10日目
翌日、わたしは日がかなり高くなってから目を覚ました。
夜の間にあれこれと考えてしまって、眠る直前には外が薄っすら明るくなっていたので、まだ少し寝足りない。
それでも毛布から這い出て奥の机に向かう。
包みと巾着を引き出しの奥から引っ張り出して、ビスケットを一枚と飴を一つ取り出して、引き出しを戻す。
毛布の上に戻り、ビスケットの端っこを口に含む。
……そもそもクーデターってどんな感じなんだろう。
戦争とか革命とかみたいな?
わたしの中では、城にクーデターの兵士達が押し入って、戦って、武力で制圧するってイメージしか湧かない。
もっと平和的なクーデターもあるんだろうけど、この場合、多分武力でって感じだと思う。
城だけでなく後宮にも兵士が来るだろう。
何たって王妃や側妃、幼い王子や王女達は後宮で暮らしている。
王族は全員捕らえられるだろうから、ここに兵士達が来ないわけがない。
……うーん、隠れてた方がいいのかな?
でも王妃達も逃げたり隠れたりするだろうし、兵士達もきっと後宮の中を隅々まで捜索するだろう。
かと言って物置部屋でジッと待つの?
王族だと気付いてもらえなくて、奴隷か何かと勘違いされたら、それはそれで困る──……かもしれない。
それにいつ起こるかって不安もある。
……王妃達と一緒にいる時は嫌だなあ。
絶対あの人達、わたしに「盾になりなさい」とか「代わりに死になさい」とか言うと思う。
まあ、一番良いのは放置されることだ。
柔らかくなった部分をかじりながら考える。
…………ダメだ、考えたところでクーデターが起きた時にリュシエンヌが出来ることなんて隠れるか待つかくらいしかない。
別に兵士達に抵抗する理由もないし。
とにかくクーデターが起きるのを待つしかない。
起きたら、どこかに隠れて様子を窺ってみよう。
血の気の多い兵士は怖いから、出来るだけ大丈夫そうな人に見つけてもらいたいな。
時間をかけてビスケットを食べる。
一応、ルルが二、三日で戻らなかった時のことを考えてもらった食べ物は節約しよう。
でも薬の飴だけはちゃんと舐める。
口の中を早く治したい。
……ルル、今日来ないんだよね。
前以て言ってもらえるのは助かるけど、来ないって分かってるとそれはそれでちょっと寂しい。
出会ってから毎日顔を合わせていたせいか、あの抑えられた声で話す緩い口調を聞くと安心するようになっていた。
思わずガリ、と飴を噛んでしまった。
飴の表面が少しだけ欠ける。
破片をガリボリと噛み砕く。
ルルに会えないと思うと寂しさと不安で胸がざわつき、なんだか落ち着かない。
……井戸にでも行って来よう。
飴が口の中からなくなったので立ち上がる。
扉をそっと開けて廊下に出て、井戸へと向かう。
建物の外へ出て、井戸へ辿り着いた。
何となく屋根の上を見上げてみたけれど、やっぱり人影はなく、溜め息が漏れた。
桶を井戸の中へ落とし、滑車の縄を引っ張って水を汲み、桶に顔を突っ込んで中の水を飲む。
飲み終わったら地面に残った水を捨てて、桶を元あった場所に戻しておく。
建物の中に入り、人目に触れないように廊下を抜けて物置部屋へ戻る。
開けた扉の隙間から中へ入り、扉を閉める。
埃っぽい部屋の中の、毛布の上へ座り込む。
そのまま横向きに倒れれば、ゴワゴワの毛布の感触を頬に感じた。
右に左に転がってみる。
…………寝よう。
毛布を引っ張って包まると目を閉じる。
ルルと出会う前って、こんなに時間の進まない毎日だったっけ?
