男爵家の前日
* * * * *
何かがおかしい、とセリエール男爵は思う。
夜会やお茶会などの招待状が減った。
だが、それはオリヴィエがクリューガー公爵令嬢にありもしない罪を着せようとしたことが原因で、苦しいが、悪いのはセリエール男爵家である。
それによっていくつかの家から縁を切られた。
その家はクリューガー公爵家と縁のあるものばかりなので、縁を切られても仕方がない。
だからそれによって夜会やお茶会の招待状が減るのは分かっていた。
しかし予想よりもずっと少ない。
妻もお茶会の招待状が減ったとこぼしていた。
そして招待状の届いた夜会に出かけても、どういうわけか、社交が上手くいかない。
話しかけてくる者は多い。
その人々の目が好奇に満ちているのも分からなくはない。
男爵家の令嬢が公爵家の令嬢に喧嘩を売ったなどと、これほど面白くて馬鹿らしいことはないだろう。
男爵も妻も好奇の視線に晒されても我慢した。
オリヴィエはしばらく夜会に参加させていない。
一週間の再教育を施したが、教育を任せた教師からの話を聞く限り、オリヴィエは貴族の令嬢としてはあまりにも拙く、再教育は付け焼き刃に過ぎなかった。
せめて学院卒業までは大人しくしていて欲しい。
多少疵があっても、男爵位で釣ればそれなりの男と結婚させることはまだ出来る。
せめて学院で上の爵位の次男か三男辺りを捕まえてくれたらと思っていたが、クリューガー公爵家を敵に回すかもしれないと思えば高位貴族は関わりたがらないだろう。
精々、子爵家か同じ男爵家か。
それでも貴族と結婚すれば、セリエール男爵家としては悪くないことだった。
「だが、やはり何かがおかしい……」
この間の夜会では、対立する家の者に話しかけられた。
それは滅多にないことで男爵は驚いた。
話しかけてきた相手はわざとらしいほどの笑みを浮かべて「自由奔放な娘を持つと苦労しますな」と言った。
それがクリューガー公爵令嬢との件についてだと分かり、男爵は答えた。
「その件については既に正式に謝罪させていただいております」
「おや、そうなのですか? それは初耳でした」
そう言った相手はニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべていた。
セリエール男爵家にクリューガー公爵家から正式な抗議文が届き、謝罪したことくらい、知っているくせに……。
内心では苛立ったが男爵はにこやかに答えた。
「ええ、お恥ずかしながら一人娘を甘やかし過ぎてしまったようで。きちんと教育を受け直させました」
だが相手はおかしそうに笑い、やはりわざとらしい口調で「そうでしたか」と言った。
「セリエール男爵家のご令嬢が高貴な方のお手を煩わせていると聞きましてな、心配しておりましたが大丈夫なようで安心いたしました」
「いえ、お気遣い感謝いたします」
そうして相手は離れていった。
他の人々にも似たようなことを言われた。
男爵家の令嬢が公爵家の令嬢を冤罪に追い込もうとしたことは、確かに貴族にとってみたら醜聞も良いところである。
身分という絶対的なものを無視した行為だ。
オリヴィエの行動は貴族達の目にはさぞ奇異に映ったことだろう。
正直、父親である男爵でさえ「何故そんなことを」と驚いたし、唖然とした。
普通に貴族の令嬢として教育を受けていれば、そのようなことをするはずがないのだ。
中には「やはり平民上がりだから……」という声もあったが、オリヴィエの母親である妻はそれなりに努力して貴族の世界に馴染めている。
……幼い頃は素直で明るい良い子だったのに。
いつからあのようになってしまったのか。
最近のオリヴィエの癇癪は段々と手がつけられなくなってきている。
少しでも思い通りにいかないと、まるで小さな子供のように周囲へ当たり散らすのだ。
以前も癇癪はあったが、一度、癇癪を起こした後の娘の部屋を見て、男爵は我が目を疑った。
まるで嵐でも通ったかのような惨状だった。
貴族の令嬢が怒って暴れたにしては、あまりにも酷い有り様で、注意しても更に酷くなるばかりだ。
本当にこのままではオリヴィエを修道院へ入れることになるかもしれない。
……いや、だが豊穣祭の歌姫の一人に選ばれた。
豊穣祭で選ばれることは名誉なことだ。
貴族でも、そう簡単に選ばれることはない。
歌姫は歌の上手さで選ばれる。
選ばれてからオリヴィエはよく家でも歌うようになり、その歌声は確かに聴き惚れるほどだった。
過去には歌姫に選ばれた平民の少女が、その歌の上手さから貴族の目に留まって結婚したという事例もある。
オリヴィエは見た目も愛らしい。
性格は少々難ありだが、歌姫になってあの歌声を披露したならば、もしかしたら他の貴族の子息の目に留まるかもしれない。
それに歌姫になると名が売れる。
セリエール男爵家の名が広まれば、商売の面でも、オリヴィエの結婚の面でも利点がある。
けれども今回は王女殿下も歌姫に選ばれたらしい。
告知された歌姫の中に王女殿下の名前が載っていた。
歌姫として名は知れて欲しいが、もしもということもある。
男爵はオリヴィエを呼び出した。
「何でしょうか、お父様」
書斎へ訪れた娘に男爵は頷く。
「明日の豊穣祭だが、喉の調子はどうだ?」
「とても良いですわ」
「そうか」
