豊穣祭(1)
そうして訪れた豊穣祭。
王都はお祭り一色に賑わっていた。
事前に教会より送られてきた歌姫の衣装は、真っ白なものだった。
体にピタリと沿った袖のないロングワンピース。
その上から更に白いレースの袖のあるワンピースを重ね着して、付属の飾り紐で腰を絞り、そこへショールのような長い布を羽織る。
ワンピースの襟と裾には金糸で植物が縫われ、ショールにも同様の刺繍が施されていた。
そして頭にはワンピースと同様のレースをつけて顔を隠す。
これは外見でなく、歌の上手さを重視するため、外見によって選ばれないようにするためらしい。
街の方からは一人の少女が歌姫に選ばれたそうだ。
わたしも歌姫の衣装を身に纏う。
長い髪はあえて縛らずに流し、化粧も最低限控えめにして、清楚な雰囲気を出す。
靴も真っ白で繊細なレースと刺繍がされている。
胸元には淡い金色の花のコサージュ。
白と金だけの衣装だった。
それをルルに見せると、まじまじと見つめられた。
「まるで女神みたいだねぇ」
それはこの世界では最上級の褒め言葉だ。
女神様のように美しい、という意味である。
服を着せてくれたリニアさんとメルティさん、他の侍女達も深く頷いてくれた。
……そうかな? そうだといいな。
「お手をどうぞぉ、女神様ぁ」
差し出されたルルの手を取る。
王女が歌姫に選ばれたのは国民にも周知されているため、この衣装を身に纏っていれば、三人の歌姫のうちの誰かだということが分かってしまう。
だからこっそりとお祭りを回ることは難しい。
別に歌姫がお祭りを回ってはいけないということではなく、王女という立場上、警備が必要なのだ。
そうなると騎士をぞろぞろと連れて行かなくてはならなくて、お祭りの雰囲気を壊してしまいかねない。
それならば、と会場となる広場へ向かう時間を遅らせて、歌姫が必要な時間に合わせて行くことにした。
ちなみにお兄様はお義姉様とこっそり、既に街へ出かけて行っている。
恐らくロイド様やミランダ様達なんかもそうだ。
街の人達に混じってお祭りを楽しむに違いない。
「リュシエンヌの歌を楽しみにしている」
出掛けにわたしの宮に寄ったお兄様はそう言った。
放課後に毎日練習したので、以前よりも歌には自信があるし、ウィンター先生からもとても褒められたのできっと大丈夫だ。
馬車に乗って宮を出て、王城を出て、街の中央広場へ向かう。
人が多いので馬車はゆっくりと道を進む。
「リュシー、緊張してるのぉ?」
ルルに言われて、苦笑する。
「ちょっとだけね」
公務では王女として式典に出たり、夜会に参加したりして、大勢の人前で話すことはある。
でも歌うのはまた別だ。
……失敗したら恥ずかしいし。
ルルがギュッと手を握ってくれる。
「大丈夫だよぉ。ずっと傍でリュシーの歌を聴いてたけどぉ、リュシーの歌は誰よりも上手で綺麗だから、胸を張って歌えばいいんだよぉ」
頬にかかった髪が耳にかけられる。
ルルがピアスに触れた。
「それでも不安なら、オレのために歌って?」
「ルルのため?」
「うん、オレだけのために、オレだけを想って歌って。そうしたら他のことなんてどうでも良くなるでしょ?」
ルルの言葉に頷き返す。
「分かった。今日はルルのために歌うよ」
ルルが嬉しそうに笑う。
「うん」
そしてウインクされる。
「でもスキルでオレはリュシーの傍にいるからぁ、舞台でもリュシーは一人じゃないけどねぇ」
「そうだね」
想像するとちょっとおかしい。
人々が注目する舞台の上。
歌姫姿のわたしが賛美歌を歌う横に、スキルで姿を隠したルルがいて、わたしの歌を誰よりも近くで聴いている。
でも誰もルルには気が付かない。
……舞台の上ではわたしとルルだけ。
そう思うと緊張が解れていく。
そんな話をしているうちに馬車が止まった。
ルルが先に降りて、次に手を借りてわたしも降りると、歌姫の格好のせいか周囲の人々の注目を集めてしまった。
馬車が止まったのは街の中央広場の少し手前。
ここから僅かに歩くことになる。
ルルに手を差し出された。
「行きましょう」
頷き、その手に自分の手を重ねる。
広場には大きな舞台が設置されており、舞台の近くには懐かしい顔があった。
わたしが近付くと向こうもこちらの存在に気が付いて、微笑んだ。
もう六年も経って、少し老けたけれど、穏和そうなところは少しも変わっていない。
「お久しぶりです、大司祭様」
「お久しぶりでございます、王女殿下」
互いに礼を執る。
「随分とご立派になられましたね」
眩しそうに大司祭様がわたしとルルを見た。
大司祭様はわたしの洗礼を受け持ってくれた方だ。
「遅ればせながら、ご結婚おめでとうございます」
