あと少しの幸福
王家主催の夜会。
貴族達が入場し、挨拶を終えて、ダンスを踊る。
ファーストダンスは主催者が行う。
お兄様とエカチェリーナ様、わたしとルルという組み合わせで、最初のダンスを踊るのだ。
その後はみんな思い思いにダンスを踊ったり、社交に精を出したり、人それぞれである。
ダンス後に休んでいると、お茶会でよく話をするご令嬢達に囲まれた。
これもいつものことだった。
「素敵なダンスでした」
「お二方の息の合ったダンスはいつ見ても素晴らしいですわ」
「今日も王女殿下と男爵様はお揃いの色を身につけていらっしゃるのですね」
今日のわたしは青いドレスだ。
ルルは黒い衣装だけれど所々の小物が青なので、一緒に並ぶと同じデザインのように見える。
わたし達が衣装を合わせてくるのもいつものことだけれど、ご令嬢達からは毎回好評だ。
「あら、王女殿下のその指輪……。それにピアスも、もしかして……」
ご令嬢の一人の言葉に全員の視線がわたしの手と耳に集中する。
「ええ、婚約者とお揃いです」
「まあ、結婚指輪ですか?」
「似たようなものです。式での指輪は陛下がご用意くださいますが、それとは別に夫婦の指輪を贈っていただきました」
ルルを見上げればニコっと笑みが返ってくる。
それにわたしも微笑み返せば、周囲から羨ましそうな溜め息が聞こえる。
「そうなのですね、素敵な指輪ですわ」
「ピアスも一対を二人で分け合うなんて、何だかロマンチックですわね」
「二人で一つという意味でしょう?」
「仲睦まじくて羨ましいです」
結婚前からの指輪も、ピアスも、好意的に受け入れてもらえて嬉しい。
並んで立つルルとわたしの耳にはそれぞれ片方ずつにピアスがつけられている。
指輪も互いの左手の薬指にある。
どちらもクリューガー公爵領で購入したものだ。
あれから毎日欠かさずつけている。
おかげで他のピアスは出番がない。
でもどうしてもこれ以外をつける気がなくなってしまった。
……だってルルと対のピアスだもの。
「どちらで購入されましたの?」
ご令嬢の一人に羨ましげに見つめられる。
「クリューガー公爵領です」
「まあ、もしやウィルビリアの宝飾市場でしょうか?」
「ええ、そうです」
「あちらは王都の宝飾店に負けないほどだとお聞きしましたわ。私も一度行ってみたいものです」
頬に手を当てて残念そうな顔をした。
確かこのご令嬢の領地は王都の西側で、クリューガー公爵領とは正反対の方向に位置する。
王都と領地の行き帰りに寄ることも出来ない。
旅行で行くしかないだろう。
「よろしければ、先日の視察のお話を聞かせていただけませんか?」
「婚約者の男爵様と行かれたのでしょう?」
「ご公務と言えども、婚約者と旅行なんてとても楽しそうですわ」
「ウィルビレン湖も見に行かれたのですか?」
ご令嬢達の質問にわたしは一つ一つ答えていった。
そうして、この間の旅について色々と話をして、楽しい時間が過ぎていく。
あまりに楽しくてかなり話し込んでしまった。
それが終わったのも、お兄様とエカチェリーナ様がやって来たことで、ご令嬢達が下がっていったからだった。
「随分と楽しそうだな」
お兄様とエカチェリーナ様が来たので席を立とうとしたけれど、お兄様に手で制される。
立たなくても良いのだと言うように、エカチェリーナ様がそっとわたしの肩へ触れた。
「クリューガー公爵領での話をしていました」
「なるほど」
「我が領地を満喫していただけたようで光栄ですわ」
お兄様が納得した風に頷く。
エカチェリーナ様は嬉しそうだ。
ふとあまり見かけないご夫人がエカチェリーナ様に控えめに近付き、礼を執り、何事かを耳打ちする。
目が合うとにこやかに微笑まれる。
そうして礼を執ると下がっていった。
エカチェリーナ様が呆れ顔を隠すように扇子を広げた。
