それぞれからの手紙
それからわたしの下に三通の手紙が届いた。
一通はエカチェリーナ様からのもので、旅行の許可が得られたことを自分のことのように喜んでくれて、一足先に自領へ戻ってわたしの歓迎のために準備をするそうだ。
案内もエカチェリーナ様がしてくれるという。
それに感謝と滞在中はよろしくお願いしますといった旨の手紙を綴った。
問題は残りの二通である。
一通目はリシャール先生からだった。
何かあったのだろうかと、ルルが開封して確認した後に手紙を受け取った。
そしてそれに目を通す。
………………はあ。
思わず溜め息が漏れた。
どうやらリシャール先生はオリヴィエと接触してしまったらしい。
手紙の内容が本当であれば、リシャール先生はオリヴィエを素っ気ない態度であしらったようだ。
そこにはつらつらとリシャール先生がその時に感じたであろう驚きと恐怖と理解不能さが書かれていた。
「原作では夏期休暇前に一番好感度の高い攻略対象に、夏期休暇中に会わないかって誘われるんだっけ」
一番好感度の高い攻略対象が、ヒロインのところに来て、夏期休暇中も会いたいと言うのだ。
ルルが一つ頷いた。
「前にリュシーが言ってた『デートイベントのお誘い』ってやつだねぇ」
「多分、オリヴィエはそれがあると思ったんだよ」
原作と大分違った展開になっているのに、どうしてそれが起こると思ったのか甚だ疑問だが。
第一、今のオリヴィエは恐らくどの攻略対象からも好意的に思われていないだろう。
レアンドルはオリヴィエのことが好きだけれど、オリヴィエ自身が好きなのか、オリヴィエがそのふりをしていたヒロインが好きなのかは微妙なところである。
オリヴィエの行動は報告書でこまめに確認しているので、リシャール先生との件についても既に知っている。
レアンドルがオリヴィエの前に現れなかったことも。
……レアンドルが好きなのはオーリなんだろうな。
オリヴィエが演じていたヒロインこそがレアンドルの想い人で、ただそれを真似ていただけのオリヴィエは違う。
だからオリヴィエを誘いに来なかった。
オリヴィエとオーリが別人格、それぞれの人間と仮定すれば、レアンドルの好感度はオーリに向いていて、オリヴィエには向いていないとしたら来るはずもない。
お兄様も、ロイド様もオリヴィエに対する好感度はマイナスか、底辺だと思う。
アンリはどうだか分からないが、婚約者のエディタ様と仲良くやれているということなので、オリヴィエに傾くことはないだろう。
残るはリシャール先生だけど婚約者がいて、二人の仲は良好である。
ルルに関しては言うまでもない。
「攻略対象の中で最も好感度の高い者が来るっていうのに関しては原作っぽいけど、今回の件でオリヴィエに対するリシャール先生の好感度は下がったね」
攻略対象の中で、それでもリシャール先生はオリヴィエに対して他の人達よりも好感度はあったと思う。
生徒だし、同じ転生者で、同郷だから。
でも手紙を読む限り、これでリシャール先生の好感度は地へ落ちただろう。
……自滅してくれて助かるけど。
きっとオーリの方は怒っているだろう。
学院の机を破損させたのだから、真面目なオーリも教師であるリシャール先生も怒るのは当然だった。
「それにしても、机を蹴って壊すなんて凄いね」
木製の机だけれど、それなりに造りは頑丈なはずだし、それこそ壊そうとしたらしつこく蹴らないと無理だろう。
「ん〜、多分脚の部分が曲がったんじゃないかなぁ? 上からの重みには強いけど、横から体重かけて踏めば、結構簡単に折れるしねぇ」
「そっか、横から……。学校の備品なのに壊したりして大丈夫なのかな?」
公共の場の物だから修理費用も請求されるかもしれないし、そういう行動について怒られると思うのだが。
ルルがあははと笑った。
「そりゃあもちろん学院側から親に注意がいくでしょ〜。最初だから注意だけだろうけどぉ、何度も続いたら、修繕費用だけじゃ済まなくなるんじゃなぁい?」
「そうだよね」
「まあ、今まで贅沢に暮らしてたからぁ、今更物を大切にしましょ〜とか言っても分かんないんじゃないのぉ? 散々、物に八つ当たりしてるんだしぃ」
