14日目(2)
「騙された……?」
王がルフェーヴルへ顔を向ける。
「そうだよぉ。そこの王妃はねぇ、王様にはリュシエンヌが死んだって伝えてこっそり隠してたんだぁ。それでぇ、第二王子を殺した後、王様に何かあったらリュシエンヌを女王に据えて操るつもりだったんだよぉ」
ベルナールも王がリュシエンヌを死んでいると思っていたことは知らなかった。
知っていて放置していたわけではないのか。
「まあ、王様はリュシエンヌに興味なかったもんねぇ? 死んだって言われてもどうせ気にしなかったんでしょ〜? もし少しでも気にしてたらリュシエンヌが生きてるってすぐに分かったはずだもんねぇ?」
それは確かにそうだ。
後宮で働く使用人達はリュシエンヌの存在を知っていた。
少しでも調べれば、簡単にリュシエンヌ=ラ・ヴェリエが生きていることは分かっただろう。
「しかもぉ、そこの王妃は宰相と通じてたんだよぉ。王様は知らないかもしれないけど、王様ってば、何度も宰相に毒を盛られてたんだよねぇ」
「違う!」
宰相がルフェーヴルの言葉に割って入る。
「主君たる王にそのようなことをするはずがない! そもそもする理由がないだろう?!」
ルフェーヴルが小首を傾げた。
「ええ〜? 宰相サマの立場だったらむしろ理由ありありじゃな〜い?」
「何を根拠にそのようなことを言っている!」
怒りに顔を赤くする宰相をルフェーヴルは見た。
「アンタの部下がさぁ、こころよ〜く証拠を渡してくれたよぉ?」
チラとルフェーヴルが視線を向けた先、そこには宰相の右腕として働いていた男がいた。
青い顔で、微かに震えているが、それでもそこに立ってジッと宰相を見据えている。
その男を見て宰相の顔から血の気が引く。
ルフェーヴルがその男から受け取った証拠はベルナールの手中にある。
どれもこれも、宰相が犯した罪を証明するには十分過ぎるほどのものだった。
ちなみに宰相を裏切ったその男は自身の罪を償うと申し出てきた。
ただ家族に罪はないと助命を乞われた。
その願いと覚悟をベルナールは受け取った。
「そうだな。脱税、横領、その他諸々の罪の証拠は揃っている。国王に毒を盛ったこともな」
ベルナールの言葉に国王がギロリと宰相を睨む。
宰相はそれにギクリと肩を揺らし、縛られた状態でずりずりと国王から距離を取る。
国王も体を動かして宰相ににじり寄ろうとしたが、監視している兵士に掴まれて押し留められた。
「そんなことよりさぁ、オレ、ファイエット侯爵にオネガイがあるんだよねぇ」
そんな緊張した場でルフェーヴルだけがのんびりと喋る。
「……何だ」
ルフェーヴルのお願いというのはあまり良い予感がしない。
が、ルフェーヴルが何やら魔法の詠唱をすると、その腕の中にいるリュシエンヌを薄い膜で包んだ。
「まずはぁ、王族を処刑するまでの扱いにオレも噛ませてくんな〜い? リュシエンヌがされたことをやり返してあげないとオレの気が済まないんだよねぇ」
ルフェーヴルの腕の中でリュシエンヌが不思議そうな顔で首を傾げている。
……なるほど、音を遮断したのか。
「その子がされたことをすると?」
「そうだよぉ。それなら拷問じゃないしぃ、自身の行いが返ってくるわけだから別にいいでしょ?」
ベルナールは王族を横目に見る。
あまりにうるさいので手を翳し、王族の周囲に防音結界を張って音を遮断する。
その様子を見る限り、リュシエンヌに対して色々とやったのだろう。
容赦のないルフェーヴルに任せれば、必ず王族はボロボロにされる。
その姿を見た民も少しは溜飲を下げるかもしれない。
「良いだろう。後ほど、話を通しておく」
「ど〜も。それともう一つ。こっちの方が大事な話ぃ」
「一応聞こう」
このルフェーヴルが大事というのが気になった。
それまでヘラヘラしていたルフェーヴルの表情が鋭くなる。
「オレをリュシエンヌの侍従として雇って」
その願いは想定外だった。
だが、考えてみると悪い話ではない。
リュシエンヌ=ラ・ヴェリエは、王族が処刑されてしまえば、ただ一人の王族の生き残りとなる。
その血を悪用するために、もしくは王族に恨みのある者がそれを晴らすために、生き残りのリュシエンヌを誘拐したり害したりする可能性は高い。
