ルシール=ローズ
わたしは今、謁見の間にいる。
赤色に染まった髪に、認識阻害と幻影魔法のかかった丸メガネをかけており、瞳の色はそれによって緑になっている。
髪は三つ編みにして後頭部で丸めて纏めてある。
やや大きな宮廷魔法士のローブに身を包み、謁見の間の扉から、国王陛下の前までゆっくり進んでいく。
左右には見覚えのある官僚達が並んでいた。
国王陛下よりやや離れた位置で立ち止まり、片膝をついて、やや俯く。
「面を上げよ」
国王陛下の声に顔を上げる。
久しぶりに見たお父様は元気そうだった。
その横にはお兄様もいた。
顔を上げたわたしに、お兄様が口を開く。
「ルシール=ローズ宮廷魔法士、この者は今回、水を綺麗にする濾過魔法なるものを開発しました。それに併せて、農業改革による国力の増強という提案もありました」
ざわ、と官僚達が微かに騒めく。
農業による改革案もそうだけれど、それを提案したのがこんなに若い人間だったことも、その一因だろう。
「濾過魔法は災害時、非常に役に立つだけでなく、日常でも使用することで生水の飲用を避けることが出来ます。農業改革により食料が増えれば野菜や小麦の価格がやすくなり、安定して供給することで、民の食事事情は改善され、更に余剰の食料で家畜を増やし、肉を日常的に口にすることで民はより健康になり、結果的に死亡率が下がり、国力の増強に繋がります」
……それにしても、この体勢って結構つらいんだなあ。
お兄様とお父様が皆に聞こえるように話している。
今回の農業改革案や濾過魔法などについてだが、全員の官僚の了承を得られているわけではないらしい。
中には「夢物語だ」と一蹴する者もいて、だけど、それに対してお父様はこう言ったそうだ。
「目指す先がなければ成長は出来ない」
それはつまり、そのような国を目指したいと、お父様もそう思ってくれているということだ。
お兄様は言った。
『実現出来るか、そうするにはどうしたら良いか考えるのが私達の仕事だ。リュシエンヌはそうやって、この国の、民のためになると思ったことを提案してくれ』
お父様もお兄様も、現実を見ることばかりになってしまうから、わたし一人くらいは夢物語を語って何が悪い。
どんなことでも口に出さねば、やってみようと言い出さなければ始まらない。
だから、わたしはこれからも無理を言うだろう。
夢だと言われても、続けるだろう。
それが最初の一歩になるかもしれないから。
「──……以上から、この者に報奨を与えるべきではないでしょうか」
お兄様の声にふっと我へ返る。
「その政策を行うとしても、結果が出るのは数年、十数年は先になるかもしれないな」
お父様の言葉にお兄様が頷いた。
「はい、ですが、それはどの政策でも同じことです」
「そうだな、何事もやらなければ始まらない」
お父様も頷いた。
「ルシール=ローズ」
名前を呼ばれて「はい」と返事をする。
「そなたの提案は国の未来を見据えるものだ。そして、今、我々に必要なものだろう。……今後も良き働きを期待しているぞ」
わたしはそれに頭を下げた。
「勿体なきお言葉でございます」
そうして、一礼し、その体勢で数歩下がり、背を向けて扉へ戻る。
背中に感じる官僚達の視線は扉が閉まる瞬間まで突き刺さっていたが、それを気にするつもりはない。
廊下を進み、控え室に戻る。
わたしは横を見上げた。
「褒められちゃったね、ルル」
スキルを使ったまま、ルルが笑った。
「そうだねぇ、リュシー」
それにしても、認識阻害のスキルを使用したまま一緒に謁見の間までついてくるなんて、ルルは本当にルルである。
部屋に誰もいないのをいいことに、ルルがソファーへどっかりと腰を下ろす。
恐らくスキルは使用しているのだろう。
わたしもその横に座った。
「あの官僚達の中で何人がリュシーに気付いたかなぁ?」
ルルの言葉に苦笑する。
「認識阻害のメガネもかけてるし、髪も目も、色を変えてあるから分からないんじゃないかなあ」
お父様の側近や官僚達とはあまり関わったことがないので、向こうも、多分わたしに気付かないだろう。
「でも何人かはルシール=ローズのことを調べるかもしれないねぇ。国王陛下が重用する魔法士〜って」
「それはちょっと面倒臭いかも?」
「まあ、でも魔法士は国王陛下直轄だからぁ、変に手出しは出来ないと思うけどねぇ」
いざとなれば、しばらく静かにしていればいい。
どうせそのうち忘れてくれるはずだ。
そうでなくても、ルシール=ローズは調べたところで設定以上のことは出てこない。
「それにしてもぉ、赤い髪も悪くないねぇ」
ルルがわたしの髪を手で触る。
メガネにかけた幻影魔法で色を変えているだけなので、メガネを外せば元のダークブラウンに戻る。
ローズだから赤い髪、というのは単純だったが、本来のわたしとは全く違う髪色なので、わたしが元王女だと気付かれ難くはなる。
魔法でこうして色を変えられるなら、そのうち、その日の気分で髪色を変えるオシャレとかが流行っても面白いかもしれない。
……でもさすがに毎日色が変わったら困るかな?
