二人の王女
翌日の放課後。カフェテリア。
わたしは幻惑魔法で変装したルルを連れて、階段を上がり、二階へ向かった。
今のルルはややくすんだ金髪に同色の瞳の、ルルよりも少し背の低い若い騎士の姿をしている。
ちなみに声も上手く変えている。
声だけは魔法でも変えられないため、ルルが自分で声を変化させているのだけれど、ルルだと分からないくらいだ。
ルルが変装しているのを知っているのはお兄様達、わたしと近しい人だけなので、他の学院の生徒もルルのことはただの護衛騎士と思っている。
カフェテリア二階へ上がり、見回す。
すると少し離れた席に座った第三王女がこちらに気付いて手を振った。
わたしはそこへ歩いていく。
「ご機嫌よう、エルミリア様」
挨拶をすれば、同様に返ってくる。
「ご機嫌よう、リュシエンヌ様」
その青い瞳が一瞬わたしの背後を見た。
やはり残念そうな顔を隠しもしなかった。
「どうぞ座って?」
椅子を勧められて、正面の席へ腰掛ける。
給仕がやって来たので紅茶とケーキを注文した。
注文を受けた給仕が下がっていく。
「本日はお声をかけていただきありがとうございます。エルミリア様とお話ししてみたいと思っておりましたので嬉しいです」
「え、私と?」
「はい、友好国の王女同士ですから」
そう言えば目を丸くされた。
……何故そんなに驚くのだろうか。
「あら、でもリュシエンヌ様は養女でしょ? ファイエット王国の現国王陛下のお子ではないと聞いたわ」
第三王女の意図が掴めない。
「そうですね、私は旧王家の血筋で、陛下の実子ではありません」
「では王女と言っても格が違うわ。私はアルトリア王国の国王がお父様だけど、あなたは新生王国の養子の王女だもの」
……ああ、なるほど?
これは現アルトリア国王の実子たる自分の方がわたしよりも高貴だと言いたいのだろう。
確かにわたしは養子の王女だ。
しかもファイエット王国はお父様が初代国王で、他国の王族に比べたらあまりにも歴史が浅い。
しかし何か勘違いしているような気がする。
「そうですね、アルトリア王国は建国して五百年ほどの国で、ファイエット王国は政権が変わり、現国王陛下が初代ですから血筋で言えばファイエット王国よりもアルトリア王国の王族の方が貴いでしょう」
「でしょ?」
「まあ、わたしは旧王家の血筋。ラヴェリエ王国は建国して七百年ほど経っておりましたので、その血筋のわたしとあなたとでは確かに格が違うかもしれませんね」
王族や貴族にとって古い血ほど貴いとされる。
その点で言えば、建国より七百年王権を握って来たヴェリエ王家の血の方が、建国五百年のアルトリア王国の王族よりも血筋は貴い。
そういうことは普段はあまり気にしていないが、そこでマウントを取ろうとするならば、わたしだって黙ってはいない。
ピタリと第三王女が止まる。
「……旧王家の血筋の……?」
「ええ、前国王の子の一人でした。ですが血筋の尊さなんて関係ありません。一国の王女という立場は同じですから」
「……」
血筋でマウントは取れないと気付いたらしい。
自国では王族というだけで輝けただろうけれど、他国でもそうだとは限らない。
というか養子だって聞いた時に、恐らくそれを教えてくれた生徒はわたしが旧王家の血筋だとも伝えていると思うのだが、聞いていなかったのだろうか。
「で、でも旧王家は確か圧政を強いていたとか! 旧王家はいまだに貴族や民からも嫌われていると聞いたわ。リュシエンヌ様もつらい思いをしたでしょ?」
貴族や民から嫌われて苦労したはずだ。
何なら今もそうじゃないのか。
暗にそう言われてニコリと微笑んだ。
「いいえ? つらいことなんてありませんわ」
