ドレス
王室御用達の服飾店の人間が来た。
旅で購入した布でドレスを作ってもらうためだ。
宮を訪れた服飾店の店主とデザイナー、お針子達を応接室へ通す。
準備を終えた頃に向かえば、いつも通りに丁寧な礼を執って出迎えられた。
「王女殿下にご挨拶申し上げます」
店主もデザイナーも洒落たドレスを着ている。
しかし派手ではなく、いつ会っても、センスが良いなと思わせる落ち着いた品のあるものだ。
「急に呼び出してしまってごめんなさい。ご連絡した通り、購入した布でどうしても作って欲しいドレスがあるの」
「王女殿下のお召しになられるものでしたら、いつでも、最優先でお作りいたします。それをお作りするのが私共の誉れでございます」
「ありがとうございます」
数日前に手紙を送り、急に新しいドレスを作りたいと言い出したわたしに店主もデザイナーも嫌な顔一つしなかった。
王女の前だから隠してるのかもしれないが。
それでも感じられる気配はわたしを敬うものなので、恐らく本当にそう思ってくれているのだろう。
まずはソファーを勧めて座ってもらう。
メルティさんが紅茶を淹れてくれた。
「実は今回お願いするドレスの一つは、今までのものと少し趣向を変えたいの」
手を叩けば侍女達が旅で購入した布を持ってくる。
そのうちの二つを手で示す。
「この布と、この布を、わたしと婚約者の衣装に仕立てて欲しいのです」
黒い布地に紅い花が描かれたものと、白い布地に赤い花が描かれたもの。どちらも同じ花の刺繍だ。
店主とデザイナーが断りを入れて布に触れる。
刺繍と布の質を確かめる。
「良い布ですね。絹を何度も染めてムラがなく、刺繍もとても丁寧な仕事ぶりです」
「クリューガー公爵領の織物市で購入しました」
「なるほど、良い品なのも頷けますね」
服飾店の人々も認める織物市。
そこで直に見て購入出来たのは幸いだった。
それからルルに持ってもらっていたものを、二人へ渡すように指示を出す。
「この布を、こちらのように作ることは出来ますか?」
それはわたしが描いたデザイン画である。
王族の学びの一つに芸術があり、絵もある程度習っていたのもあり、前世の記憶もあって、何とか描けた。
ルル用の男性服とわたし用のドレス。
どちらも出来る限り意匠が同じになるようにした。
ルルの方は、ほぼ男性用のチャイナ服である。
袖や襟に多少あるフリルは白で、生地は黒だ。
現在男性達が着ている服とは異なり、上着の前も後ろも長いことに服飾店の二人は目を丸くしていた。
長いスリットに長ズボンでルルの足がより長く見えることだろう。
そしてわたし用のドレス。
まず下のドレスだが、夜会向きの首回りが開いたもので、胸元から袖にかけて黒いフリルがあしらわれている。
白い生地に紅い花の刺繍された布は四つに分かれており、前と後ろは胸元から膝下くらいまであり、左右は腰から繋ぎ合わせる形だ。両脇は黒い絹の布地だ。四つの布の下部が合わさる部分には黒いリボンで房飾りがある。
白い生地のスカートはまるで逆さまにしたチューリップのようで、その下に黒いフリルとレースのスカートを重ねて穿く。
その上から白い生地で作った丈の短いボレロのような上着を着る。首元にはチャイナ服特有のあの独特な釦で飾り、そこにも房をつける。
袖はかなり短く、ほぼノースリーブに近い。
それに黒いレースの長い手袋をつける。
ルルとわたしは同じ意匠で対の色味になる。
……前世で言うとスカート丈の長いゴスロリチャイナ?
