豊穣祭(3)
「我々は女神様の御業を目撃したのですね……!」
「そうだ、女神様は一人の少女を救うためにその手を差し伸べてくださったのだ!」
「おお、何と慈悲深いことでしょう……!」
ついに大司祭様が涙を流し、敬虔な教会の人々まで膝をついて祈りを捧げ出す。
すると街の人々もようやく意味を理解したのか、歓声のような声が広場を埋め尽くした。
お兄様が振り返る。
「オリヴィエ=セリエールを王城まで送っていただけるか? 彼女に罪はないが、このままでは騒ぎが広まり、暴動が起きてしまうかもしれないので保護したい」
それに大司祭様が頷いた。
「かしこまりました」
大司祭様が指示すると数名のシスター達が担架を持ってきて、オリヴィエを丁寧に運んでいった。
お兄様が心配そうにわたしを見る。
「リュシエンヌ、大丈夫か?」
それに頷き返す。
「はい、ルルが守ってくれたので怪我一つありません。……ね、ルル?」
「……ええ」
頷きながらもルルはわたしを手放さない。
お兄様が少し呆れた顔をした。
そして民衆へ振り向く。
「予想外の出来事が起こってしまったが、皆、今年の豊穣祭も楽しもうではないか!」
お兄様の言葉に肯定の言葉が飛んでくる。
不測の事態は起こったけれど、民衆からしたら豊穣を女神様に感謝するお祭りで、その女神様の御業を見ることが出来たのだから熱が入るのも頷ける。
……この世界の人々は敬虔な人が多いから。
「リュシエンヌ、城へ戻るぞ」
「はい、お兄様」
状況について行けずに座り込んでいる女の子へ声をかける。
「アンナさんでしたね。突き飛ばしてごめんなさい。大丈夫ですか?」
「え? あ、はい! 大丈夫です!!」
女の子が跳ねるように立ち上がった。
わたしは足元に落ちていた淡い茶色の造花を拾い、彼女に差し出した。
「どうか、今年の豊穣祭をお願いします」
彼女が戸惑ったようにわたしと造花を見る。
「でも……」
「わたしは棄権します。そして先ほど運ばれた彼女も無理でしょう。今年の豊穣祭の歌姫はあなたです」
大司祭様を見れば心得たように近寄ってくる。
「アンナさん、王女殿下のお言葉の通りです。殿下も先ほどの彼女もこのままここで歌うのは無理でしょう。今年の豊穣祭の歌姫を、どうか務めていただけますか?」
大司祭様から頭を下げられて、彼女が焦ったように両手を振った。
「わ、分かりました! 頭を上げてください!」
「そうですか、それは良かったです」
にっこりと微笑む大司祭様。
後は大司祭様へ任せて、お兄様と、ルルをくっつけたわたしは舞台から降りて、騎士達に囲まれながら馬車へ向かう。
広場を抜けて、停めてあった馬車へ乗り込めば、すぐに馬車が動き出す。
お兄様がふう、と息を吐いた。
「ごめんなさい、お兄様。お義姉様とお出かけしていたはずなのに……」
「いや、エカチェリーナも分かってくれた。と言うよりも『早くリュシエンヌ様の下へ行ってください』と送り出された」
「そうなのですね」
……さすがお義姉様……!
馬車の窓枠に頬杖をつき、お兄様がルルを見る。
「いつまでそうしているつもりだ?」
お兄様の言葉にルルがのっそりと顔を上げる。
「……だって怖かったんだ」
ギュッと抱き締められた。
「間に合うって分かってたけど、それでも、リュシーが自分の身を守らないから、凄く怖かったんだ」
抱き締めるルルの腕は力強い。
……ああ、そっか。
ルルを抱き締め返す。
「ごめんね、ルル。怖かったよね?」
「うん」
「次からはちゃんと自分を優先するから」
「うん」
ルルはわたしが女の子を先に突き飛ばしたのを見ていたはずだ。
自分の動きが間に合うと分かっていても、わたしが自分以外の人を守ろうとしたことが怖かったのだ。
わたしが自分の身を守ろうとしなかったから。
それが、多分、わたしを失うかもしれないという恐怖をルルに感じさせたのだ。
何度もごめんねと謝る。
でも、どうしてか、酷く嬉しかった。
……とても強いルルが、こんなにわたしのことで動揺してくれている。
それだけわたしのことが大事なのだ。
「指輪の魔法もあるって分かってても怖かった」
そう呟くルルがかわいくて仕方がない。
「ごめんね、わたしが悪かったね」
「うん、今回はリュシーが悪い」
「そうだね、ごめんね」
よしよしと頭を撫でる。
今まで以上に嬉しいという感情が強い。
……リュシエンヌと同化したから?
