狭間にて I
* * * * *
真っ白な空間が広がっている。
そこに、同じく白い椅子とテーブルがある。
その椅子に女性が腰掛けていた。
黄金のように輝く金髪に、オレンジがかった琥珀のような金の瞳をした、美しい外見の女神だった。
女神はテーブルの上にある、人の頭ほどの大きさの水晶を覗き込んで笑っている。
「毎日幸せそうね」
ふふふ、と笑うその表情は愉快そうだ。
黄金の女神の欠片を混ぜて生まれた子・リュシエンヌの心地良さそうな寝顔が水晶に映っている。
そうして、その横にはリュシエンヌの愛する男がいて、眠るリュシエンヌを穏やかな表情で眺めていた。
男の指が、リュシエンヌの髪先をくるくると弄んで、その感触を楽しんでいる風であった。
ここまで来るのに十二年かかった。
……いえ、もっとかかったわね。
何度も何度も世界を繰り返した。
この特別な子のために、同じ時間を、この子が幸せになる道を探すために、幾度も繰り返した。
でもその度にリュシエンヌは悲惨な最期を迎える。
それが黄金の女神には耐えられなかった。
「なんか楽しそうだね?」
後ろから覗き込まれて、女神は顔を上げた。
「またこの子達のこと見てるの?」
銀の長髪に淡い灰色の瞳の男神がいた。
「ええ、この子はわたしの子でもあるのだもの」
リュシエンヌには黄金の女神の欠片が混じっている。
だから神の血を引くという王族の血筋に生まれ、濃い琥珀の瞳を持ち、女神によく似た容姿なのだ。
銀の男神の手が、黄金の女神の髪に伸びる。
男神の指がくるくると黄金の髪を弄ぶ。
「っていうかそっちの男、オレの気配がするんだけど?」
「そうよ、だってあなたの欠片を混ぜた子だもの」
「なんだよ、勝手なことするなって言っときながら、そっちだって勝手なことしてるじゃん」
ムッと不満そうな顔をする男神に女神は笑った。
「ええ、わたしも神だから」
神というのは身勝手な存在だ。
いつだって、どの神だって、そんなものだ。
「げ、そういう時ばっかり神って立場を利用するの、ずるくな〜い?」
「ずるくないわ。いつもあなたが使う言葉じゃない」
男神は女神の髪から手を離すと、軽く手を振った。
白い空間に白い椅子が増える。
そこへ腰掛けた男神は水晶をまた覗いた。
「でもあんまりオレに似てないね」
それに女神がまた笑った。
「あら、とても似てるわよ?」
「そ〜お?」
男神は頬杖をつくと、どうでも良さそうな顔をした。
自分に似た人間がいることについて、この男神にとっては関心のないことのようだ。
それでもこうして席に着いているということは、もう少しくらいは女神と話す気があるということだった。
それに女神は微笑んだ。
「ねえ、せっかくだからあなたも少し、この子達の様子を見ていかない?」
淡い灰色の瞳が瞬いた。
「まあいいけど。この子達見てて、楽しいの?」
パチンと男神が指を鳴らせば、テーブルの上に食べ物や飲み物が現れる。
女神は目の前へ現れたティーカップを手に取った。
中には女神が好んで飲んでいる紅茶が入っていた。
「ええ、とっても」
男神は「ふーん?」と頬杖をついたまま、女神の視線を辿って水晶へ目を向けたのだった。
* * * * *
「ルル、出来たよ!」
リュシエンヌが皿を持って近付いて来る。
それをルフェーヴルは椅子に座ったまま、待っている。
そこは屋敷の居間で、リュシエンヌの後から侍女がワゴンを押しながら入って来た。
ワゴンにはティーポットやカップなどが置かれており、それへ皿を載せて持ってくれば良かったのに、リュシエンヌはわざわざ手に持って来たようだ。
しかし、そんなリュシエンヌのことがルフェーヴルは可愛いらしい。
「待ってたよぉ」
ルフェーヴルが頬杖を解いて言った。
「ちゃんと味見もして、えっと、その、思ってた味とはちょっと違うんだけど、でも、美味しく出来たから……その、えっと……」
リュシエンヌが皿を持ったまま、ルフェーヴルの前で立ち止まった。
もじもじとするリュシエンヌにルフェーヴルが笑った。
「リュシー、食べさせて?」
あー、とルフェーヴルが口を開けた。