「え?」
また第三王女が固まった。
「わたしには愛する人がいて、幸いにもお父様やお兄様といった家族にも恵まれ、友人もおりますし、慈善活動でも受け入れていただけています」
第三王女が「そ、そう……」とぎこちなく返し、紅茶に口をつけている。
わたしはニコニコと微笑んでいる。
給仕がやって来て、わたしの分の紅茶とケーキを置き、一礼して去っていった。
「だけど、子爵の方は分からないでしょ?」
第三王女がティーカップを置く。
「こんなこと言って良いのか分からないけど、子爵はリュシエンヌ様のことで色々と不満があるとか……」
一瞬、背後で気配が揺れた。
「不満とは?」
「何でも子爵は常にリュシエンヌ様のお傍にいて、ご自分の時間がない、子爵家が王女を娶るのは荷が重いって! ……あ、ごめんなさい、リュシエンヌ様に話すようなことじゃなかったわ!」
微妙に背後の気配を感じる。
ルルが多分、苛立っている。
わたしは紅茶を一口飲む。
「それはルフェーヴルがそう言っていたのですか?」
全く取り乱した様子のないわたしに、第三王女が一瞬虚を突かれたような顔をした。
「子爵じゃないけど、他の方がそう言ってたわ!」
……まあ、そうだろうね。
第三王女はルルに会う機会がなかった。
正確には会っていたけれど、ルルをルルだと認識出来ていなかったはずだ。
だから第三王女がルルから話を聞けるわけがない。
そもそもルルはわたしの傍を離れていないから。
「そうですか、ではわたしのことをどう思っているか、後ほどルフェーヴルに訊いてみますね」
「えっ、訊く?」
「ええ、夫婦で互いに不満があるなら話し合いで解消するべきですから」
もしかしたら、ルルが不満を言っていたとわたしに告げることで仲違いさせようとしたのかもしれないが、生憎、わたし達にそれは通じない。
そういうのは元よりギクシャクした関係か、互いに信頼関係が築ききれていない相手に行うものだ。
第一、そのルルが後ろで若干ヒンヤリした空気を醸し出しているので、第三王女の言葉が嘘であるのは明白だった。
……わたしとルルを引き離そうとしてるんだろうなあ。
でも本人が思いっきり聞いている。
しかも、わたしは内心で悩むタイプではない。
「ご助言ありがとうございます」
第三王女の手が微かに震えている。
それに顔が赤い。
自分の策が失敗したと理解出来たようだ。
すると今度はわっと顔を両手で覆った。
「リュシエンヌ様、実は私、この国で好きになってしまった方がいるの……!」
可愛らしい外見の第三王女が目に涙を溜めて見上げてくると、きっと男性は庇護欲をそそられるのだろう。
でも、基本的にそれは異性だからだ。
同性からしたら少々わざとらしいと感じるし、場合によってはそういうのを嫌う人もいる。
この第三王女は自分が可愛らしいと分かっている。
その上で、可愛く見えるように振舞っている。
アルトリア王国の国王ともあろうお方がそれを見抜けないはずもないだろうから、そういう、あざといところが可愛いと思われているのかもしれない。
「まあ、そうなんですか?」
わたしはあえて知らないふりをして驚く。
第三王女が顔を上げる。
「リュシエンヌ様、その方と仲良くなりたいの! お願い、協力して!」
……おお、今度はそう来たか。
ここでわたしが「はい」と言えば、言質を取ったからとルルに堂々と近寄れるし、わたしはそれを止めることが出来なくなる。
逆に「いいえ」と言えば、友好国の王女相手に冷たくあしらったと騒ぎ立てる可能性もある。
誰を好きか言わずにいるところがずる賢い。
だから、わたしは出来る限り優しい笑みを浮かべて頷いた。