……なるほど、それはあるかもしれない。
報告書で読むオリヴィエは昔からそうだ。
屋敷では物に当たるし、使用人に当たるし、それが彼女にとってはごく当たり前のことで、多分悪いとすら思っていないのだ。
物は壊れたら買えばいい。
人は辞めても雇えばいい。
男爵夫妻は娘に甘いようなので、オリヴィエの願いをすぐに叶えてくれるのだろう。
しかも最近のオリヴィエは勉強や社交に力を入れているから、今回のことで、もしかしたら男爵夫妻達もオリヴィエに少しは厳しくなるかもしれない。
家の中の話ならともかく、学院でのことは揉み消せないし、ただでさえ使用人達に暴力を振るうと噂が立っているので、学院から注意を受ければさすがに見過ごせないだろう。
「オレとしては噂の種が増えて面白いけどねぇ」
「これも流すの?」
「うん、表向きは良い子ちゃんだけどあの子は実は性格悪くて〜なんて、貴族達が好きそうな噂話でしょ〜?」
誰かの醜聞が好きなのは確かだろう。
こんな噂が流れたら、オリヴィエが今まで頑張ってきたイメージアップも全部無駄になりそうだ。
何せ壊された机が修理されたり新品と交換されていたりすれば、オリヴィエの噂が事実だと皆が気付く。
今、周りにいる友人の何人かも離れるかもしれない。
貴族は粗暴な人間を嫌う。
貴族らしい品のある人物が好まれるのだ。
もう一度、リシャール先生からの手紙を読み返す。
……これだけ嫌がってるならリシャール先生が攻略されることもなさそうだ。
新しい封筒と便箋を取り出し、ペンを持つ。
そのままオリヴィエとは一生徒と教師として、必要最低限の付き合いだけにするよう綴る。
リシャール先生もそこは分かってるだろうが。
手紙を書き終えたら、インクを乾かすために置いておく。
ルルが最後の一通の封を切る。
オーリからのものだ。
便箋を出し、開いて、その内容を読んでいく。
それからわたしへ差し出した。
受け取ってわたしも読む。
最近はオリヴィエがストレスを感じているから、少しずつオーリの出てこられる時間が増えつつあるようだ。
段々と返事の間隔が短くなっている。
内容はオリヴィエがわたしを貶めようと噂を流そうとしたことへの謝罪と、それが失敗に終わっていることを報告するもの、レアンドルのことについてだった。
特にレアンドルについては、自分のせいで婚約を解消させる結果となり、レアンドルの未来を奪ってしまったことに深い自責の念を抱いているらしかった。
悪いのはオリヴィエであって、オーリではない。
好きな人の人生をめちゃくちゃにして苦しまない人間なんていないだろう。
そして夏期休暇イベントに入れなかったことで、オリヴィエのストレスは更に溜まっているだろう。
今はまだ夜しか出てこられないオーリも、何れはオリヴィエを押し退ける日が来るかもしれない。
やはりオーリはヒロインだけあって強い。
わたしだったら自分の体が勝手に動いて、自分の意思とは関係ない言動をしたり、好きな人を利用したりしていたら耐えられないと思う。
その精神力の強さはさすがと言う他ない。
「オーリにも返事を書かないとね」
便箋とペンを取り、挨拶から書き始めていく。
報告への感謝とリシャール先生から学院の備品を破損させたことについて、そしてレアンドルに関して。
学院で机を破損させた件についてもレアンドルの件もオーリのせいではなく、悪いのはオリヴィエである。
そしてレアンドルがフィオラ様との婚約を解消したのは彼自身の意思であること。
どうするか一瞬考えたが、わたしは正直に、お兄様がレアンドルにオリヴィエ=セリエールの中に二つの人格が存在する状況について説明をしたことも書き記した。
レアンドルがそれについて調べていることも。
それから、わたしが宮廷魔法士長と共にオリヴィエの人格を封じる魔法を構築中だという旨も書く。
そうならないように細心の注意を払って魔法を構築しているが、魔法の効果は未知数であり、もし発動させてオリヴィエの人格を封じられても、何かオーリにも影響が出てしまうかもしれない。
記憶が消えたりめちゃくちゃになったり、心身への負担から意識不明になるかもしれない。
