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閑話:レアンドルの祈りと救い

 







 レアンドルは忙しい日々を送っていた。


 王太子殿下の側近候補から外れてから、彼の交友関係はガラリと変わってしまった。


 それまで親しかった者達の大半を失った。


 伯爵家の次男に過ぎないレアンドルに友人が多かったのは側近候補であり、王太子殿下とも友人であったため、縁を繋ごうとしていたのだ。


 それがなくなり、婚約者との婚約を己の責で解消することとなったのだから、中にはレアンドル自身に失望した者もいたのかもしれない。


 元婚約者は社交界でもそれなりに顔が広かったのだろう。


 どこへ行っても元婚約者と別れたことを「惜しいことをした」と揶揄された。


 だが残ってくれている者もいる。


 レアンドルに厳しい言葉をかけ、それでいて、今後はどうするのかと心配してくれる者もいた。


 レアンドルは学院を卒業後、どこか王都より離れた地方の領主の騎士になろうと考えている。


 自領は難しいだろう。


 何せ父親と兄から強く叱責を受け、失望され、お情けで学院を卒業させてもらえるのだ。


 それ以上厄介になるわけにはいかない。


 そのためにレアンドルは剣だけでなく勉強についても以前より真面目に取り組むようになった。


 おかげで前期試験は少しばかり順位が上がった。


 レアンドルには文官は向いていない。


 鈍らないように日々の鍛錬も欠かさない。


 そして時間があればレアンドルは学院の図書室や王城の蔵書室に足を運んで、魔法に関する本を読み漁っていた。


 あまり読書が得意ではないので苦労したが、それでもレアンドルは諦めなかった。


 オリヴィエ=セリエールを救いたい。


 ただその一心だった。


 レアンドルが恋したのは二つある人格のうちの一つで、その人格は本来のオリヴィエ=セリエールのふりをしているという。


 レアンドルが恋したのはオリヴィエ=セリエール。


 そして彼女の中には二つの人格がある。


 一つはレアンドルが今まで会ってきたオリヴィエ。


 一つはオリヴィエが真似ているオーリ。


 しかしどちらに恋をしたのか、レアンドル自身ですらよく分かっていない。


 だが別れの手紙をくれたオーリにも感謝していた。


 あのままではレアンドルは主君を、家族を、元婚約者を、友人達を裏切り続けていたことだろう。


 目を覚まさせてくれたのはオーリだった。


 思い返してみれば、レアンドルが付き合ってきたオリヴィエは、優しい言葉をくれたが、それはレアンドルが欲しい言葉だけだった。


 本当の優しさというのは相手を思うが故の厳しさではないだろうか。


 オリヴィエの優しい言葉はまるで毒のようにレアンドルを掴んで離さなかった。


 けれど、オーリのおかげで道を正せた。


 犯した過ちは消せないけれど、償うことは出来る。


 レアンドルの道はまだ完全に潰れたわけではない。


 今度はレアンドルが彼女を助ける番だ。


 必死になってレアンドルは本を読んだ。


 学院で魔法について習っていても、理解するのが難しい内容が多かった。


 知らないことが見つかったら調べて。


 調べていて分からないことがあればまた調べて。


 レアンドルは自分がいかに無知なのか思い知らされた。


 夏期休暇前には昔の伝手を何とか使って、宮廷魔法士長にも会って話を聞いた。


 だが魔法士長はレアンドルの望んだ答えを持ってはいなかった。


 それでも諦めたくはなかった。


 だからレアンドルは教会にも手紙を書いた。


 王都で最も大きな教会へ、大切な人を助けたいので蔵書を読ませて欲しいと頼み込んだ。


 何度断りの手紙が戻ってきても書き続けた。


 それでもダメなら直接出向いて頭を下げた。


 何日もそれを続けた。


 そしてようやく、大司祭が許可したからと返事が返ってきた。


 レアンドルが教会へ行くと、すぐに応接室へ通された。


 そして老齢の男性が現れた。




「初めまして、エイルズ=マッカーソンと申します。この度は誠に申し訳ありませんでした」




 男性は開口一番にそういうと頭を下げた。


 それにレアンドルは慌てた。




「大司祭様、顔をお上げください!」




 教会の大司祭が会ってくれるだけでも異例なのだ。


 教会の最高司祭に頭を下げられて平然としていられるはずもない。


 立ち上がったレアンドルが大司祭の肩に触れた。


 それでようやく大司祭、エイルズは顔を上げた。




「何故、大司祭様が謝罪する必要があるのでしょうか? むしろ蔵書の閲覧をお許しいただけたと聞いて感謝したいほどです」




 エイルズが申し訳なさそうな顔をする。


 席を勧められたレアンドルは元の位置に戻し、エイルズも席へ腰掛けた。




「その件で謝罪をさせていただきたいのです」




 何でも教会に届いた手紙は何人かの司祭達が確認する決まりになっているのだが、レアンドルの送った手紙の内容を司祭が悪戯だと思ったそうだ。


 一つの体に二つの人格。


 そのようなことありはしない。


 勝手にそう判断した司祭が適当に断りの手紙を書いて返事をしてしまったのだそうだ。


 だが何度もレアンドルが手紙を送ったことで他の司祭達の目にも触れ、それについてどうするか判断を仰ぐためにエイルズの下へ手紙が上がってきたのである。


 それは最初の手紙から十通近くも後のことだった。


 教会は悩める者を拒んではならない。


 エイルズは慌てて蔵書の閲覧許可を出すことを決め、レアンドルへ手紙を出したのだ。




「そのようなことがあったのですね」


「はい、大変失礼をいたしました……」


「いいえ、結果的に許可をいただけたのであれば、それだけで十分です」




 エイルズが懐から栞のようなものを取り出した。




「こちらが蔵書室へ入るための鍵です。教会へお越しになられたら誰かに声をかけてこちらの鍵を受け取ってください。お帰りの際は誰かに預け、また教会へお越しになられた際に改めて鍵を借りてください。こちらはその旨を書き記した許可証です」




 そして一通の手紙も添えて、鍵が渡される。


 鍵は青みがかった半透明の水晶で出来ており、蔵書室の文字が刻まれていた。




「ありがとうございます」




 王城でも、学院でも、レアンドルの望んだ本はなかった。


 さすがに王城の禁書庫は閲覧出来ない。


 もしかしたらそちらに何かあるかもしれないが、王太子殿下の側近からも外れたレアンドルが個人的に見たいと言っても許可は出ないだろう。




「さっそく蔵書室へ行かせていただいてもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんです。ご案内しましょう」




