慈善活動にて
「フレイス孤児院へ行くのは久しぶりだな」
同じ馬車の中、お兄様が言う。
慈善活動にも力を入れているお兄様とわたしだけれど、実は一緒に孤児院へ慰問するのはそれほど多くはない。
お兄様とわたしとで普段は慰問先が異なるように予定が組まれている。
そのため、大きな孤児院への慰問にのみ、お兄様と二人となるのだ。
「そうですね」
「ケインにも随分と会っていないしな……」
お兄様がどこか寂しげな顔をする。
「ケイン様、ですか?」
「ほら、茶髪に同じ色の目の、気の強そうな奴だ。幼い妹が一人いる」
「ああ、あの方ですね」
最初に慰問に行った時に一緒に遊んだ男の子だ。
何故かルルがジッと見ていたので覚えている。
「院長の話では騎士を目指して学院にも入学しているようなんだが、一年だからな、会いに行くには一年の教室へ行かなければならないんだ」
ああ、と納得する。
一年の教室はお兄様にとっては避けたい場所だ。
行けばオリヴィエに遭遇する確率も上がる。
だから行きたくても行けないのだろう。
「そのケイン様とお会い出来るといいですね」
「そうだな、今は夏期休暇中で帰っているだろうしな」
そうこうしているうちに馬車が停まった。
フレイス孤児院に到着したようだ。
馬車の扉が開き、お兄様の従者、ルル、お兄様、わたしの順に降りる。
いつものように院長が出迎えてくれた。
中へ通されて、近況について聞く。
物は足りているか、子供達に食事はさせられているか、困ったことはないか、運営状況はどうか。
それらを聞き終えると子供達に会う。
どういう訳かわたしは小さな子達に好かれやすい。
だから、大抵の孤児院では子供達と遊ぶことが多い。
逆に成人に近い子供達からは遠巻きにされることが多くて、まあ、それは長身のルルがぴったりと傍に控えているのも理由かもしれないが。
お兄様と共に応接室を出ると、待っていたのか、わたしと同年代くらいの茶髪の男の子が廊下の向こうに立っていた。
……あの人がケイン様かな?
お兄様が一瞬嬉しそうに目を細めた。
「わたしは子供達と先に遊んでおりますね」
お兄様にそう声をかけ、シスターに案内をお願いし、ケイン様だろう男の子に目礼をして横を通り抜けた。
もう何度も来ている孤児院なので案内がなくとも歩き回れるのだけれど、そこはやはり王女であるし、勝手に歩き回るのも良くないだろう。
背後からお兄様の明るい声が聞こえたが、わたしはルルと共に子供達の方へ向かったのだった。
* * * * *
アリスティードは久しぶりの再会に喜んだ。
この三年ほど、彼とは会っていなかった。
「久しぶりだな、ケイン」
アリスティードは近付き、ケインの腹を軽く拳で突いた。
その気安い態度にケインは目を丸くした。
しかしそれも僅かな間のことで、すぐに破顔すると、ケインは頷いた。
「ああ、久しぶり、アリスティード」
アリスティードが差し出したままの拳に、ケインも自分のそれをコツンと押し当てた。
ニッと口角を引き上げてケインは笑った。
「学院に入学したそうだな。何でも剣の腕がかなり良いと聞いたぞ?」
「ああ、それは俺もビックリしてる。自分に剣の才能があるとは思ってなかったから」
「そうなのか、だがどこで剣の腕を磨いたんだ?」
それからアリスティードとケインは場所を移動して、中庭の見える花壇の縁に二人で座り込んだ。
そこでアリスティードはケインのこれまでを知った。
十二歳で引退した騎士の下に弟子入りしたこと。
勉強も、剣も、孤児院での仕事も続けたこと。
幸いケインには剣の素質があった。
勉強はまだイマイチだけれど、剣の腕で特待生制度を受けられるようになったこと。
離れた場所で子供達と遊ぶリュシエンヌを眺めながら、アリスティードはケインの話を聞いた。
「それにしても、アリスティードって運動だけじゃなくて頭も良いんだな。前期試験の結果、見たぜ?」
ケインの言葉にアリスティードは苦笑する。
「妹に負けた情けない兄さ」
「あー……、えっと、まあ、そういうこともあるだろ。お前は真面目で努力家だしさ、中期試験と後期試験だってあるし」
「……そうだな」
ケインは正直な男だ。
だからか、人を慰めるのは下手らしい。
けれどもその正直さがアリスティードには好ましかった。
変に気を遣われるより、中身の薄い褒め言葉を重ねられるより、ずっと良い。
「ケインの方はどうだ?」
