帰還と提案(2)
第四に、配給は教会で行われる。
配給は作ったビスケットを家族の人数分を数日分と決めて持って帰らせる。
ビスケットは数日保つため、配給の程度は三、四日に一度でもいいらしい。
その辺りは様子によって変わるだろう。
それとは別に炊き出しがしたければ教会側がしても構わない。
この政策により、まず、貧困層の食事の回数が増え、それにより長期的に見れば貧困層の死亡率が減り、同時に教会へ定期的に通うことで労働への前段階の訓練にもなる。
子供は時間を有効活用して食べ物を持ち帰り、貧困層の家庭にビスケットが行き渡る。
病や障害のある者のところには、教会が今まで通り、炊き出しと称して配給を行うことも可能かもしれない。
子供は確実に食べ物が得られるため、教会に通い、その分、盗みなどの軽犯罪が減って治安改善にも繋がる。
しかも参加者は教育も受けられる。
貧困層ではない家の子供も来るかもしれないという問題点については、そもそも、パンを購入出来る家ではわざわざ味の落ちる雑麦の質素なビスケットを食べたがらないだろうということだった。
他にもビスケットはいらないが、教育を受けたくて参加する者も出てくる可能性もある。
そちらに関しては教会の奉仕活動への参加という形を取ればいい。
ビスケットは恐らく結構な量を作ることになるので、人手が多いに越したことはないだろう。
……なるほど。
ビスケットの作り方に関しては、要検討と書かれていた。
リュシエンヌが幼い頃に食べていた野菜入りのクッキーを参考に作った方がいい、とも書かれていた。
……そういえば、そんなものがあったな。
アリスティードは人参を使ったクッキーが意外と美味しくて好きだった。
ちなみに支援金はクズ野菜やミルク、砂糖などの他にも、教会側の人件費も含まれるようだ。
必要な材料は雑麦の粉に、クズ野菜、ミルク──またはバターを作った後の薄いミルク──、砂糖、塩があれば理想的という風だった。
夏場は傷みやすくなってしまうのでミルクの使用は避けるべきかもしれない、とも明記されていた。
ビスケットの中に小麦、乳製品、野菜が入る。
ただのパンやビスケットよりも栄養はあるはずだ。
貧困層の子供の致死率に関しては国も頭を悩ませている。
一般的に、国力とは、民の数で測られることが多い。
子供が死ぬということはそれだけ国力が低下するし、将来大人になる人数が減るので、色々な仕事の働き手が減るという意味でもある。
それに国王としても、民の飢餓問題は解決しなければならない問題だ。
民の心が離れてしまえば国として成り立たなくなる。
言い方は悪いが、人心掌握という面で、この政策は効果があるかもしれない。
……食料事情に教育、政治的なものまで挟んでくるとは。
もしかしたら、教育を受けたくて子供だけでなく、大人もやって来るかもしれない。
それはそれで特に問題はないだろう。
むしろ、ある程度大人がいた方が子供達の統率がとれて良い。
そこに最初に書かれていた問題のうちの一つである『労働への意欲低下』に関して書かれていた。
自分達で作り、教育を受け、食べ物を持ち帰る。
この過程が重要らしい。
最初はこの作業に慣れていき、何かをすることで報酬が得られるという実感を覚えれば、恐らく意欲は湧いてくるだろうとのことだった。
貧民街の者達は貧しいが、働く意欲がないわけではない。
働きたくても働けない者が多いのだ。
リュシエンヌの案には更にこうもつけ加えられていた。
働く意欲のある者はこの配給活動だけでなく、街の清掃活動を行わせることで仕事と街の美化を両立出来る可能性もある、と。
そちらに関してはまた別の政策になるだろう。
貧困層でも行える仕事を作り、それに従事させるというのは良い考えではある。
ただ、そちらは少々難しい問題になりそうだが。
父を見れば、難しい顔をしている。
「リュシエンヌ」
父が言う。
「食事を改善するだけでは貧困層の問題は解決しない。それは、分かっているな?」
「はい」
リュシエンヌが頷いた。
「ですが貧困層にお金を直に給付したところで意味はありません。長期的な支援を、と考えると、この辺りが今、国で出来る精一杯の方法だと思いました」
「ああ、そうだ。一時的に金をばら撒いたところで、経済は回るが、貧困層の暮らしぶりは変わらない。この方策では多少食事事情は変わるが、貧困層に金が入るわけではないからな」
リュシエンヌが「はい」と頷く。
やはりダメなのか、とその肩が少し下がった。