腕利きの暗殺者ということは、それは逆に言えば、守ることにも優れているとも考えられる。
護衛にもなる良い人選かもしれない。
それにリュシエンヌはやがてはルフェーヴルの下に行くこととなる。
……どうせ断っても、ルフェーヴルは勝手にリュシエンヌに会いに来るだろう。
それならば腕利きの暗殺者をこちらに引き込んでおくことで、リュシエンヌの守りを固めるべきかもしれない。
この様子ならばルフェーヴルはリュシエンヌを裏切ることはなさそうだ。
「分かった、今よりお前をその子の侍従とする」
「ありがとぉ」
数年の付き合いがあるが、ルフェーヴルに礼を言われるのは初めてである。
パチンと膜が弾けてリュシエンヌがルフェーヴルを見上げた。
「なんのはなし?」
囁くようなものだが、高く澄んだ愛らしい声は非常によく通る。
「これからもオレはリュシエンヌと一緒にいられるように、話をしたんだよぉ」
「ほんと?」
「本当〜。あの人が、これからはリュシエンヌの父親になるんだよぉ。で、オレはあの人に雇われるの」
リュシエンヌがベルナールを見た。
小さな口が開く。
「おとうさま?」
美しい琥珀の瞳が髪の隙間からジッと見つめてくる。
ベルナールはルフェーヴルに抱き上げられたリュシエンヌにゆっくりと歩み寄る。
「初めまして、私はベルナール=ファイエットという。これからは君の義理の父親になる。君をファイエット家に養女として受け入れよう」
こういう時に気の利いた言葉の一つもかけられない自身にベルナールは内心で苦く思った。
だがリュシエンヌの空気が柔らかくなる。
「はじめまして、リュシエンヌ=ラ・ヴェリエです。よろしくおねがいします」
小さな頭がぺこりと下げられる。
「ルフェーヴル……、君を抱えているそこの男を君の従者として雇うがそれでも構わないか?」
髪の隙間から覗く琥珀の瞳が瞬いた。
「ルルといっしょ?」
「そうだよぉ、外に出てもずぅ〜っと一緒ぉ」
「うれしい」
ルフェーヴルが頭を寄せると、リュシエンヌがにこりと笑って同じように頭を寄せた。
……思った以上に懐いているようだ。
これでは二人を離すことは難しいだろう。
ルフェーヴルの提案通りにするしかなさそうだ。
「リュシエンヌを私の屋敷へ」
「りょ〜か〜い」
これ以上小さな子供をここに置いておくわけにはいかない。
それに傷だらけの小さなこの子供にはしっかりとした食事や安全に眠れる場所が必要だろう。
ベルナールの言葉にルフェーブルが頷き、リュシエンヌに「新しいお家に行こっか〜」と声をかける。
そうして先ほど壊した窓から外へ出て行った。
……さて、これで子供の目を気にしなくて良い。
「処罰が決まるまで、そこの者達を全員地下牢へ繋いでおけ!」
これから更に忙しくなる。
ベルナールは冷たい目で、引っ立てられていく王族や宰相を見送った。
* * * * *
クーデターは無事に成功したらしい。
ルルに運ばれながら、わたしは先ほど見た王族のことを思い出した。
国王は小太りで、ほぼ下着姿で縛られていて、その後ろにいた薄着の女性達を見れば今まで何をしていたのかすぐに理解出来た。
……あんなのでも父親なんだよね……。
いや、さっき言われた通りファイエット侯爵がこれからはリュシエンヌの義理の父親になるのだろう。
それでもやっぱり実の父親というのは別で。
リュシエンヌの悲しい気持ちがじんわりと胸に広がった。
実の父親は驚いていたが、リュシエンヌのことをきちんと見ることはなかった。
それが悲しいとリュシエンヌの心が泣く。
きっとリュシエンヌは少しばかり期待していたのだ。
もしかしたら父親は自分を見てくれるかもしれない、存在に気付いて手を伸ばしてくれるかもしれない、と。
でも結局それは幻想だった。
わたしはそれを知っていたけれど、リュシエンヌの部分が悲しいと、辛いと叫んでいる。
気付くとわたしの頬を涙が伝っていた。
「リュシー」
ヒクッとしゃっくりが出る。
「リュシー、大丈夫、オレがいるよ」
街の屋根の上を駆けながら、ルルがわたしの背を撫でる。
「オレは絶対リュシーを捨てないよ」
どうしてルルがいつも欲しい言葉をくれるんだろう。
悲しかった気持ちの中に、嬉しい気持ちが混じり合い、言葉にならない感情が生まれる。
「リュシー、って、わたし?」
