帰還と提案(1)
翌朝、闇ギルドに行ってルルは書類を受け取って来てくれた。
そこにはビスケットの作り方が丁寧に書かれていて、作り方自体はそれほど難しいものではなかった。
作ろうと思えば子供でも出来る。
シンプルなビスケットの作り方だった。
……これならミルクや野菜を混ぜやすいかも。
作りがシンプルということはアレンジが利くということでもある。
ビスケットのアレンジについてはわたしではなく、料理人に任せた方がいいだろう。
なんなら、ファイエット邸にいる料理人辺りに野菜入りビスケットの制作に関わってもらえば良いかもしれない。
少なくとも、秘密の作り方ではない。
その書類とわたしが書いた提案書を持って、またルルと二人、転移魔法で王城へと移動した。
最初の日と同じく、お兄様の宮である。
そして、やはり見覚えのある侍従が控えていた。
「ようこそお越しくださいました」
こちらへ、と案内されて部屋を出る。
宮は人払いがされているようだった。
応接室の一つに通される。
お兄様はまだ来ていないようで、それでも、お菓子や飲み物などは既に用意されていた。
来る時間が分かっていたので前もって用意してあったのだろう。
席に着くとルルが紅茶を淹れた。
先にルルが一口飲み、そのティーカップを渡される。
「ありがとう、ルル」
ルルはふっと笑って小さく頷いた。
「どういたしましてぇ」
それからしばし部屋で待っていると、扉が叩かれる。
控えていた侍従が対応し、扉を開けて横にズレた。
部屋にお兄様が入ってくる。
「お帰り、リュシエンヌ、ルフェーヴル。予定通りに帰ってきたな」
お兄様がわたしの向かい側に座った。
「天気も良かったからねぇ。特に足止めもなくすんなり行ってこれたよぉ」
「そうか。……楽しかったか?」
お兄様に問われて頷き返す。
「はい、とっても楽しかったです。それに有意義な旅になりました」
「有意義な旅?」
「お父様が来たら説明します」
一度お兄様に説明して、またお父様にもう一度説明するのは二度手間だ。
わたしの言葉にお兄様は不思議そうな顔をしたものの、すぐに切り替えたようだった。
「新婚旅行はどうだったか、聞かせてくれるか?」
お兄様の優しい問いかけに頷いた。
「はい、ウィルビリアに着いた初日は宿で一泊したんですけど、翌日にお義姉様が来てくださって、クリューガー公爵家の別荘に行ったんです。湖のすぐ近くにある別荘で──……」
* * * * *
「そういえば、バウムンド伯爵領の修道院にムーラン伯爵家のレアンドル様がいました」
リュシエンヌが思い出した様子で言う。
「確か、伯爵家を出るのは学院卒業後だと聞いていたと思うのですが……」
それにアリスティードは「ああ」と頷いた。
元側近候補だったレアンドルは、当初は学院卒業後に伯爵家を出て平民になる予定だった。
しかしレアンドルは学年が上がるのと同時に自ら学院を辞した。
そうして伯爵家も出て、一般人としてレアンドルは教会に身を寄せ、一年かけて認められて聖騎士見習いとなった。
その後、すぐにバウムンド伯爵領へ行った。
オリヴィエ=セリエールの下へ。
今はもう、ただのレアンドルという名前の平民であり、聖騎士見習いの一人である。
「地方へ行きたがる者は少ないから、すぐにレアンドルはバウムンド伯爵領へ異動となったようだ」
「じゃあ彼は自分の意思でオーリのところへ行ったんですね」
「ああ。……レアンドルはどうだった?」
アリスティードの問いにリュシエンヌが思い出すように少しだけ小首を傾げた。
「元気そうでした。学院にいた頃よりもずっと明るい風に見えましたし、オーリとも、仲が良さそうでしたよ」
「そうか。……報告で知ってはいたが、少し、微妙な気持ちになるな」
アリスティードは苦笑する。
友人が元気にしていることは嬉しい。
だが、自分の下から離れることになったのは少し寂しくもある。
リュシエンヌもそれを察したのか困ったように微笑むだけで、何も言わなかった。
代わりに別の話題が飛び出して来た。
「そうだ、お兄様とお義姉様もお互いのことを愛称で呼んでいると、お義姉様から聞きました」
何故かキラキラした目で見つめられる。
目の色は魔法で変えたままなので、ルフェーヴルとよく似た灰色で、少しだけ違和感があった。
「あ、ああ、エカチェリーナのことは『リーナ』と呼んでいる。逆に私のことは『ティード』と。婚約者同士、愛称で呼び合うのはそう珍しいことでもない」