感情のままに強くルルを抱き締める。
「愛してるよ、ルル」
ルルがわたしにくっつきながらも「オレも」と返してくれるので、満たされた気持ちになる。
……ねえ、リュシエンヌも幸せ?
心の中で問いかけると、トクンと胸が高鳴った。
それが返事のような気がした。
……わたし達は幸せだね。
だって、こんなに愛されているんだから。
* * * * *
その日、セリエール男爵家へ王家から使いが訪れた。
使いの者は数名で、王からの書状と共に、大量の書類を携えていた。
突然の王家からの使いに男爵も夫人も目を白黒させ、使いの者を出来る限りもてなした。
そして使いの者から受け取った書状を読んだ男爵夫妻は文字通り、腰を抜かすほどに驚いた。
書状には娘・オリヴィエのこれまでの行いが掻い摘んで書かれており、それを読んでいくと、何と、これまでの言動はオリヴィエのものではなく、オリヴィエの中にいたもう一人の人格のせいであったという。
使いの者達が持ってきた書類は、その人格のこれまでの行動の報告書であるというではないか。
慌てて報告書を見れば、確かに内容はオリヴィエに関するものだった。
「女神様の慈悲により、ご息女から既に悪しき魂は分離されております」
使いの者の言葉に男爵は更に仰天した。
「では、では、オリヴィエは今どこに?!」
「ご息女は気絶しておられたので、王城にて保護しております。これまでの件もございますので、しばらくの間、ご息女は王城にてお預かりさせていただきます」
同時にふっと夫人が気を失った。
その体を慌てて支えつつ、男爵は夏期休暇が終わる直前のオリヴィエを思い出していた。
自分の中に悪い自分がいる。
このままでは大変なことをしてしまう。
だから修道院へ入れて欲しい。
そう懇願したのはオリヴィエだった。
……まさか、あれが本当の娘だったのか?
呆然とする男爵に、使いの者は「それでは失礼いたします」と礼を執り、連れて来た数名と共に去っていった。
王からの書状と大量の報告書に囲まれながら、男爵は夫人を抱えて、しばしの間動けなかった。
……娘の懇願にどんな態度を自分達は取った?
「……オリヴィエ……」
我へ返った男爵はメイドを呼ぶと夫人を任せ、応接室に残って王家の使者が置いていった報告書を読み始めた。
それは何年分もあった。
読み切るだけでも大変な量だが、男爵は応接室に引きこもって寝食も忘れて読み耽った。
そこには娘・オリヴィエの行動や言葉が細かく書かれていた。
殆どは普段男爵が知っているオリヴィエのものらしかったが、時折、違うオリヴィエが書類の中には出現していた。
不思議と、それが本物の娘だと分かった。
昔の娘は純粋で、真っ直ぐで、明るく、誰にでも優しい本当に良い子だった。
それなのに親である自分達は娘の変化に全く気付かなかった。気付いてやれなかった。
娘の必死な願いに耳を傾けることすらしなかった。
「すまない……、すまない、オリヴィエ……」
あの時の娘の顔を思い出す。
もうそれしか縋るものがないという顔だった。
だと言うのに、自分達はそれを振り払った。
何年も自分の体を別の人間に支配されるだなどと、そんな恐ろしい思いをしていたことに気付いてやれなかった。
信じていれば良かった。
親ならば信じるべきだった。
男爵は後悔の念に苛まれながらも、娘の報告書を読み続けたのだった。
* * * * *
王城の一室、来賓用の部屋。
そこでオーリは目を覚ました。
そして目を覚ますという感覚に驚き、起き上がり、更にその自分の行動に言葉も出ないほどに驚愕した。
これまで自分の体を自分で動かせる時間は本当に少なかった。