「俺はまだまだだな。でも少しずつ順位は上げてるし、近衛騎士になるにはもうちょっと良い成績じゃないといけないし」
「近衛騎士になりたいのか?」
「ああ、そのつもりだ」
学院を卒業していれば王城の騎士になれる確率は高いが、近衛となれば更に難しい。
王族の身辺警護を行うため、ただ腕が良いだけではダメなのだ。
ケインが視線を上げる。
それを目で追った先にはリュシエンヌがいた。
子供達と楽しそうに走り回っている。
もうすぐ十六歳になるし、見た目はもう少し大人びて見えるのに、ああして子供達と遊んでいるとファイエット邸にいた頃のリュシエンヌを思い出す。
「俺さ、最初は王女殿下の護衛騎士になりたかったんだ」
ケインの告白にアリスティードは驚いた。
「え?」
思わずケインを見れば、バツが悪そうに鼻先を掻いている。
チラとアリスティードを見た茶色の瞳が、一度だけリュシエンヌへ向き、そして地面へ落とされる。
その横顔はどこか困ったようなものだった。
「多分、俺、綺麗な王女殿下に憧れてたんだ。護衛騎士になって、王女殿下を守れたらいいなって思っててさ。でも王女殿下は学院を卒業したら結婚するだろ? 俺は間に合わない」
そして茶色の瞳がまたリュシエンヌへ向けられる。
それは恋情というよりかは、確かに、本人の言う通り憧憬に近いような気がした。
恋と言うには未熟で、でも憧れと呼ぶには少しだけ熱を孕んでいる。
……そうか、お前もか……。
アリスティードはその時、ケインに仲間意識を感じた。
「私だって、結婚後はあまり会えなくなる」
だから仕方ないのだとアリスティードもリュシエンヌへ視線を移した。
横から視線を感じて顔を戻せば、ケインはアリスティードの方を向いていた。
「でもさ、今はアリスティードの近衛になってやるんだって思ってるからな」
「私の?」
本日二度目の驚きである。
「アリスティードの騎士になって、うんと偉くなって、今度は俺がアリスティードを支える。ここはデカイけど、金があるわけじゃない。でも問題なく続けられてこられたのはアリスティード達が何度も来てくれて、貴族達の関心を引いてくれたおかげだ。寄付も増えたし、売り物もよく買ってもらえるようになった。その恩返しだ」
アリスティードは嬉しくなった。
ついこの間、友人を一人失った。
何れは自分の近衛になるだろうと思っていた友人だった。
今でも友人と思っているけれども、もう、側近候補から外れた以上は気安く付き合うことは出来ない。
その空いてしまった席を、もしもケインが掴むことが出来たならと思ってしまう。
側近でなくとも、一人でも心許せる人間が側にいてくれると嬉しい。
「そうか、待ってる」
短い言葉だが、ケインはニカッと笑った。
「ああ、待っててくれ!」
そうしてまた、二人は拳を合わせて頷いた。
* * * * *
お兄様とケイン様が楽しそうにしている。
……ちゃんとお話出来て良かった。
馬車の中で見たお兄様の寂しげな顔を思い出す。
少し前にお兄様は友人を失った。
だから、今度は失って欲しくないと思う。
でもあの様子なら大丈夫そうだ。
「お姫様、いいことあったの?」
「うれしそう!」
遊んでいた子供達がくっついてくる。
その子供達の頭を撫でてやる。
「そうね、お兄様が楽しそうで嬉しいの」
視線を二人へ向ければ、子供達も視線を動かし、そしてお兄様へ気付くと歓声を上げた。
「王太子様だ〜!」
「王子様ー!」
「わー、来てるー!!」
きゃーっと声を上げながら何人かが駆けていった。
子供達に走り寄られたお兄様が笑っている。
そうして子供達はお兄様とケイン様の手をそれぞれ引いて戻ってくる。
どうやら二人も遊びに混ぜたいらしい。
「今は何をしてるんだ?」
お兄様に問われて答える。
「影踏みです」
「影踏み?」
「追いかける人に影を踏まれたら、交代して追いかけて、他の人の影を踏んだら、今度は追いかけられる側に戻ります」
「ああ、追いかけっこみたいなものか」
でもなかなかどうして影踏みは難しい。
「ちなみに建物や木の影に隠れていいのは十秒だけです。それ以上隠れたら追いかける側になります」
「厳しいな」
お兄様が笑いながら「私もやる」と言う。
そして隣にいるケイン様に「お前もやるだろ?」と訊き、ケイン様も「ああ」と頷いていた。
男の子同士の気安い関係が少し羨ましい。
