ルルとリュシーの実験(1)
「うーん……」
テーブルの上に置かれたグラスを眺める。
中身はわたしが好きでよく飲む、果実水だ。
外から差し込む光が当たって果実水はキラキラ輝いている。
ここ最近は雨続きだったので、久しぶりに良い天気になって嬉しいのだが、わたしの気分は思ったほど晴れやかではなかった。
……お兄様に書類は渡したけど……。
あれだけでいいのだろうかと思う。
たとえ土砂崩れが起き難い環境を作っても、絶対起こらないというわけではない。
それに環境作りを今から始めたとして、それがきちんと機能するには何年も先の話になる。
今、災害で困っている人達も助けたい。
ぼんやりとグラスを眺めながら思い出す。
……確か、一番の問題が飲料水なんだっけ。
土砂崩れや長雨の影響で、井戸や川の水が濁り、飲料水には向かなくなってしまっている。
でも水が飲めない、使えないというのは、かなり危機的な問題だ。
人は水だけでも一月近くは生きることが出来る。
逆に、水がなければ数日しか保たない。
「でも魔法で生み出した水は飲料水として良くないんだよね……」
まず、味が美味しくない。
それに恐らく、地下を流れて湧いた水と成分が違うだろう。
…………あ、そっか。
魔法で水を生み出す時に条件付けをしたらどうか。
適当な紙を引き寄せて、魔法式を書いてみる。
水魔法で生み出した水に、普通の地下を通って湧いた水と同じ成分を持たせれば、味も良くなるし、飲料水として向くかもしれない。
「ん、でも水に含まれてる成分って、どれくらい入ってたらいいんだろう……?」
それに、どんな成分が含まれていたか……。
「マグネシウム、カリウム、えっと……」
前世の知識と言ってもわたしは学校で習った一般的なものしか知らないし、それについても、もう随分と前のことなので結構忘れてしまいつつある。
頭を悩ませているとルルが部屋に入ってきた。
「リュシー、また考えごとぉ?」
近寄り、ストンとルルがわたしの横に座る。
「うん、この間の土砂崩れの報告書に、飲み水が切迫してるって話があったの。災害時に水が飲めないのってつらいし、下手したら、それで亡くなる人もいるんじゃないかと思って……」
ルルがわたしの手元を覗き込んだ。
「まぐねしうむ? かりうむ? 何これ?」
「水に含まれてる成分だよ。水って言っても魔法で生み出した水じゃなくて、地中の中を流れて湧いた水の方なんだけど、そういう水が魔法で生み出せたら飲料水問題は解決するかなって」
「ふぅん?」
ルルが不思議そうな顔をする。
「魔法で生み出した水じゃダメなのぉ?」
ルルが小さく詠唱すると、その指先に少量の水が球体になってぷよりと現れた。
空いている別のグラスを差し出せば、ルルがそこに水を入れた。水はグラスの中でたぷんと揺れる。
わたしはそれを一口飲み、首を振る。
「これでも悪くはないけど、魔法で生み出した水って多分、飲料水に適してないの。不味いでしょ?」
「確かに不味いねぇ」
「飲めないことはないと思うけど、人間が飲むなら地中を通って湧いた自然の水の方がいいんじゃないかな。地中の成分が混じって、その方が、味も美味しくなるし、人間に必要な成分も含まれるから」
ルルが残ったグラスの水を飲み干した。
「魔法で出した水にはその成分がないから美味しくないかもってことぉ?」
「多分……」
こればかりは実際に水の成分を確かめたわけではないのでハッキリとは言えないが。
「だけど、普通の飲料水に混じってる成分が分からなくて……」
何がどれくらいの割合で混じっているか。
それが分からないと正確な魔法を使えない。
こればかりはルルも首を傾げた。
「オレもそういうことは分かんないしなぁ」
「だよね」
そもそも、この世界の人は水の成分がどうとか、そんなことは考えたりしない気がする。
それにもし成分が分かったとしても、説明するのが難しいかもしれない。
植物の光合成についても説明に困ったのだ。
これでマグネシウムなどについて説明することになったらややこしくなるし、わたしも正確に説明出来る自信がない。
……わたし、理科系は苦手だったしなあ。
ルルが傾げていた首を元に戻す。
「それってさぁ、魔法で生み出した水じゃないとダメなのぉ?」
ルルの問いに「え?」と顔を上げる。
「リュシーは今、魔法で出す水の成分について考えてるんだよねぇ?」
「うん」
「で、土砂崩れの起きた場所では、水が濁って飲むのに困ってるって話なんだよねぇ?」
「そうだね」
ルルが「じゃあさぁ」と言葉を続ける。