明らかに異国の雰囲気が漂う異色の衣類だ。
「いかがでしょう?」
黙ってデザイン画を見ていた二人が口を開く。
「これは斬新ですわ……」
「飾りが最低限なのに、不思議と地味さはありませんね。ですが房飾りをドレスに使用するとは考えもしませんでした。何故房飾りは黒なのでしょう?」
「黒いフリルや生地もそうですが、婚約者と対の色合いだと分かりやすくしたいので」
ちなみにわたしの髪型案もチャイナっ娘のあのお団子を頭の左右に作ってもらう予定だ。
それはチャイナドレスの布と同じ布でリボンを作る予定だ。
「……変でしょうか?」
今までにないドレスのデザインだ。
「初めて目にするデザインですが、おかしくはございません。きちんと足も隠れておりますし、少々今までのものとは異なりますが形も似ておりますのでそこまで拒否感もないでしょう。コルセットも合わせられるかと思います」
店主がデザイン画から顔を上げて言う。
その横でデザイナーが興奮した様子でデザイン画を見て、顔を上げて身を乗り出した。
「このデザイン、上手く使えば夏場のドレスをもっと涼しく出来るのではないでしょうかっ?」
「と、申しますと?」
「このドレスの裾にフリルだけを縫い付けるのです。そうすれば何枚も穿かなければならないスカートを減らせます。フリルを段にして縫い付ければ下はパニエだけでもふんわりして形になると思うのです」
今のドレスはスカートをふんわり形作るために、スカートを何枚も重ねて穿かなければならず、夏場はなかなかに暑い。
恐らく熱中症で倒れる令嬢も少なくないだろう。
最低でも三枚は穿く必要がある。
そうしなければスカートが綺麗にふんわりと広がらないのだ。
しかも何枚も穿くので着替えの手間がかかる。
その重ね穿きを減らせるというのなら、貴族の女性達には願ったり叶ったりである。
「本当ですか? もしそのようにドレスを改良出来れば、夏場の暑さも着替えの手間もかなり減りますね」
デザイナーがラフ画を描き始める。
それを店主とわたしとで見守った。
「このように作るのはいかがでしょう?」
そう言ってデザイナーがスカートの断面図が描かれたラフ画を見せてくれた。
チャイナドレスの裾にフリルを段になるように縫い付ける。フリルは上から下にかけて幅広になっていくもので、そのおかげで腰の辺りから足元にかけてふんわりと広がっている。
普段着るドレスにしては少々広がりが弱いけれど、それでも問題のない範囲である。
フリルの違いを利用して段を作るなんて凄いと思う。
「これは素晴らしいですね。夜会用は今まで通りでも良いとして、昼間のドレスはこれでも十分問題ないと思います」
昼間に着るドレスは夜会のものより地味だ。
活動することを考えてやや簡素でもある。
むしろ夏場の暑い時期はこういったドレスであまり重ね穿きをしなくて済むようなドレスの方が良い。
「ドレスの軽量化にもなりますし、余ったフリルでもう少し華やかに飾っても良いでしょう」
店主が手を伸ばしてラフ画に手を加えていく。
胸元と手袋にフリルが足されていく。
白地に紅い花のチャイナドレスはスカート部分がふんわりと広がり、裾には黒い房飾りがあしらわれ、胸元と手袋、下のスカート部分は黒い大きなフリルと目の細かいレースをたっぷり使用して華やかに。胸元には刺繍と同じ花のコサージュ。
コサージュはルルとお揃いになった。
脇の黒い絹の部分には光沢のある同色の糸で植物の刺繍がされる。
頭のお団子もチャイナドレスの生地と同じものでリボンをつけて、そこにも黒いフリルが使用される。
フリル部分が増えて更にゴスロリ度が上がったけれど、なかなかに可愛らしいドレスになった。
「いいですね。学院の卒業式に着たいので急ぐ必要はありませんが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。それだけお時間をいただけるのでしたら、フリルにこだわってよりふんわりとスカートが広がるように考えてみましょう」
「ではお願いします」
針子達に布を託す。
それから店主が口を開いた。
「こちらは陛下よりご注文いただいておりましたドレスなのですが……」
布をかけたトルソーを手で示される。
針子達が丁寧にその布を取る。
「こちらを王女殿下がご結婚の際にお使いになられるようにとのことで、補修をさせていただきました」
布の下には真っ白なドレスがあった。
白く滑らかに光を反射させる生地には、同色のレースやフリルがふんだんにあしらわれている。
後ろの襞の長さで花嫁衣装なのだと分かる。
白一色だと野暮ったく見えてしまいそうだが、サテン生地のような反射だけでなく、小さなダイヤモンドを数え切れないほど縫い付けてあった。
白い手袋に白いレース。
前世の花嫁用のドレスを思い起こさせた。
「綺麗ですね……」
思わずうっとりと眺めてしまう。
「このドレスはファイエット侯爵夫人、今は亡き王妃様と陛下がご結婚された時に使用されたものでございます」
「まあ……」
……ファイエット侯爵夫人の?