大司祭様の言葉にルルと揃って「ありがとうございます」と返事をする。
結婚を告知した際に大司祭様からも祝福の手紙が届いていたけれど、実際に会って言われると嬉しいものだ。
「さあ、舞台へどうぞ」
「はい」
舞台の端にはいくつか席が用意されていた。
うち二つには既にわたしと同じ格好の人物が二人座っており、最後の一つがわたしの席なのだろう。
その二人は片方が淡い茶色の花のコサージュを、もう一人は淡い緑色の花のコサージュを胸につけていた。
他は恐らく教会関係者の場所らしい。
豊穣祭は秋の実りを喜ぶのと同時に、女神様へ感謝を捧げる祭りでもあるため、教会が主導で主催されている。
表向きはそこでルルと別れて舞台へ上がる。
実際は人混みに一旦混じったルルがスキルを使用して戻って来て、舞台の席に座ったわたしの横に立つ。
誰もルルには気付いていないようだった。
席に座ると横から声がした。
「まあ、さすが王女殿下。遅れて来たのに謝罪の言葉一つないなんて……」
見れば、横にいるのはオリヴィエだった。
「まだ約束の時間の前ですから遅れてはおりません」
「それでも最後に来たならば、普通はもう少し申し訳なさそうにするものでしょう? わたしならそんな堂々となんて出来ません」
「あなたはあなた、わたしはわたしです。挨拶もなしに相手を非難するのが常識なんて知りませんでした」
暗に挨拶ぐらいしたらどうかと言えば、不満そうに押し黙った。
言い返されて不機嫌になるくらいなら突っかかって来なければいいのに。
オリヴィエの向こうに座る女の子が困ったような顔でわたしを見たので目礼して大丈夫だと微笑み返す。
その女の子は街で選ばれた歌姫だった。
真ん中でオリヴィエが不機嫌そうにしているせいか、周りの教会関係者達が眉を寄せた。
仕方なくこっそりと声をかける。
「豊穣祭というこの素晴らしい日にそのような顔はなさらない方がいいですよ。皆様に見られてもよろしいのなら別ですが」
そこでやっと周囲の様子に気付いたらしい。
慌てて取り繕った様子で笑みを浮かべたオリヴィエが、レース越しにこちらを睨んで来たけれど、気付かないふりをした。
それから時間になると大司祭様が舞台に立つ。
今年の豊穣祭を無事開催出来たことへの感謝を述べ、女神様や隣人、家族などへの日々の感謝を忘れてはならないといった内容の高説が入る。
やや長いそれにオリヴィエは飽きたのか、首を動かして周りを見るものだから、横に座っているわたしまで恥ずかしくなった。
……舞台の上なんだからしっかりしてよ。
反対側で緊張のあまりシャキッと硬直してしまっている女の子の方がまだ礼儀正しく見える。
そして大司祭様の話が終わると舞台の上でいくつかの見世物が催された。
教会の人々の寸劇であったり、街の子供達の歌であったり、滅多に見られないそれらをわたしも街の人々と共に楽しんだ。
オリヴィエだけはどこかつまらなさそうだった。
……だから見られてるって言ってるのに。
まあ、オリヴィエの評価が下がっても構わないが。
何個かの出し物を終え、ようやくわたし達の番が回って来た。
まずは一人ずつ歌い、三人が歌い終えると今度は三人で一緒に歌うのだ。
そして街の人々が色の違う花を舞台へ投げ入れる。
花は歌姫の瞳の色と同じものだ。
その投げ入れられた本数によって今年の歌姫が決まる。
決まったら、今年の歌姫がその日一日、舞台に立って歌うことになるのだ。
残念ながら、選ばれなかった他の歌姫達は主役の歌姫に華を添える格好で歌うことになる。
「では一番手は街の歌姫、アンナ!」
わぁっと歓声が上がる。
アンナと呼ばれた女の子が緊張した様子で立ち上がったので、小声で「頑張って」と声をかける。
すると女の子は驚いたようにこちらを見て、それから嬉しそうにはにかんだ。
その後は背筋を伸ばして真っ直ぐに舞台の中央へ歩いていく。
歌姫が中央に立ち、頷くと、待機していた楽団の指揮者が腕を振る。
賛美歌の伴奏が始まった。
女の子が息を吸うのが分かった。
そして女の子の声が広場に響く。
魔法で音を拡張しているらしく非常によく響いた。
女の子の高く澄んだ声が広場に満ちる。
オリヴィエに負けず劣らず上手い。
さすが、歌姫に選ばれるだけはある。
思わず聴き入っていると、横にいたオリヴィエが小さく舌打ちするのが耳に届いた。
どうやらオリヴィエも女の子の歌が上手いと感じたようだ。
ぶつぶつと「これじゃあ私が選ばれないじゃない」と呟いているのも聞こえた。
わたしは無視して女の子の歌を聴く。
隣のルルは暇そうにわたしの座る椅子に寄りかかっていて、聴いてはいるけれど、興味はなさそうだ。
そうして女の子の歌が終わる。
伴奏が終わるのと同時に先ほどより大きな歓声が広場に広がった。
