困ったさん(3)
お茶会の件はすぐに生徒達の間で広まった。
実際に見ていた生徒の話やお茶会に参加した令嬢の話もあり、きちんとした情報を得た者はオリヴィエの無作法に眉を顰めた。
オリヴィエがお茶会で虐められたと話しても、殆どの者は表面上は話を聞いたが、その内容までは信じなかったそうだ。
そのおかげでオリヴィエに関わろうとする人間はかなり減った。
今、彼女の周りにいるのは何かしらの思惑を持っている人間だけだろう。
そしてその人達はオリヴィエの味方ではない。
だがオリヴィエはそれを理解していないようだ。
その周囲の人達に「わたしは王女殿下に虐められているの……」と涙ながらに日々、虐めの内容を語っているそうだ。
いわく、呼び出されて脅された。
いわく、お茶会を追い出された。
その他にも豊穣祭の歌姫に共に選ばれたが、放課後の練習で王女に虐められているとか。
まあ、確かに呼び出したのはわたしだし、警告をしたのもわたしだし、それを脅されたと受け取ることも出来るだろう。
お茶会を追い出されたというのも強ち間違いではない。
中には噂の真偽を確かめに来る猛者もいた。
「王女殿下、一年のセリエール男爵令嬢がこのようなことを話していたのですが……」
そう尋ねてくる生徒の殆どは「そんなことないだろうけど」という顔をしている。
だからわたしは苦笑しながら答えるのだ。
「彼女はわたしの夫や兄に擦り寄ろうとするので一度呼び出して注意したのです。お茶会は高位貴族の、わたしと関わりのあるご令嬢達を招いたものだったのでご遠慮いただきました。放課後の練習では挨拶以外で言葉を交わしたことはありません」
そう返せば「やっぱり……」という顔をされる。
「不躾な質問をして申し訳ございません」
「いいえ、こうしてきちんと訊いていただける方がわたしとしても助かります。彼女の言葉を信じてしまう方もおられるかもしれませんので」
訊かれる分には答えられる。
逆に訊かれていないことを慌てて否定すると「本当は事実なのでは?」と疑われてしまう場合がある。
それならば、自分に後ろ暗いところはないのだと堂々としていればいい。
何より、ちょっと考えれば嘘か本当かなんて簡単に分かることだ。
男爵令嬢に過ぎないオリヴィエ。
王女のわたしが本気で排除しようと思えば、社交界から弾き出すことも、男爵家に打撃を与えることもすぐに出来る。
ただ一言「セリエール男爵家の者と会いたくない」とだけ口にすれば良い。
王女であるわたしの不興を買ったことが知れ渡れば、他の貴族達はセリエール男爵家との付き合いを断つだろう。
わたしが参加するような大規模なお茶会や舞踏会では招待状すら届かなくなる。
それ以外でも、恐らく招かれなくなる。
もしも招いたことで、自分達にも火の粉が飛んだらと思うと大体の貴族はセリエール男爵家を敬遠するだだろう。
そうなれば社交界からは爪弾きされる。
オリヴィエも、オリヴィエの両親である男爵夫妻も王都では暮らし難くなる。
わざわざ遠回しな虐めなんてしなくても本気で嫌っているならば、そうすればいいのだ。
王族の影響力とはそれほどのもので、たとえ目立たない王女であっても、それくらいの力はある。
わたしがその手段を使っていないことからして、噂の真偽は知れているということだった。
「訊きに来た私が言えたことではないかもしれませんが、そんな者がいるのでしょうか?」
それにわたしは微笑んだ。
「分かりません。しかし、一方の言い分だけを聞いて判断するのは良くないことです。もし他の方がこの件で疑惑をお持ちでしたら『遠慮なく訊きにいらしてください』とお伝えください。わたしはいつでもお答えします。それを聞いた上で判断して欲しいと思っています」
生徒が感じ入った様子で何度も頷いた。
「他の者にもそのようにお伝えします」と言い、丁寧に礼を執り、去って行った。
それを見送りながら考える。
……なかなか上手くいっている。
オリヴィエの印象を悪くするのは簡単だった。
元の悪評もあるけれど、ヒステリックに騒ぎ立てる男爵令嬢と堂々と落ち着いた様子の王女とでは、どちらを信じるかはその態度からも判断出来る。
そもそも貴族は感情的に騒ぐのを恥と思っている。
オリヴィエのように人前で泣いたりテーブルを叩くといった騒ぎを起こしたりするのは貴族のご令嬢としては失格だ。
それだけでも淑女の教育が身に付いていないのが分かってしまう。
貴族の間ではオリヴィエは貴族の令嬢としての評価自体が低いのだ。
オリヴィエはムキになって騒げば騒ぐほど、相対的にわたしの評判は良くなる。
寛容で、穏やかで、王族の権力を必要以上に行使せず、毅然とした態度で歯牙にもかけない。
ここでわたしもムキになって反撃してはいけない。
オリヴィエと同じ位置まで落ちる必要はない。
次の授業のために教室を移動していると、途中でウィンター先生に声をかけられた。
「セリエール男爵令嬢の話を耳にしたのですが大丈夫ですか?」
心配そうに言われて微笑み返す。
「はい、わたしは大丈夫です。ご心配いただき、ありがとうございます。でもどこでお聞きになられたのですか?」
案外、生徒の間で流れている噂を教師が知らないということは多い。
……いや、この世界ではそうでもないかな?