わたしから見れば義理の母となる人だ。
わたしがファイエット邸に来る前に亡くなってしまっており、面識もなく、わたしは今までお父様やお兄様からあまり話を聞いたことがなかった。
お母様、と呼んでいいのかすら分からない。
だから今までその話題には触れて来なかった。
でも、お父様は妻である女性の花嫁衣装を、わたしに着るようにと用意してくれた。
それは、きっと、ファイエット侯爵夫人を母として思っても良いという意味だ。
花嫁衣装は母から子へ受け継がれるものが多い。
お父様はわたしを実の子のように思ってくれて、大切な妻の花嫁衣装を与えてくれた。
その気持ちが嬉しい。
そっと頬にハンカチが押し当てられる。
気付けば、泣いてしまっていた。
ルルが貸してくれたハンカチで涙を拭う。
「ごめんなさい、嬉しくてつい……」
肖像画でしか見たことのない人だけれど。
もしも生きていたら、義理でも、母親と子として接することが出来たのだろうか。
……大切にしよう。
生涯にたった一度しか着ない花嫁衣裳。
お母様のドレスに、お父様の用意した指輪をはめて、わたしは式を挙げる。
想像するだけで胸が熱くなる。
「半年後が楽しみです」
このドレスを着て、ルルの隣にわたしは立つ。
その日がただただ待ち遠しい。
* * * * *
そろそろドレスを見ている頃だろうか。
山になった書類を片付けつつ、ベルナールは娘について思いを馳せた。
亡き妻の花嫁衣装。
妻が自分の下へ嫁いだ際に着ていたドレスだ。
まだ旧王家の圧政の中、もしもの時にはそれに使用されている宝石やドレス自体を売って換金出来るようにと妻の両親が用意してくれたものだ。
だが妻の生家は既にない。
正確には領は残っているが、他領と統合されて、妻の生家の者達は現在の領主である貴族に仕えている。
そして妻の両親と妻の兄であり嫡男であった次期当主は、妻と同じ流行病で亡くなった。
最後まで領民に寄り添い、領民のために奔走したものの、それにより病に倒れてしまった。
……皆、生き急ぎ過ぎだ。
その心は大切だが、自分も大切にして欲しかった。
当時、まだ幼かったアリスティードが亡くなった母親に縋りついて大声を上げて泣いていた姿を昨日のことのように思い出せる。
妻は頑なに自分のために金を使おうとはしなかった。
領民のためという気持ちは美しいが、家族の気持ちももう少しばかり考えてくれたなら、とも思う。
自分もアリスティードも大切な家族を失った。
あの時の絶望や無力感は忘れられないだろう。
病によって痩せこけ、苦しかったはずなのに、彼女は最後まで笑顔を絶やさなかった。
政略結婚ではあったが、ベルナールは妻を愛していた。
その妻は亡くなる前に様々なものを手放した。
宝石などの装飾品も、ドレスも、換金出来る物はほとんど売り払い、それを民のために使ってしまった。
残っていたのは結婚指輪と少しの装飾品、数着の質素なドレス、花嫁衣装のあのドレスだけだ。
花嫁衣装は母から娘へ受け継がれる。
……構わないよな、ヴィヴィア?
きっと心優しい妻ならば許してくれるだろう。
ベルナールは十年、リュシエンヌの成長を見守ってきた。
国王という立場柄あまり一緒にいてやれなかったが、それでも、常に影から報告を受けていた。
暮らしに困らないように、学びに困らないように、出来る限り配慮もした。
義理とは言えど、娘となった以上はアリスティードと区別をせぬように心がけた。
初めて見た時は痩せ過ぎてボロボロの子供だったリュシエンヌも、もうすぐ十六歳で成人を迎える。
リュシエンヌは良い子だ。
滅多な我が儘も言わず、贅沢もせず、何かを学ぶことや魔法が好きで、努力を惜しまない素直な子だ。
ルフェーヴルへの執着は強いけれども、それはルフェーヴルも同様である。
……ドレスを喜んでくれているだろうか。
今までリュシエンヌは妻に関することは触れてこなかったが、恐らく、母親と呼んで良いものなのか分からなかったのだろう。
アリスティードも亡き母についてあまり口にしない。
もしかしたらベルナールもアリスティードも、リュシエンヌで家族の穴を埋めようとしていたのかもしれない。
母親を失い荒れていたアリスティードはリュシエンヌを引き取って以降は穏やかになった。
家族を喪った悲しみを新しい家族で補う。
妻に、母に、向けられるはずだった愛情の分をリュシエンヌに押し付けているだけなのかもしれない。
それでも良い子にリュシエンヌは育ってくれた。
亡き妻の残した花嫁衣装を着たリュシエンヌは美しいだろう。
……ヴィヴィア、あの子を見守ってやってくれ。
「陛下、こちらの書類のご確認もお願いいたします」
側近の言葉に我へ返る。
「……ああ」
子供の成長は早いものだと内心で苦笑しつつ頷いた。
リュシエンヌの婚姻まで半月を切っていた。
十年という月日はあっという間の出来事だった。




