卒業パーティー(2)
学院長の話が終わり、場の空気が緩まる。
後はもう、教師や生徒がのんびりと卒業という別れを惜しむ時間である。
周りを見れば、中には卒業生に花を渡して泣いている子もいるし、何やら顔を赤くしている子もいる。
卒業したからと言って会えなくなるわけではない。
貴族ならば夜会やお茶会でも会える。
それでも、やはり学院で会えなくなるのは寂しいのだろう。
……わたしも会えなくなると思えば寂しい。
でも同時に期待もあるから。
学院を卒業すれば、ルルと式が挙げられる。
やっとルルと二人で暮らすようになるのだ。
楽しみにならないはずがない。
「ア、アリスティード殿下、リュシエンヌ様、ご卒業おめでとうございますっ」
「お二方ともご卒業おめでとうございます」
かけられた声に振り向けばエディタ様とアンリだった。
エディタ様はドレス姿だけど、格好良い雰囲気は変わらず、アンリも変わらず男性にしては可愛らしい。
正反対の二人だが、だからこそ釣り合いが取れて見える。
「ああ、ありがとう。エディタ嬢もおめでとう」
「エディタ様もご卒業おめでとうございます。お二人は学年が違いますから、寂しくはありませんか?」
二人が顔を見合わせ、小さく笑った。
「たった一年しか共に通えないのは残念ですが、お互い、やりたいことをやると約束しましたので」
「やりたいこと?」
「は、はい、僕は魔法を今以上に高めることを、エディタ……嬢は騎士として国に仕えることです」
「まあ、エディタ様は騎士になられるのですか?」
ミランダ様が驚きと羨望の混じった声を上げる。
「ええ、期限付きですが」
アンリはロチエ公爵家の長男なので、結婚されるエディタ様は次期当主の妻となる。
アンリが何れ公爵となれば、夫人になり色々と仕事も多いだろう。
それまでにも公爵家に嫁いで、妻として、覚えることも沢山あるはずだ。
それを考えると騎士を出来るのは数年ほどだ。
「そういうミランダ様も、卒業後は騎士の道を目指すのでしょう?」
「ええ、そうですわ」
「お互い、国のために頑張りましょう」
エディタ様とミランダ様はどちらも騎士になりたいと思っている。
ミランダ様はロイド様と結婚するし、ロイド様は次男で爵位を継がないので、女性騎士として身を立てることも出来るだろう。
もしかしたらお義姉様の近衛になる可能性もある。
「ロイド様は卒業後は、正式にお兄様の側近となられるのですよね?」
ロイド様が苦笑する。
「うん、これまではあくまで『候補』だったけど」
「お兄様とロイド様はよく一緒にいたので、もうわたしの中ではロイド様はお兄様の側近と思っていました」
わたしの言葉にお兄様が頷いた。
「そうだな、私もロイドに関しては候補とはあまり考えていなかったな」
「あはは、そう思ってくれていたなら嬉しいよ。これからも友人として、臣下として、支えていくからね」
「ああ、ありがとう」
お兄様とロイド様が握手をする。
二人がこうやって握手をするのは初めて見た。
……わたしが出会う前から二人は友人同士だったんだよね。
そう思うと十一年の付き合いも長いものだと思う。
最初の頃、わたしはロイド様のことを警戒していて、婚約者になりたくなくて、結構距離を置いていた。
もちろん、ルルがいたのでならないとは分かっていたが、もしもということもある。
でも今はそんな気持ちは微塵もない。
ロイド様にはミランダ様がいる。
二人は相思相愛だ。
だから、もうわたしは原作に縛られることはない。
この卒業パーティーで断罪されることもない。
……変な感じだ。
まだこれからのはずなのに、何だか、全てが終わったかのような気持ちになる。
黒髪の彼女には長く悩まされてきたから。
ようやく、ヒロインの脅威がなくなったのだと実感が出てきているのかもしれない。
「リュシエンヌ様とニコルソン子爵のお式は半月後でしたわね? 会う機会も減ってしまうのでしょう」
お義姉様が残念そうに言う。
「ええ、式の後はすぐにでも新しいお屋敷に移動しようと考えています。ね、ルル?」
横を見上げればルルが深く頷いた。
「ええ、式を挙げたら即座に居を移るつもりです」
ルルの言葉にふとお兄様がルルを見た。
「待て、お前まさか……」
「ちょっとこっちに来い」とお兄様がルルを連れて行き、残されたお義姉様がミランダ様と顔を見合わせた。
「何かしら?」