教師も貴族が多いから、注目の話題などは自然と社交界でも耳にするだろう。
オリヴィエには王女の悪評を広めようとした件と、クリューガー公爵令嬢に冤罪をかけようとした件で前科が二回もある。
学院の生徒だけでなく、社交界でも実は注目されている可能性もありえる。
「放課後の練習の様子を訊きに来る生徒が何人かおりまして、何故そんなことをと尋ねたら教えてくれたのです」
「そうだったのですね」
「きちんと噂については否定しておきました。王女殿下とセリエール男爵令嬢は挨拶以外、一言も言葉を交わしていませんから、王女殿下が彼女を虐めた事実はありません。それについては私が証言出来ますので、何かあれば力になります。男爵令嬢にも注意しておきましょう」
先生の言葉に頷いた。
「ええ、お願いいたします。わたしよりも第三者である先生に否定していただけた方が皆様もどちらが事実なのか判断出来るでしょう」
ウィンター先生が眉を下げる。
「放課後の練習は別々にしましょうか?」
確かに別々にすれば、その噂はなくなるだろう。
でもそれだとわたしがオリヴィエを避けたことになる。
わたしは何もしていないのだから、そんなことをする必要はないし、オリヴィエと顔を合わせたって構わなければいい。
勝手に向こうが突っかかって来て、周りがその様子を見て判断してくれる。
「いいえ、そのままでも大丈夫です。わたしは何も悪いことをしていませんから、男爵令嬢を避ける理由もありません。練習を別々にしたら先生にご負担をかけてしまうでしょう。それはわたしの望むところではないのです」
ウィンター先生だって忙しい身なのだ。
わざわざ分ける必要はない。
「まあ、お気遣いありがとうございます」
ウィンター先生が柔らかく微笑んだ。
わりと厳しい先生なので珍しい。
「わたしとセリエール男爵令嬢の問題なのに先生にご迷惑をおかけしてしまうのは心苦しいという、わたしの自己満足に過ぎないのです」
「それでも私は王女殿下のお気遣いに感謝いたします」
「そう言っていただけるとわたしも嬉しいです」
ウィンター先生に、これまでと変わらず男爵令嬢に接して欲しいとお願いして別れる。
真面目なウィンター先生ならば今回のことがあったとしても、表面上は今まで通りに接するだろう。
だが他の教師達とも恐らく話を共有する。
他の教師達もオリヴィエに疑念を持つ。
もしかしたらリシャール先生が何か言うかもしれない。
学院側も、オリヴィエが机を壊した件と、クリューガー公爵令嬢との件を知っているので、多分今回のオリヴィエの言葉も信用しないと思う。
むしろ謹慎は無駄だったかと失望するだろう。
ウィンター先生と別れれば、途端にクラスメイトに話しかけられた。
「あんな話、私達は信じておりません。リュシエンヌ様の普段を見ていれば、誰かを虐めるなんてありえないと分かります」
「ええ、それどころかリュシエンヌ様を悪者にしようとする男爵令嬢の方が嫌がらせをしている側ですよね」
「リュシエンヌ様はあんな話、気にする必要はありません」
慰めるように声をかけられて微笑む。
「皆様、ありがとうございます」
オリヴィエは罠にかかった。
それは暴れれば暴れるほど沈んでいく。
……気付くかな?
