新婚の二人(2)
「……白を着ます……」
ピンクの方が物凄く透け透けなので、白の方がまだ肌が見えていない。
白は下着の上からレースのキャミソールのようなものを着るのでまだマシだが、ピンクの方は、下着も薄いし、持っている状態でも向こう側が透けるほど生地が薄いのだ。
どちらかと言うなら白の方がまともそう。
着せてもらいながら覚悟を決める。
……結婚したのだからこういうことをするのは夫婦として当然だし、何もおかしいことはない。
鏡の中のわたしは白いレースの夜着に身を包んで、所在なげに立っている。
こんなに肌が出てる夜着は初めて着る。
これまではわりと普通のワンピースみたいな夜着というか、寝間着だったから、凄く落ち着かない。
肩も足も全然隠れていないし、レース越しに肌が見えていて、自分で選んでおいてこう言うのもなんだが、これはこれでかなり扇情的だ。
仕上げとばかりに手首と足首に同色の白いリボンがつけられる。
……かわいい。確かにかわいいけど。
そのリボンは要らないんじゃないかなあ、と現実逃避してしまう。
しかもヴィエラさんが近付いてきて薄化粧を施される。
あくまでほんのりとした化粧で、唇と頬は血色を良く見せるために紅をつけた。
その間にメルティさんがわたしの髪を整える。
最後に外していたピアスと指輪が戻された。
指輪は結婚式のものではなく、ルルがわたしへくれた指輪に戻っていた。
そして部屋にある、別の扉の前へ導かれた。
「こちらが寝室と繋がっております」
「私共は下がりますのでご心配なく」
……それってどういう心配?
訊き返したかったが、扉を開けられて、寝室へサッと流れるように押し込められた。
無情にも背後で扉がパタリと閉まった。
寝室には天蓋付きの大きなベッドがあった。
後ろ姿で分かった。そこにルルがいる。
ベッドの脇の小さめのテーブルのところで椅子に腰掛け、何やら飲んでいるようだ。
椅子に思い切りよりかかっていて、後ろ姿からも、かなりリラックスしてるのが見て取れる。
眩しいのが嫌なのか寝室はカーテンがかけてあり、その隙間から差し込む明かりで十分室内は明るかった。
「リュシー、こっちに来て何か飲もう、よ……」
振り向いたルルが笑顔のまま固まった。
ピキ、とルルの持つグラスから音がした。
「え」
ルルがこんなに硬直してるのは初めてだ。
固まってるけど、物凄く視線を感じる。
「ルル、あの、メルティさんとヴィエラさんがウェディングドレスを脱いで汗を流すのは、その、そういうことだって……」
視線が落ち着かなくて両腕で体の前面を隠す。
ハッと我へ返ったルルがグラスをテーブルへ置くと右の掌をわたしへ向けつつ、左手で顔を覆ってわたしとは反対方向を向いた。
顔を背けたけれど、髪の隙間から覗く耳が赤いのが遠目にも判別出来た。
「いや、オレ、そういうつもりじゃなかった……」
囁くような声だがしっかりと聞こえた。
……やっぱりそういう意味じゃなかったー!!
恥ずかしさを我慢していたけれど、更に羞恥で顔に熱が集まるのが分かった。
「そ、そうだよね、ごめん、着替えてくる……っ」
羞恥心で泣きそうになる。
早とちりで真昼間からとんでもない格好で現れてしまった。
嫌われはしないだろうけれど、はしたないと思われたらと考えたら羞恥のあまり顔から火を噴きそうだ。
慌てて背を向けて扉に手をかける。
ドアノブを下げて扉を開いた。
しかし、次の瞬間、扉が後ろから伸びて来た手によってバタンと閉められてしまった。
同時に長い腕がわたしの腰に回る。
「ルル……?」
はあ、と熱い吐息が首筋にかかった。
扉を閉じた腕が戻ってきて抱き寄せられる。
ルルもラフな格好なので、こうしてくっつくと互いの体温が感じられる。
……武器もつけてない。
いつもの硬い感触はなく、ルルの細身だけど筋肉質な体の感触が体温と共に背中に伝わってくる。
「あー、くそっ、やられたなぁ」
後ろから抱き締められた状態でルルがわたしの肩口に顔を埋めるので、吐息が直に素肌に当たってドキリとする。
「あ、の……ルル……?」
「ん〜?」
「着替えなくていい、の……?」
すり、とルルの鼻が素肌を撫でた。
思わずビクリと肩が跳ねる。
「うん、着替えなくていいよぉ」
少しだけ顔を上げたルルが耳元で囁く。
「すっごくかわいい」
やや掠れた艶のある声で言われて体が震える。
……そ、そんな声初めて聞いた……!
