二日酔いと解決策
「ん……」
チカッと差し込んでくる朝日に目が覚める。
……なんだか体がだるい……。
重たい体を動かして起き上がる。
途端に鈍く頭が痛んだ。
「痛っ……」
なんでこんなに頭が痛いのだろう。
……ええっと、昨日はどうしたんだっけ?
夕食を食べた後にルルと一緒にお酒を飲んだはずだ。
ワインが思ったような味ではなくて、ルルが、ブドウジュースでワインを割ってくれて飲んで。
それからしばらくしてルルが席を立った。
その間にワインを飲んだのまでは覚えている。
しかし、それ以降の記憶がない。
……なんだか目もちょっと腫れてる気がする。
それに肌着がスースーするような……?
ぺろりと裾を捲って驚いた。
……なんで下着を着けてないの?
というか、太ももにルルのものだろう噛み跡があって、それは昨日までは覚えのないものだった。
もしかして昨日の夜、ルルとしたのだろうか。
「ぜんぜん、覚えてない……」
でも、この体のだるさには覚えがある。
ルルと夜を過ごした後にくる気だるい感じだ。
「リュシー、もう起きたのぉ?」
むくりとルルが起き上がった。
今さっきまで寝ていたことなど微塵も感じさせない、はっきりとした声だ。
「うん、頭痛い……」
そう言えば、ルルが「そうだろうねぇ」と返しながら立ち上がった。靴は履いたままらしい。
ラフな格好のルルは、ナイフのホルスターが見えている。
寝ている時くらいは外したらいいのにと思うのだが、屋敷の外では、武器を手放したくないらしい。
……だから、夜はちょっと変な気分になっちゃうんだよね。
わたしばっかり翻弄されて、ルルは服を脱がないので、なんというか背徳感があるというか……。
ルルがテーブルから水を持ってきてくれる。
「昨日の水だけどねぇ」
「いいよ、ありがとう」
受け取って飲むと、思いの外、喉が渇いてたみたいで一息で水を飲み干してしまった。
空になったグラスに水が注がれる。
「リュシー、昨日の夜のこと覚えてる〜?」
訊かれて首を振った。
「覚えてない」
「やっぱりぃ? 泥酔してたからねぇ」
「……そんなに酔ってた?」
でも覚えてないということは、それだけ酔っ払っていたということだ。
ルルが「うん」と頷いた。
「リュシー、初めて飲むのにワインを一本近く開けちゃうんだからぁ、酔うのは当たり前だよぉ」
「そんなに飲んだっけ……」
言われてみれば、ルルを待ちながら結構飲んだ気がするが、そこから先はぼんやりして思い出せない。
ルルが戻ってきたような気はするけど……。
「昨日のリュシー、かわいかったよぉ」
横に座ったルルに、ちゅ、と額にキスされる。
「どんなだったか知りたぁい?」
知りたいような、知りたくないような。
でもルルがわたしの頭を撫でながら言う。
「酔ったリュシーは甘えん坊でねぇ、我が儘でぇ、声もふわふわしててぇ、とろんとした目でオレのこと見上げてくるのぉ」
目元に、頬に、鼻先にキスされる。
「もっとワイン飲みたいって我が儘言ってかわいかったなぁ」
完全に酔っ払いだったのだろう。
少し気恥ずかしい。
「それに夜も積極的でぇ、感じやすくてぇ、リュシーってばなかなかオレを離してくれなかったんだよぉ。……リュシーは食いしん坊だねぇ」
ぶわ、と顔が熱くなる。
……お、覚えてる……!
