抗議と罰、そして決意
セリエール男爵家に一通の手紙が届いた。
それはクリューガー公爵家からの正式な抗議文であった。
何も知らない男爵は、公爵家より送られてきた突然の手紙に驚き、そこに書かれている内容に更に驚き、娘に強い怒りを覚えた。
手紙の内容はオリヴィエの行いについてだ。
何と、公爵家のご令嬢に対して無礼な振る舞いをしたというのだ。
自ら近付き目の前でわざと転んだり、カフェテリアで足を引っ掛けて転んだり、何もしていないご令嬢に対して怯えた態度を取った。
それにより公爵令嬢がオリヴィエを虐めているのではないかという噂が立ち始めたため、ご令嬢がオリヴィエに注意をしようとしたこと。
それに対しオリヴィエはまともに取り合おうとせず、それどころかまるで虐められているかのように泣き喚き、大声で騒ぎ出し、生徒達の注目を集めてしまったこと。
幸い王太子殿下が割って入ったことで、それ以上の大事にはならなかったようだ。
だがこれについて、男爵家はどのようにお考えか。
また娘をどのように教育しているのか。
そういった言葉が綴られていた。
夏期休暇を終えてまだ一月しか経っていない。
その一月の間にもう問題を起こしたのだ。
クリューガー公爵家のご令嬢と言えば、王太子殿下の婚約者でもある。
未来の王太子妃であり、何れ王妃となる人物を陥れようとした。
セリエール男爵は妻を呼び、手紙を読ませ、夫人も事の重大さを理解すると顔を青くした。
貴族社会は身分が絶対的なものだ。
ただの男爵家が公爵家に楯突いて無事でいられるはずがない。
オリヴィエが学院から帰宅すると即座に書斎へ呼び出した。
「オリヴィエ、これはどういうことだ!」
帰宅したばかりのオリヴィエは開口一番に父親に怒鳴りつけられて、訳が分からないといった顔をする。
父親から押し付けられた手紙を読んだオリヴィエは眉を寄せ、逆に怒る始末であった。
「何よこれ!」
あろうことか公爵家からの手紙を床へ投げつけた。
夫人が慌ててそれを拾った。
自分の行いがどれほどこのセリエール男爵家を追い詰めているのか理解していないことは一目瞭然であった。
「何ってお前がしたことだろう!」
「公爵令嬢に虐められたふりをしたというのは本当なの? オリヴィエ!」
両親に詰め寄られてもオリヴィエは不愉快そうに顔を顰めたまま、首を振った。
「違うわ、勘違いしただけよ! それなのに私は大勢の前で謝罪させられたのよ? 貴族の私が頭を下げさせられるなんて酷いと──……」
「当たり前だ!! この愚か者!!」
全く悪びれた様子がなく、それどころか公爵家の方が悪いとでも言う風な態度にさすがの男爵も怒りが頂点に達した。
「我々は貴族と言っても男爵家。貴族としては下だ! そして公爵家は貴族としては最高位、それも王太子殿下の婚約者とその家となれば格が違うのだ!! クリューガー公爵家に顔を背けられたら社交界どころか貴族としてもやっていけないんだぞ!? そんなことが何故分からない!!」
男爵家とは言っても娘のオリヴィエには十分な教育を受けさせてきたつもりだった。
それなのに欠片も分かっていない。
前回、王女殿下の悪評を広めようとしたことだって、周りのご令嬢やご夫人達が止めていなければ今頃どうなっていたことか。
それでも既に何人か縁を切られた家もある。
だがオリヴィエの今回のことは隠せない。
手紙の通りであれば衆人環視の中で公爵令嬢を陥れようとしたのだから。
「お前は今日より一週間、自室で謹慎を言い渡す! 明日、公爵家に謝罪に行くが、向こうの判断によっては本当に修道院へ入れることも検討する」
「そんな!? 私は謝ったのに!!」