 そうしてエイルズの案内でレアンドルは蔵書室へ向かった。


 到着すると鍵を壁に翳すように言われ、その通りにするとガチャリと扉が開いた。


 教会の蔵書室は想像していたよりも広く、そして古いインクと紙の匂いがした。




「何かお探しの際は司書にお訊きください」


「分かりました。ここまで案内してくださり、ありがとうございました」


「いえ、お探しのものがあると良いですね」




 エイルズは穏やかに一礼して去っていった。


 改めて蔵書室を眺める。


 王城ほどではないが、それでも圧倒される。


 司書に声をかけて魔法について調べたいことを告げると、その棚まで案内してくれた。




「こちらの棚からあちらの棚までが魔法に関する本が置いてあります」


「……ありがとうございます」




 王城の蔵書室よりかは少ないのが救いである。


 レアンドルは司書を見送り、棚へ顔を向ける。




「よし、やろう」




 まずは背表紙のタイトルからそれらしいものを探すことにした。








* * * * *









 それから夏期休暇中、教会に通い詰めた。


 レアンドルは毎日のように蔵書室を訪れた。


 魔法に関する本で、気になったものは全て読んだ。


 中には丸一日居座ることもあった。


 あまりにレアンドルが調べ物に集中して、食事すら摂らないのを見かねた司書に摘み出されることも少なくない。


 よく姿を見かけるようになったからかレアンドルは教会の者に、祈りの時間に誘われることもあった。


 広い教会の中で、美しいステンドグラスに囲まれ、厳かな雰囲気の中で祈りを捧げる。


 レアンドルは祈りを捧げた。


 ……オリヴィエ=セリエールを、どうか彼女を助けてください。


 レアンドルは真摯に祈った。


 自分のことを祈ろうとは露ほども思わなかった。


 ……そして、許されるなら、元婚約者の幸せを祈らせてください。


 それが自分の傲慢だとレアンドルは分かっていた。


 婚約を解消する原因を作ったのはレアンドルだ。


 そのレアンドルが元婚約者の幸せを願うなんて、身勝手で、自己満足な行為である。


 だが自分のせいで人生が変わってしまった。


 元婚約者に不誠実だった。


 出来ることは元婚約者の目に入らないようにひっそりと過ごすことくらいしかない。


 それからレアンドルは教会の者達と共に、祈りの時間を過ごすようになった。


 熱心に祈りを捧げるレアンドルは信者達からも好評で、話しかけられることが増えた。


 新しい場所で新しい人々との交流はレアンドルのずっと重苦しく沈んでいた心を少しずつ軽くしてくれた。


 けれども、教会でも望むような成果はなかった。


 レアンドルは祈りを捧げた。


 ……どうか、どうか、お願いします。


 初めて祈りの時間を過ごした時からレアンドルの願いは変わらなかった。


 祈りを捧げ、立ち上がると、いつの間にかエイルズが後ろに立っていた。




「ムーラン様、よろしければ少しお話をさせていたく時間はございますでしょうか?」




 レアンドルは疑問に思いながらも頷いた。




「はい、大丈夫です」


「ではどうぞこちらへ」




 そうして最初に通されたのと同じ応接室へ案内される。


 ソファーを勧められてレアンドルは腰掛けた。




「それで、お話というのは……?」




 エイルズが微笑み、懐から何かを取り出した。




「実はとある方より、ムーラン様へ渡して欲しいと手紙を託されたのです」




「どうぞ」と差し出されたそれを受け取る。


 真っ白な飾り気のない封筒だ。


 封蝋にも家紋などはない。


 開封し、中の便箋を開いて、驚いた。


 そこに綴られている文字には見覚えがあった。


 かつて仕えたいと思い続けた主君の文字だった。


 そこにはレアンドルを気遣う言葉だけでなく、最近のレアンドルの話を耳にして、伝えることがあったため、大司教に手紙を頼んだことが書かれていた。


 そしてその後に続いた内容に更に驚いた。


 王女殿下もオリヴィエ=セリエールを救いたいと考え、何と、人格を分離して封じる魔法を作ろうとしているとのことだった。


 オリヴィエがいるとオーリは出てこられない。


 そしてオリヴィエは問題を起こしてしまう。


 レアンドルはオリヴィエに関する噂も知っていたが、王女殿下の悪評を広めようとしたと聞いた時はまさかと思った。


