させてくれてもいいだろうに。
苛立ちを吐き出すように大きく息を吐く。
明日も早い。早く寝るべきだ。
心を落ち着けると、ルドルフは目を閉じた。
* * * * *
ヒヒーン、と馬の嘶きで目が覚める。
何事かと飛び起きて周りを見れば、同じように使用人もまた、驚いた顔で起き上がっていた。
またヒヒーンと馬の声がする。
「何があった?!」
毛布を蹴飛ばして馬車から降りる。
傭兵達は慌ただしく動いている。
すぐそばにあった焚き火に近付けば、傭兵の一人がこちらに気付く。
「一体どうしたんだ!」
ルドルフの言葉に傭兵が緊張した面持ちで言う。
「ルドルフさん、どうやらこの辺りに野盗がいたようですぜ。……多分、囲まれてる」
「何だと?!」
慌てて周囲を見回してみたが、ルドルフの目には静かな森が広がっているだけだった。
だが、すぐに違和感に気付く。
「馬はどこだ?!」
馬車が勝手に走り出さないよう、馬は馬車から外して休ませていたはずだが、その馬達がいない。
「それが、その、気付いたらいなくなっていたんです。逃げられたんですよ」
「何を馬鹿なことを、しっかり手綱は木に括りつけておいたんだ、勝手に逃げるはずが……!」
言いかけて、ハッとする。
そう、馬はきちんと木に繋いでおいた。
ルドルフもそれを確認した。
馬に使う手綱はまだ新しく、そう簡単に切れるものではない。
それは、つまり、誰かが人為的に外して馬を放ったということだ。
「そうだ、貴族達はどうした?! 我々が襲われるなら、向こうだって危険な状況のはずだ!!」
道の先を見ていた若い傭兵が声を上げた。
「嘘だろ! アイツらいないっすよ!?」
「は、」
「さっきまで確かにいたのに!!」
そう言いながら振り向いた若い傭兵の顔は真っ青だった。
それに、女傭兵が「なんだって?!」と悲鳴のように訊き返し、魔法で道の先を確認し、呆然とした様子でこちらを見た。
焚き火のパチパチと爆ぜる音以外に、森の中からガサガサガサ、と音がする。
一つや二つではない。四方から聞こえてくる。
傭兵達が「くそっ」と剣を抜くと構えた。
荷物が満載の馬車に、馬はおらず、たった四人の傭兵と一人の使用人。
当てにしていた貴族達はいつの間にか消えていた。
傭兵達はそれでも雇い主であるルドルフを守ろうとしてくれてはいるようだが、たった四人で野盗に敵うはずがない。
基本的に野盗は徒党を組んで行動する。
二、三人ならばまだしも、五人十人、もっととなれば、こちらの雇っている傭兵などあっという間に蹴散らされてしまうだろう。
……そんな、野盗の情報なんて町では聞かなかったのに……。
呆然としているルドルフの目の前で、焚き火の明かりがギリギリ届くかどうかという茂みがガサリと大きく揺れた。
周囲の茂みも動き、そこから、影がヌッと出る。
「お、行商人か。こりゃあいいな」
酒焼けしたダミ声で影が言う。
ざり、ざり、と影達が明かりの中へ入ってきた。
「しかも護衛が少ないとは、ありがたいこった!」
「今日はツイてるなあ!」
ギャハハハ、と男達の笑い声が響く。
「さっき逃した貴族も惜しいが、まあ、お貴族様ってのは手を出すと後々厄介だからな」
「それに護衛もしっかりしてるっすからねえ」
「こういうのを相手にした方がラクだしよお」
楽しげな声に、冷たいものが背筋を駆け抜ける。
逃げ場を探してみても、ルドルフ達は完全に囲まれており、屈強な体格の男達から逃げ切れるとは到底思えなかった。
「抵抗するなよ? そうすれば命だけは助けてやるよ。まあ、他のもんは全部俺達がいただくけどな!」
またギャハハハと笑い声が響く。
傭兵達は構えてはいるものの、よく見ると微かに震えていた。
相手の方が人数も圧倒的に多かった。
使用人は恐怖のあまりか気絶していた。
まるで猫がネズミを甚振るかのように、野盗達がじりじりと距離を詰めてくる。
「馬を逃すなんて馬鹿な奴らだぜ」
野盗の言葉に目を見開く。
どうやら、野盗達が馬を放ったわけではないらしい。
……では、一体誰が……?
