困ったさん(1)
最近、お兄様達が忙しい。
あと一月もすると中期試験がある。
しかもそれが終わると学院祭も行われるため、生徒会の役員は勉強と生徒会の仕事とで大変なようだ。
学院祭までは目の回る忙しさらしい。
ちなみに訊いてみたところ、学院祭で生徒会が劇を披露する予定はないそうだ。
そんな暇がないくらい忙しそうだった。
「すまないが、学院祭が終わるまでは一緒に昼食を摂れそうにない」
とのことだった。
普段の仕事に加えて、学院祭に関する仕事も増えて、お兄様達はお昼休みも生徒会室にいる。
わたしの休憩室で昼食を摂ってもいいけれど、たまにはカフェテリアで昼食も気分転換に良さそうだ。
お兄様やロイド様、ミランダ様、エカチェリーナ様が申し訳なさそうな顔をしていたが、それはみんなが悪いわけではない。
「今日はカフェテリアに行こうかな」
午前の授業を終えて、廊下に控えていたルルの下へ行く。
わたしの言葉にルルが頷いた。
「分かりました」
差し出された腕に右手を添える。
そうしてルルにエスコートされつつ、カフェテリアへ向かう。
到着したカフェテリアは人が多い。
他の生徒達も昼食を摂りに来たのだろう。
お昼のカフェテリアは何だか新鮮だった。
思わず周りを見ていると、不意にルルにグイッと引き寄せられた。
力強い腕に体が引っ張られて横にズレる。
同時に、一瞬前にわたしがいた場所を人影が通り過ぎた。
…………あ。
柔らかな金髪に見覚えがある。
その金髪の女子生徒がわたしの真横で派手に転んだ。
転んだ音が大きくて、周囲の生徒達がみんな振り向いた。
「痛っ!」
転んだ女子生徒ことオリヴィエが声を上げる。
そして涙目で見上げられる。
「酷い! 突き飛ばすなんて!」
床に座り込んだまま、両手で顔を覆う。
……芸がない。
思わず、そうこぼしてしまいそうになり、慌てて口を噤んだ。
以前お義姉様にして失敗したというのに、懲りもせずにわたしに同じことをしようとしているようだ。
周りの生徒が「何だろう?」とこちらを見る。
「邪魔だったなら言ってくだされば退きました!」
わっと両手で顔を覆って俯くオリヴィエ。
でも、周りは遠巻きに見ているだけだ。
その中には「またか」という顔をしている生徒もいて、どうやらオリヴィエがお義姉様にした行いは既に広まっているらしい。
ルルがわたしを抱き締めたままオリヴィエを見下ろした。
「何か勘違いをされていらっしゃるのでは? リュシエンヌ様はあなたに一切触れておりませんよ。それどころか尊い王女殿下にぶつかろうとしたのはそちらでしょう。私がリュシエンヌ様を引き寄せていなかったらどうなっていたことか」
ルルに「大丈夫ですか?」と問われて頷き返す。
抱き締めていた腕が緩んだので少し身を離し、オリヴィエを見れば、両手から顔を上げていた。
多少は瞳は潤んでいるが泣いてはいない。
「いいえ、私はぶつかろうとなんてしていません!」
「そうですか。ですが、リュシエンヌ様はあなたを突き飛ばしてなどおりません」
「そんな……っ、私は本当のことを言っただけなのに……! 横を通ろうとしたら突き飛ばされたんです!」
悲しげな表情はなかなかのものだ。
しかし、ルルにそれは効かない。
「そもそもリュシエンヌ様はエスコートの際、常に私の腕に両手を添えておられるのです。それに横を通って突き飛ばされたのであれば、あなたは倒れる方向が違いますよ」
まだ腕の中のわたしを離さずにルルが言う。
もしわたしの横を通った時に突き飛ばされたなら、わたしに対して直角に倒れるはずだ。
だがオリヴィエはわたしに対して水平に転んだ。
これが、通り過ぎ様に足を引っかけられた、というのであればおかしくない。
でもこの状況だとわたしがわざわざ振り返って横を通ったオリヴィエの背を押さない限り、その方向に倒れるのは変なのだ。
けれどもエスコートを受けているわたしが振り向けば、当然、ルルも気付くはずだ。
「リュシエンヌ様は進行方向の少し先をご覧になられておりました」
