二人の留学生(2)
二階は高位貴族だけなので一階よりも空いている。
階段を上がって二階へ行き、奥まった席に着く。
すぐに給仕がやって来た。
それぞれに昼食を注文する。
「その、第三王女は体が弱いのか?」
給仕が離れるとお兄様が問う。
「いや、至って健康だ」
第二王子が小さく息を吐いた。
「エルミリアは今回の留学を自分の婚約者探しと思ってついて来ているんだ」
「聞いた話では、第三王女は甘やかされて育ったそうだな。我が儘放題故に自国内ですら婚約者が出来ないとか」
「……」
第二王子は黙った。沈黙は肯定だった。
お兄様が「事実なのか……」と呟く。
……まあ、そうだよね。
直系の王女、その高貴な血筋と王家との縁という武器をもってしても引き込みたくない。
つまりそれだけ我が儘が酷くて扱い難いのが第三王女なのだろう。
そこまで問題のある王女となれば、どの貴族からも厄介者として避けられていそうだ。
「多分、ニコルソン子爵を見てエルミリアは『運命の相手を見つけた』と思ったのだろう。子爵は非常に整った外見だ。エルミリアは一目惚れしてしまったのかもしれない。……国を出る時にもずっと『運命の相手』と出会うのだと言い続けていたので」
お兄様とわたしは思わずちょっと引いた。
……運命の相手って……。
十八歳の、それも王族が夢を見過ぎだろう。
恋愛結婚のわたしが言えた義理ではないが、王族というのは最も政略結婚が多い立場のはずだ。
「さっきの気絶は気にしないでくれ。エルミリアは自分の思い通りにならないとすぐに泣いたり気絶したりするんだ。気絶と言ってもあれは演技で、今頃元気に起き上がっているだろう」
それはまた、とんでもない王女様だ。
お兄様が眉を寄せる。
「他国へ出ることをよく王が許したな?」
「父上はエルミリアを甘やかすことしかしない人だから。母上も、姉上や兄上達も我が儘なエルミリアを何とか矯正させようとしているんだけど、父上にすぐ泣きつくから上手くいかないんだ」
母親が教育時間を増やそうとすれば「自分ばかり勉強させられる」と父王に泣きつき。
姉や兄達から言動を咎められれば「姉や兄達につらく当たられる」と告げ口をする。
だから第三王女は父王と双子の兄である第二王子以外の家族とは不仲らしい。
第二王子が言う。
「だからこそ、この国でエルミリアが問題を起こしたら容赦なくアルトリアに抗議文を送って欲しい」
青色の瞳が悲しげに揺れた。
「さすがに他国から正式な抗議文が送られてくれば、父上も目を覚ましてくださるだろう。……この国には、特に王女殿下には迷惑をかけてしまうことになるだろう」
第二王子が頭を下げる。
それをお兄様が手で制した。
「それは誰が考えた?」
「母上だ。恐らく、僕達が到着する前に母上からファイエット国王陛下に手紙が届いていると思う」
「……そういうことか」
少しだけお兄様が不愉快そうな顔をする。
要は、アルトリア王国がファイエット王国を利用しようとしているのだ。面白いはずがない。
「話は分かった。だが、あくまで我が国は第三王女が問題を起こした場合に抗議文を送るというだけだ。それ以上の協力は出来ない」
そもそも協力する理由がない。
甘やかしたせいで我が儘な王女が出来上がってしまったとしても、それはアルトリア王家の責任だ。
ファイエット王国からしたらいい迷惑である。
第二王子も理解しているのか肩を落としている。
「ああ、それで十分だ。本当に申し訳ない。我が妹ながら恥ずかしい限りだ……」
そう言った第二王子は疲れているように見えた。
もしかしたら我が儘な妹王女にこれまで散々振り回されてきたのかもしれない。
それでも双子の妹を見捨てられないのだろう。
淡々としているが、実は情の厚い人のようだ。
* * * * *
学院の保健室でエルミリアは目を覚ました。
そもそも、気絶したふりなので、女性騎士に受け止められた時も、運ばれた時も意識はあった。
ベッドの上に寝かされてすぐ、エルミリアは目を開けると、不満そうに女性騎士を見た。
「もう、何であなたが運ぶの!?」
不満げに頬を膨らませるエルミリアに対して、何年も仕えている女性騎士は慣れていた。
「何故も何も、王女殿下の御身に男性が触れることは許されません」
「堅いわね、私はニコルソン子爵に運んで欲しかったのに!」
「あの方はこの国の王女殿下のご夫君です。そうでなくともエルミリア様を運ぶどころか、触れることすらないでしょう」
「……どうして?」
心底不思議そうな顔をする王女に女性騎士は説明した。