そういう魔法も面白いとは思うが。
「この髪色、ルルは好き?」
「ん〜、悪くはないけどぉ、やっぱりいつもの色の方が好きかなぁ。リュシーの本来の色が一番だよぉ」
髪から手を離したルルに抱き寄せられる。
「ルル、ごめんね、いつも我が儘言って」
ルシール=ローズとしての活動。
そのために、時々、登城することになった。
それをルルはあまり良しとしなかったけれど、ダメだとは言わなかった。
「変につつかれてリュシーの存在が明るみになっても困るからねぇ」
在籍しているのに誰も見たことのない魔法士というのは、さすがに問題があった。
だから、たまに王城へ出仕する必要がある。
時々でも出ていれば、誰かがわたしを見て覚えるだろうし、そうすれば名前だけの架空の人物と疑われ難くもなる。
「それに、この指輪はつけててくれてるしぃ?」
ルルがわたしの手を取った。
左手の薬指には婚約指輪がはまっている。
ルルが魔法を付与してくれた特別なものだ。
そして結婚後からずっと身につけているものでもあり、これを肌身離さずつけることが、王城に出てくる条件だった。
少々目立つ指輪なので、これがあれば既婚者ということも分かるし、わたしも外したくないのでこれをつけていることは同意している。
ちゅ、とルルがわたしの指にキスをする。
「他の男に触ったらダメだよぉ?」
「うん、分かってる。気を付けるよ」
それにルル以外の男性で触れるとしても、お兄様かお父様くらいのものだ。
他の人には、わたしも触りたいとは思わない。
でもルルが真面目な顔で思案する。
「もう一つくらい魔法を付与したものをつけてた方がいいかなぁ」
わたしはルルに寄りかかった。
「ルルが安心出来るなら、いくらでもつけるよ」
「じゃあネックレスか髪飾り辺りでもう一つ、リュシーに似合いそうなやつに付与しよっかなぁ。どっちの方がいーぃ?」
「うーん、ネックレスかな? 髪飾りはもしかしたら外れちゃうかもしれないけど、ネックレスなら服の下に隠しておけるし」
「りょ〜かぁい」
そんな話をしていると部屋の扉が叩かれた。
ルルがわたしを抱き寄せたまま、わたしの唇に人差し指を当てて「しーっ」と囁く。
静かにしていると部屋の扉が開かれる。
入ってきたのはお兄様とお父様だった。
部屋の中を見回す二人に、どうやらルルがスキルを発動させているのだと分かった。
だけどルルも相手がお兄様とお父様だと分かれば、すぐにスキルを解除したようだった。
二人の視線がすぐにわたし達に合わせられた。
「やはりルフェーヴルもいたか」
お父様が呆れた顔をした。
わたし達が座っているソファーの向かいにある、別のソファーにお父様とお兄様も腰掛けた。
「当たり前でしょ〜? まだ仕事に復帰もしてないのにぃ、大事なリュシーを一人になんてさせないよぉ」
「そうだと思った」
ルルの言葉にお兄様も呆れ気味に返す。
「ああ、そうだ、リュシエンヌ。これが報奨だ」
お兄様が持ってきた銀盆ごと、袋を差し出した。
ルルが手を伸ばしてひょいとそれを掴む。
「結構入ってるねぇ」
ニヤリとルルが嬉しそうに笑った。
「主に濾過魔法への報奨金だ。あれを広めれば、民が災害時にも、普段の時にも、困らなくて済むからな」
お父様の言葉を聞いているのか、いないのか、ルルは「ふぅん」とだけ返して報奨金を展開させた空間魔法へ放り込む。
その雑な仕草にお兄様が小さく息を吐いていた。
国からの報奨金をそんなに粗雑に扱えるのはきっとルルだけだろう。
「それからルシール=ローズだが、魔法士長の部下という立ち位置に押し込んでおいた。ルシールについても説明済みだ。塔に行く時は魔法士長のところで仕事をするように」
「分かりました」
頷き、そこで首を傾げる。
「あ、でも、仕事は何をすればいいのでしょう? わたしは魔法は使えませんけど……」
他の魔法士達のように災害現場に派遣されたり、魔法の研究をしたりといったことは出来ない。
「基本的には魔法士長の助手みたいなものだ。雑務係と言っても良い。後はまあ、今まで通り、新たな魔法を好きに作っていればいい。役に立ちそうなものはこちらで精査して使う」