男爵は続けて言う。
「歌姫は王女殿下も選ばれたそうだな」
オリヴィエが眉を寄せた。
「ええ、そうですね」
急に不機嫌になったオリヴィエに男爵は不思議に思ったが、最近のオリヴィエは不機嫌なことが多い。
いつものことだろうとそれを流す。
「良いか、明日の豊穣祭ではくれぐれも王女殿下より目立つようなことはしないように」
「……どういう意味?」
「どうもこうもない。王族に恥をかかせるわけにはいかないだろう? お前が非常に歌が上手いことは知っているが、明日は王女殿下の顔を立てて歌を控えめに歌うんだ」
オリヴィエの顔が歪む。
「嫌よ!! 何で私がそんなことしなくちゃいけないの!? ありえないわ!!」
怒りの表情を浮かべるとオリヴィエは踵を返して書斎を出て行く。
男爵の「オリヴィエ、待ちなさい!」という声も無視され、強く扉が閉められた。
その娘の様子に男爵は息を吐く。
……本当に娘はどうしてしまったのだろう。
自分の娘なのに、まるで知らない人間を相手にしているような気分だった。
* * * * *
淑女らしくない足音を立てながらオリヴィエは廊下を歩く。
父親に呼び出されたと思いきや、明日の豊穣祭で控えめに歌えなどとありえないことを言われたのだ。
「何で私があんな女に華を持たせなきゃならないのよ……!!」
ガリ、と爪を噛む。
アリスティードのルートには入れなかったが、それでも豊穣祭の歌姫には選ばれた。
女神の加護を得られれば、きっと変わる。
周りはオリヴィエを讃えるようになるだろうし、もしかしたら加護を得ることで愛する彼の興味を引けるかもしれない。
……ルフェーヴル様があの女と一緒にいるなんて許せない。許さない。
同じ転生者で、オリヴィエの方がヒロインだったのに、まんまとオリヴィエの居場所を奪い取ったリュシエンヌ。
……あの女はルフェーヴル様を攻略したんだ。
学院で何とか原作通りにしようとしても上手くいかないのも、きっとあの女が裏で糸を引いているに違いない。
原作のリュシエンヌは派手で気の強そうな顔立ちだったが、今のリュシエンヌは淑やかそうで、虫も殺せないような顔をしている。
そのくせ、平然とオリヴィエを追い込むのだ。
何をしても失敗続きだ。
このままでは卒業パーティーに断罪イベントが起こせないし、あの女から何としても愛する彼を引き離さなければならないのに。
焦れば焦るほど深みにはまっていくようだった。
……それだけでも腹立たしいのに!
更には豊穣祭の舞台で王女に栄誉を譲れと父は言う。
……普通は娘を応援するものでしょ?!
全くもって不愉快な話である。
「……絶対に譲らないわ……!」
豊穣祭の歌姫も、女神の加護も。
愛する彼の隣も。
全てはヒロインたるオリヴィエのものなのだ。
オリヴィエは部屋に戻るとペーパーナイフを掴み、飾られていたヌイグルミに突き刺した。
……譲るくらいなら、殺してやる。
妙に騒つく気持ちを無視してオリヴィエは決意した。
悪役は退場するべきなのだ。
* * * * *
オリヴィエの中でオーリは泣いていた。
申し訳なさと自分の無力さに、どうすることも出来ずにただ泣くことしか出来なかった。
しかし体はオリヴィエに奪われている。
だから実際には泣くことすら許されない。
オーリはオリヴィエが恐ろしかった。
公爵令嬢に冤罪を着せようとしただけでも、心臓が止まりそうなほどに怖かったのに、更には王女にまで同じように罪を被せようとした。
リュシエンヌの方が一枚上手で、どれも失敗していることだけが救いだった。
もし成功してしまい、後々になって、それが冤罪だったとバレた時を考えると想像したくもない。
ただでさえこの状況でも、もうオリヴィエ自身もセリエール男爵家も危ういというのに、王女に冤罪を着せたとなれば不敬どころか叛意ありとみなされて一族郎党罰されても仕方のないことなのだ。
むしろリュシエンヌも、王家の人々も寛容だ。
もしオリヴィエの相手がリュシエンヌでなければ、今頃オリヴィエは厳しく罰され、セリエール男爵家も重い罰を受けていることだろう。
……ううん、ただ泳がせていただけ。
王女が動き出したことをオーリは理解していた。
これまでは見逃されていただけだ。
でも、これからは違う。
ザクザクとオリヴィエが憎悪に任せてヌイグルミにペーパーナイフを突き立てる。
幼い頃に父親に誕生日の贈り物としてもらった大事なヌイグルミは見るも無惨な状態になってしまっている。
……お願い、もうやめて!
そう思ってもオリヴィエはやめてくれない。
オーリはもう疲れていた。
最近のオリヴィエは癇癪が酷く、態度も悪く、両親から冷たくされていた。
大好きな両親からの冷たい目はつらかった。
オリヴィエの周りには友人と呼べる人はいない。
せっかくレアンドルが警告してくれたのに、オリヴィエはそれすら無視して、それどころか心配してくれたレアンドルに酷い言葉を投げつけた。
これ以上はもう無理だった。
……誰か、助けて……。
オリヴィエが凶行に走る前に。
取り返しのつかないことをしてしまう前に。
この狂気を止めて欲しい。
オーリはただただ女神に祈る。
それくらいしか、彼女に出来ることはなかった。
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