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増産計画について(2)

 






「リュシー?」




 名前を呼ばれて、ふっと我へ返る。


 ルルが心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。




「大丈夫〜?」




 そっと頬にハンカチが触れて、そこで初めて、自分が泣いていることに気が付いた。


 それに気が付いてしまうともうダメだった。


 言葉で言い表せない気持ちがあふれてくる。


 前世の記憶はあまり思い出さないようにしてきた。


 ふとした拍子に思い出したり、ルルに少し話すことはあったけれど、こうしてしっかりと思い出したのは、記憶を取り戻した時以来かもしれない。


 ……今まで毎日ずっと幸せだったから。


 記憶を思い出さなくても気にならなかった。


 だけど、こうして改めて思い出してみると懐かしくて、切なくて、もう戻れないことが悲しくて、お母さんやお父さん達に申し訳なくて。


 もっと親孝行すれば良かったと思う。




「……大丈夫。前世のこと、久しぶりに思い出したら、色々考えちゃって……」




 ギュッとルルに抱き寄せられた。




「リュシーは死んじゃったからもう戻れないけどさぁ、今、ココにいることも忘れないでぇ。寂しいかもしれないけど、オレが傍にいるよぉ」




 頭を撫でられ、額にキスされる。


 慰めてくれようとするルルの気持ちが嬉しかった。


 確かに前世の世界にはもう二度と戻れない。


 だから、いつまでも引きずってちゃいけないんだ。




「ごめんね、すぐ、忘れるから……」




 ルルの肩口に頭を抱き寄せられる。




「無理に忘れようとしなくていいんだよぉ」




 ルルが優しい声で言う。




前世それも含めてリュシーなんだしぃ、覚えておきたいなら覚えてていいんだよぉ。どうしても誰かに話したくなったら、その時はオレに話して? どんな話だってリュシーのことなら聞きたい」