意識が途切れるということは、オリヴィエに体の支配権を奪われることと同意義だったからだ。
呆然としていると部屋の扉が叩かれた。
返事を出来ずにいるとメイドが入って来た。
そしてベッドの上で起き上がっているオーリを見ると、穏やかに目を細めた。
「お嬢様、起きられたのですね」
そのメイドは近付いてくると、ベッドサイドのテーブルに置かれていたピッチャーからグラスに水を注いで手渡してくれた。
オーリは渡されたそれを飲んだ。
爽やかな柑橘系の香りと味のする果実水だった。
思わず涙があふれてくる。
この体で飲み食いするのは酷く懐かしい感覚だ。
泣き出したオーリにメイドは優しくその背中をさすって、オーリが泣きやむまで傍についていてくれた。
そしてオーリが一通り泣いて落ち着くと、温かなタオルをくれて、また果実水を渡してくれた。
疲れて眠気が襲ってくる。
だが、眠ってしまったらまたオリヴィエに替わってしまうかもしれないと思うと怖くて眠れない。
眠気を我慢するオーリをメイドが横に寝かせる。
「大丈夫ですよ、お嬢様。もう怖いことはありませんからね。眠っても、また、お嬢様はお嬢様として起きることが出来ますよ」
その言葉にオーリはハッとする。
見上げたメイドは、男爵家でずっと仕えてくれていた、あの気の弱そうなメイドだった。
「あなた、うちのメイドの……?」
どうして知っているのか問おうとすると、指で唇の動きを止められた。
「お嬢様、今は休んでください」
大丈夫、大丈夫、と優しい手付きで毛布をかけられる。
既に限界に近かったオーリは睡魔に抗えずに眠りに落ちていった。
オーリが眠りに落ちてしばらくすると部屋に来訪者があった。
メイドは対応するも、来訪者を見て、すぐに礼を執った。
「王女殿下にご挨拶申し上げます」
来訪者はこの国の王女だった。
従者の格好の青年を連れている。
「どうか楽にしてください。……オーリの具合はどうですか?」
王女に問われてメイドは顔を上げると答えた。
「先ほど起きられましたが、水を飲んだ後、また眠りにつかれました。とても疲れていらっしゃるようでした」
「そう……。そうですね、ずっと自分の体を奪われていたんだもの、心身共に疲労していて当然ですね」
王女は何度か頷くとメイドを見た。
「もしもう一度起きて、体調が良さそうだったらわたしへ連絡してもらえますか?」
「かしこまりました」
「オーリをよろしくお願いします」
そう言うと王女は去っていった。
扉を閉めながらメイドはホッと息を吐く。
王女殿下と言葉を交わすのは初めてだった。
優しそうな人柄の窺える人物であることに安堵し、王女が自分の主人を気遣ってくれていることに喜んだ。
きっとあの方ならば主人を悪いようにはしない。
主人の状況を聞かされた時には驚いたが、同時に、納得していた。
主人が夜に突然起きてきて、こっそり手紙を書いたり送ったりしていたのもそれが原因だと理解出来た。
普段のあの癇癪の酷い主人は主人ではなかった。
本当の主人は、夜中に申し訳なさそうに揺れる瞳で手紙をこっそり託す、そんな人だったのだ。
「さあ、今のうちにお嬢様のドレスの整理をしないと……」
別室で他のメイド達も主人のドレスや装飾品、靴など、男爵家から送られてきた荷物を解いている。
いつでも呼び出してもらえるように、ベッドサイドのテーブルにそっとベルを置いてからメイドは静かに部屋を後にする。
誰もいなくなった部屋にオーリの寝息だけが響く。
ベッドの空気が優しくふわりと揺れる。
目元は赤くなってしまっていたが、それでも穏やかな表情でオーリは眠っていた。
彼女にとっては十数年ぶりの心休まる眠りだった。
* * * * *