胸の中にぽっかりと穴が空いてしまったみたいだ。
物足りない気持ちを我慢して眠りについた。
* * * * *
……妻が妻なら、夫も夫だねぇ。
ルフェーヴルは天井裏で寝転がり、頬杖をつきながら隙間から下の様子を眺めていた。
王城の一室、王の政務室から少し離れた場所にあるその部屋は昼間だというのにカーテンが締め切られていた。
そうは言ってもカーテンの隙間から光が漏れている。
薄暗い室内には一人の男と数人の女がいた。
女達は皆、一様に薄衣を羽織っているだけで、レースのようなその布は殆ど体を隠す役目を果たしていない。
そしてその代わりとでも言わんばかりに宝石や金銀細工の宝飾品を身に纏う。
男なぞ、宝飾品に裸であった。
部屋の中には天蓋付きの大きなベッドがあり、その上で、男と女達が体を重ねている。
今回のクーデターで最も重要な目標である国王を見張る役目を負わされてしまった。
確かにルフェーヴルならば城の警備を掻い潜って王の政務室や寝所にも問題なく忍び込むことが出来る。
贅沢三昧な妻に色事に耽る夫。
……ある意味ではお似合いだねぇ。
むしろこれだけ女達と体を重ねているというのに、王妃と側妃以外で出来た子はリュシエンヌだけということの方が驚きだ。
仕事とは言えど他人の情事を見ることほどつまらないことはない。
女達は王に媚びるように甘い声を出し、王はそれに機嫌良さそうに笑っている。
この手の人間は昔から見慣れていて、新鮮味もなければ面白味もない。
しばらく様子を眺めていたが本格的に事に及ぼうとし始めたのでルフェーヴルは移動することにした。
王と女達がいる部屋から少し離れた場所。
本来であれば王がいるはずであろう政務室に居座っているのはこの国の宰相だった。
でっぷりと太った宰相は仕事は出来るようであったが、それを私利私欲のために使ってしまっている。
ただでさえ王族の散財で国庫が圧迫されているというのに、そこからこの宰相は更に横領しており、国を回すにはもうギリギリである。
いや、実際には金の足りない場所では民を飢えさせないために貴族達が私財を投げ打って何とか保たせている状況なので、この国の国庫はほぼ空だ。
そして国庫の金が足りなくなると王は安易に税を課し、宰相は王の命令だと尤もらしい顔で実行する。
これでは長続きするはずがない。
現王が即位してからまだ十年と経っていないが、クーデターが起きるのは当然のことだった。
……あの王にしてこの臣下ありって感じぃ?
本来は王を諌めるべき立場にあるはずの宰相が王に女を与え、色に溺れさせ、国を支配している。
しかもこの宰相、実は王妃と通じていて、何れは虐待によって自我を封じたリュシエンヌを女王に据え、自身の立場を維持しようと目論んでいるのだ。
王妃に第二王子を暗殺するよう唆し、そうすれば王が代替わりしても贅沢な暮らしが続けられる上に、一国をその手に出来ると囁いたらしい。
王妃はあっさりその話に乗った。
恐らく王妃が第二王子の暗殺に成功したら、やがてはそれを理由に王妃の座から引き摺り下ろすつもりなのだろう。
宰相が秘密裏に猛毒を手に入れようとしていることは闇ギルドから、ルフェーヴルの依頼主にも伝わっているが、王を毒殺する腹積もりか。
もしかしたら玉座を狙っているのかもしれない。
その場合、この宰相はリュシエンヌと結婚するということだ。
……想像しただけでも殺したくなるなぁ。
親子以上に年の離れたリュシエンヌを、玉座のために利用し、手に入れようと企んでいるのならば許しはしない。
この宰相も処刑リストに名が載っている。
……ん〜?
宰相が椅子から立ち上がり、壁の本棚に手を伸ばし、そのうちの一冊を軽く押し込んだ。
するとガコンと音がして本棚が横にズレる。
……なるほどぉ、今時そんなの使う人間がまだいたんだぁ?