そこまで考えてゴクリと生唾を呑み込んだ。
馬の嘶く声、消えた貴族達、その後に現れた野盗。
……そんな、まさか……?
ルドルフの膝がガクガクと震え出す。
もしかしてあの貴族達は野盗の存在を知っていたのではないか。
だから、異変を感じてすぐに逃げだせたのではないか。
……もしや、我々は囮に使われた……?
馬を逃したのは野盗でも、傭兵達でもない。
では、他にこの森の中にいたのは……。
利用しようとしたことがバレただけでなく、自分達は、彼らが逃げるための囮として使われた。
それに気付いた瞬間、足元から絶望が這い上がってくる。
「……ああ、なんてこと……」
女傭兵が震える声で呟いた。
ガクリと膝をつく。
ルドルフ達こそが、はめられたのだった。
* * * * *
ニコルソン子爵家の屋敷、その寝室のベッドの上でルフェーヴルはパチリと目を開けた。
腕の中ではリュシエンヌが眠っている。
そっと腕を離して起き上がったが、ぐっすり眠っているようで、愛しい妻は規則正しい寝息をたてている。
身を屈め、その額にそっと触れるだけの口付けを落とす。
……そろそろ頃合いかねぇ。
ゆっくり動いてベッドを抜け出すと、靴を履き、ルフェーヴルは椅子にかけてあった武器のホルスターを手に取り、体へ手早く装着する。
それから空間魔法で取り出したローブを身につける。
もう一度ベッドを覗き込み、リュシエンヌの眠りが深いことを確認してから、小さな声で詠唱を行なった。
ルフェーヴルの足元に転移魔法が展開される。
転移先は旅に使用している馬車の中だ。
少し身を屈めておく。
ふわっと一瞬の浮遊感がして、視界が変わる。
「っと……」
身を屈めたものの、ギリギリだったらしく、頭が天井にぶつかりそうになった。
どうやら馬車は停まっているようだ。
耳を澄ましてみるが、外から聞こえるのは、恐らく騎士達のものだろう微かな足音だけである。
ルフェーヴルは内側から馬車の扉を開けた。
すぐに騎士達がルフェーヴルに気付く。
「ああ、いいよぉ、見張りしててぇ」
ルフェーヴルが軽く手を振れば、騎士達は自分達の仕事に戻る。
その中で、今回の護衛達のまとめ役になっている男が近付いて来た。
「作戦はどうだった〜?」
「ご指示通りに行いました」
それにルフェーヴルはニヤリと笑った。
「じゃああの虫達は今頃大変だねぇ」
心底愉快だと思っていると、騎士が少し落ち着かない様子で言う。
「あれで本当によろしかったのでしょうか」
騎士達がしたのは一つだけだ。
即座に出立出来るようにしておくこと。
異変を感じたらすぐに出立するよう、ルフェーヴルは事前に騎士達に伝えていた。
しかし実のところは屋敷へ戻る前にルフェーヴルがこっそりスキルを使用して、行商人達の馬に近付き、その手綱に少しだけ切れ込みを入れておいたのだ。馬はかなり人慣れしていてルフェーヴルが近寄っても暴れなかった。
そして、恐らく馬だけは異変を察して逃げ出せただろう。
だが馬のいなくなった後に残されたあの行商人達は、野盗に襲われているはずだ。
「いいんだよぉ。旅に出るなら護衛はきちんと雇っておくのは当たり前のことだしぃ、オレ達は助けてくれって言われたわけでもないしぃ、そもそも、昼間のうちに警告と忠告はしたでしょぉ?」
だからあの行商人達が野盗に襲われて、己の身を守れなかったとしても、それはルフェーヴル達の責任ではない。
「それはそうですが……」