「王女殿下とご夫君は相思相愛で仲睦まじく、王女殿下は貞淑さを守り、ご夫君のニコルソン子爵は王女殿下以外の女性には見向きもしないとのことです。エルミリア様がお倒れになられた時も全く反応されませんでした」
女性騎士の言葉にエルミリアの目に涙が溜まる。
「そんな、せっかく『運命の人』に出会えたと思ったのに……」
しくしくと泣くが、女性騎士は動揺しない。
エルミリアが自分の思い通りにいかないと泣いたり気絶したりするのは、いつものことだからだ。
「そうだわ、お父様に何とかしてもらえば……」
「エルミリア様!」
「っ!」
女性騎士に鋭く名を呼ばれてエルミリアがビクリと肩を跳ねさせた。
それまで平然としていた女性騎士の顔に、僅かに怒りが滲んでいる。
「そのようなことをすれば国家間の問題になります。今ファイエット王国と敵対すれば、我が国の交易が落ち、国に大きな損害をもたらすでしょう。ファイエット王国を経由して輸入される物がどれほどあるかご存知ないのですか? しかも、そのようなことをすれば『相思相愛で結婚しておられるこの国の王女殿下から夫を奪おうとした悪女』として近隣諸国から後ろ指差されるのはあなたなのですよ」
怒りを感じてエルミリアの目にまた涙が溜まる。
「だって……」
「だってではありません。それにこの二週間、問題を起こさないという約束で無理やり留学生になったではありませんか。陛下との約束を破られるおつもりですか?」
「っ、そんなことしないわ! お父様との約束はちゃんと守るわよ!」
エルミリアは留学生になりたいと言った。
その時、国王である父親と約束をした。
一つ、他国では問題を起こさないこと。
一つ、他国では我が儘を言わないこと。
一つ、礼儀作法を忘れないこと。
一つ、エルヴィスの言うことはきちんと聞くこと。
エルミリアは少しばかり心外だった。
自分はそこまで我が儘ではないし、問題だって起こしたことはないのに、注意された。
自分はきちんと王女らしい振る舞いを出来る。
……でも……。
思い出すと顔が熱くなる。
ルフェーヴル=ニコルソン子爵。
美しい顔立ちに長身でスラリと手足が長く、温和そうな表情で、静かに控えている姿は非常に紳士的だった。
あれほど美しい人をエルミリアは見たことがない。
思い出すだけで胸が苦しくなる。
恋愛小説をいくつも読んでいたから分かる。
エルミリアは恋に落ちてしまった。
運命の人を、見つけてしまったのだ。
* * * * *
とにかくルルと第三王女を会わせない。
そういうことで、放課後、わたしは第二王子と共に下級クラスへ出向いていた。
お兄様は生徒会の仕事があるため、放課後に学院の案内をわたしが行うことになったのだ。
下級クラスの出入り口に立つ。
まずは第二王子が声をかけた。
「ミリー」
第三王女が顔を上げる。
「ヴィー、ちょっと待って」
第三王女が慣れない手つきで教科書などの荷物を鞄の中へ入れている。
これまで侍女達に何でもやってもらっていたのだろう。
持ち上げた鞄を重たそうに持ちながら歩いてきた。
「ねえ、ヴィー、この鞄重すぎるわ」
甘えるような声に第二王子は返す。
「教科書や筆記用具が入ってるからな」
「もうっ、そうじゃなくて! 重いから持ってって言ってるの! こんな重たい物持ってたら指がちぎれちゃうわ!」
「それくらいで指はちぎれたりしない」
淡々と返す第二王子に第三王女がワアワア言っている。
このままでは気付いてもらえなさそうだ。
「ご機嫌よう、エルミリア様」
話が途切れたタイミングでやや強引に声をかけると、ようやくわたしの存在に第三王女が気が付いた。
「あら、えっと、リュシエンヌ様……?」
どうやらわたしの名前もあやふやらしい。
留学に行く先の国の王族の名前くらい覚えておくべきだと思うのだが。
横の第二王子が頭が痛そうにこめかみに手を当てている。
第三王女の瞳がわたしの後ろを見た。
そしてあからさまにガッカリした顔をする。
「……何かご用ですか?」
ルルの姿がなかったことが不満らしい。
それにわたしは気付かないふりをする。
「ええ、両殿下はこちらの学院へいらっしゃたのは今日が初めてでしょう? よろしければ校内を案内しようと思いまして」
第三王女はつまらなさそうに自分の髪を弄る。
「いいえ、私は結構ですわ」
「でも授業には別の教室への移動もあるだろう? 案内してもらわないと迷子になるぞ」
「その時は騎士に案内させればいいのよ」
第二王子の言葉に第三王女が言う。
王族の護衛騎士は主人を守護するのが役目であって、道案内をさせるための雑用係ではない。