つい両手で顔を覆いたくなったが、ルルに拘束されているのでそれも叶わない。
きっと今のわたしはリンゴみたいに真っ赤だろう。
羞恥心やルルの色気やらで震えていると腰の手がするりと離れていった。
解放されたのかとホッとするのも束の間、ヒョイと抱き上げられて視界にルルの顔が飛び込んでくる。
とっさに首に腕を回してしまった。
より顔の距離が近くなる。
ルルは蕩けるような笑みを浮かべていた。
そしてベッドの上にわたしを下ろすと自分もベッドに乗り、靴を蹴るように脱いで、またわたしを腕の中に引き寄せた。
ルルに背を預けるように後ろから抱き締められる。
「リュシー」
肩口にルルがぐりぐりと擦り寄ってくる。
そして顔が離れたかと思うと、後ろから強い視線を全身に感じた。
「その、あんまり見ないで……恥ずかしい……」
ルルから「ぐっ」と息を詰めるような音がした。
「はあ、リュシーかわいすぎ」
宥めるようによしよしと頭を撫でられる。
そのルルは「白はウェディングドレスとお揃い?」「すごく、いい……かわいい」と呟いていて、わたしを猫可愛がりし始める。
長い手足に固められて逃げられない。
逃げる必要もないのだが。
頭を撫でられたり、頬を撫でられたり、ギュッと抱き締められる。
肩口に感じる熱い吐息のせいで、とてもじゃないが気分を落ち着けるのは無理そうだった。
「ごめんね、昼間から変な格好で……」
何とか言うとルルが小さく首を振った。
長い髪が肩に触れて少しくすぐったい。
「変じゃないよぉ。すっごくかわいい。今までで一番かわいい。オレの奥さんかわいすぎてつらい」
肩口でルルが「特別手当支給するかぁ……」と呟いている。
……それはメルティさんとヴィエラさんに?
そんなにこの格好が気に入ったのだろうか。
「はしたなくない?」
「どこが? 凄く似合ってて、凄くかわいくて、オレ、今初めて色気とかエロいって意味が分かったかも」
「エロ……ッ?!」
ルルの口からとんでもない言葉が飛び出した。
顔がまた赤くなっただろう。
ルルの手が宥めるように肩を撫でる。
……それ逆効果だから! 肌が触れると余計に気恥ずかしいから! でもその気遣いは嬉しい!!
自分でも混乱してる自覚がある。
心臓が全力疾走したみたいにドキドキする。
リュシエンヌに生まれ変わってからは走る機会なんてなかったので、こんなに胸がドキドキしているのは初めてかもしれない。
「リュシーってば凄くドキドキしてる」
隙間なくぴったりとくっついているから当然、ルルにもこの鼓動は伝わるだろう。
「だって恥ずかしい……」
ルルがふふっと笑った。
「オレもドキドキしてるよぉ」
「本当に?」
「本当に〜。ほら、胸に耳、当ててみて?」
またヒョイと体の向きを横へ変えられる。
ルルがシャツの前を少しだけ寛げた。
そうして頭をそこへ引き寄せられる。
…………あ。
ルルの胸も大きく脈打っている。
ドクン、ドクン、と早めに鳴る鼓動に思わず耳をくっつける。
「ルルも緊張してる?」
「そりゃあねぇ、こういうのは必要以上経験ないし」
「ないの?」
「オレ淡白な方だから」
話している間もドキドキと音が聴こえてくる。
ルルがわたしでこんなにドキドキしてくれている。
その事実が凄く嬉しかった。
「そうだ、ねえ、ルルの話聞きたい。前に約束したよね? お屋敷に移ったら教えてくれるって」
見上げれば、灰色の瞳が優しく細められた。
「いいよぉ。どこから聞きたい〜?」
「全部」
「全部かぁ、長い話になりそうだねぇ」
強欲なわたしの言葉にルルは笑う。
「じゃあ、オレが生まれた娼館についてから説明しようかねぇ」
そしてわたしはルルの鼓動を感じながら、ルルの生い立ちについて聞かせてもらったのだった。
ルルはわたしが質問をしても鬱陶しがることもなく、一つ一つ丁寧に答えてくれて、自分の生い立ちに関して包み隠さず教えてくれた。
でもルルの話し方はまるで他人について話すみたいで、その時にどう感じたとか、どう考えたとか、そういうことはほぼなかった。
あえて話さないというよりかは、多分、本当に何も感じてなかったのだろうなと予想がついた。