「どうやらあの男爵令嬢は今日の夜会には出席していないそうですわ。それどころかここ二週間ほどは夜会やお茶会に出席していないようです」
わたしは思わず「そうなんですか?」と訊き返してしまった。
「本人は出たがっているみたいですが、ご両親がご令嬢が流そうとした噂について耳にしてしまい、叱責されたとか。恐らく謹慎中なのでしょう。ご令嬢が出席の返事をしたお茶会も夜会も、ご両親が体調不良を理由にお断りなさっているそうですわ」
お兄様が不満そうに眉を寄せた。
「王族を侮辱する噂を流そうとして謹慎程度で済ませている男爵も甘いものだがな。噂が広がらなかったから、我々は知らないとでも思っているのだろうか?」
「本当に誠意を見せるのであれば正直に申し出て、娘を罰してくれと言うのが当然でしょう」
「そうだな」
お兄様とエカチェリーナ様がうんうんと頷き合う。
……これでも王女だからね、わたし。
普段はあまり王女らしいこともしてないし、それらしい威厳ある振る舞いもないし。
しかし王女の悪評を立てようとするのは問題だ。
オリヴィエはいまだに、この世界はただの乙女ゲームの世界だと思っているのだろう。
ずっとここで生きているはずなのに。
……どうして分からないんだろう?
自分も、家族も、他の人達も生きていて、ゲームみたいな脇役なんかじゃなくて、きちんと一人一人の人生がある。
それをオリヴィエは理解していない。
「わたくしの『耳』によりますと夏期休暇中はかのご令嬢は謹慎のようです。暴走しないように、わたくしの手の者が上手く男爵令嬢の気を紛らわせてくれるとのことですわ」
「そうか、しばらく会う心配がないと思うと気が楽だ。これで夏期休暇中の社交は問題なく行えそうだな」
お兄様が穏やかに笑った。
よほどオリヴィエのことが嫌いなようだ。
レアンドルの件も許せないのかもしれない。
……お兄様は情の厚い人だから。
「エカチェリーナ様、『耳』とは?」
こっそり訊くと同じように返される。
「言うなれば、わたくしの代わりに情報を集めてくださる方々のことですわ。そういった方々は手足にもなってくださるので助かっておりますの」
ニコ、と微笑むエカチェリーナ様。
お兄様が「私の場合は影がいるぞ」と言う。
わたしにもわたし付きの影がいるらしいけれど、会ったことはない。
ルルが会わせてくれないし、影の人達にお願いするようなこともなくて、わたしから何かしたこともない。
……大体はルルに言えば事足りちゃうからなあ。
ルルを見上げれば小首を傾げられる。
「ルルは色んな意味で優秀だよね」
暗殺者としても多分そうで。
従者としても、護衛としても、婚約者としても。
ルルは何でもそつなくこなすイメージがある。
欲しい情報なんかも訊けば答えてくれる。
唐突なわたしの言葉にルルが微笑む。
「ありがとうございます」
わたしの『耳』はルルなのだろう。
たまにわたしの耳を塞いでしまうけど。
それが、わたしが傷付かないためにしているのだと分かっているからあんまり怒れない。
ルルのしたことだと怒ることもないが。
「ルフェーヴルほどの者はそういない。もし私が雇えるならば、是が非でも雇いたいくらいなのだが」
「申し訳ありません。もう売約済みです」
お兄様の言葉にルルが即答していた。
お兄様は本当に残念そうだった。
* * * * *
セリエール男爵邸の一室。
お茶会にも夜会にも出席は許さないと父である男爵に言われ、屋敷で謹慎状態のオリヴィエは苛立ちと怒りと不満とで内心荒れ狂っていた。
それは同時にオリヴィエの精神を疲弊させた。
そのおかげで少しずつ、オーリが表に出てくる頻度が増えている。
今夜も王家主催の夜会に出られず、オリヴィエは酷い癇癪を起こしていた。
オーリはベッドから起き上がりながら思う。
……このままだと、お父様に嫌われちゃうだろうな。
最近の男爵は以前ほどオリヴィエを可愛がらなくなった。