なるほど、とお父様に頷き返す。
また魔法士長様に会えるのは楽しみだ。
優しい好々爺然とした魔法士長様は、おじいちゃん、という感じで好きだった。
それにわたしが魔力がなくて、魔法を使えなくても、魔法士として認めてくれた人でもある。
「給金は出るが、一応、見習い魔法士ということにしておくので他の者より安いが」
「はい、構いません。むしろ他の人みたいに毎日出られるわけではないので、お給金をもらってしまっていいのかどうか……」
「書面上は毎日ルシール=ローズは登城していることになっている。給金を出さねば不自然だろう」
と、いうことでお給金も出ることになった。
ルルは気楽に「良かったねぇ」と言った。
「お金はあっても困らないしぃ、貰える時に貰っておけばいいんだよぉ。なんなら毟り取るくらいの気持ちでいなきゃ〜」
お父様が微妙な顔をする。
「お前はもう少し遠慮というものを覚えろ」
「ええ〜、義父上ひどぉい」
抱き着いてくるルルに笑ってしまう。
でもお父様とお兄様は微妙な顔のままだった。
……まあ、お父様はルルを雇ってた側だしね。
その頃もルルはこんな風だっただろうから、契約中はルルに結構な額のお金を払っていたに違いない。
「じゃあわたしもルルにお金を払わないといけないのかな? ほら、よくお兄様に書類を届けてもらったり、闇ギルドに行ってもらったりしてるでしょ?」
ルルが、あは、と笑った。
「リュシーからお金なんて取らないよぉ。それにオレに払っても結局は二人のお金になるだけだしぃ、行き着くところは同じだよぉ」
「そっか」
でもルルにお金を支払うって憧れるというか、ルルを雇って、お願いを聞いてもらうのも楽しそうな気はする。
……こういうのを『推し活』って言うんだっけ?
前世の漫画やアニメと違い、本当に本人に貢ぐことが出来るので、真実『推しに貢ぐ』である。
そう考えるとちょっとやってみたい気分になる。
「でも楽しそうだから、今度やってもいい?」
ルルがキョトンとした顔をする。かわいい。
「ん〜、まあ、リュシーがいいならいいけど……?」
「ルルがわたしのためにお金を使ってくれるように、わたしもルルにお金を使えたら楽しいなって思って」
「そ〜ぉ?」
ルルは不思議そうだったけど、わたしがやりたいならやってもいいよ、ということだった。
お兄様は変なものでも呑み込んでしまった時みたいな顔をしていたけど、何も言わなかった。
……よし、ルルには推し活に付き合ってもらおう。
しかもルルに渡したお金は最終的には二人のお金になるので、推し活と貯金が同時に出来ると思えば最高である。
……あれ、これ得してるのわたしだけにならない?
お金を払ってルルにお願いを聞いてもらって、でもそのお金は結局はわたしの元へ帰ってくるようなもの。
ごほん、とお父様が咳払いをする。
「とにかく、これからは時々登城して、塔に出仕するように。そうだな、最低でも週に一度くらいは顔を出した方がいい」
わたしはそれに頷き返す。
「はい、そうします」
ルルが心配そうにわたしを見た。
「リュシー大丈夫〜? いくら仮とは言っても働くんだよぉ? リュシー、働くのは初めてだよねぇ?」
それにお父様とお兄様がハッとした顔でわたしを見る。
……うーん、確かに。
「多分なんとかなるよ」
「リュシーってそういうとこ、適当だよねぇ」
だって実際に働いてみないと分からない。
だけど働く前から心配してもどうしようもない。
……そう、成せば成る!
それに魔法士長様のところなので、無茶な仕事を押し付けられたりはしないだろう。
ちなみにあの増産計画書は写しを闇ギルドのギルド長にも渡してある。
ルルいわく「興味本位でほしいみたいだよぉ」ということらしい。
どうやらわたしが出す案を面白いと思っているようで、これからも良ければ見させてほしいとルル経由で言われた。
……まあ、別にいいけどね。
これからも何かとお世話になるかもしれないし。
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