「何だかアリスティード殿下が焦っておられましたね」
珍しくお兄様がルルの首に腕を回し、何やらヒソヒソと小声で言い合っているのが見える。
だが話し声までは聞こえない。
でも何となく何の話をしているかは分かった。
「多分、式を挙げた後の話だと思います。ルルは下手したら式を挙げて、そのまま新しい屋敷に移りたいと考えていて、お兄様はそれに気付いたんじゃないでしょうか?」
全員が「え?!」と驚きの声を上げた。
「式を挙げた後、そのまま……?!」
「それはさすがにないんじゃない?」
「でも、あのニコルソン子爵ですわよ?」
お義姉様、ロイド様、ミランダ様がヒソヒソと話す。
エディタ様とアンリが小首を傾げた。
「別におかしなことではないのでは? 結婚後、花嫁が相手の屋敷にそのまま向かうことはよくあります」
「えっと、そんなに驚くことでしょうか?」
エディタ様とアンリの言葉に三人が顔を見合わせる。
「言われてみれば……」という顔だ。
「リュシエンヌ様はそれでよろしいのかしら?」
お義姉様の言葉に頷いた。
「ええ、ルルがそうしたいと望むのであれば」
わたしとしては式の後にそのまま移動しても良いと考えている。
ルルがそれを望むなら、叶えてあげたい。
それに、わたしもそれを望んでいるから。
そう言ったらお兄様やお父様は悲しむだろうか。
* * * * *
アリスティードに腕を引っ張られ、ルフェーヴルはリュシエンヌから離れた。
こちらを見る琥珀の瞳に「大丈夫」と手を振ったが、視線はこちらに向けられたままだった。
ガシリとアリスティードの腕が首に回る。
ここが卒業パーティーの会場でなければ、即座にルフェーヴルはアリスティードの腕を払い飛ばしていただろう。
……身体強化まで使ってるしぃ。
逃がさない、という風にアリスティードの腕がルフェーヴルに回されている。
「お前、もしかして式を挙げたらそのまま新しい屋敷に移る気か?」
アリスティードの問いにルフェーヴルは頷いた。
「もちろんです」
実は、ベルナールもアリスティードも、ルフェーヴルが購入した新しい屋敷の場所は知っている。
闇ギルドでは教えてくれず、何とかルフェーヴルから聞き出したのだ。
ただし、教えてもらう際にいくつかの条件を飲まされた。
屋敷に訪れない、人を遣わせない、物を贈ってこない、誰にも言わない、など様々だった。
ルフェーヴルとしてはリュシエンヌの安全を考えて、そしてリュシエンヌを独占したくて、そのような条件を提示したのだろう。
旧王家の血筋のリュシエンヌは狙われやすい。
だから人々に居場所を知られない方が良い。
二人の屋敷は王都より西へ向かった場所にある街の、郊外にある、元は貴族のものだった屋敷であるらしい。
ルフェーヴルは購入してから闇ギルド経由で屋敷の手入れをして、修繕し、リュシエンヌとたまに王都の街へ出ては家具を購入していたそうだ。
一年前、リュシエンヌが学院に入学するのと同時に屋敷に使用人を配し、いつでも住める状態にしているのだとか。
「アリスティード殿下、私がどれだけ待ち続けているかはご存知でしょう?」
ルフェーヴルが真顔になる。
それに何も言い返せなかった。
ルフェーヴルは十一年、リュシエンヌを待った。
その間、ルフェーヴルが他に目を向けることはなく、一途にリュシエンヌだけを想い続けた。
そして婚姻するまで、ルフェーヴルは全くリュシエンヌに手を出していない。
今だって婚姻したというのに、同衾しているものの二人の関係は口付けまでで、それ以上はしていないらしい。
同じ男として素直に凄いと思う。
愛する女性が横にいて、婚姻もして。
それでも相手の体のために抑えている。
その精神力にはアリスティードも驚いている。
「……分かっている」
それでもいつまでも抑えられる訳ではない。
婚姻後、ルフェーヴルの瞳が熱くリュシエンヌを眺めることが増えたとアリスティードも気付いている。
ルフェーヴルはいつだってリュシエンヌのために行動して、リュシエンヌだけを想っている。
リュシエンヌを幸せに出来るのはルフェーヴルだけだ。
だからアリスティードもルフェーヴルになら、と思ったのだ。
「式に支障がない程度までは我慢します」
それはつまり、支障がないと感じたら連れて行くということか。
「せめて、侍女と護衛騎士達は連れて行け」
「分かっております」
リュシエンヌについて行く騎士達は選出済みだ。