 ……そんな風に言われたら。




「涙、止まらないよ……」




 ルルがあんまりにも優しいから。


 それがわたしだけに向けられたものだと分かるから。


 いつでもルルはわたしを受け入れてくれる。


 そのことに凄く、救われている。


 泣いている間、ルルはわたしの頭をずっと撫でてくれて、わたしがお母さんや──おじさんの話をしても「うん」と相槌を打って聞いてくれた。


 泣きながらなので途切れ途切れはわたしの話なのに、ルルは辛抱強く付き合ってくれた。


 しばらく泣いて、落ち着くと、ルルがわたしを見て小さく笑う。




「あは、リュシー、目も鼻も真っ赤だねぇ」




 泣きすぎて瞼が腫れている自覚はある。


 それにお化粧も多分、結構崩れてしまった。


 ルルがテーブルの隅にあったベルへ手を伸ばし、それを掴むと軽く振った。


 ベルがちりりんと鳴る。


 ややあって、ヴィエラさんがやって来た。




「リュシーを整えてあげてぇ」




 ヴィエラさんが「かしこまりました」と返事をする。


 わたしは立ち上がって、ヴィエラさんと共に一旦部屋を出て、寝室に移動した。


 お化粧はやっぱり崩れていた。


 ……ああ、ルルの前では綺麗でいたいのに。


 ルルの前だと泣いてしまうことが多い。


 ルルの傍にいると凄く安心するから。


 顔を洗って、肌を整えて、しばし目元を冷やす。




「奥様、こちらをどうぞ」




 目元を冷やしつつ、渡されたティーカップに口をつける。


 ミルクティーだ。しかも蜂蜜入りで甘い。


 ヴィエラさんは何も言わなかったけれど、蜂蜜の甘さが泣いて疲れた心身にじんわりと優しく染み渡る。


 甘いミルクティーをゆっくり飲んで、目元の腫れが少し治まってくる。


 それから薄くお化粧を施してもらった。


 まだ瞼は腫れているが、最初よりかはマシだった。




「ありがとうございます、ヴィエラさん」




 ヴィエラさんはニコリと微笑んだ。


 部屋に戻るとルルがソファーに座ったまま、軽く手を振った。




「おかえりぃ」




 ルルの元へ戻り、その隣に座る。


 一度がっつり泣いたからか気分もスッキリしている。


 前世の家族や友人のことを思い出すとまだ悲しいし、切ないし、苦しいけれど、でもルルが傍にいてくれるから平気だ。


 当たり前のようにルルの手がわたしの手を包む。


 温かなルルの体温が心地良かった。




「それでぇ、役に立ちそうなことは思い出せたぁ?」




 ルルの問いに、そうだった、と気付く。


 つい前世のことを思い出して感傷に浸ってしまったが、今はそれにいつまでも気を取られるわけにはいかない。


 それに、うん、と頷き返す。




「役に立つかは分からないけど、ちょっと思い出せたよ。おじさんは、鶏糞の肥料と、木の皮を使ったバーク堆肥っていうのをよく使ってた」


「バーク堆肥?」


「そう、作り方は多分この牛糞のものとあんまり変わらないと思う。鶏の糞の肥料もそう」




 改めてテーブルに放置してしまっていた資料を手に取って、見る。


 ──おじさんの話はうろ覚えだし、本当にそれで合っているのか分からないけど、作り方は似てるはずだ。


 それなら、この世界でも作れるのではないだろうか。


 おじさんが美味しい野菜を沢山作ってくれたように、鶏糞とバークを使用すれば、もっとこの国の農業は良くなるのではないか。


 もちろん、これだけで収穫量が一気に増えるなんてことはないだろうが、良い土、良い畑作りをしていけば、変わることもあるかもしれない。


 新しい紙をルルから貰い、ペンを取る。




「あのね、植物を育てるには、栄養があるいい土じゃないと、植物は良く育たないの」




 その紙へ書いていく。


 この世界で化学の話なんてしても理解してもらえないだろうけれど、こういうものがあって、こういうことをすれば、もっと良くなると分かってもらえればいい。


 でもルルには出来るだけしっかり説明したい。


 ルルには適当なことはしたくない。




「それで、植物に必要な栄養素がいくつかあって、その中でもええっと、チッ素とリン酸とカリウム? っていうのが大事で、他にも大事な栄養はあるんだけど、とりあえず今はこの三つの話をするね」


「うん」




 ルルがわたしの手元を覗き込んだ。


 わたしは分かりやすく図を描いた。




「まずチッ素っていうのは、えっと、植物に必要な栄養を作るために必要なの。葉や茎を大きくしたいならチッ素が大事」




 植物を描いて、そこに書き込む。




「次にリン酸。これは花や実の付きを良くする栄養」




 更に書き込んでいく。




「最後にカリウム。カリウムは根が育つにも必要で、うーん……、カリウムが足りてないと水分が足りない時にすぐ弱っちゃう。……だったかな」




 最後にそれを書いて、ルルを見上げる。




「要は人間が食事をするのと同じでぇ、植物にも食事の代わりになるものが必要ってことなんだよねぇ?」


「うん、そう。その中でもこの三つは重要」


「なるほどねぇ」




 ルルが図を見ながら小さく頷いた。




「でもね、あげすぎても良くないの」


「あ〜、まぁ、人間だって食べ過ぎたら体に悪いしねぇ。植物もそうだってことなんじゃなぁい」




 相変わらずルルは理解が早くて助かる。


 ……ええっと、それで、どうだったっけ?


 ──おじさんが何度も話してた。




「チッ素は足りないと栄養失調で植物が育たなくて、でもあんまりあげすぎると病気や害虫に弱くなる。リン酸は多少あげすぎても大丈夫だけど、カリウムは植物に含まれすぎた植物を牛なんかが食べると病気になっちゃうこともあるんだって」




 三大要素だけど、あげすぎても良くない。


 そこで話は戻るのだが。




「この三つの栄養素が大事なんだけど、実は今使われてる牛糞の肥料にもこれが含まれているし、土の改良にも向いてるの」


「じゃあ肥料について考える必要はないんじゃないのぉ?」


「うーん、でも確か、牛糞はあんまり肥料としての効果は強くないの。土壌改良っていう点ではいい、はずだけど……。長期的な土壌改良に向いてるってだけ」




 必要な三つの栄養素はそんなにないから、肥料と言っても、すぐに植物を育てる力はない。




「それで、鶏糞の肥料はチッ素、リン酸、カリウムが豊富に含まれてて、でも水はけを良くしたりといった改良能力はない」


「じゃあ牛糞と鶏糞を混ぜたらど〜ぉ?」


「多分、凄く良くなる、かも?」




 それだけでもきっとかなり良くなるだろう。


 だけど、出来ればバーク堆肥も作りたい。


 木材の不要な皮などからバーク堆肥を作って、まず、そちらで土の改良を行う。




「多分、牛糞と鶏糞を混ぜ合わせたものを使えば栄養素は補える。だけど、水はけの悪い土とか、カチカチに硬くなって植物が育ち難い土だと困るの。土をもっと良くするためにも、余った木や皮を消費するためにも、バーク堆肥があったらいいなって思う」