だから違うのだと言う。
すると遠巻きに見ていた生徒の一人が「あの……」と小さく手を上げた。
「王女殿下とニコルソン子爵の後ろにおりましたが、子爵のおっしゃられる通り、王女殿下は彼女を突き飛ばしてなんていません」
その生徒の言葉に周囲からヒソヒソと声がする。
「そういえば、あちらのご令嬢が走っていたな」
「まあ、淑女が走るなんて……。ぶつかりそうになったのはご令嬢の方ではないのかしら?」
「それなら、謝るべきはご令嬢の方だな」
そんなような会話がちらほらと出てくる。
場の空気は完全にオリヴィエに非があるという意見になっており、オリヴィエが唇を噛み締める。
前回、お義姉様にやって失敗したのを忘れたのだろうか。
いや、むしろお義姉様のことがあったからこそ、周囲の生徒達もオリヴィエに対して懐疑的だったのだろう。
その点ではオリヴィエの軽率さがわたしに味方した。
恐らく、オリヴィエも突然見つけたわたしを何とか悪役に仕立て上げたかったのだろう。
後先考えていないのがよく分かる。
一度使った手は、二度は通用しない。
自分の方が分が悪いと悟ったのか、オリヴィエは涙目のまま、ふらふらと立ち上がった。
「も、申し訳ありません……」
それだけ言うとパッとその場を離れ、カフェテリアからも走り去ってしまった。
……ええ?
全員が「え」という顔をする。
多分みんな「それだけ?」と思っただろう。
王女相手にこんな騒ぎを起こしておいて。
わたしは苦笑してしまった。
本当にオリヴィエは分かっていない。
一週間の再教育も意味を成さなかったようだ。
「皆様、お騒がせしてしまい申し訳ありません。どうやらご令嬢の勘違いだったようで、貴重なお時間を取らせてしまい失礼いたしました」
謝罪の意味を込めて丁寧に礼を執る。
それから声を上げてくれた生徒にも礼を言う。
「先ほどはありがとうございました。あなたが声を上げてくださったおかげで誤解が解けました」
声を上げた生徒が照れた顔をする。
「いえ、王女殿下のお役に立てて光栄です」
お礼のために名前を訊いたところ、その生徒は平民で、裕福な商家の出身だった。
今度、必ず商会で買い物をさせてもらうと約束すれば嬉しそうにしていた。
それからその生徒と友人だという人達と昼食を共にして、午後の授業へ戻ることになった。
* * * * *
「リュシエンヌ様、お疲れ様でございました」
放課後、付き合いのあるご令嬢達とカフェテリアでお茶会をしていると、そう声をかけられた。
昼休みの出来事がもうご令嬢達の耳まで届いているらしい。
あの場を直に見た者もいたのかもしれない。
「わたしはそれほどでも……」
正直、あっという間の出来事だった。
それにオリヴィエにはルルが対応してくれた。
わたしがあれこれ言うよりも、オリヴィエが想いを寄せているルルに反撃される方が、オリヴィエにとっては悔しいことだろう。
ルルはこのお茶会でも当たり前のようにわたしの横に座っている。
わたし達の仲をよく知るご令嬢達は、ルルがこうして参加していても何も言わない。
それどころか温かい笑みで流してくれる。
……まあ、基本的にルルは喋らないし。
そこにいるけれど、いないようなものだ。
今も黙ってわたしの取り皿に一口大のケーキを取り分けたり、空になったカップに紅茶を注いだり、甲斐甲斐しく世話をしてくれている。
「私も見ましたが、まさかきちんと謝罪もせずに走り去るとは思いもよりませんでしたわ」
「走るだけでもはしたないのに、王女殿下に一方的に罪をなすりつけようとした挙句に謝罪までさせるなんて。ご自分の身の程を弁えていらっしゃらないご様子でしたわね」
「まあ、弁えていらっしゃる方はそもそもあのような行いはなさいませんことよ?」
このお茶会にいるのは高位貴族のご令嬢達だ。
彼女達の今の話題はオリヴィエについてである。
昼休みのこともそうだけれど、これまでの行いに関しても知っているようだった。
「以前もあのご令嬢はリュシエンヌ様の悪評を広めようともしましたわよね?」