それにリュシエンヌが慌てて、皿から菓子を取って、その口元へ差し出した。
細長い焼き菓子がチョコレートで包まれている。
ルフェーヴルが口に入ったそれを、ポキ、と折って食べた。
パキポキと軽やかな音がルフェーヴルの口からする。
「どう? ルル、美味しい?」
リュシエンヌが不安そうに訊く。
ルフェーヴルが口の中のものを飲み込んだ。
「うん、美味しいよぉ。いつものチョコレートよりぃ、なんか香ばしく感じるねぇ」
「焼き菓子を少し長めに焼いたの。だからチョコレートと合わせるとより香ばしくなって美味しくなるんだよ」
「そうなんだぁ」
ルフェーヴルがまた、あ、と口を開ける。
そこにリュシエンヌが食べかけの菓子を差し出せば、ルフェーヴルはまたポキリと食べる。
そうして飲み込んだ。
「オレ、これ好きかもぉ」
リュシエンヌの表情が明るくなる。
「本当?」
「うん、本当」
ルフェーヴルが両手を広げる。
リュシエンヌがそれに誘われるようにルフェーヴルの膝の上へ座った。
ギュッとルフェーヴルがリュシエンヌに手を回して抱き寄せる。
「ね、それもっと食べていーぃ?」
リュシエンヌが嬉しそうに笑った。
「もちろん、ルルのために作ったんだから、好きなだけルルが食べていいよ」
口を開けたルフェーヴルに、リュシエンヌが菓子を持って差し出した。
ポキポキと良い音が響く。
ルフェーヴルが菓子を食べながら、その一本を手に取り、それをリュシエンヌの口元へ差し出した。
リュシエンヌもそれをポキポキと食べる。
「せっかく作ってくれたんだしぃ、リュシーも一緒に食べよぉ?」
「……うん」
口の中のものを飲み込み、リュシエンヌがルフェーヴルに顔を近付ける。
ルフェーヴルがそれに気付いて顔を寄せた。
二人の唇が柔らかく重なる。
それから、そっと、唇が離れていく。
「……ね、ルル」
リュシエンヌが囁くようにルフェーヴルを呼ぶ。
「なぁに、リュシー?」
優しい、甘やかな声が返事をする。
「大好き」
囁いたリュシエンヌがもう一度口付けた。
ルフェーヴルは僅かにその灰色の目を一瞬見開き、けれど、それはすぐに優しく細められ、ルフェーヴルはリュシエンヌを抱き締めた。
* * * * *
水晶を見ていた男神が呆れた顔をする。
「ねえ、この二人っていつもこうなの?」
溜め息混じりのそれに女神は笑った。
「いつもこうよ」
「うえぇ、見てて胸焼けしそう」
「あら、それならコーヒーでもいかが?」
女神が手で示せば男神の前に新しいカップが現れた。中身は黒く、香ばしい匂いが漂う。
男神がそれを見て、指を鳴らした。
出て来たのはミルクと砂糖のポットだった。
「オレがこれ苦手って知ってて出さないでよ」
カップにミルクと砂糖をたっぷりと入れ、スプーンで混ぜながら男神が言う。
ざりざりと若干音のするそれに女神は苦笑した。
この男神は甘いものがとにかく好きだ。
逆に、苦いものや辛いものは苦手である。
それでも女神の出したものを飲もうと努力をする姿が、女神は少しだけ嬉しかった。
もはやコーヒーと言っていいのか分からないそれをチビチビと男神が飲んでいる。
「でも飲んでくれるのね?」
「君が出してくれたものだからね」
女神がトンとテーブルを指先で叩けば、甘そうなクリームたっぷりのケーキがホールで現れる。
既に切れているようで、男神が手を伸ばした。
細身だけれど大きな手がケーキを一ピース掴む。
「フォークを使って食べたらどう?」
宙に現れたフォークを男神が鬱陶しそうに手で払う。
「いいよ、別に。こうして食べた方がトクベツ感があって楽しいんだから」
「そう、まあ、あなたがいいなら、いいけれど」
フォークはすぐに溶けて消えた。
代わりに手を拭くための布が現れ、男神は、それを素直に受け取り、脇へ置く。
そうして片手に持つケーキにかじりつく。
神に行儀の良し悪しなど関係ない。
だから女神もそれ以上は問わなかった。
口元と手をクリーム塗れにして食べている男神を、女神はただ、笑って眺める。
……やっぱり親だけあるわね。
リュシエンヌの傍にいるルフェーヴルという男は、この男神の欠片を混ぜてある。
だから似ているところがあって当然だった。
