ケイン=フレイスの玉砕
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「やった、五十七番……!」
廊下に張り出された順位表を見て、ケイン=フレイスは拳を握った。
入学時は六十番だったので三人抜いたことになる。
一年の中級クラスにギリギリしがみついているような番号なのは変わらないが、六十番と五十七番では大きな差があるとケインは思っている。
……これならマルクス爺も文句は言わないはずだ。
ケインが騎士を目指し、学院に入学したいと考えてから約三年。
勉強も剣の腕も元騎士のマルクス=エルドという初老の男性に教えを乞い、三年間、毎日孤児院とマルクスの家とを往復した。
孤児院での仕事もあるので日中は難しく、いつも、夕方から夜まで勉強や剣術を習った。
簡単な読み書きと計算しか出来なかったので文字から覚えさせられたし、剣術では体力をつけるところから始まって、剣を握らせてもらえるまで一年もかかった。
マルクスは頑固爺で、子供のケインに対して容赦がなかった。
勉強も剣も手を抜くことはなかったし、ケインにもそれを許さず、常に全力で取り組ませた。
貴族や裕福な商家の子供達は幼いうちから勉強も剣も習うが、ケインは十二歳からだったので、たった三年で追いつくためには厳しく指導するしかなかったのだ。
しかもある程度の礼儀作法まで叩き込まなければならない。
幸い、ケインにはやる気があった。
マルクスは「時間がないなら努力するしかない」と事あるごとに言ったし、ケインも「確かにそうだ」と思っていた。
だから学院に入学するまでの三年間、ケインは文字通り寝る間も惜しんで勉強と剣術を学んだ。
礼儀作法は孤児院の院長からも教わった。
それでも頑張ることが出来たのは、友人であり王太子であるアリスティードや、自分が騎士を目指す目標となったリュシエンヌが時折孤児院を訪れていたからだ。
特にリュシエンヌはこの三年で少女から大人の女性に近付き、美しさに磨きがかかり、その姿を見られるだけでケインは頑張る気力が湧いてきた。
優しく美しい王女殿下の護衛騎士になりたい。
別にリュシエンヌとどうこうなりたいわけではなく、ケインは、ただ騎士として側に控えているだけで十分なのだ。
あの琥珀の瞳を真っ直ぐに見たい。
初めて会った日以降、ケインはマルクスの下に通っていたため、二人とはすれ違ったまま会えていない。
たまに慰問に来た二人を見かけることもあったが、マルクスの下に行く時間と重なって話をする間もなかったし、ケイン自身、余裕がなかった。
心身を削るような努力をして三年。
ケインは学院の試験を無事通過した。
学力はあまり高くはなかったものの、ケインには嬉しいことに剣の素質があった。
剣を握ってからたった二年でマルクスが教えることなどないほどに剣術の腕は上がり、そしてマルクスが後見人となってくれた。
魔法も身体強化や攻撃系が得意になった。
ケインはその剣の腕のおかげで平民でも特待生制度を受けることが出来て、学費が免除された。
寮に入り、生活費は後見人のマルクスが「出世払いだ」と持ってくれている。
それもあって孤児院に迷惑をかけることなく、ケインは望んでいた学院への入学を果たしたのである。
学院生活は楽しかった。
授業は難しいが、新しく出来た平民の友人や孤児院育ちでも気にしない貴族の友人達と互いに教え合い、協力しながら勉強した。
魔法実技の授業も楽しい。
騎士を目指す者達で放課後に集まって剣の鍛錬をしたり、希望者だけが受けられる剣術の授業は魔法を織り交ぜた戦いを教えてくれたり、ケインは充実した日々を送っていた。
「ケイン、何位だった?」
友人に問われてケインは答える。
「五十七」
「上がったね、三人抜きは凄いよ」
「そういうお前は?」
「僕は三十五位」
ケインが「はあ……」と溜め息をこぼす。
「俺より全然上だし、入学の時は四十だっただろ? お前の方が凄いじゃん」
「そうかな? でももっと良い成績を残さないと文官は難しいからね」
子爵家の三男である友人は城勤めの文官が目標で、そのために彼も努力している。
彼の家はいわゆる法衣貴族というやつで、領地を持たず、王城で官職について働くことで金を得ている貴族だった。ちなみに官職によって爵位を得ているわけではないらしい。