その言葉を言われた時の状況は朧げながらに覚えていて、顔に火がつきそうなくらい、体温が上がる。
酔っていたとは言え、とても口に出せないようなことをルルにしてしまった。
ルルは、あは、と笑う。
「またしてね?」
ちゅ、と唇にキスされる。
毛布に顔を隠しながらも、わたしは頷いた。
……物凄く恥ずかしいけどルルのためなら、しても、いい、かも……。
ルルがメルティさん達を呼びに行ってくれた。
明らかに事後です、というわたしの様子にメルティさんもヴィエラさんも慣れた様子である。
……うん、まあ、そうだろうけどね。
ルルと結婚してから怠惰な生活をしていたから。
二人の手を借りて入浴したが、お風呂で姿見で体を確認したらかなりビックリした。
……凄い噛み跡がある……。
たまにルルはわたしの首を噛むことはあったけれど、ここまでガツガツ噛まれたのは初めてだ。
ルルも酔っていたということはないだろう。
飲んでいた量はわたしよりずっと少なかったはずだし、そこまで酔うほど、ルルは飲まないと思う。
と、いうことは酔っ払ったわたしが何かしたのかもしれない。
ヴィエラさんが少し呆れていた。
「執着心丸出し……」
ぼそっとこぼした呟きは聞かなかったことにした。
一応服で隠れる場所にのみつけられているので、その辺りは気を遣ってくれたのだろうか。
入浴して出ると、ルルが今度は浴室に入って行き、その間にわたしは髪を乾かしてもらう。
すぐにルルが出てきて、乾いたわたしの髪をブラシで梳かしてくれて、メルティさんが持ってきてくれた紅茶を飲む。
ヴィエラさんがテーブルの上の物を片付けている。
「リュシーはあんまり酒を飲まない方がいいねぇ」
ルルの言葉に頷いた。
「もし飲むとしても少しだけにする」
「オレの前でだけなら、飲みすぎてもいいけどねぇ」
後ろでルルが、あは、と笑っていた。
* * * * *
ガタゴトと馬車に揺られる。
これからルルのお師匠様のところへ行く。
その予定なのだけれど……。
「頭痛いし、気持ち悪い……」
うう、と呻くわたしをルルが抱き寄せる。
「大丈夫〜?」
「……大丈夫」
正直、体調は良くないが、昨日のわたしのしたことなので結局は自己責任である。
これで具合が悪いからと予定を変えるのは護衛や御者達にも申し訳ないし、ルルのお師匠様に会いたい気持ちもあった。
……こういう時、治癒魔法が効かないのがつらい。
治癒魔法を使えば二日酔いも多少マシになるらしい。
ルルが優しく背中をさすってくれる。
「リュシー 、水飲む〜?」
それに頷く。喉が渇く。
ルルが空間魔法で水の入ったピッチャーを取り出し、グラスに注ぐと渡してくれる。
「ありがとう、ルル……」
ちゅ、とルルの頬にキスをする。
いつもより元気がないのは仕方がない。
「ちょ〜っと窓開けて風入れるよぉ」
ルルが馬車のカーテンを上げて、窓を少し開けると、外から涼しい風が入ってくる。
そのヒンヤリした風が心地良い。
「ゆっくり飲むんだよぉ」と言われたので、ちびちびと水を飲んだ。
……初めてお酒を飲んで、初めて二日酔いになるなんて……。
これが多分二日酔いというものなのだろう。
頭は痛いし、ちょっと気持ち悪いし、体もだるいし、喉が渇く。それに食欲が湧かない。
「リュシーが朝食を食べないなんて珍しいよねぇ」
ルルの言葉に、確かに、と思う。
屋敷で怠惰な生活をして朝食兼昼食とかはあったけれど、こうして、起きているのに朝食を食べないというのは初めてかもしれない。
「今は匂いもダメかも……」
朝、一応朝食を食べに宿の食堂へ行ったのだけれど、食事の匂いが漂ってきて、それを嗅いだだけでもうダメだった。
気持ち悪さが増してしまったので、朝食は食べず、すぐに部屋に戻った。
ルルもそれに付き合ってくれた。
「ルルは食事してきて」
と、言ったけどルルは行かなかった。