最悪、廃人になる可能性もある。
だからもし使用するなら最終手段となる。
しかし使用する際にオーリの確認が取れるとは限らず、オリヴィエが出ている間は、意思確認は出来ないだろう。
そのため事前に了承を得たい。
そういう内容を綴る。
最終手段を使用するにあたって、いくつかの条件を用意し、それらに該当するか全てを満たした場合に使用するようにしたい。
一、オリヴィエが故意的に他者の命を奪おうとした場合。
二、オリヴィエが度を越した違法行為を犯し、それを看過出来なくなった場合。
三、王族や貴族に危害を加えようとした場合。
四、王族から要請があった場合。
五、オーリの要請があった場合。
二番目に関してはハッキリ言って当てはまる。
学院の机の破損は国の法に触れるだろう。
そこはかなりグレーな状態になっている。
そして四番と五番に関しては、基本的にオーリの意思を尊重するが、どうしてもやむを得ない場合はこちらの判断で使用させてもらうということだ。
オーリも、オリヴィエが自分の体を使って他者の命を奪おうとしたり、男爵家よりも高位の貴族などを傷付けたりといったことは望んでいないと思う。
……使用人に暴力を振るうのも嫌なはずだ。
けれどもこの世界では貴族の家に仕える使用人達はあまり人権がなく、主人達に暴力を受けたり酷い扱いをされたりしても、それが法で罰されることはまずない。
何故なら貴族の方が立場が上で、使用人は平民が多く、屋敷の備品の一つに過ぎないという固定観念が定着してしまっているからだ。
使用人を殺してしまえばさすがに罪に問われるが、暴力なんかは貴族が「大きなミスを犯した使用人を罰しました」と言えばまかり通ってしまう。
……現状ではそれを法に盛り込むことは出来ない。
大半の貴族から反対されてしまうからだ。
その話はともかく、魔法についての許可をオーリから得ておかなければ。
……一番いいのは使わないことだけど。
男爵令嬢に過ぎない身分で、自国の王女であるわたしの悪評を流そうとするくらいである。
何をしでかしても不思議ではない。
むしろ絶対に何かしでかすだろう。
「……オーリ、大丈夫かなあ。わたしも何かしてあげられたらいいのに……」
オリヴィエの精神が大分削られてオーリが出て来ているのだろうけれど、オーリも、オリヴィエの行動でなかなかに精神的に参っているのではないだろうか。
手紙にオーリを気遣う言葉を書いていく。
わたしには気遣うくらいしか出来ない。
「リュシーがそうやって心配してくれることでぇ、そのヒロインちゃんも頑張れるんじゃなぁい? それにいざという時の魔法を準備してるでしょ?」
ルルが言う。
「でも、オーリに悪影響が出るかもしれないし……」
「そこは最終的にヒロインちゃんが了承するかしないかって話でしょ〜? リュシーは自分の出来ることをしてるしぃ、ヒロインちゃんに最後の砦を用意してあげてるじゃん」
「んー……、そうなるのかなあ」
……その最後の砦は諸刃の剣だが。
それでもいざという時にオリヴィエの凶行を止める術があるというのは、それだけでオーリの気持ちは違うのかもしれない。
束縛の魔法でオリヴィエが暴れないようにするのは簡単だが、根本的な解決にはならないだろう。
結局はオリヴィエという人格を封じるしか手段はないのだ。
最後に終わりの挨拶を書き添えてペンを置く。
インクを乾かし、三通の封筒に便箋を入れ、宛名を書き、それが乾いたら裏返して封蝋を捺す。
「これ、出してきてもらえる?」
「分かったぁ」
ルルに渡せば、受け取り、部屋を出て行く。
……魔法も早めに完成させたいな。
そうは思っても、人の精神や記憶に作用する魔法なので非常に難しく、繊細な魔法で、少しずつ魔法士長と相談しながら組み上げている。
出来上がった魔法を試すことも出来ない。
だからこそ構築式は入念にチェックしなければ。
出来るだけオーリに負担がかからない魔法を組み上げ、ルルの言う通り、彼女の最後の砦として用意してあげたい。
オーリのためにも、わたしや周囲のためにも。
あの魔法は必須である。