本棚のあった壁には小さな扉がついていた。
そして扉には丸い突起が一つあり、宰相がその突起を掴むとカチカチキリキリと左右へ回していく。
最後に何かがはまるようなカチリという音がして、小さな扉が開く。
その中には書類やら一目で国宝らしいと分かる宝石などが入れられていた。
現在、こういった見つけられては困る物の隠し方というのは魔法を使用するのが主流である。
壁や隠し場所に幻影魔法を使って隠し、探知魔法を妨害したり弾いたりする魔法具などを設置したり、魔力を通さない特製の魔法具の中に物を入れて置いたりするのだ。
だがそれはそれで見つけやすいのだ。
妨害したり弾いたりするということは、魔力を感じ取れる者がいれば、そこだけ違和感を覚えるので隠し場所が分かる。
それに比べれば宰相のこの古めかしい手は有効ではある。
魔法を使わずに隠しているので、探知魔法では分かり難い。
探索魔法でも壁の中まで調べようとしなければ発見され難いだろう。
魔法が今ほど発達していなかった古き時代のものだが、魔法に引っかからないという点では、一周回って最新と言えなくもない。
宰相は持っていた書類をそこへ仕舞うと扉を閉め、また丸い突起をカチカチキリキリと回すと本棚を元の位置に戻した。
それから政務をこなすと宰相は部屋を出て行った。
自宅に証拠を保管しないとは面白いことを考えたものだとルフェーヴルは声もなく笑った。
だが、古き時代のこの手の金庫に欠点がある。
それは隠し場所と開け方さえ知っていれば誰でも簡単に開けられてしまうということだ。
屋根裏から音もなく政務室へ降り立つ。
本棚の中の一冊を押し込めば、本棚がガコンと横へズレた。
ルフェーヴルは丸い突起を掴むと耳を寄せ、ゆっくりと回していく。
先ほど宰相の手元を見ていたし、音も聞いていたので、どちらへいくつ回せば良いのか分かっている。
カチカチキリキリと回せばカチンと噛み合う音が響く。
ルフェーヴルは上機嫌で開いた扉の中を見た。
……横領の書類ばっかりだなぁ。それにこんなところに国宝のネックレスや指輪を隠すなんてやるねぇ。
しかも隠されたネックレスや指輪はどれも王家の品にしてはシンプル──……今の王族達に言わせれば地味なものばかりだ。
王妃も側妃も、そして王も派手なものを好む。
地味な品には興味がないだろうから、どうせ気付かれないだろうと考えたのだろう。
……しかも横領の書類、どれも宰相の家とは関係なさそうな家や場所に金が回っているねぇ。これじゃあ宰相が横領してた証拠としてはちょ〜っと弱い。
隠し金庫に入ってるものが必ずしも重要になるとは限らないということか。
王の政務室にあるので、王が横領したり国宝を私財として隠したりしている風にも見える。
金庫に魔法をかけていないのも、いざという時にそのように言い訳をするためだろう。
魔法では特定の人物の魔力にのみ反応して解放されるものもあるが、それでは、発見された時に言い逃れが出来ない。
これでは「王がやった」と言えば宰相の言葉を覆すのは難しくなる。
……そうさせないのがオレの役目だけどぉ。
こっそりと持ち込んだ書類を、今ある書類の山の奥に紛れ込ませておく。
この書類は宰相の部下を買収して得たものだ。
それなりに頭の回る男だったようだが、部下からの信頼や尊敬というものは皆無だったようだ。
多額の金をチラつかせたらあっさり横領の裏帳簿を隠している場所を教えてくれた。
というより、部下は自身の身の安全を確保するために、横領の証拠を宰相の指示とは違う場所に隠していたようだ。
もしも邪魔者として殺されそうになったら、横領の証拠を盾にするつもりだったらしい。
何にせよ、手に入れた書類には宰相直筆のサインなどもあるため、言い逃れは出来なくなる。
書類を入れたら元通りに戻し、扉を閉めて、鍵をかけ直し、本棚を元に戻しておく。
……これでクーデター時に発見されれば良い。
偶然を装って金庫を発見し、そこで宰相の横領の証拠や国宝が見つかるという筋書きである。
宰相はここの金庫を開けるのは月に一、二度だけ。
そのタイミングは分かっていたので今日監視をし、先ほど開けたので、しばらくは開けないだろう。
もし開けたとしても書類の山で証拠となる書類の存在は見えないため、書類の山を退かさない限りは分からない。
天井裏へ戻り、もう一度王の下へ戻る。
王は女達とお楽しみの最中であった。
……リュシエンヌ、どうしてるかなぁ。
つまらない眼下の光景を眺めながら、ルフェーヴルは後宮にいるリュシエンヌのことを思い出していた。
* * * * *