「お前の謝罪程度で済む話ではないんだ! もういい、お前は部屋で謹慎していろ!!」
使用人が呼ばれてオリヴィエは書斎を追い出される。
セリエール男爵は深く息を吐きながら椅子に腰掛け、何が悪かったのかと考えた。
一人娘だからと甘やかしすぎたのだろうか。
最近では部屋の物を破壊したり、使用人に酷い怪我を負わせたり、それが以前よりも悪化している。
「あなた……」
「一人にしてくれ」
今は妻を気遣う余裕もない。
夫人は頷くと静かに書斎を出て行った。
同じ平民でも妻はよくやってくれているし、貴族がどのようなものかも理解している。
それなのに娘のオリヴィエは……。
公爵家が望めば修道院へ入れるしかない。
そうなればセリエール男爵家から修道院行きの娘が出たと社交界の話題に上るだろう。
大恥どころではない。
それでも公爵家に従う他はないのだ。
男爵はまだ大きな溜め息を吐く。
……慰謝料も用意しなければ。
金で解決と思われるかもしれないが、誠意を表すためにも金は重要だ。
公爵家からすれば微々たる額だろう。
それでも何も持たずに行くことは出来ない。
……あの様子ではオリヴィエは連れて行けん。
本来であればオリヴィエも共に行き、謝罪しなければならない。
だがあの様子を公爵家に見せるわけにもいかない。
「どうしてこうなってしまったんだ……」
男爵は頭を抱えて呟いた。
* * * * *
父親に呼び出されて行くと怒鳴りつけられた。
一体何だと思っていれば、アリスティードの婚約者の家から手紙が届いたようだ。
それは今日の出来事についてである。
簡単に言えば、オリヴィエのせいで娘の良くない噂が立ったこと、勘違いして騒ぎ立てたことへの謝罪を要求するものだった。
「最っ低な女ね! 私は謝ったじゃない!」
あんな大勢の前で頭を下げさせられた。
しかもアリスティードまで味方につけているようで、ヒロインの自分にアリスティードは全く目を向けてくれなかった。
それどころかアリスティードにエスコートされて、悠々とその場を離れていった。
エカチェリーナ=クリューガー。
原作では名前すら出てこない脇役のくせに。
きっと父親の公爵にオリヴィエが謝罪をしたことを伝えなかったに違いない。
なんて性格が悪い、と思う。
そんな女と仲の良いらしいリュシエンヌも、同じように性悪なのだろう。
人前では上手く隠しているみたいだが、絶対に化けの皮を剥がしてやる。
「それにしてもまた謹慎? 学院はどうするのよ?」
オリヴィエは謹慎に飽きつつあった。
不便さはないが、外に出られないというのは思いの外つらい。
……ルフェーヴル様と一緒なら別だけど。
オリヴィエは小さく息を吐いた。
それから一週間、オリヴィエは自宅謹慎となった。
クリューガー公爵家とセリエール男爵家との話し合いの末、学院側からの罰もあり、一週間の自宅謹慎中にオリヴィエを再教育させるということで纏まったのである。
これでも問題を起こすようであれば修道院へ入れるとまで男爵が言ったため、クリューガー公爵もそれならばと頷いた。
貴族の令嬢にとって修道院送りというのは死刑宣告に等しい。
華やかな社交界からも、贅沢な暮らしからも引き離されて、身の回りのことも全て自ら行わなければならなくなる。
しかも社交界では笑い者にされる。
当然、結婚など出来るはずもない。
一生質素な暮らしをしながら修道院で働いて過ごすというのは、貴族の女性にとっては屈辱的だ。
それが嫌ならば問題を起こすなという話である。
* * * * *
「ってことらしいよぉ?」
夜、ベッドの中で横になりながらルルがオリヴィエについて教えてくれた。
男爵令嬢が公爵令嬢に喧嘩を売ればどうなるか。
クリューガー公爵とお義姉様に、男爵はさぞや感謝したことだろう。