「わざわざ水を生み出さなくてもぉ、その濁った水をどうにかすればいいんじゃなぁい? 魔法で出した水は成分が足りないけどぉ、元からある水には成分が入ってるんだしぃ」
ルルの言葉にまじまじとルルを見てしまった。
わたしが変なことを唐突に言い出しても、ルルはいつも否定しないし、わたしの話を聞いてくれる。
そして、こうしていつも一緒に考えてくれる。
思わずルルに抱き着いた。
「ルル、大好き」
ルルがわたしを抱き締める。
「オレも〜」
ギュッと長い腕に囲まれると安心する。
「……ルルって頭いいよね」
「そ〜ぉ?」
「うん、それに機転が利くっていうか、これがダメならこっち、みたいにすぐに別の手段を考えられるのが凄い」
わたしは魔法で生み出すことばかり考えていた。
……でも、そうだよね。
水がない場所だったらそうするべきなのだろうけど、基本的に、村や街がある場所だから、井戸や川などがある。
今回の飲料水問題もそうだ。
濁ってはいるが、水はある。
それなら、この水をどうにかする方がいい。
「よし、水の濾過魔法を作ろう!」
少し体を離せば、ルルに訊き返される。
「濾過魔法?」
「そう、水の中の汚れを取る魔法! それなら多分、必要な成分は残せるし、濁りの元になる土とかも濾せると思うんだよね」
ルルがわたしを見る。
その灰色の目はいつもわたしを優しく見守ってくれて、わたしが何かを考えても「無理だ」と頭ごなしに否定しない。
「その濾過魔法ってどういうやつなのぉ?」
わたしは紙とペンを持ち直す。
「ちょっと待ってね」
紙に濾過の過程を描いて説明することにした。
わたしが覚えている濾過装置は単純なものだ。
前世で、小学生の頃にやった濾過の仕組みで、水を綺麗にするあれである。
ペットボトルの底を切って、そこにガーゼを当てて、輪ゴムや紐などで留めて、逆さにする。
ボトルの口に脱脂綿を詰めて、そこに小石、砂利、ある程度砕いた炭、綺麗に洗った砂を入れて、最後にガーゼを敷く。
あとはそれを空の容器の上に置く。
上から濁った水を注ぎ入れれば、水が炭や砂利の間を通る間に濾過されて、かなり綺麗な水になるというものだ。
イメージ図を描いてルルへ見せる。
「これが濾過の仕組みなんだけどね」
渡した紙をルルが見る。
「まず、一番下に綿、そこから小石、砂利、炭、砂、布の順に入れ物に詰めるの」
「布は分かるけどさぁ、砂利とかも必要なのぉ?」
ルルの問いに頷き返す。
「うん、砂や砂利、小石は水の中の土とか汚れとかを濾してくれるの。大きさの違う石を使うことで、大きさの違う汚れを取ることが出来るから」
ルルが「へぇ」と言う。
「じゃあ炭は? 逆に水が汚れちゃうんじゃなぁい? 触ると炭ってすぐ汚れるしぃ」
それに首を振る。
「ええっと、炭は木を焼いたものだから、目に見え難いけど小さな穴が沢山あって、そこを水が通ると目では見えないくらい小さな汚れが穴に引っかかって、水が綺麗になる……だったかな?」
ただ、あくまで土などの汚れを濾過するだけなので、洪水などで街中などを流れているような水については飲み水には使えない。
そういう水は人間や動物の糞尿なども混じってしまうから、衛生面で考えると使えない。
この濾過が使えるのは、あくまで土で濁った水だけだ。
それを説明するとルルが考える仕草を見せた。
「コレ、試してもいーぃ?」
どうやらルルの興味を引いたようだ。
「うん、もちろん」
「じゃあ材料を用意しないとねぇ。小石はどういうのがいいのぉ?」
「川にあるような石でいいよ。でも小石も、砂利も、砂も、綺麗に洗ったものじゃないと使えないの」
ルルが頷き、わたしの手からペンを取ると、紙にメモしていく。
それを手にルルが立ち上がった。
「ちょ〜っと行ってくるよぉ」
ルルが詠唱を行う。
長さからして、恐らく転移魔法だ。
魔法式が光ってルルの体が搔き消える。
……濾過装置、懐かしいなあ。
小学生の夏休みの研究で作ったものだ。
あの頃は濾過の仕組みなんてあんまり分かっていなくて、それでも、汚れた水が綺麗になるのが手品みたいで面白かった。
……でも、ルルって本当凄い。
わたしが行き詰まるとルルは助けてくれる。
わたしの説明も上手くはないのに、そこから理解して、どうすれば良いのか考えられるのがルルなのだ。
そんなことを考えていると床に魔法式が現れ、ルルが転移魔法で帰って来た。
「お帰り、ルル」
立ち上がり、ルルの頬にキスをする。
「ただいまぁ」
お返しとばかりにルルからもキスされる。
「二、三日で用意出来るってさぁ」
「そっか」
一体どこへ材料を頼みに行ったのか。
……闇ギルドだったりして?