「で? コレ見てて楽しい?」
水晶の中では夫婦が幸せそうにしている。
「わたしは楽しいわね」
女神の欠片を持つリュシエンヌ。
男神の欠片を持つルフェーヴル。
この二人が共に寄り添い、支え合い、愛し合っている姿を見ると心が満たされる。
「どこが? 他人のイチャイチャなんて見ててもつまらなくなーい? 疲れるだけだよ」
自己本位な男神に女神はふっと目を細めた。
「見てると、自分でも知らなかった自分を見つけられるわ。この子はわたしでもあるもの」
女神が水晶を見る。
「そうして、この子はあなた」
ふっと水晶に、銀の男神に似た男が現れる。
それに男神が嫌そうな顔をする。
「オレって言ったって、所詮『紛い物』でしょ?」
「違うわ。あなたの力の欠片を混ぜてあるから、あなた自身でもあるのよ。そしてこの子はわたし」
水晶に今度は女神に似た若い女性が映る。
「この子はいいけどさぁ、オレの『紛い物』はあんまり好きじゃないな〜。だってオレはオレだけなのに。同じのがもう一人いたら、オレが唯一のオレじゃなくなっちゃうじゃん」
それに女神は首を振る。
「そんなことないわ。あなたはあなた。そして、この子はこの子よ」
「……言ってること矛盾してない?」
「ふふ、だって神だもの」
男神は目を瞬かせ、そして、あは、と笑った。
「確かに」
神だから矛盾があってもおかしくはない。
それすらも神の思うままなのだ。
「でもね、本当に見ていて飽きないのよ」
女神が慈愛に満ちた表情で水晶を見る。
「あなたも、わたしも、こんなに強い想いを持つことが出来るのよ。この子達を見ていると、それが感じられて嬉しいの」
女神の中には男神への愛がある。
しかし、神故なのか、強い感情ではない。
愛したいと思っても、望むようには愛せない。
女神も男神も所詮は数ある世界を管理する道具の一つに過ぎず、神と言っても、その中での地位は低い。
「……君は人間になりたいの?」
男神の言葉に首を振る。
「いいえ」
それに男神がホッとしたような顔をする。
手が伸ばされて、女神の髪を一房取った。
「そうだよね、人間なんてすぐ死んじゃう生き物なんか楽しくないよ。それに、君が人間になったら、もうこうして会えなくなる」
「わたしに会えなくなったら寂しい?」
「寂しいって感情は分からないけど、多分、つまらないと思う」
女神は笑った。嬉しかった。
この男神は感情が少ない。
楽しいことや嬉しいことは分かるくせに、寂しいとか悲しいとか、そういう感情は全く感じない。
その代わりのものが『つまらない』だった。
「だから、ずっとココにいてよ」
自分勝手な言葉だった。
「あなたがそう望むなら」
でも、それで良かった。
男神がそう望むなら、それでいい。
「だけど、もっと会いに来てほしいわ」
男神がそれに首を傾げる。
「君が会いに来てくれてもいいけど?」
「嫌よ。行っても、あなたはいつもいないじゃない」
世界を管理するための場所なのに、いつ行っても、この男神ときたらいないのだ。
おかげで彼の世界は管理が適当だ。
しかもこの男神は楽しいことが大好きで、後先考えずに好き勝手なことをするものだから、争いの絶えない世界になってしまっている。
特に人間と魔族は常に戦争をしていた。
この男神はそれを見るのが好きらしい。
どうせ、争いを起こすようなことをして楽しんでいるのだろう。
世界が滅びなければいいと言っても、種族同士で戦争を何百年も続けるように仕向けるなんて捻くれている。
「あー……」
管理場所にいない自覚はあるようだ。
男神は気まずそうに視線を逸らし、カップに口をつけた。
「あと、あなたの世界の人間、あれでいいの?」
女神の問いに男神は笑った。
「いーの、いーの。あの醜さが面白いから」
「本当、あなたって捻じ曲がってるわね……」
「ひどぉい」
そのわりに、あははと笑っている。
悪びれのない様子に女神は小さく息を吐く。
二神の間にある水晶の中では、二神によく似た二人が手を繋いで微笑みあっていた。
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