「そうだよ、リュシエンヌだからリュシー。オレだけが呼べる愛称。いいでしょ?」
……リュシーって可愛い響き。
それにルルだけが呼んでくれる特別な名前。
ルルの首にしがみつきながら頷く。
「……うん。うん、ルルだけのなまえ」
何も持っていないわたしだけど、ルルが望んでくれるなら、ずっと一緒にいたい。
「そう、オレだけがリュシーって呼ぶの。オレをルルって呼ぶのもリュシーだけ。」
わたしだけの愛称。わたしだけの呼び名。
ギュッと抱き着きながら思う。
本当にわたしはルルが好きで、重症だ。
ルルの顔が近付いて、頬に触れるだけのキスをする。
それだけで悲しかった気持ちは薄らいだ。
「ルル、だいすき」
「オレもリュシーが大好きだよぉ」
ルルがいればわたしはきっと大丈夫。
* * * * *
その後、クーデターにより国王が替わったことが国民に広く知れ渡ることとなる。
新しい国王は元ファイエット侯爵であった。
彼は国王の圧政の中でも私財を投げうち、領民達を助けていたが、ついに王の所業に耐えかねてクーデターを起こした。
暴君と化し、色に溺れ、国庫を貪っていた国王も、貧困に喘ぐ民を見ようともせずに贅沢の限りを尽くしてきた王妃や側妃、その子供達もクーデターにより捕縛された。
そしてその際に一人の幼い王女が発見された。
王女の名はリュシエンヌ。
クーデターに参加した貴族の中には王女の処刑を望んだ者もいたが、生まれてから五年もの間、王妃やその子供達に虐待され続けた憐れさから助命された。
そうして新しい国王の下、つまりファイエット侯爵家の養女として迎え入れられる。
他の王族達は捕縛後、それぞれ檻に入れられると、城下の広場に七日ほど置かれた。
その間、王族達は民の怒りを身を以て知っただろう。
側に治癒魔法に長けた魔法師がいたのも頷ける。
そうした後、王と王妃、側妃は公開処刑された。
民の怒りを受けた王や側妃は最後には慈悲を乞うていたが、これまで虐げられ続けた民衆はそれを許さなかった。
王妃だけは抵抗し続けたという。
王子や王女達は非公開の処刑であった。
王族はリュシエンヌ王女以外、全員刑に処された。
せめてもの慈悲として、王族の亡骸は王家の墓へ納められたという。
一時、虐げられ続けた王女は民衆の間で「憐れな王女」として噂になったが、それもそう長くは広まらなかった。
第一、王女でありながら、リュシエンヌという王女は殆ど表舞台に出ることも、政に参加することもなかったからだ。
公務としての夜会や茶会には出ていた記録があるが、それ以外の私的なものは一切残っていない。
リュシエンヌ王女の軌跡を辿れるのはクーデター時に発見されてから、王女が学院を卒業する十六歳までのたった十一年だけだ。
その間、王女は側に一人の従者を連れていた。
しかしその従者の身元はいまだ不明である。
聞くところによると従者でありながら、その者は王女の婚約者でもあったらしい。
王女は学院を一年ほどで卒業した。
平民や豪商の子供などが箔をつけるために学院へ入学し、短期間だけ通うということもなくはないが、王女がたった一年しか学院に通わないのは異例である。
実際、王女が一年で学院を卒業した記録は残されていた。
けれどもその後、王女がどこでどのように暮らしたのか知る者はいない。
王女の義理の父親と兄である国王も王太子も、王女の行方については一切言及しなかったそうだ。
一説にはファイエット家の領地で余生を過ごしただとか、王宮でひっそりと暮らしただとか、実は他国に嫁いでいるのではといった逸話まであった。
ただ、当時王城に仕えていた者達が口を揃えて「王と王太子の下には時折、送り主の分からない手紙がいつの間にか届いていた」という。
そして王太子は特にその手紙を待ち遠しく思っていたらしい。
しかし王と王太子の死後、その届いていたはずの手紙は見つからなかった。
読んだ後に燃やしたのか。
どこか秘密の場所に隠されたままなのか。
王も王太子も王女の行方を墓の中まで持って逝ってしまったのでもう誰も知る術はない。
これより先は、歴史の海に消えてしまった一人の王女の、十一年の軌跡を辿った物語である。
『新王家ファイエットの知られざる王女』より抜粋。
────第1章:後宮編(完)────