エカチェリーナが卒業後、一年経ったら、アリスティードとエカチェリーナは結婚する。
一年は式の準備に費やされることになるだろう。
王太子の結婚式となれば手間も時間もかかる。
アリスティードよりもエカチェリーナの方が大変な思いをするけれど、アリスティードも出来る限り準備に参加して、二人でやっていくつもりだ。
そう説明するとリュシエンヌが何度も頷いた。
「わたしは出られませんけど、素敵なお式にしてくださいね。結婚は一生に一度きりですから」
リュシエンヌは表舞台から去った身だ。
そしてリュシエンヌ自身も目立ちたくないからと、ルフェーヴルと共に引きこもることにしているので、社交界にも出るつもりはないらしい。
結婚式くらい、と思ったが、だからこそリュシエンヌは出ない方がいいと考えているようだ。
「誰もわたしのことなんて思い出しませんよ」
けろりとした顔でそんなことを言うくらいだ。
リュシエンヌは穏やかで物分かりもいいが、頑固な一面もあり、一度こうと決めたら絶対に覆さない。
「それにまた勝手に狙われるのも嫌ですから」
と、いうことだった。
そう言われてしまえばアリスティードも、それ以上強く出席を勧めることは出来なかった。
代わりに結婚後、落ち着いた頃にまた密かにお茶会でも開いて話をしようということになった。
そんな話をしていると扉が叩かれる。
侍従が対応し、すぐに横へ避ける。
その動きだけで誰が来たかは分かった。
「お帰り、リュシエンヌ、ルフェーヴル」
父であり、国王陛下である、その人だ。
父は部屋に入って来るとアリスティードの隣、ルフェーヴルの向かい側の席に腰かけた。
「旅行は順調だったようだな」
「はい。あ、ルル、お土産出してもらえる?」
「りょ〜かぁい」
ルフェーヴルは空間魔法を展開させて、空いている別のテーブルの上へ色々と出した。
バウムンド伯爵領にも行ったから、見えている瓶は恐らくワインかブドウジュースだろう。
他にも酒と一緒に食べたら合いそうなものがある。
父が嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。いい土産だ」
アリスティードも頷いた。
「ありがとう、後でもらう」
ふとリュシエンヌが訊いてくる。
「お兄様はワインが好きですか?」
「嫌いではないな。赤ワインの渋味は少し苦手だが、それなりには飲めるぞ」
「そうなんですか?」
リュシエンヌが目を丸くして、それから溜め息をこぼした。
何かと思っているとルフェーヴルが言った。
「リュシーは赤ワインって甘いものだと思ってたみたいだよぉ。今回、初めて飲んだけどぉ、あんまり美味しく感じなかったみたぁい」
それにアリスティードは父と顔を見合わせた。
リュシエンヌがムッとした顔をする。
「だってブドウジュースは同じくブドウから作るのに、同じ見た目で、甘くて美味しいじゃない。それなのにワインは渋いなんて見ただけじゃ分からないよ」
…………。
プッ、と思わず吹き出してしまった。
横にいた父と、それが重なった。
リュシエンヌには悪いが、まさか、そういう風にワインを見ているとは思ってもいなかった。
アリスティードにとってはブドウジュースとワインは全く別物で、味が違うのも当たり前だった。
けれどもリュシエンヌはそうではなかったようだ。
「もう、お父様もお兄様も笑いすぎです……!」
リュシエンヌの顔が少し赤くなり、ルフェーヴルに抱き着いて顔を隠してしまった。
ルフェーヴルが甘く笑ってその頭を撫でる。
「そうだな、見た目はよく似ているからな……」
「甘いと思ってしまうのは無理ないな」
父と二人でなんとか言葉を出したものの、リュシエンヌは少し頬を膨らませたまま「もうこの話題は終わりです」と言った。
そうしてリュシエンヌがルフェーヴルの服を軽く引っ張った。
「ルル、あれ出して」
あれ、と言われてルフェーヴルがまた空間魔法を展開させて、そこから何やら書類を出してきた。
それをリュシエンヌが受け取り、侍従に渡す。
「旅行中に作ったんです」
侍従経由で渡されたそれを見る。
「貧困層の食料問題解決法?」父と声が重なった。
恐らくリュシエンヌの手書きである。
リュシエンヌが頷いた。
「はい、ウィルビリアで子供のお葬式を見ました。この国は、以前より良くなったけれど、まだまだ食料問題があります。貧困層は毎日の食事にも困っているんですよね?」
「ああ、そうだ」