今回の件で自分の娘に疑問を抱いたようだ。
貴族として、多少傲慢な部分があるのは構わないと考えていたのかもしれないが、オリヴィエが王女殿下の悪評を立てようとしたことはそれだけでは説明がつかない。
貴族であれば身分は絶対だと分かる。
男爵家の娘に過ぎないオリヴィエが、それも母親が平民の者が、自国の王女を貶めようとするなんて。
父親の真っ青な顔は忘れられない。
平民出身の母親ですら顔色が悪かった。
王家への不敬がどのような結果になるかなど、子供でも分かりそうなことなのに、オリヴィエには分からない。
……ううん、理解する気がないのね。
オリヴィエはこの世界を本物と思っていない。
彼女の言うゲームの世界と思ってる。
そしてゲームと違う展開なのは全て、王女殿下が悪いと決めつけている。
でも、そもそもが違うのだ。
そのゲームの世界の主人公は自分であり、彼女は別の人間だ。
だから物語の通りに進むわけがない。
そしてオーリ自身がそれを望んでいない。
「……私はただ穏やかに過ごしたいだけなのに」
頭の片隅に浮かんだ人物を振り払う。
オリヴィエのせいで人生が狂ってしまった人。
オーリが愛してしまった人。
「そうだ、リュシエンヌ様にお手紙を書かないと」
胸の痛みを無視してオーリは机に向かう。
自分にそんな資格など、あるはずがなかった。
* * * * *
夜会を終えて、自分の宮に帰ってくる。
装飾品を外し、化粧を落として入浴し、寝間着に着替えて部屋へ戻れば、そこには同じく着替えたルルが待っていた。
寝る準備を整えるとわたしはベッドに腰掛ける。
横を叩けばルルが隣に座った。
その肩に寄りかかる。
「ピアスと指輪、褒めてもらえたね」
「そうだねぇ」
ルルが腕を回してわたしの肩を抱く。
結婚までもう二週間もない。
十六歳の誕生日、わたしは愛する人の妻になる。
こんなに嬉しいプレゼントもないだろう。
「十六歳の誕生日になったら、わたし、リュシエンヌ=ニコルソンになるんだね」
そして男爵夫人である。
身分についてはわりとどうでもいい。
ルルの奥さんになることが大事なのだ。
「そうだねぇ」
頭に頬擦りされる。
「そうなったら、リュシーはオレの奥さんだねぇ」
「……」
「リュシー?」
顔を覗き込まれる。
今、わたしの顔は真っ赤だろう。
「え、どこで照れたの? もしかして『オレの奥さん』ってところ?」
ルルが灰色の目を瞬かせた。
今までも『オレのお姫様』とはよく言われてきたけど、やはり『オレの奥さん』は破壊力が違う。
……そう、奥さんなんだよね。
自分で思っているよりも嬉しい。
思わずルルから離れて枕に突っ伏した。
こう、なんていうか、叫び出したい気分だ。
さすがにもう夜中なのでそんなことはしないけど、ふかふかの枕を拳で叩く。
枕に顔を埋めているとベッドが微かに揺れる。
「どうしたの、オレの奥さん?」
耳元でからかうようなルルの声がする。
今、多分、わたしにルルが覆いかぶさっている。
背中に少しだけ体温を感じた。
でも体重をかけていないのがルルらしい。
「……わたしの旦那様の意地悪……」
枕の隙間から言えば、背中の体温が消える。
静かになったルルに疑問を感じて上半身を起こして見れば、ルルが片手で口元を覆っていた。
よく見ると目元がほんのりと赤い。
ルルもわたしの言葉に照れたらしい。
それに気付くとわたしの顔にもまた熱が集中する。
「……ね、破壊力、凄いでしょ?」
ルルが頷いた。
「うん、破壊力、凄い」
緩くない口調から本音だと分かる。
互いに顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出した。
「オレの奥さん」
「わたしの旦那様」
気が早いかもしれないけれど。
愛する人をそう呼べるのが幸せだった。
額を合わせて、わたし達はそっと口付けた。