昔話をするルルの表情は穏やかなもので、つらい経験についても酷くあっさりとした様子であった。
「ヴィエラさんにルルのこと訊いてもいい?」
全部を聴き終える頃には外は薄暗くなっていた。
「別に構わないけどぉ、アイツに訊くようなことってあったっけぇ?」
「うん、小さい頃のルルの見た目とか、外から見てどんな風に見えたのかなとか。訊きたいことは沢山あるよ」
「そっかぁ」
ルルは少しだけ不思議そうにしていた。
けれども、ふと灰色の瞳が窓の外を見る。
「もう夜になるねぇ」
ルルの言葉にハッと自分の姿を思い出す。
ルルの思い出話に夢中になっていたけれど、今のわたしは白いレースの肌がよく見える夜着だ。
今日は式を挙げた後の初めての夜だ。
婚姻後の初めての夜ではないけれど、式を挙げた後なので、メルティさん達が言うように初夜と表現してもおかしくはない。
「ねえ、リュシー」
思わず硬直したわたしの体をルルが更に抱き寄せ、より密着した、というか、わたしが胸をルルに押し付けるような格好になる。
「オレお腹減ったなぁ」
その声はいつも通りだった。
でも、見下ろしてくる灰色の瞳に熱がこもる。
「ずっとずーっと減ってたんだけどぉ」
ルルの腕がするりとわたしの肩を撫でる。
「オレってばこの数時間すっごく我慢したよねぇ?」
……あ、これ、結構ヤバいやつかも……。
ルルがうっそりと笑った。
「十八まで待ってくれるって話だったよね?」
「うん、でも、我慢出来ない」
ふわっと一瞬の浮遊感の後、ベッドへ落ちる。
目の前には、わたしに覆い被さるルルがいた。
「最後までしないから。……いい?」
掠れた声で問われる。
熱のこもった瞳に射抜かれる。
わたしの答えは決まっていた。
「いいよ、ルル。全部あげる」
荒々しい口付けに、本当に我慢してたんだと考えられたのは、その一瞬だけだった。
* * * * *
翌日の早朝、ルルの腕の中でわたしは目を覚ました。
婚姻してからは一緒のベッドで眠っているので、それに関してはもう慣れたものだ。
でも今日は違う。
眠っているルルの顔を見た瞬間、昨夜の出来事が思い出されてしまい、顔が真っ赤になる。
……ルルも男の人だった……。
いや、ルルが男なのは分かっている。
けれども今まではそんなにガツガツ来なかったし、本人も淡白というから、そういうことはあっさり終わるのだと思っていた。
……そんなこと全然なかった……。
確かに最後まではしなかったけれど、だからと言ってその内容が薄くなるとは限らないらしい。
カーテンの隙間から差し込む光がルルの体に当たっている。
服を着ていないルルのその体には、薄くなっているが、無数の古い傷跡が残っている。
子供の頃の訓練とか、依頼を受け始めた頃とか、まだ暗殺者として駆け出しの時に受けた傷なのだろう。
胸元の傷にそっと触れる。
……生きていてくれてありがとう。
そのまま胸元に顔を寄せ、ルルの心臓の音を聴く。
ドクン、ドクン、と規則正しく脈打っている。
わたしにとって世界で一番大事な音だ。
ギュッとルルの腕に力がこもる。
見上げれば、灰色の視線と目が合った。
「おはよう、ルル」
「おはよぉ、リュシー」
ルルが擦り寄ってくる。
「まだ早いから二度寝しよぉ?」
ゴロゴロと擦り寄ってくる様はまるで大きな猫みたいで、ルルに腕を回す。
「うん、お昼くらいまで寝ちゃおう」
「それでぇ、起きたら朝食兼昼食を摂るんでしょぉ?」
「そう、その後は暖炉の前でダラダラ過ごすの」
「いいねぇ」
ベッドの中で抱き締め合ったまま二人で笑う。
誰も起こしに来ないのは気を遣ってか。
それならルルとの時間を好きに過ごそう。
「でもその前にぃ」
ルルが上半身を起こす。
「もうちょ〜っと運動したいなぁ」
それがどんな運動なのかは、ルルの眩いばかりの笑顔と、怪しい動きで背中を撫でていく手で想像がつく。
……さすが現役の暗殺者。
昨夜あんなに色々あったのにまだ足りないらしい。
まあ、でも、十一年も我慢してくれたのだ。
「優しくしてね?」
昨夜も十分、優しかったけれど。
ルルがニッコリと微笑んだ。
「もちろんだよぉ」
わたし達の怠惰な暮らしの始まりである。