「貧困層が働けない理由を考えました。一つは食事が出来ないことで体が弱いから、一つは衛生面……見た目が汚いから、一つは貧しさによって盗みなどの軽犯罪に手を染めていることが多いから」
それに頷き返す。
貧困層の大半はその三つが最たる理由である。
日々の食事にも困るほどなので、栄養が足りず、貧民街にいる者達は皆痩せ細っている。
満足な食事が出来なければ力も出ない。
まともに働けない者は雇えない。
その中には病などで働けない者もいる。
働けないので、当然、金がない。
金がなければ新しい衣類などを買うことも出来ず、日々の食事を優先すると、どうしても身綺麗さは後回しになってしまうのだろう。
そうして、働けない、食べ物がないとなると、盗みに走ってしまう。
特に子供の軽犯罪が多く、治安も悪くなる。
しかも食事が出来ないことで弱い子供や年寄りから死んでいく。
食事をするためには、働くためには金が要り、金を得るためには働かなけれならないが、雇用する側から忌避されてしまう。
どこかでその連鎖を断ち切る必要があった。
「せめて、毎日の食事が出来るようになればと思うんです」
そこでこれです、とリュシエンヌが続けた。
手元の書類に目を向ける。
「まずは読んでみてください」
父と共に書類へ目を通す。
流れとしては単純なものだ。
国が雑麦の粉を購入し、教会へ支援金と共に粉を配布して、教会はその粉を元にビスケットを作って、貧困層に配給する。
それについて詳細に書かれているようだった。
まず、この政策についての問題点が書かれている。
一つは政策を行うための資金について。
一つは政策を行う期間について。
一つは政策によって、貧困層の『働くことへの意欲』が湧かなくなる可能性について。
特に三つ目は、元より貧しい家の場合、最低でも食べ物は得られるからと労働への意欲が減退するかもしれないということだった。
それについては後に改善策が書かれているらしい。
第一、国が雑麦の粉を購入する。
何故雑麦が良いのかについて記述があった。
雑麦は色々な麦を入れている分、ただの麦より雑味は多いけれど、同時に栄養があり、そうして雑麦は安い。
長期的な政策を考えるなら、金銭面での負担軽減は視野に入れるべき問題の一つだ。
それに安くて栄養面で優れているなら使わない手はない。
しかし書かれているように味はあまり良くない。
だが、その点については貧困層は雑麦で作られた黒パンを食べたり、その粉を水で煮たものを食べているので、彼らにとっては比較的食べ慣れた味であり、それほど問題にならないのではないかということだった。
雑麦はどこでも比較的手に入りやすく、安価で、この国でも雑麦は多く出回っている。
実際には国ではなく、各領地で必要量の購入が行われ、その購入額が国から支払われるという仕組みだ。
領地で購入された雑麦の粉は街や村などの各教会に分配される。
その際、支援金も払われる。
第二は教会でのビスケットの作製である。
これについては主に子供を労働力とするそうだ。
働きに出られない低年齢の子供達や、場合によっては大人なども教会に集め、そこでビスケット作りをする。
まず、午前中に近隣の店を回り、クズ野菜や余ったミルク、バターを作った後の薄いミルクなどの捨ててしまうものを支援金で購入する。
なくてもビスケットは作れるが、あった方が栄養面でいいそうだ。
どれも捨ててしまうようなものなので、購入しても底値だろう。
そうして、午後にビスケット作りをする。
参加した子供達は作ったビスケットを持ち帰ることが出来るし、教会側は足りない人手を補える。
しかも作ったその日に持ち帰るので保管場所は殆ど必要としない。
ビスケットは雑麦の粉とクズ野菜、ミルクなどを混ぜて作る。この時に砂糖を使うかは教会側へ任せるらしいが、塩だけは最後にまぶすそうだ。
塩に関しては雑麦の粉と同様にする必要があるかもしれない。
第三に、焼いている間の時間の有効活用。
ビスケットを焼いている間、参加者は時間が空く。
その時間を利用して、参加者に教育を施すということだった。
教育内容は簡単な読み書き計算程度のものだが、平民にとってはほんの少しでも読み書き計算が出来るというのは強みになる。
特に貧困層は自分の名前すら書けない者もいる。
だから待ち時間に教育を受けさせることで、知識を与え、少しでも雇用に有利になるようにするそうだ。
これを受けないとビスケットはもらえない。