「だが、これまで教会頼みにしていた炊き出しを、配給にして、国と教会が長期的に協力して行うという点では悪くない」
リュシエンヌがパッと顔を上げた。
「あの、その、政策の資金に関してですが、もし行うなら、わたしの所有している鉱山から捻出しても──……」
それにアリスティードが待ったをかける。
「それはダメだ」
父が頷く。
「ああ、そうなるとリュシエンヌの名前がまた表に出ることになる。もし政策を行うとしても、それは国の財政の中で調整すべきものだ」
「父上の言う通りだ。リュシエンヌの鉱山を当てにしても、その鉱山から永遠に鉱物が採れるわけではない。それよりも国できちんとその予算を確保するべきだろう」
リュシエンヌが「あ、そっか」と小さく呟く。
そう、リュシエンヌの鉱山から金を回せば、何故そこからと絶対に突かれる。
その時にリュシエンヌの発案となれば、その名前は広まり、忘れかけていた王女という存在にまた注目が集まるだろう。
中には表に引きずり出そうとする輩もいるかもしれない。
それに、この政策を行うとしたら、数十年という長期に渡って行う必要が出てくる。
貧困はそう簡単にはなくならない。
場合によっては、この政策は国ではなく、貴族主体で行うということも出来る。
貴族にはそれぞれ受け持つ孤児院や教会がある。
そこに雑麦の粉を寄付する、という項目を増やす。
そうすれば国は支援金だけで済む。
……ただ、この手はあまり使いたくはない。
貴族に無理な負担を強いれば反発される。
この政策をする、しないに関わらず、この貧困層の問題はどこかで向き合わなければならないものだ。
「一応、検討はしてみよう」
それが、父の答えだった。
出来ないと否定しないのは、父もまた、問題について考えているからだろう。
リュシエンヌはホッとした表情で頷いた。
「はい、それで十分です。わたしは提案するしか出来ませんが、これをどうするかは、政に携わっているお父様やお兄様の方が判断出来るでしょう。ダメなら、わたしはまた別の案を考えるまでです」
そこで「諦める」と言わないところにリュシエンヌの性格や考え方が垣間見えた。
そうしてリュシエンヌが続ける。
「もし案が使えるようでしたら、発案者はルルと最後のページに書かれている二人の名前を出してください」
言われて、最後のページを見る。
そこには三人の名前が記されていた。
ルフェーヴル=ニコルソン。
ヴィエラ=ラジアータ。
ガルム=ダフ。
三名のうち二名は知らない名前だった。
「この二名は誰だ?」
アリスティードの問いにルフェーヴルが苦笑する。
「女の方がオレの兄弟弟子で、男の方はオレの師匠だよぉ」
アリスティードは目が点になった。
……それは、つまり……。
「全員暗殺者、か……?」
リュシエンヌがニコニコと笑う。
「教会と連携する話はルルが、子供を集めたりミルクなんかを使う話はルルの兄弟弟子さんが、教育に関してはルルのお師匠様が考えてくれたんです」
……これは、なんというか……。
人を殺すのが職業の暗殺者達が、人を助けるための案を出し合ったというのなら、皮肉な話である。
さすがの父も苦笑いしていた。
「オレもさぁ、気付いたらなんか三人で盛り上がってて『何この状況?』ってなったよぉ」
ルフェーヴルでも予想外だったらしい。
「……もしこれを使う時はルフェーヴルの名前を使う。他の二名に関してはつつかれても困る」
「その方がいいよぉ」
ルフェーヴルが父に同意していた。
リュシエンヌは何故か少し残念そうだった。
書類を纏め直してテーブルへ置く。
……それにしても。
「リュシエンヌ達は新婚旅行に行ったんだよな?」
アリスティードはつい訊いてしまった。
「はい、楽しい旅行でした」
リュシエンヌが嬉しそうに頷いている。
新婚旅行はいい。
ウィリビリアへ行き、バウムンド伯爵領に寄ったのもまだ分かる。ルフェーヴルの師匠のところへ挨拶に行くのも、いい。
ただ、それでどうして帰って来たら政策案を出してくるのかという話だ。
「旅行中にこれは作ったんだろう?」
ルフェーヴルが頷いた。
「そうだよぉ。師匠のところでぇ、オレが師匠にこき使われている間にやってたよぉ」
ルフェーヴルがこき使われたというのも気になるが、それよりも、せっかく新婚旅行に出かけたのに、仕事を持って帰ってくるというのはどうなのだろうか。
子供の葬式を見て胸を痛めたのは分かる。
どうにかしたいと思ったのも、分かる。
そこで「じゃあ政策を考えよう」となるか?