許されなければ他の貴族から遠巻きにされる。
貴族社会において地位の上の者の意向というのは絶対で、上の者に顔を背けられたら社交界では生きていけない。
「じゃあ学院はお休み?」
「だろうねぇ。対抗祭で授業もないしぃ、この一週間でみっちり淑女教育のやり直しをさせられるんじゃないのぉ?」
そう言いながらもルルの顔は微妙そうだ。
……うーん。
「ただオレとしてはぁ、それで性格が良くなるとは思えないけどねぇ。むしろもっと悪くなりそ〜。しかも今度はリュシーを狙うとか馬鹿じゃないのぉ?」
わたしの考えをルルが代弁してくれた。
オリヴィエのこれまでの言動を思うと、むしろ一週間の謹慎で無理やり勉強させられて、お義姉様かわたしのせいにしてそうだ。
基本的にオリヴィエは自分本位なのだ。
それだけは今までの報告書から分かる。
……思考回路が独特なんだよね。
とにかく自分の都合のいい風にしか考えていないというのは確かだろうし、自分以外の人間を恐らく自分と同じ人間とも思ってないだろう。
そうでなければレアンドルをあんな風に利用したりしないし、お兄様達から嫌がられているのにも気付けるはずだ。
自分の都合のいいことしか見てない。
だから色々気付けないし、理解しようともしない。
……でもそれがオリヴィエの敗因。
オリヴィエは気付いているのだろうか。
その自分本位さこそ、原作の悪役、リュシエンヌの性格に近いものだということに。
ただしオリヴィエには原作のリュシエンヌほど情状酌量の余地はない。
「ねぇ、本当にあんなのと話してみるつもりぃ?」
「絶対、話通じないよぉ?」とルルが言う。
「そうかもね。だけど、それは多分、自分以外の人間は脇役と思ってるからじゃないかな」
ゲームの世界だからヒロインの自分が世界の中心で、それ以外の人間は背景、または脇役。
そう考えているから他者を思いやることがない。
言うなれば、オリヴィエにとって自分以外の人間はただのキャラクターに過ぎないのだ。
もしかしたらルルのこともそう思っているのかも。
だって結婚してるのにまだ狙ってるなんて。
今のオリヴィエは新婚夫婦の仲を壊して夫を奪うとしている悪女そのものである。
夫婦が愛し合っていてもお構いなし。
ルルが顔を顰める。
「なぁんか不愉快」
「だろうね。自分以外の人間が、考えて、感じて、自分の意思で生きてることを否定してるようなものだから」
「そもそもアレの好きなルフェーヴルってゲームの中のでしょぉ? リュシーの傍にいる時点で違うルフェーヴルだと思わないのかなぁ?」
「そこはほら、わたしのせいだと考えてるんだよ」
向こうもわたしが転生者だと気付いている。
わたしが前世の記憶を持ち、それを使って原作から外れたストーリーを生み出している。
そう考えているのだろう。
あながち間違いでもないが。
「それでアレとは何の話をするのぉ?」
ルルの問いに返す。
「ルルとお兄様達攻略対象についてとか、近付くのはやめた方がいいってこととか、わたしはルルを渡さないからこれ以上何かすると身を滅ぼすよって警告もね」
お義姉様を悪役に仕立てようとして失敗してる。
公爵家から正式な抗議文まで送られて、このことはあっという間に貴族達の間で広まったことだろう。
普通なら羞恥心と屈辱で諦めるだろう。
でもオリヴィエは諦めないらしい。
ある意味では彼女もわたしも似た者同士だ。
ルフェーヴル=ニコルソンに執着している。
ただし彼女が執着しているのがゲームのルフェーヴルで、わたしは現実のルルだ。
そしてルルはどうやら『ゲームのルフェーヴル』と同一視されるのが嫌らしい。
……まあ、それもそうだよね。