騎士として見捨てたことが気になっているようだ。
ルフェーヴルはぽん、と騎士の肩に手を置く。
「オレ達がもし助けに入ったら、あの行商人達は絶対にオレ達に野盗を押し付けて逃げ出していたよぉ。そんなヤツを助ける義理はないでしょぉ?」
それでも騎士は微妙な顔をしている。
「何より……」
ぎり、と肩を掴む手に力がこもる。
「リュシーっていうか弱い存在がいると分かっていて、オレ達にそういうのを押し付けようと考えるようなヤツだよぉ? 今までだってどうせ同じことしてきたんだからぁ、一回くらいやり返されて痛い目に遭えばもうしなくなるんじゃなぁい?」
ルフェーヴルは少し苛立ってもいた。
護衛は全てリュシエンヌを守るためだ。
それを他人に利用されるのは面白くない。
こちらを利用するつもりなら、逆に利用されても文句は言えないだろう。
「アンタ達はリュシーの安全だけ考えていればいいんだよぉ」
ニコ、と笑って肩から手を離す。
「……はい」
「じゃあ、問題はなさそうだからオレは帰るねぇ。予定通り、明日の朝にこっちに戻って来るからヨロシク〜」
「了解しました」
胸に手を当て、頷いた騎士からルフェーヴルは離れ、馬車へ戻る。
扉を開け、中へ入り、扉を閉める。
それから詠唱を行い、転移魔法を再度発動させて屋敷へと帰る。
見慣れた寝室へ戻るとすぐにベッドを覗いた。
出た時と変わらない妻の様子にホッとしつつ、ルフェーヴルはローブを空間魔法に押し込み、武器のホルスターを外していく。
そうして靴を脱いでベッドへ上がった。
夏場なので薄手のシーツをかけており、そこに潜り込んで、リュシエンヌを抱き寄せる。
「ん……」とリュシエンヌが身動いだ。
琥珀の瞳が開いてぼんやりと見上げられる。
「……ルル、どこか、いってた……?」
ルフェーヴルはそれに頷いた。
「ちょっと用事があってねぇ。でも、もう終わったよぉ」
「……そっか……」
リュシエンヌがギュッと抱き着いてくる。
抱き締め合っていると暑いのだけれど、なんとなく、ついつい互いに手が伸びる。
胸元にすり寄ってくるリュシエンヌの頭を撫でて、そのまま、背中に腕を回す。
リュシエンヌの細い体が腕の中にあると安心する。
「明日も早いから寝よっかぁ」
優しく背中を撫でてやれば、リュシエンヌは抵抗することもなく眠りに落ちた。
暑いので体を冷やすことはないだろうが、一応、シーツをリュシエンヌの肩までかけてやり、ルフェーヴルも目を閉じる。
明日からはあの行商人達もいない。
そう思うと清々しい気分だった。
このことをリュシエンヌに伝える気はない。
わざわざリュシエンヌに教えて、優しいリュシエンヌが心を痛める必要もない。
あの行商人達は自分達の行いが跳ね返ってきただけだ。
ルフェーヴルがしたのは馬の手綱に少し切れ込みを入れただけで、騎士達も危険を察して移動しただけ。
きちんと護衛を雇わなかった向こうの落ち度だ。
もしもっと多くの傭兵を雇っていたら、恐らく野盗の襲撃の前兆にも気が付いただろう。
あんな経験のなさそうな傭兵ばかりを安く雇い、少ない人数で使い潰そうとするから警備が穴だらけになるのだ。
……まあ、もうどうでもいいけどねぇ。
そのまま殺されるか、生き残れるかは行商人達次第であり、ルフェーヴルには関係のないことだった。
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