リュシエンヌは普段は物静かだけれど、実は行動力もあるし、意外と決断が早いことも知っている。
でも新婚旅行から帰ってきてこれはないだろう。
「お前達、本当に新婚旅行に行ったのか?」
視察の間違いではないか。
アリスティードの言葉にリュシエンヌは首を傾げた。
「はい、行ってきましたよ? あ、あと、これは闇ギルドから購入したビスケットの作り方です。参考になるかもと思って一応用意してもらいました」
……リュシエンヌもルフェーヴルも、新婚旅行の意味を分かっていないんじゃないか?
普通は夫婦の仲を深めるとか、結婚の思い出作りとか、両者の実家への挨拶とか、もっと色々とあるだろう。
確かに話を聞く限り、二人の新婚旅行にもそれは盛り込まれているようではあったが。
……と言うか、ビスケットの作り方を闇ギルドへ訊きに行ったというのは今初めて聞いたぞ。
アリスティードは闇ギルドへ行ったことはないが、荒くれ者が多く、裏社会の者達ばかりがいるだろうことは想像に難くない。
そんなところにリュシエンヌは乗り込んで行ったのか。
しかも、恐らくルフェーヴルと一緒にだ。
ルフェーヴルが闇ギルドのランク第一位になったことは知っている。
何度か訪れていることも聞いている。
だが、最強の暗殺者を連れて元王女が闇ギルドを訪問し、ビスケットの作り方を訊き出してくるなんて、もうどこをどう指摘すればいいのやら……。
呆れたアリスティードの横で、父もまた、同じような顔をしていた。
ルフェーヴルだけが「あはは〜」と笑っていた。
「リュシーだからねぇ」
その言葉で片付けていいことなのだろうか。
* * * * *
ルルの転移魔法で宿へ戻ってくる。
お父様もお兄様も「やろう」とは言ってくれなかったけれど、それでも「検討しよう」と言ってもらえたのは嬉しかった。
実際に政策として行う時にはもっと内容が違ってくるかもしれないが、そんなことはどうでもいいのだ。
大事なことは、貧困層の食事改善である。
「お帰りなさいませ」とメルティさんとヴィエラさんが出迎えてくれる。
「ただいま」
「ただいまぁ」
お父様達にお土産も提案書も渡せたので満足だ。
「準備は出来てる〜?」
ルルの問いに二人が頷く。
「はい、いつでも出られます」
「護衛達の準備も整っております」
ルルがわたしを見た。
「じゃあ、家に帰ろっかぁ」
それにわたしも頷いた。
「うん、帰ろう」
ルルと手を繋ぎ直す。
ヴィエラさんが扉を開けてくれて、部屋を出て、宿の外へ向かう。
途中、ルルが宿代を支払い、鍵を返した。
その間に馬車を移動させたようで、外に出ると馬車が停まっていた。
メルティさんが扉を開けてくれて、ルルの手を借りて馬車へと乗り込む。
ルルが乗り込むと扉が閉められた。
「あっという間の新婚旅行だったね」
ウィルビリアに行ったり、バウムンド伯爵領でオーリの様子を見に行ったり、ルルのお師匠様に会ったり。
二週間ほどの旅行であったが、毎日が楽しくて、色々あって、本当に一瞬だった気がする。
馬車がゆっくりと動き出す。
「ルルと一緒に行けて嬉しい」
ギュッとルルに抱き着くと、抱き締め返される。
「オレも新婚旅行ぉ、わりと悪くなかったよぉ」
「本当? 良かった」
それなりにでも、ルルも楽しめたなら嬉しい。
「旅行もいいけどぉ、しばらくは家でのんびり過ごしたいなぁ。リュシーと二人っきりでぇ」
頬にキスされて少しくすぐったい。
思わず小さな笑いが漏れた。
「そうだね、ルルと二人でのんびりしたいかも」
外の世界は色鮮やかで楽しくて、刺激的で、楽しいけれど、やっぱりルルと二人で過ごすあの屋敷が恋しくなる。
穏やかで、静かで、あまり人気を感じない。
そんな屋敷でルルと二人っきり。
世界にわたし達だけしかいないかのような家。
その雰囲気がわたしも好きだ。
「帰ったらオレだけに集中してね?」
それは、わたしがあの提案書を作ることに集中していたからだろうか。
……他にも色々意識が逸れてたからなあ。
ルルの首に腕を回して、キスをする。
「うん、ルルだけに集中するね」
ルルが嬉しそうに笑って頷いた。