女の子は照れた様子で礼を執ると席へ戻ってきた。
「とても素晴らしい歌でした」
そう言えば、嬉しそうに「ありがとうございます」と返事をしてくれた。
次はオリヴィエの番だ。
「二番手はオリヴィエ=セリエール!」
オリヴィエが立ち上がる。
堂々とした足取りで舞台の中央へ進み出た。
そして頷くと、楽団の伴奏が始まった。
オリヴィエが息を吸って、そして歌う。
……上手くなってる。
毎日の練習で聴いていたけれど、ウィンター先生の指導で以前よりも更に上手くなっていた。
一つ向こうの席に座っている女の子が驚いた様子でオリヴィエを見ていた。
……さっきまでのあの態度の悪さからは想像も出来ないよね。
透き通るソプラノの声はよく響く。
少女らしい清廉さと初々しさのある声だ。
オリヴィエの歌声に街の人々も聴き惚れている。
そして歌を歌い終えるとドッと歓声に包まれた。
オリヴィエが礼を執り、戻ってくる。
どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
確かにオリヴィエの歌はとても上手くなっていた。
……でも、これで負けるのは癪ね。
「三番手はリュシエンヌ=ラ・ファイエット!」
ざわ、と騒めきが広がる。
わたしは静かに立ち上がると舞台の中央へ進む。
そこで丁寧な礼を執った。
そして楽団へ頷いた。
伴奏が流れ出す。
……大丈夫、練習の時と同じ。
ルルのことを想って、ルルのために歌えばいい。
横にはルルがいる。
横を見なくても、あの灰色の瞳が優しくわたしを見つめていることが分かる。
息を吸い込み、腹部へ力を入れる。
そして賛美歌を歌う。
……ルル、大好き。愛してる。
女神様、ルルと出会わせてくれてありがとう。
* * * * *
楽団の伴奏に合わせてリュシエンヌが歌い出す。
その艶のある、伸びやかで透き通った声に騒めきが一瞬で止んだ。
リュシエンヌの声には感情がこもっている。
言葉にしなくても伝わってくる。
大好き、愛してる。ありがとう。
感謝と喜びに満ちた声だ。
リュシエンヌ自身も幸せそうに微笑んでいる。
その装いも相まって、ルフェーヴルには本当に女神のように見えていた。
……女神ってこんな感じなのかなぁ。
ふわりと優しい風に包まれる。
リュシエンヌのダークブラウンが風に揺れる。
細く白い手が歌に合わせて広げられる。
その格好は女神像と同じだった。
恐らく、誰もが女神を思い浮かべたに違いない。
前二人の歌声も素晴らしかったが、リュシエンヌの方が上手いし、その感謝と喜びに満ちた様は賛美歌に相応しいものだと思う。
それを特等席、一番近い場所で聴ける。
ルフェーヴルは静かに歌声に耳を傾ける。
……ああ、本当に。
なんて美しい歌声なんだろう。
* * * * *
賛美歌を歌い終える。
シンと静まり返っていた。
……あれ?
もしかして下手だったのかと焦りかけた時、空気を震わせるような歓声と拍手に包まれた。
それに安堵していると声が響く。
「では最後に三人の歌声をお楽しみください」
その言葉に、女の子とオリヴィエも舞台の中央へ出てくる。
オリヴィエがわざわざわたしに肩をぶつけてきた。
そうして舞台の真ん中にオリヴィエが立ったので、女の子とわたしは左右に並んで立つ。
ルルが酷く不機嫌そうに目を細めていた。
わたしは苦笑するに留め、こちらを気にする女の子に小さく首を振った。
それから楽団の指揮者へ頷いた。
オリヴィエと女の子も頷き、伴奏が流れ出す。
三人同時に息を吸い、歌う。
三人の声が重なって響き合った。
オリヴィエの声は妙に大きくて、かなり無理をして声量を出しているようだった。
……そこまでして目立ちたいの?
仕方なくオリヴィエに合わせるように歌う。
反発して歌うことも出来るけれど、豊穣祭の歌姫の歌はお祭りに来ている人々を楽しませるものでもある。
ここで反発するより、聴いてくれている街の人々のために気持ち良く聴いてもらえるようにしたい。
女の子もオリヴィエに合わせて歌い出す。
そうして最後まで歌い切ると拍手が広がった。
舞台に造花が投げ入れられる。
淡い茶色に、緑色に、金色の花だ。
投げ入れられた造花はわたしの金色の花が多い。
その一つを拾った女の子がわたしへ差し出した。
「私もあなたが一番だと思います」
それを照れ臭い気持ちで受け取った。
「ありがとうございます」
同時に、ぞわりと肌を何かが撫でるような感覚がした。
同時にグシャッと音がする。
見れば足元に落ちていた金色の造花を踏みつけているオリヴィエがいた。
「……んで……」
俯いたオリヴィエが何かを呟く。
そして顔を上げると憎悪に満ちていた。
「何であんたばっかり……!!」