彼らの給金は国から出て、ルフェーヴルの元に一旦入り、そこから支給される。
実はリュシエンヌについて行く侍女二人もそうだ。
「いつでも出られるように、騎士達は準備させておいてくださいね」
そう言ったルフェーヴルは真顔のままだった。
それにアリスティードは頷くしかなかった。
* * * * *
その後、クラスメイト達とも別れを惜しみ。
卒業式は終始和やかな雰囲気で過ぎていった。
楽しい時間はいつもあっという間だ。
帰りの馬車の中から車窓を眺める。
……王都とも、あと少しでお別れだ。
「卒業、しちゃいましたね」
まだ卒業という実感が湧かない。
学院の卒業は、卒業生に記念品のブローチを贈ってくれるだけだ。
見下ろせば、手元には鮮やかなエメラルドと金のブローチが納められた小さな箱があった。
これが学院の卒業生の証だ。
宝石を覗き込むと中に学院の紋章が見える。
「寂しいか?」
お兄様の問いに素直に頷く。
「少しだけ」
それに学院生活は懐かしくもあった。
前世の、学生だった頃を少し思い出した。
まあ、前世はもっと平凡でありきたりな人生だったけれど。
賑やかな学院での生活はやはり名残惜しい。
ルルに抱き寄せられる。
「大丈夫だよ」
ルルに寄りかかりながら言う。
「結婚式、楽しみだね」
「そうだねぇ」
ルルの腕にギュッと抱き寄せられる。
ルルを不安にさせたくない。
「新しいお屋敷にも早く行きたいね」
まだ見たことのないお屋敷。
ルルとわたしのあたらしいお家。
「使用人達も待ってるらしいよぉ」
「そうなんだ?」
「うん、執事にした奴から『まだなのか』って手紙が来てるんだよねぇ。そのうち迎えに来ちゃうかもぉ」
おどけて見せるルルに笑いが漏れる。
どうやら新しいお屋敷の執事はちょっとせっかちで、なかなかに気の強い人らしい。
ルル相手にそんなことを言えるなんて凄いと思う。
……どんな人なのかな?
「お前に文句を言えるとは相当気の強い人間だな」
お兄様が言う。
「あー、まあ、確かにねぇ。昔は会う度に喧嘩ふっかけられてたけどぉ。今は大分丸くなったかなぁ」
「へえ、何で丸くなったの?」
「ん〜、毎回オレがボコボコにしたからじゃなぁい?」
……あ、物理的に丸くさせたの?
お兄様の頬が微かに引きつっている。
ルルに一度ボコボコにされているので、恐らく、その場面を想像したのだろう。
「その執事とやらに同情するな」
ルルが小首を傾げる。
「ええ、何でぇ? 喧嘩売ってきたのは向こうだしぃ、オレはただ相手してやっただけだよぉ」
「どうせ手加減しなかったんだろう?」
「する必要あるぅ?」
本当に分かっていない風にルルが首を傾げる。
ルルって基本的にポーカーフェイスというか、自分の内心を読み取らせないから、それが冗談なのか事実なのか分からないのだ。
わたしでも分からないところは結構ある。
「お前は昔は気遣いというものを知らなかったからな、仕方ないとは思うが」
そしてお兄様も結構ハッキリ物を言う。
「酷くなぁい? 確かに昔のオレって今よりちょ〜っと自分勝手だったけどさぁ」
「今だって十分自分勝手だぞ」
即座にお兄様の突っ込みが入る。
けれどルルは話をやめない。
「あの頃だってそれなりに色々考えてたんだよぉ。だから喧嘩ふっかけられても殺さなかったんだしぃ」
「おい、無視するな」
「無視してないよぉ、聞こえてるってぇ」
……昔に比べて二人も仲良くなったなあ。
わたしとルルが婚姻しているので、お兄様とルルは義理の兄弟という関係になった。
ルルの方が年上だけど、お兄様はいつもお兄様という感じで、ルルに対してもあれこれ口を出している。
ルルの方がやんちゃな弟みたいなのだ。
そういうお兄様とルルの関係がちょっとかわいい。
ルルもお兄様のことは何だかんだ言って、それなりに気に入っているみたいだし、お兄様もルルを認めている。
十一年でルルもお兄様も変わった。
二人とも、良い方向に。
「お前はいつも適当に振る舞い過ぎているんだ」
「いつもはちゃぁんとしてるでしょぉ? リュシーの婚約者として紳士的に振る舞ってるしぃ」
「外面の話をしてるんじゃない。いいか、そもそもお前はその間延びした口調からして──……」
「うるさいなぁ、もう〜」
原作ではきっと出会わなかったかもしれない二人が、こうして軽口を叩き合って楽しげにしている姿が、何故かとても嬉しかった。