「婚約者や奥様のおられない方でしたら、喜んでご協力させていただきます」
婚約者がいたり妻帯者なら協力はしない。
そう言えば青い瞳が見開かれる。
「きょ、協力してくれないの……?」
「さすがに婚約者や奥様のいる方との仲は取り持てません。わたしも夫のいる身ですし、常識的に考えて略奪のお手伝いは出来ません」
はらはらと第三王女の瞳から涙がこぼれる。
そして第三王女は俯いた。
わたしの返事が予想外だったようだ。
でもこれってかなり普通のことだと思う。
好きだったら何をしても許される、なんて言葉は一方的なものであって、された方はいい迷惑である。
貴族の間でも略奪愛が全くないわけではない。
しかし、非常識だとされている。
政略結婚ならば家同士の契約を壊したことになるし、恋愛結婚ならば、奪った方も顰蹙を買う。
わたしは素知らぬ顔でハンカチを取り出した。
「もしや、お相手のいる方に想いを寄せてしまったのですか? そうだとしたら、おやめになった方がよろしいですよ」
第三王女はハンカチを受け取らなかった。
そうして気分が悪くなってしまったから、と謝罪の言葉もなく席を立ってしまった。
代わりに、第三王女についていた女性騎士が深々と頭を下げてから主人の後を追う。
……あの騎士も大変だろうな。
そう思って見送っていると、護衛騎士に扮したルルが背後から近付いて来た。
「私はリュシエンヌ様に不満はありません」
囁くような言葉に苦笑する。
「大丈夫、分かってるよ」
ルルの性格上、不満があれば口にする。
自分の時間が欲しければ離れる。
お兄様や騎士と手合わせする時や体を鍛えたいという時は、傍を離れることもある。
わたしの世話を焼くのを面倒と感じればやめるはずだ。
ルルは自分に正直な人間だから。
* * * * *
……なんで上手くいかないの?!
エルミリアはカフェテリアを出ると図書室へ向かった。
双子の兄・エルヴィスがそこにいるからだ。
図書室へ行けば、目的の人物はすぐに見つかった。
「ヴィー!」
エルミリアは図書室というのも気にせず、大きな声で双子の兄を呼び、抱き着いた。
泣きながら抱き着かれたエルヴィスは妹を受け止めた。
「どうしたんだ、ミリー? 王女殿下とお茶をしていたはずだろう?」
エルミリアが泣いていることで、図書室にいた生徒の視線が集まった。
留学してきた王女が泣いている。
しかも自国の王女とお茶をしていたらしい。
居合わせた者達はすぐに視線を逸らしたものの、耳だけはきちんと留学してきた王子と王女に向けられていた。
「リュシエンヌ様がっ、わ、わたしの恋を手伝ってくれないって……! 協力しないって……!」
悲しげに泣くエルミリアは庇護欲を誘う。
数人の男子生徒は「それくらい手伝っても良いのでは……」と内心で思った。
エルミリアは双子の兄が怒ってくれると思った。
自分の味方をしてくれるはずだと思った。
しかしエルヴィスの口から出たのは溜め息だった。
「当然だな」
呆れた声音にエルミリアは驚いて顔を上げた。
自分によく似た青い瞳に見下ろされる。
「ミリー、お前が好きなのはニコルソン子爵だろう? 王女殿下が自分の夫と他国の王女との仲を取り持つわけがない」
エルミリアは言葉が出なかった。
何故、相手が子爵だと知っているのか。
「生まれた時から一緒にいるんだ、ミリーが誰を好きになったかくらい分かる。というか分かりやす過ぎて、王女殿下もミリーの気持ちに気付いてる。わざわざ王女殿下は他国の王女に恥をかかせないように黙っていてくれたのに……」
それを聞いてエルミリアは呆然とした。
……ファイエットの王女は知っていた?