「あの時はあの男爵令嬢の周りの方々が止めていらっしゃったそうよ。でもそういった方々も大半がかの男爵家とは縁を切ったとか」
「それはそうだわ。そんな不敬なことを考えるような家と関わりなんて持ちたくありませんもの」
貴族社会では醜聞はよくあること。
それでも王族に関わるとなれば話が別だ。
どこの貴族の不倫だの浮気だのといったものとは訳が違う。
貴族ならば王族の醜聞は知っていても口に出さない。不敬と受け取られかねないからだ。
「どうしてあの男爵令嬢はリュシエンヌ様にそこまで反意を持っていらっしゃるのかしら?」
「あの方、この間はエカチェリーナ様にも今日の昼休みと似たようなことをしたそうですわ」
「何をなさりたいのでしょうね」
そこで不意にルルが口を開いた。
「実は、かの男爵令嬢は私に気があるようで……」
その言葉にご令嬢達が「まあ!」「あら……」と驚いて手や扇子で口を覆う。
ルルが悲しげに目を伏せた。
「私はリュシエンヌ様だけを愛しております。この婚姻も想い合ってのものです。それなのに、かの男爵令嬢はリュシエンヌ様から私を奪おうとしているのです……」
演技と分かっていても悲しそうなルルを見ていられなくて、思わずその手を握る。
するとルルが大丈夫だと言う風にわたしへ微笑む。
でも少し悲しそうな笑みに、ご令嬢達がほうっと感嘆の息を吐くのが聞こえた。
「リュシエンヌ様、あの男爵令嬢を放っておいてよろしいのですか?」
「私共で注意いたしましょうか?」
ご令嬢達の言葉に首を振る。
「皆様のご厚意は大変嬉しいです。けれども、あの男爵令嬢にわざわざこちらから関わる必要はございません。彼女もわたしに不敬を重ね続ければどうなるか、王女の悪評を広めて夫を奪おうとした罰も、然るべき時に身をもって知ることになるでしょう」
あえて泳がせているのですよと暗に伝えれば、ご令嬢達はあっさりと「そうなのですね」「かしこまりました」と引く。
もしここでわたしが彼女達に注意するよう頼み、彼女達がオリヴィエに注意すれば、それこそオリヴィエを喜ばせるだけだ。
王女の取り巻き達に虐められたと声高に言うだろう。
原作通りにするために。
でもそんなことにはならない。
本人のわたしが黙って無視している以上、他のご令嬢達がでしゃばることはない。
「そのためにも皆様には以前お送りしたお手紙の通り、ご協力していただくことになりますが……」
「ええ、心得ております」
「かの男爵令嬢にリュシエンヌ様の動きがそれとなく届くように既に整えてございます」
「ありがとうございます」
オリヴィエにわたしの様子が伝わる。
そうなればオリヴィエはそれを耳にする度に、わたしを悪役にするために必死になって近付くだろう。
今日の昼休みの時のように。
話をしながら、もしかしたら昼休みの時に声を上げた生徒もここにいる高位貴族のご令嬢達の誰かの手の者かもしれないと思う。
それくらい、あの時はタイミングが良かった。
そうだとしても構わない。
周囲にオリヴィエが悪なのだと認識させられれば、こちらの勝ちなのだ。
お義姉様への件もあって、オリヴィエの言動を信じる者は殆どいないだろう。
最初から勝敗の決まった戦いだ。
「そういえば、皆様はもう卒業パーティーのドレスをお決めになりましたか?」
このままでは延々とオリヴィエの話題が続きそうだったので話を切り替えるために話題を出す。
するとご令嬢達はそれに乗ってくれる。
「ええ、決めました」
「風の噂で耳にしましたが、何でもリュシエンヌ様のドレスは異国風になさるとか。本当でしょうか?」
「あら、それは初耳ですわ」
ドレスの話になると和気藹々とした雰囲気になる。
それに頷き返していると、パタパタと足音がした。
もしや、と思って顔を動かせば窓から差し込む夕日に照らされた柔らかな金髪が目に入る。
息を切らせて走ってきたのはオリヴィエだった。
……罠に食いついてきた。
ご令嬢達の会話が止んだ。
息を切らし、それでもオリヴィエが顔を上げる。
「酷いです、王女殿下っ」