物語の中に自分と同じ人物がいて、その人物と同一視して勝手に想像して勝手に執着されて。
それって現実のルルの意思は無視してる。
誰だって『自分』を無視されて喜ぶはずがない。
「リュシーの話を聞くとは思えないけどねぇ」
「うん、それでいいの」
「それでいい?」
「お義姉様の件もあって反省する機会はいくらでもあった。でもオリヴィエはそうしなかった。もう静観する期間は過ぎたんだよ」
オリヴィエと接触するのもそれが理由だ。
これまではオーリのこともあるから見逃した。
でも今回オリヴィエはお義姉様にまで手を出した。
これ以上、わたしの大事な人に迷惑をかけるのは許さないし、わたしもさすがに怒っている。
ルルに想いを寄せるのはいい。
それだけならばわたしは見て見ぬふりした。
だが結婚したと聞いても諦める様子がない。
……ルルはもう、わたしのルルだ。
夫を奪われそうになったら妻が怒るのは当然だ。
しかしわたしから理不尽な罰は与えられない。
それなら、向こうにやらかしてもらう。
「わたし自身を餌にすれば絶対に食いついてくる」
そして王女を敵に回すというのが。
王族に刃向かうのがどういうことになるのか。
思い知らせるべきなのだ。
そしてオリヴィエの身柄を確保出来れば、魔法が完成し次第、すぐに封印を施せる。
男爵家の状況を見る限り、男爵はオリヴィエを少々疎ましく思い始めているようだ。
オリヴィエが王女に手を出せば今度こそ、男爵から切られるだろう。
……オーリには可哀想だけど……。
魔法でオリヴィエを封じたら、王都から離れた場所で生きてもらうことになる。
でも、オリヴィエが色々とやらかしているから王都には居づらいと思う。
お兄様がこっそり教えてくれたけれど、レアンドルを聖騎士に迎え入れてくれないかと教会に打診してみたそうだ。
わたしの洗礼を担当してくれた大司祭様は本人にその意思があれば受け入れると約束してくれたらしい。
オリヴィエを封じることが出来て、もしもレアンドルとオーリがまだお互いを好いているのであれば、どこか別の地で共にやり直す未来があっても良いのではないか。
表向き、オリヴィエ=セリエールは貴族籍の抹消と王都からの追放という罰を与えて、実際はオーリは地方に移り住む。
そういう手もある。
……これはお父様とお兄様の案だけれど。
わたしが何とかオーリを救えないかと訊いた時、二人が考えてくれたのだ。
表向きは罰して、実際は逃す。
そういうやり方もあると教えてくれた。
わたしはオーリが罰されないようにとそればかり考えていたけれど、あえて罰することで表面上は罪を贖わせ、周囲の人間を納得させる。
「本当はオーリの許可を得たかったけど……」
わたしのこの考えも自分本位だろう。
……オーリの意思も訊けたら良かったのに。
「まあ、怒りはしないんじゃなぁい? どうせ王都にいても居場所がないだろうしぃ、地方で暮らす方がいいと思うよぉ」
背中を後押しするようにルルがそう言ってくれる。
「ありがとう、ルル」
それがわたしを気遣う言葉だと分かった。
ルルはわたしの考えを否定しない。
わたしのしたいようにさせてくれるのだろう。
「あ、話し合いの場にはオレも行くからねぇ?」
その言葉に思わず笑ってしまった。
「スキルを使って?」
「スキルを使って」
オリヴィエはスキルを使用したルルを見つけることが出来るだろうか。
……もし出来たとしてもルルは嫌がるだろうなあ。
でも見つけて欲しくない。
ルルを見つけられるのはわたしだけでいい。
「ルルが傍にいてくれるなら安心だよ」
たとえ見つけても渡さない。
そしてオリヴィエも許さない。
あなたが罠を使うなら、わたしも罠を張ろう。
これでもわたしは悪役なのだ。