 それはさすがにわたしの望みが大き過ぎるだろうか。




「でもバーク堆肥だけだと、土を良くする代わりに、チッ素が足りなくなっちゃう。それを補うために、チッ素が多く含まれてる鶏糞も一緒に使いたいの」




 言いながら、それらについても図に書いていく。


 ルルがわたしの手元を見た。




「リュシー、最終的な目標ってなぁに?」


「え? 目標?」




 訊かれた内容に首を傾げる。




「肥料を良くしてぇ、野菜とかの収穫を増やしたりぃ、質を良くしたりしたいんだよねぇ?」


「うん」


「でもそれって国にはどういう風に影響があるのぉ?」




 キョトンとした。


 それから、あ、と思う。


 わたしは食べ物を増やしたり、質を良くしたりすることばかり考えて肥料について話していたけれど、ただ作物が増えるだけではダメなのだ。


 政策として登用してもらうためには、国にどんな利益があるのか、民にどんな利益があるのか、そういうこともきちんとなければいけない。




「肥料を良くして食べ物を増やそうっていうのは分かるけどぉ、それはリュシーの最終目標なの〜?」




 ルルの言葉に考え直す。


 肥料についてばかり熱心に話してしまったが、これは、結果を得るための手段に過ぎない。


 大切なのはそれで得られる結果自体なのだ。


 ルルに覗き込まれて気が付いた。




「大事なのは肥料のことじゃなくて、そうすることで、国がどんな風に良くなっていくかについてだよね」




 ルルがふ、と笑った。


 ちゅ、と額にキスされる。




「それでぇ、リュシーの目標はなぁに?」


「わたしの目標は国力を増強したい。不健康で弱い人間じゃなくて、健康で強い人間の多い国にしたい」


「そのためにはどうしたらいいか、考えてるんだよね?」


「うん」




 そうだ、ただ肥料を良くすればいいわけじゃない。


 それがどんな結果をもたらすのか、どういう風に国を助けてくれるのか、そのことについての書類も作る必要がある。




「……うん、そのためにも、あの濾過ろか魔法も必要だったんだと思う」




 新しい紙を取り、ペンを持ち直す。




「今回の目標は、作物と家畜の増産による国力の増強。これはもしかしたら数年かかるかもしれないけど、肥料で作物を増やして、まずは人間の食べ物を増やすの」




 話しながら内容を書いていく。


 誰かに話すと考えが整理出来るというのは本当だ。


 ルルが聞いてくれるから、わたしはいつも考えが纏まってやりたいことや、やるべきことが分かるのだろう。




「人間の食べるものに困らなくなったら、今度は家畜にもそれを回せるようにしたい。家畜だって動物だから栄養のあるものを食べさせれば大きくなるし、味も良くなるし、もし出来るなら食肉用の家畜を育てるとかも出来たらいいな」




 この世界では肉を得るために家畜を育てるというのはあまりない。


 牛はミルクを採るために育てて、年老いたら潰す。


 豚もいるにはいるけれど、基本的に家畜を沢山育てられるほど食べるものが余っているわけではないのだ。


 狩猟で鹿や猪、野鳥も捕るが、肉を食べられるのは貴族やかなり裕福な家である。


 平民は滅多に口に出来ない。


 そこをなんとかしたいのだ。




「そうして家畜が増えれば、肉の値段が下がるでしょ? 安定して収穫出来れば野菜や小麦の値段も変化し難くなるし、肉が安くなれば、平民の食事に肉が入る日がもっと多くなる。色々なものを食べることで健康になるの」




 ……しかも、それだけじゃない。




「この間の濾過魔法も広めれば、食と水、両方が改善されて平民の生活が良くなって、死ぬ人も減って、働き手が増える」




 増えた働き手の中には兵士になる人間もいるかもしれない。


 国の守護の担い手が増えるのはいいことだ。




「リュシーは改革がしたいんだねぇ」




 ルルの言葉に笑ってしまった。




「そうなのかも」




 それに、これには一番嬉しい利点がある。




「でもね、民の生活が良くなれば、国王陛下おとうさま次期国王おにいさまを支持して、ついて来てくれる人が増えるでしょ? わたしはそれが一番大事なんじゃないかって考えてる」




 民の気持ちが離れてしまえば、国は立ち行かない。


 旧王家がそうだった。


 好き勝手に税金を使う王族。


 私腹を肥やす貴族。


 圧政に苦しむ民。


 転覆しかけた船のようだった。


 いつひっくり返ってもおかしくない。


 そんな状況だった。


 お父様達はそうさせないためにクーデターを起こし、そうして、新しい王家の下で国の立て直しを図った。


 これからもお父様達に必要なのは民の支持と信頼だ。


 この人にならついて行ける。ついて行きたい。


 そう思える国にならなければいけない。


 国とは人の集まりなのだ。




「わたしはこの国のみんなに、お父様が国王で良かったって思ってもらいたい。次の国王がお兄様なら安心だって言ってほしい」




 ルルがわたしの頬をつつく。




「やっぱりリュシーは我が儘だねぇ」




 そう言ったルルの声は優しかった。


 だからわたしも笑いが漏れた。




「だってわたし、これでも元悪役王女だもん」




 それにルルが思い出したように目を細めた。




「オレは隠し攻略対象だっけぇ?」


「うん、でも、隠れてないけどね」




 むしろ、今はわたしの方が隠しキャラみたいだ。


 そのことに気付くとなんだか凄くおかしかった。






 

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― 新着の感想 ―
[一言] 農業はまじでむずいですよねぇ。自分は家庭菜園でトマトを育てたけど肥料のタイミングと量を間違えて実がならず葉だけが大きくなりました。天候によって肥料の量を調整しなければならないんですけど、それ…
[一言] 忘れてた、リュシエンヌは悪役王女だった。 実家は、庭の天地返しをした後、牛糞・豚糞・鶏糞・腐葉土を、「これでもか」とぶち込んだとの事。 日当たりが悪い場所なのですが、日陰で育てるのに向いて…
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