「具合の悪いリュシーから離れる方が落ち着かないよぉ。一食くらい抜いたって死なないしぃ」
そう言ってわたしの頭を優しく撫でてくれた。
今も、わたしを寄りかからせてくれている。
「横になると吐いちゃうかもしれないからぁ、こうしてオレに寄りかかっていなよぉ」
わたしの体が揺れでズレないようにしたり、グラスを持つ手を支えたり、風で髪が乱れると整えてくれる。
大きな手が目元にかかった前髪を退ける。
その何気ない仕草が実は凄く好きだ。
思わず、ほう、とルルに見惚れてしまう。
それに気付いたルルがちゅ、とわたしにキスをした。
「オレに見惚れちゃった?」
からかうように訊かれて頷いた。
「うん」
即答したわたしにキョトンとルルが目を瞬かせ、そして、ふっと笑った。
「この顔で良かったぁって心底思うよぉ」
「別に顔だけで好きになったわけじゃないよ?」
「でも、この顔も好きでしょぉ?」
うん、とまた頷く。
ルルがルルだから好きだけど、ルルの顔も好きだ。
きっとルルもそうなんだろう。
またちゅ、とキスをされる。
「……ん〜、酒の臭いがちょっとするねぇ」
珍しく苦笑するルルに思わず謝る。
「ごめんなさい……」
「リュシーは悪くないってぇ言いたいところだけどぉ、今回ばっかりはリュシーが悪いねぇ」
「……ですよね……」
……うん、そうですよねー。
今回ばかりは完全にわたしが悪い。
昨日のわたし、なんでそんなに沢山飲んだの?
これからは飲酒する時は気を付けよう。
「食欲はど〜ぉ?」
ルルに訊かれて首を振る。
「あんまりないかなあ」
「でも何か食べた方がいいよぉ」
果物は、と訊かれても食指が動かない。
ちびりと水を飲む。
「匂いのあるものとか、味の強いものは、今は食べたくないかも……」
強い匂いや味だと、今は気持ち悪くて戻してしまうかもしれない。
食欲も湧かないけれど、こういう時こそ、ちゃんと食べた方がいいのは分かっている。
……分かっているのに。
食べたいものが出てこない。
ルルも考えるように視線を巡らせている。
「匂いがしなくて味も薄いものかぁ」
……そんな都合のいいものないよね。
「あ」
ルルが空間魔法を展開させる。
そこから何かを取り出した。
「これならど〜ぉ?」
差し出されたのは、ルルがいつも持っている堅焼きのビスケットだった。
焼き固められた濃いキツネ色のビスケットは四角くて、わたしの手の平くらいある。
時々、ルルにねだって今でもこっそり食べていた。
受け取って、匂いを嗅ぐ。
「……うん、食べられそう」
あまり匂いがしないビスケット。
そっとかじりつく。
ルルやみんなはこのビスケットを味気ないと言うけれど、小麦の味がして、わたしは美味しいと思う。
硬くて食べ難いが、逆にそれがいい。
かじっていると食べた気がするし、香ばしいし、ギュッと小麦の味が凝縮されている感じがする。
かじりついたまま、唾液がついた部分からじりじりと食べていくのが好きだ。
ルルがグラスを持ってくれている。
「リュシーは本当それ好きだよねぇ」
ルルが少し呆れた風に言う。
「うん、ルルから初めてもらった食べ物だから」
ルルが目を丸くして、そして笑った。
「そうだったねぇ」
よしよしと頭を撫でられる。
そう、これはルルがわたしに初めてくれた食べ物だから。だから余計に美味しく感じるのかもしれない。
思い出深い食べ物なのだ。
ざり、ざり、と歯で削りながら食べる。
ルルが「ネズミみたいだねぇ」と呟く。
……だって硬いし。
みっちり目の詰まったビスケットなので、よく噛んで食べる必要もある。
これ一枚食べたら結構お腹に溜まる。
元が小麦粉だから、水分を一緒にとると胃の中で膨らむんだと思う。
……………………。
パッと頭の中に閃きが生まれた。
「これだよ!」
思わずバッと顔を上げればルルが驚いた顔をした。
……うわ、頭痛い。
頭を抱えたわたしの背中をルルがさする。
「コレって何がぁ?」