お兄様達が子供達と遊んでくれるので、わたしは少し休憩することにした。
ルルがハンカチを敷いてくれて古びたベンチに腰掛ける。
「お疲れ様です」
そう声をかけられて笑った。
「ルルもね」
何故かルルも小さな子達には大人気だ。
ルルは子供達と遊ぶことはないけれど、よじ登られたりすると、さすがに対応しないわけにはいかない。
足にしがみつかれることもあってルルはちょっと面倒臭そうなのに、子供達の方は楽しそうなのがちょっとおかしい。
最初は子供達を引き離そうとするが、そのうち面倒臭くなるのかどうでも良くなるのか好き勝手にさせるため、途中から子供に寄って集って絡まれている。
しかし不思議とこうやってわたしが動く時には、子供達の中からスルリと抜け出してくるのである。
「ルルは大人気だね」
「リュシエンヌ様もそうでしょう」
「そうだね、何でかな?」
お兄様は小さい子も大きい子とも仲が良い。
ルルもわたしも小さい子には大人気だ。
今も現にわたし達の周りには遊びに加わるのをやめた子達が数人いて、ベンチに座ったり、ルルの足を掴んだり、思い思いに過ごしている。
別にわたし達とお喋りしたい感じはない。
ただ一緒にいたいみたいだ。
わたしの真似をしてベンチに座った子の頭を撫でる。
不意にルルが言った。
「リュシエンヌ様は子供が欲しいですか?」
わたしは考える。
……子供、子供かあ……。
「今は特に欲しいとは思ってないかな」
そもそも十六歳で成人と言っても、まだ自分は子供だなと思うことも多くて、子供のわたしが子供を産んで育てるなんて想像がつかない。
ルルもあんまり子育てするってイメージがないし。
「それにわたしに子供が出来たらお兄様達が困るでしょ?」
旧王家直系という存在ですら、お兄様の王位を脅かしかねないのに、わたしの子供がお兄様やいつか誕生するお兄様達の子の立場を揺らがせてしまうかもしれないと思うと、安易に欲しいとは思えない。
だけどこの世界の避妊とかってどうなのだろうか。
薬とか道具とか、やっぱり魔法で何とかするのか。
口元に手を添えるとルルが身を屈めて顔を寄せてくる。
「ねえ、避妊ってどうやってするの?」
ルルが目を丸くした。
「薬や道具があります」
「魔法は?」
「そんな便利な魔法はございませんね」
……そうなんだ。
もしあるならどんな魔法なのか少しだけ興味があったのだけれど、そういう魔法は難しいだろう。
「ただ薬はオススメしません。強いものなので、一度や二度とならともかく、常用していたら体の内側からボロボロになってしまいますよ」
それだけ強い薬ということか。
でも道具だと完全とは言えない。
そういう点では前世の世界より、こちらの世界の方がまだまだ遅れている。
……子供が出来ちゃったらどうしよう。
ルルがわたしの耳元で、周りに聞こえないように囁いた。
「もし子供が出来ても大丈夫ですよ。一度孤児院に預け、孤児を引き取った形にして、こっそり育てれば良いのです」
「それ、いいの?」
「要はリュシエンヌ様の実子だとバレなければ良いのです。まあ、この場合は子供が大きくなって物事の道理が分かるようになるまでは外に出せませんが」
それはそれで子供には可哀想な気もするけれど。
でも、もしも子が出来てしまった場合に堕ろさなくとも何とかなるというのは嬉しい。
「それにいざとなったらアリスティード殿下か、信頼の置ける臣下の家に引き取っていただき、そこで育ててもらうことも出来るでしょう」
なるほど、と思う。
その場合は子供とは暮らせない代わりに、子供は自由な生活が送れる可能性が高い。
「ですが、それらは子が出来た時にかんがえましょう。出来るかどうかも分かりませんし、出来ない可能性の方が高いですからね」
ルルの言葉に目を瞬かせた。
「何で?」
「私は毒への耐性をつけるために色々な毒を摂取してきました。その影響で子が出来難い体になっているかもしれないからです」
「そうなんだ」
……体に影響が出るって相当だよね。
「体は大丈夫なの?」
「はい、健康ですよ」
「そっか、それならいいよ。もし子供が出来ても、出来なくても、わたしはルルさえいてくれればそれでいいの」
ルルが嬉しそうに笑った。
「私もです、リュシエンヌ様」
子供は天からの授かりものって言うしね。
特に欲しいとは感じていないものの、ルルとわたしの間に生まれる子にはちょっと興味はあった。
口には出さなかったけれど。