いや、オリヴィエは気付かなさそうだ。
だからこんな状況になっているのだ。
「リュシーって意外とこういうことも出来るんだねぇ」
帰りの馬車でルルに言われて訊き返す。
「こういうことするわたしは嫌?」
「嫌じゃないよぉ。だって、リュシーが本気で怒るのはいつだってオレが関係することだけだしぃ? そういうところがかわいいよぉ」
ルルはわたしのことをよく分かってくれている。
抱き締められてホッとした。
……そうだね。
オリヴィエがルル狙いでなければ、きっとここまでやろうとは思わなかったはずだ。
わたしからルルを奪おうとするから反撃するのだ。
「リュシーがオレに独占欲を感じてくれて嬉しいよぉ」
よしよしとわたしの頭を撫でるルルはとても嬉しそうだった。
* * * * *
ここ最近、学院はとある話題でもちきりだ。
一年のセリエール男爵令嬢──……つまりオリヴィエが「王女殿下から虐めを受けている」という虚言を騒ぎ立てているそうだ。
友人の減ったレアンドルの耳にも届いたのだ。
きっと学院中の生徒達も既に知っているだろう。
レアンドルも話を聞いて眉を顰めた。
王女殿下に呼び出されて脅されただの、お茶会を追い出されただの、豊穣祭の歌姫の練習で虐められるといった内容もあった。
しかしレアンドルが会ったことのある王女殿下はとてもそのような行いをする人物ではない。
兄である王太子殿下と同様に真面目に公務を行い、慈善活動にも熱心で、何度か会って言葉を交わしたこともあるけれど、物静かで落ち着いた大人びた方だった。
オリヴィエが騒ぐような虐めをするとは思えない。
それにオリヴィエは対抗祭の一週間の間、どうやら学院側から謹慎を言い渡されていたようなのだ。
その理由は二つ。
一つは学院の机を故意に破損させたこと。
一つはクリューガー公爵令嬢との騒ぎを起こしたこと。こちらに関しても話を聞いたが公爵令嬢に一切非はないものだった。
特に二つ目は悪質と判断されて、学院の生徒として相応しくないと謹慎処分になったそうだ。
そうして謹慎が明けてすぐにこれである。
レアンドルは改めてオリヴィエが自分の知っているオリヴィエ=セリエールと全く違う性格の人間だと思い知らされた。
数少ない友人達にも「離れて正解だな」と言われた。
このまま行けばオリヴィエは破滅する。
もう関わるべきではないと分かっていても、レアンドルは一言忠告したかった。
オリヴィエの中にいるもう一人のオリヴィエのためにも、これ以上の愚行を犯させるべきではない。
「セリエール男爵令嬢」
人目がない時を見計らい、レアンドルはオリヴィエに話しかけた。
恐らく、今を逃せばもう二度と話しかける機会は手に入らないだろう。
振り向いたオリヴィエの新緑の瞳が輝いた。
「レアンドル? 私を助けに来てくれたのっ?」
嬉しそうに微笑まれてレアンドルは眉を寄せた。
「いいえ、あなたに忠告をしに来ました。それから私のことは家名で呼んでください」
「そんな、私達友達でしょう? どうして他人行儀な話し方をしてるの?」
「以前手紙で申し上げた通り、私達の関係は終わりました。もう友人ではありません」
オリヴィエの新緑の瞳が揺れた。
ショックを受けて泣き出すかと思ったが、その瞳は不満そうに眇められただけだった。
「あっそ、なら別に良いわ。アリスティードの側近じゃなくなったなら、攻略対象から外れただろうし。ヒロインを愛さないキャラなんて要らないわ」
オリヴィエはそう言い捨てると踵を返して歩き出す。
その態度にレアンドルは唖然とした。
これまでのオリヴィエとは全く違っていた。
あまりにも意味不明な言葉で、そして、あまりにも自分勝手なものだということだけは理解出来た。
「セリエール男爵令嬢っ、これ以上王女殿下を侮辱すれば、ただでは済まないぞ?!」
レアンドルが慌てて立ち去ろうとする背中に声をかける。
だがオリヴィエは振り返らなかった。
その完全な拒絶にレアンドルは何も出来なかった。
オリヴィエではないオリヴィエ。
その存在をまざまざと見せつけられて、しばらくその場を動くことも忘れた。
……どうすれば助けられるんだ。
王女殿下のように魔法を開発するほどの才はない。
神殿にも通っているが望むような情報は手に入らず、オリヴィエももうレアンドルの話を聞くことはない。
これ以上関われば、オリヴィエにもレアンドルにも良くない結果になることは想像に難くない。
レアンドルは途方に暮れて佇む。
彼に出来ることはもう何もなかった。