友人は非常に気の好い性格で、いつもケインの勉強を見てくれるし、馬が合ってよく一緒に行動してる。
「文官も大変だな。城勤めするなら、どこか希望の場所とかあるのか?」
一口に文官と言っても就く部署は沢山ある。
「財務部だよ。上の兄の補佐をしたくてね。そういえばケインは何で騎士を目指してるの?」
「俺?」
友人に問われて一瞬言葉に詰まる。
王女殿下に憧れて騎士を目指してる、というのは人に話すには少し気恥ずかしい理由だった。
思わず「あー……」と視線を彷徨わせたケインに友人が小首を傾げた。
「もしかして安定した職だから選んだの?」
「いや、まあ、それもあるけどさ……」
騎士は平民の中でも実は人気の職だ。
騎士には大きく分けて三つあり、王都を守護する一般的な警備兵の騎士団と、王城を守護したり任務に赴いたりする衛兵騎士団、そして王族を側で守護する近衛騎士団だ。
一般的な王都を守護する騎士団は学院に通わずとも入れる。ただ就職率も高いが離職率も高い職である。
理由は理想と現実の違いだ。
平民達が思い描く理想の騎士と、王都を守護する騎士とでは仕事の内容があまりに違うのだ。
彼らが想像するのは王家に剣を捧げ、王族や王城を守護する華やかなものだ。
しかし王都を守護する騎士達が行うのは王都内の治安維持で、彼らが想像する騎士像とは異なっている。
おまけに王都を守護する騎士団に入って昇進しても、王城を守護する衛兵騎士団には加われない。
そのため希望を持って入った者達が現実を知り、辞めてしまうことも少なくない。
それでも安定した職なので常に一定数はいるため、離職者が出ても問題なく機能しているのである。
一旦言葉を切ったケインが声を落とす。
「うちの国、王女殿下がいるだろ?」
友人も思わず顔を寄せて、小声で頷いた。
「うん」
「俺が育った孤児院はよく王太子殿下や王女殿下が慰問に訪れてて、昔、二人と遊んだことがあるんだ」
その時のことは今でも思い出せる。
よく晴れた日で、アリスティードと王女殿下も混ざって子供達で走り回った。
王女殿下は動きやすい服装で、王女にしては地味なドレスに、髪を纏め上げていて、レースで目元を隠していた。
でも走り回るからそれは簡単に捲れて下にある琥珀の瞳がチラチラと覗く。
日の光りに煌めく瞳は宝石みたいに綺麗だった。
……思えばアレに惹かれたんだよな。
「確かにお二人は慈善活動に積極的に参加しておられるね。僕の家の担当する孤児院も慰問してくださったし」
「それでその時に王女殿下を知ってさ、何て言うか『この人の近くに行きたい』『騎士になりたい』って思ったんだ」
友人が目を丸くした。
「え、それって恋愛的な意味で王女殿下を好きってこと?」
ケインの頬が一気に赤くなる。
「そんなんじゃない! そもそも王女殿下には婚約者がいるだろ! ……ただの憧れって言うか……。ほら、王女殿下って凄く優しいし、気遣いも出来るし、王女なのに全然威張った感じもないし」
「そうだね、社交界でもよく聞くよ。王太子殿下も王女殿下も王族なのにそれを鼻にかけることもなくて、とても気さくな方々だって」
「だよな!」
食い気味に肯定したケインに友人が笑った。
ハッと我に返ったケインが頭を掻く。
「まあ、とにかく、俺はそれから王女殿下の護衛騎士を目指してるんだ」
それに友人が「あれ?」と首を傾げた。
「でも王女殿下は十六歳で結婚したらニコルソン男爵の下に嫁いで、それ以降はあまり社交界に出ないらしいって聞いたけど……」
「え? 王城に留まらないのか? だってアリ……王太子殿下は王女殿下を溺愛してるだろ?」
友人の言葉にケインは驚いた。
あのアリスティードは妹の王女殿下をとても大事にしているし、溺愛していて、孤児院への慰問にもよくついて来ている姿を見かけていた。
友人が困ったような顔をする。
「王女殿下は王城に残らないと思うよ。……旧王家の血筋がそれを許さないだろうね」
「どういうことだ?」
友人がケインを手招き、人気のない場所へ移動する。
周りに誰もいないのに友人は小声のまま話した。
「王女殿下は前国王の実子でしょ? つまり、本来ならば最も王位に近しい人物なんだ。でも同時に旧王家の血筋故に王にはなれないんだ。なろうとしても、ほとんどの貴族が反対するだろうね」