まさかね、と思いつつも否定は出来ない。
ルルが何かを購入する時は大抵、闇ギルドで仕入れてきているので、もしかしたら今回もそうかもしれない。
持って行った紙を返される。
「アサドもそれ、興味深いって言ってたよぉ」
……やっぱり闇ギルドだった!
夏休みの自由研究の材料を闇ギルドで買うとは、なんと言うか、大袈裟な気がする。
でもルルと実験をするのはちょっと楽しみだ。
* * * * *
それから三日後。
わたし達は昼食後、庭先に出ていた。
水や小石などを使うので外でやろうということになったのである。
目の前にある材料を見た。
紐、綿、小石、砂利、砂、布、炭、それから円形の筒。
さすがにペットボトルはないので、筒はガラス製の大きなものだ。
それから脇にバケツがあって、その中には土を混ぜて濁らせた水が入っている。
「材料はコレでいいんだよねぇ?」
材料を見て、小石や砂を手に取って確かめる。
……うん、きちんと綺麗に洗ってある。
「大丈夫だと思う」
……さあ、ルルと楽しい実験の時間だ。
「まずは筒の片方に布を当てて、それが外れないように固定して」
わたしが言えば、ルルがやってくれる。
筒はガラス製でそこそこ重いので、落としたら危ないから、ルルが製作担当となった。
筒の片方に布を当て、紐でそれが外れないようにきっちり固定する。
布はそこそこ目の詰まったものならなんでもいい。
「次に小石を入れる」
ルルが地面に座り、足の上に筒を置いて、そこに石を入れる。布が外れないように気を付けているのか丁寧に小石を敷いた。
「そこに砂利を入れて」
ざら、とルルが砂利を投入する。
砂利は大小様々な粒の石だ。
トントンとルルが筒を軽く叩いて、小石と砂利の隙間を詰めた。
「次に炭」
ある程度砕けた炭を入れる。
大きいままだと入れ難いし、水が通るには、やや小さめなものの方がいいのだ。
炭に触れたルルの手が黒くなる。
濡らした布で汚れを落とした。
「で、砂を入れる」
さらら、と細かな砂が入れられる。
綺麗に洗われて、ある程度粒も揃っているようだ。
「最後に布を敷いて完成!」
一番上に布を敷く。
出来上がったものをルルはしげしげと眺めた。
「これで本当に汚れた水が綺麗になるのぉ?」
疑うというより、不思議といった感じだった。
「うん、なるよ。さっそく試してみよう」
筒を別のバケツにセットして、上から、ルルが濁った水をゆっくり注ぎ入れる。
ガラス製の筒なので中が透けて見える。
水がゆっくりと浸透していく。
ある程度水を注ぐと、ルルも一旦手を止めて、横から一緒に筒を眺めた。
水が布に染みて、砂、炭、砂利、小石と順番に流れていくのが面白い。
「地面の中もこんな感じなのかなぁ」
そんなルルの呟きに頷いた。
「そうだと思うよ」
地中に染みる中で小石や砂利、砂などを通り、水は濾過されて綺麗になって、どこかで沸いて川になり、やがては海や湖へ繋がっていく。
濾過の様子を眺めているとルルが言う。
「そういえばアリスティードが言ってた偽名、考えたぁ?」
訊かれて、思い出す。
土砂崩れと間伐に関する書類を渡した日の夜、お兄様から通信機で連絡があった。
もし、これからもわたしがこうやって何かの案を出したり、新しい魔法を生み出したりするなら、偽名を作るようにとのことだった。
王女はもう表に出ない。
リュシエンヌという名前は出せない。
でも、発案者の名前を空欄にしておくと周りからつつかれるし、報奨金などを与える時にも困る。
だから別の名前を用意して、これからは、その名前の架空の人物を表向きは使うことになる。
「まだ考えてる」
……どんな名前がいいだろうか。
変な名前だと困るし、男性名よりかは女性名の方がいいだろう。
覚えやすい名前にしたい。
これから長く付き合うかもしれない名前だ。
「どういう名前がいいのかなあ」