傍についている女性騎士の表情が全く動かないのが怖い。
恐らく、今までもそういうことがあったのだろう。
この王女についているなら、相当忍耐強い性格の騎士だと思う。
「私は先に帰るわ。ご機嫌よう」
とだけ言って、第三王女は鞄を重そうに両手で持ちながら歩いていく。
すぐに数名の生徒に話しかけられて、そのうちの一人の男子生徒が第三王女の鞄を持ってやっていた。
貴族は大抵、見目が良い。
整った顔立ちの生徒達に囲まれて第三王女が楽しそうに笑いながら廊下の向こうへ消えていく。
下級クラスの者は将来が難しい。
女子生徒は殆どが結婚するか、どこかの高位貴族か王城で働くか、家庭教師になるくらいしか道はない。
その家庭教師と言っても爵位が低ければ、やはり爵位の低い家にしか仕えられない。
高位貴族の子息令嬢に教えられるほどの勉学の才がないからだ。
卒業後すぐに結婚出来ればまだ良いが、結婚相手もいなければ、ずっと家に残るわけにもいかず、どこか自家よりも高位の貴族の家か王城でメイドとして働き、見初められるか努力して侍女となる他に道はない。
そういうご令嬢は今回の王女の留学で縁を持ち、それを結婚の武器にしたいのだろう。
アルトリア王国とファイエット王国は友好国だ。
その王族と縁を持つというのは悪くない選択だ。
ただし、それがまともな王族であればの話だ。
そして男子生徒達の中には夫人の小鳥になりたい者もいるだろう。
王女ならばそれなりの家格の者と結婚するであろうし、愛のない政略結婚では、嫡男と次男を産めば後はお互い自由に恋愛をするという場合もある。
そういう時に夫人が家庭の外で作る恋人のことをツバメと呼ぶ。
……要はヒモ男なんだよね。
しかし愛し、愛され、奉仕し続ければ衣食住には困らないため、未亡人や高位貴族のツバメになる男性も実はいる。
未婚のご令嬢が男性を侍らせるのは問題だが、結婚後の女性、それも既に役目を果たした女性には案外そういうことは寛容だったりする。
もちろん、人目を憚らずに行えば非難されるが。
ツバメを連れ回しても許されるのは今のところ未亡人くらいだが、貴族が妻や夫とは別に恋人を作ること自体はそう珍しいことではない。
……何だかなあ。
ルルに一目惚れしてしまうのは仕方ない。
成長して大人になったルルは格好良さが増して、中性的な美しさの中に男性的な色香も混じっている。
たまに同性の生徒ですら見惚れていることがあるくらいだ。
初めて見た第三王女がルルに心奪われてしまっても、それはルル自身が望んだことではないし、誰が悪いわけでもない。
ルルに一目惚れしたかもしれないわりには、他の男性にちやほやされて喜んでいる辺り、見目が良ければ誰でも良いのではと勘繰ってしまう。
それをわたしと第二王子、そしてわたしの護衛騎士の三人で見送った。
人気のなくなった廊下で囁くような詠唱が聞こえる。
そしてわたしの背後にいた騎士の姿が変わった。
「気付いておられませんでしたね」
幻惑魔法で姿を変えていたのはルルだった。
ルルも第三王女のことを面倒に思っているのか、鬱陶しく思っているのか、率先して魔法で姿を変えることを提案してきた。
この二週間、ルルは学院では姿を変えて過ごすつもりらしい。
……ルルの姿を学院で見られなくなるのは残念だけどね。
第三王女がルルに付き纏う可能性を考えたら、魔法で変装していてくれた方が良い。
「申し訳ない……」
また第二王子が謝った。
あの場では、第三王女はわたしの提案を受け入れて学院を案内してもらうのは正しい選択だった。
友好国の王族同士の親しげな姿を見せる。
そうすることで互いの国の関係が良好だと暗に示せることが出来るのだ。
わたしは首を振り、苦笑した。
「お気になさらないでください」
ルルがいたら絶対について来ただろう。
そしてルルがいなければ来ないだろう。
最初からそれは分かっていた。
「さあ、学院をご案内させていただきます」
王族同士は何も王女同士である必要はない。
第二王子とわたしでも問題はないのだ。
……そういえばお兄様も申し訳なさそうにしていた。
どうしても生徒会長であるお兄様でなければ処理出来ない書類があり、期限間近ということで、お兄様も第二王子に自分が学院を案内出来ないことを謝罪していた。
本当はお兄様の役目だったから。
……よし、お兄様の代わりに頑張ろう。
「それでは、まず第二校舎を回りながら学院の制度についてご説明いたしますね」
わたしはわたしの責任を果たすだけだ。
* * * * *