「旧王家の、前の王族のしてたことが酷かったからか?」
「うん、たとえ王女殿下がどれほど素晴らしいお方であったとしても、旧王家の血筋というそれ自体が問題なんだ。貴族も民も旧王家を嫌っている。もし王女殿下が王位継承権を放棄しなければ、この国は血統を重んじる王女派とクーデターに参加していた王太子派で内乱に発展していた可能性もあったんだ」
王女殿下が王位に興味を示さなかったおかげでそれは回避されたが、実際のところは恐らく王女殿下もそれを理解した上で王位継承権を放棄したそうだ。
今現在も必要最低限の公務にしか顔を出さないのも、男爵という低い爵位の者と結婚するのも、結婚後に社交界から身を引くのも、全て王位を奪い返す意思がないと表すためであるらしい。
「話が逸れたね。そういう難しい話は置いておいて、王女殿下は飛び級して三年生にいるし、今年で卒業したら結婚して男爵家に降嫁する。王家から護衛に騎士は連れて行くかもしれないけれど、今いる近衛騎士の中から選ばれると思う。……だからケインが卒業後に近衛騎士になったとしても王女殿下の護衛にはなれないんじゃないかな」
ケインはショックで言葉が出なかった。
王太子であるアリスティードが溺愛している妹王女だから、きっと、結婚後も王城に残るものだとばかり考えていた。
しかも降嫁したら社交界から身を引くなんて初めて知った。
貴族において社交界がどれほど重要な場なのかマルクスからケインは説明を受けていたし、友人が社交に精を出していることもよく聞いていたので驚いた。
それは、つまり、王女殿下は結婚したらもう人々の前に出る気がないということだ。
「そんな、それでいいのか……?」
……慈善活動にもあんなに熱心で、子供達が好きで、誰からも愛されるだろうあの王女殿下が……。
「僕達にはどうしようもないよ。それにニコルソン男爵は王女殿下が幼い頃からずっと傍にいて守ってきたそうだから、王女殿下のことも悪く扱わないはずだよ」
「それは当たり前だ。王女殿下を雑に扱うような奴に嫁がせたりなんてするもんか」
「それに社交の場で見かけるけど、男爵はずっと王女殿下に寄り添っているし、相思相愛って感じで、王女殿下も男爵も幸せそうだったし」
ケインはふと初めて王女殿下と出会った日のことを思い出した。
そういえば、あの日、王女殿下の従者は熱心な眼差しで主人だけを見つめていた。
「なあ、ニコルソン男爵ってどんな見た目だ?」
「え? えっと、確か王女殿下より色の薄いブラウンの髪で遠目だったから瞳の色までは分からないけど、凄く綺麗な顔立ちの男性だったかな。確か王女殿下とは十歳以上歳の差があるらしいよ」
「……やっぱり……」
あの時の従者だ、とケインは思った。
王女殿下よりも色素の薄いブラウンの髪に、冷たい灰色の瞳、男のくせに妙に綺麗な顔立ちは、微笑んでいるのに鋭い眼差しでケインを睨んできた。
……あいつがニコルソン男爵か。
しかしあの男が王女殿下を守っているのであれば安心だなともケインは感じた。
たった数時間接しただけでも、あの従者が如何に王女殿下のことを大事にしているか、ケインは身をもって思い知っている。
……何せ近付く度にあの冷たい眼差しで睨まれたもんな。今思えばアレって殺気向けられてたんだろうし。
「……王女殿下の護衛は無理か……」
ケインのしょんぼりと落ちた肩を友人が叩く。
慰めるような優しい手付きだった。
「王女殿下は無理だけど、王太子殿下の護衛騎士を目指してもいいんじゃない? 王太子殿下とも面識はあるんでしょ?」
「…………ああ、そうだな」
王女殿下の護衛騎士になれなくとも。
王太子の騎士を目指すのもいいかもしれない。
最近全く会わなくなってしまったけれど、それでも、アリスティードはケインにとっては大事な友人の一人であることに違いはない。
「俺、王太子殿下の護衛騎士を目指すよ」
顔を上げたケインに友人が微笑む。
「応援してるよ」
「ありがとな。俺もお前の目標、応援してる」
「あはは、ありがとう」
そうしてケイン達は教室へ戻るために歩き出した。
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