聞き耳を立てていた生徒達がヒソヒソと話す。
自分の夫に懸想されて協力出来るはずもない。
そもそも、夫に想いを寄せて、それを妻に協力させようなどという考えがあまりにも非常識に過ぎる。
エルヴィスがエルミリアから手を離した。
「ミリー、君はアルトリアに帰れ」
グサリとその言葉がエルミリアの胸に刺さる。
双子の兄だけは絶対に自分の味方だと思っていた。
いつだって一緒にいて、エルミリアの話を聞いて、傍にいてくれる片割れ。
母や姉、兄達からいつも庇ってくれた。
それなのに……。
「いや……」
どうしてエルミリアの味方をしてくれないのか。
「問題を起こしたら帰国すると父上と約束しただろう」
「っ、問題なんて起こしてない!」
父王との約束を思い出して慌てて言い返す。
エルヴィスが怒鳴った。
「他国の王女から夫を奪おうとしたことが問題なんだ!!」
初めて他人から怒鳴られたエルミリアは「ひっ」と声にならない悲鳴を上げた。
王女として生きていて、叱られたり注意されたりすることはあっても、王女を怒鳴る人間などいなかった。
そして普段は物静かでエルミリアを受け入れてくれる双子の兄に怒鳴られたことに、エルミリアは驚いた。
「いい加減にしろ! ここはアルトリアじゃない。ファイエット王国なんだ! 君の我が儘を許してくれる人間はいない! しかも友好国の王女の夫に懸想して奪おうとするなんて人として恥ずかしくないのか?!」
エルヴィスが肩で息をしている。
双子の兄がこれほど怒ったのは初めてだった。
その剣幕に止まりかけていた涙がまたあふれてくるが、エルヴィスはそれに眉を顰めた。
慰めてはくれなかった。
それどころかエルヴィスは泣いているエルミリアを放置して振り返った。
「アリスティード様、どうかエルミリアの件、アルトリア王国に抗議なさってください」
そこでようやく、エルミリアはこの国の王太子の存在に気が付いた。
「分かった。このことは陛下にご報告し、貴国に正式に抗議させてもらおう」
自分達に似た、美しい青い瞳に冷たく射抜かれる。
「エルミリア王女、あなたは留学生に相応しくない。即刻、国へ帰られよ」
「そ、そんな……っ」
ふらりとよろめいて床へ座り込んでも、支えてくれるのは護衛の騎士だけだった。
ファイエット王国の王太子も、双子の兄のエルヴィスですら、心配して駆け寄ってはくれない。
ただエルヴィスだけは自分とそっくりの青い瞳に悲しげな光を宿して、エルミリアのことを見ていた。
事の次第を見ていた生徒達は遠巻きにするばかり。
誰も味方がいない。
突き刺さる視線が恐ろしい。
ヒソヒソと囁く声はきっとエルミリアの話をしているのだろう。
……いや、やめてっ……!
足元から恐怖が這い上がってくる。
聞こえてくる囁き声はエルミリアを嘲笑っているようで、思わず耳を塞いだ。
こんなことになるなんて思っていなかった。
ただ、エルミリアは『運命の人』が欲しかっただけなのに。
エルヴィスがこの国の王太子へ頭を下げる。
「我が国の王女が無礼を働き、申し訳ありません」
その姿に衝撃を受ける。
エルヴィスはアルトリア王国の王子だ。
そう簡単に他者に頭を下げる身分ではない。
それなのに頭を下げている。
エルヴィスは顔を上げると、騎士によって立たされたエルミリアに近付き、その頭に触れた。
そしてエルミリアも強制的に頭を下げさせられた。
挨拶以外で頭を下げたことのなかったエルミリアは、すぐにそれを理解出来なかった。
「本当に、申し訳ありませんでした」
頭を上げようとしてもがっちり掴まれている。
そしてやっと頭から手が離れると、エルミリアは慌てて顔を上げてエルヴィスから距離を取った。
けれどもエルヴィスはそんなエルミリアを一瞥しただけで、エルミリアの騎士へ声をかける。
「……ベイルソン、ミリーを部屋に。それから侍女達に帰国の支度をさせるんだ。準備が出来次第、ミリーを連れて国へ戻るように」
「はっ」
騎士がエルミリアの肩を掴むと有無を言わせず連れて行く。
「ヴィー! 待ってよ、ヴィー!!」
エルミリアがいくら呼んでも、双子の兄はもう振り返ってはくれなかった。
* * * * *