 しかしオリヴィエの周囲にいる貴族令嬢やご夫人の言葉だったので、レアンドルはありえないとは言えなかった。


 何故そのようなことを考えたのかは分からない。


 だがこのままではオリヴィエは決定的な間違いを犯してしまうだろう。


 魔法が出来上がり次第、使用されるかもしれないこと、もしもそれまでにオリヴィエが問題を起こせば、それは全てオーリの責任となってしまうこと。


 それらが書かれていた。


 最後に、この手紙は読み終えたら燃やすようにと書かれていた。


 レアンドルは一言断りを入れてから、灰皿の上で手紙を燃やした。




「大司祭様、ありがとうございます」




 レアンドルの祈りは通じた。


 魔法の才に恵まれ、様々な魔法を作り出している王女殿下がオリヴィエ=セリエールのために動いてくれている。


 人格の一方を封じるというのはやむを得ない。


 このままオリヴィエが何をするか。


 手遅れになる前に、オーリを助けなければ。




「良い報せのようですね」


「はい、希望が見えた気がします」


「それは良かったです。もう一つムーラン様にはお話があるのですが……」




 エイルズが笑みを深めた。




「よろしければ学院を卒業後、教会の聖騎士となる気はございませんか?」




 レアンドルはすぐに言葉が出なかった。




「……そんな、俺、いえ、私は、聖騎士となれるような者ではありません……」




 こんな不誠実で自分本位な人間が聖騎士など。


 エイルズが首を振る。




「自分を卑下してはなりません。ムーラン様のご事情は失礼ながら聞き及んでおります。あなたは確かに過ちを犯しました。しかし、今はそれを悔い改め、正しい道を歩もうと努力されております」


「ですが……」




 立ち上がったエイルズが歩み寄り、レアンドルの肩へ触れた。




「あなたはこの一月半、敬虔な信者でした。そして他者のために行動が出来る人です。剣の腕に覚えがあり、女神様を信仰しておられるならば、聖騎士としての資格は十分にあります」




「それに」とエイルズが続けた。




「聖騎士の中には元傭兵や元冒険者、元貴族であった者も大勢おります」




 大丈夫だと言われた気がした。


 そしてレアンドルは気付いた。


 ……きっと、王太子殿下が手を回してくれたのだ。


 表立ってレアンドルと関わることは出来ないから、教会を通じて、道を示してくれている。


 学院卒業後、レアンドルは行く当てを失う。


 住む場所も、家柄も、貴族籍すらも。


 レアンドルの瞳から涙がこぼれ落ちた。


 ……ああ、あなたの傍で、お仕えしたかった。




「いかがでしょう?」




 エイルズの問いにレアンドルは頷いた。




「是非とも、よろしく、お願いいたします」




 二度と仕えることが出来なくなってしまった主君からの、そして友人からの、最後の優しさだった。


 同時にレアンドルは自分の愚かさを改めて自覚する。


 ……何とかなると思っていた。


 でも、次代の王の側近から外された者を、平民へとなる者を、誰が雇ってくれるだろうか。


 婚約という家同士の契約すら守れない人間。


 そう見られている以上は誰も雇いたがらない。


 レアンドルは泣きながら感謝の祈りを捧げた。


 もう言葉を交わすことが出来ないから。


 この気持ちが届きますようにと。




「きっとその気持ちが届く日が来るでしょう」




 優しい声にレアンドルは涙が止まらなかった。








 

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― 新着の感想 ―
[一言] レアンドル、やっぱりエリートコースから外れて正解でしたね。 あのまま側近コースを歩いてたら、とにかく強けりゃいいんだろ!って剣の修行ばっかして確実に脳筋コース一直線だったから。 側近コースか…
[一言] レアンドルなりにオーリを救える方法を探していた様子は、今までのふらついた感じはなく、まっすぐ頑張っているなと思いました。 だけど、最後の方の"誰も雇いたがらない"ってところは、卒業後に地方に…
[一言] んー。レアンドルはとりあえず先が見えてきたけどオーリがなぁ。まさかあれほど自己中な親だとは。 二人が結ばれたらなぁと思ったけど今のレアンドルが相手じゃ猛反対されるよねぇ。 もういっそ問題起…
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