不思議そうに聞き返されて、食べかけのビスケットを指差した。
「これ、パンの代わりにならないかな」
痛む頭を無視してルルに言う。
パンがないならビスケットを食べればいいのだ。
……あれ、前世でも似たような言葉を聞いたことがある気がする。
首を傾げれば、ルルも首を傾げた。
「パンの代わりぃ?」
「そう。これ、値段は?」
「五枚で銅貨一枚だよぉ」
なるほど、と考える。
大きさで考えればパンと同じくらいだけど、食べた感じは恐らくパンを一つ食べるよりも、こちらを食べた方が腹持ちがいい気がする。
それにさっきも思ったが食べた感がある。
「このビスケット、小麦で作ってるんだよね? たとえばだけど、全粒粉とか作ったらどうかな?」
「ぜんりゅうふん?」
「うん、小麦を丸ごと挽いたもののこと」
ルルが「ええ〜」と嫌そうな顔をした。
「あれあんまり美味しくないじゃぁん」
確かに全粒粉のパンは小麦粉だけのパンに比べると雑味が多く感じるだろう。
実際、黒パンなんかは全粒粉だったりライ麦だったりで作られているらしいし、そういったものは安いそうだ。
「だけど全粒粉の方が普通の小麦粉より栄養があって、体にもいいんだよ。それに安いんでしょ?」
「そうだけどさぁ……」
全粒粉ビスケットを配給するのだ。
パンよりも安価だし、栄養も摂れるし、食べた感もあるし、多分腹持ちもそこまで悪くはないと思う。
これなら安いからきっと国の負担も減る。
栄養価的に他の麦を混ぜてもいいかもしれない。
貧乏な家はオーツ麦を薄く水で煮たオートミールみたいなものを食べるという話だから、味についてはそこまで嫌がらないのではないだろうか。
となると、問題は作り手と配給方法か。
ビスケットをかじりながら考える。
「これの作り方って分かる?」
「オレは知らないけどぉ、いつも闇ギルドで買ってるから訊けば作ってるところは教えてもらえるんじゃなぁい?」
「そっか。じゃあ帰ったら訊いてみたいな」
ビスケットなのでそこまで複雑な作り方ではないだろう。
もし簡単な作り方で出来るなら、誰でも作れるなら、人を集めれば大量生産は可能だろう。
だけど人を雇うにはお金がかかる。
いくら原価が安くなっても、雇用でお金がかかり過ぎたら長続きしないかもしれない。
それに別の問題もある。
「作ったとして、配給はどこでしよう……」
以前お義姉様が言っていたように、一箇所で配給を行えば、そこに大勢が押し寄せてきて混乱が生じるだろう。
どこか、いくつかの場所に分かれて配給する必要がある。
「そんなの教会でやれば良くなぁい?」
ルルの言葉に顔を上げる。
「教会……」
「そーそー。どうせ炊き出しだってやってるんだしさぁ、教会ならどこにでもあるしぃ、いっつも『民への奉仕が〜』とか言ってるしさぁ」
「それいいかも!」
作ることに関してはともかく、全粒粉で作ったビスケットを教会で配るというのは良案に思えた。
確かに教会は街にいくつかあるものだし、炊き出しの代わりに配給に変えれば、その場で食べて終わらせずに持って帰ることも出来る。
……国と教会が協力すればいいんだ。
国がかかる費用を、教会が配る場所と手間を。
それぞれに負担して行えれば。
「あとは作る人手とそれにかかる費用をどうするか……」
ビスケットをかじりながら考えるわたしに、ルルがグラスを差し出してくる。
「リュシーはどこにいてもリュシーだねぇ」
それは褒め言葉なのか呆れなのか。
多分、どっちもなのだろう。
「この国から少しでも、食べられない苦しさがなくなればいいなって思うの」
昔のわたしがそうだったように、満足に食事が出来なくて苦しむ人がいるのは嫌だ。
せめて、日々の食事くらいは悩まなくて済めば。
そうしたら、少しは何かが変わるかもしれないから。
「そうだねぇ、食べられないのはつらいからなぁ」
ルルの言葉にわたしは深く頷いた。




