結末と噂
その日、お兄様は放課後に生徒会室へ寄らず、珍しく真っ直ぐに王城へ帰ることになった。
昼食の時も、授業中も、どこか上の空だ。
ぼんやりとしたお兄様と共に馬車で宮へ帰った。
恐らく、レアンドルに関することだと思う。
今朝お兄様はレアンドルと大事な話があるからと言って、そのまま、二時間目の授業まで戻らなかった。
それから様子が変なので十中八九レアンドル関連だというのは予想出来た。
でもお兄様の様子から直球では訊き難い。
……お兄様が話してくれるまで待とう。
そうして、お兄様がその件について口を開いたのは、それから五日後のことだった。
* * * * *
休日、久しぶりにお兄様がわたしの宮へティータイムをしに訪れた。
ここ数日の落ち込みようを心配していたけれど、今日のお兄様は少し雰囲気が柔らかい。
レアンドルのことで何か進展があったのだろう。
気分転換に良いだろうと庭園の東屋を整えてもらい、そこで今日はティータイムをすることに決めていた。
お兄様は東屋に入ってくると腰を下ろした。
「お兄様、今日は顔色が良いですね」
そう声をかければ、お兄様がふっと眉を下げて微笑んだ。
「ああ、すまない。ちょっとあってな。それで色々と考えていたんだ」
「ムーラン伯爵子息のことですか?」
「はは、リュシエンヌにはバレバレだったか」
苦笑を浮かべ、お兄様はリニアさんが入れてくれた紅茶に口をつける。
わたしも同じく紅茶を口にした。
そしてお兄様がティーカップを置いた。
「今日、レアンドル=ムーラン伯爵子息が正式にフィオラ=ナイチェット伯爵令嬢との婚約を解消し、私の側近を辞退した」
思わぬ言葉にわたしは驚いた。
「え、それは……」
「レアンドルの意思だ」
更に驚いた。
レアンドルは確か、お兄様の側近に、そして近衛騎士になることを目標にしていたはずだ。
それを諦めるなんてよほどのことだろう。
「何故かお訊きしても?」
お兄様は頷いた。
レアンドルのところにオーリの手紙が届いたこと。
それにより、レアンドルは自身の行動について考え、自分の気持ちを理解したそうだ。
その選択が、フィオラ様との婚約を解消して、お兄様の側近から外れるという道だった。
レアンドルは伯爵家の次男。
王太子の側近になるには少々立場が低い。
そのために侯爵家の母を持ち、公爵、侯爵それぞれに人脈を持つフィオラ様との結婚がレアンドルには必要であった。
しかしレアンドルはそれを解消した。
自分の不貞の証拠であるオリヴィエの手紙を父親に見せ、婚約者を蔑ろにしたこと、お兄様の言葉を無視し続けたことを正直に話したそうだ。
そして、それでもオリヴィエ=セリエールを想う気持ちは消えなかった。
だからレアンドルはフィオラ様との婚約を解消したのだという。
お兄様の側近から外れ、レアンドルは学院卒業後、家名を取り上げられることとなるそうだ。
……そんなにオリヴィエが好きなんだ。
未来を失っても、地位を失っても。
それでもレアンドルはオリヴィエを選んだ。
「正直に言えば残念だ。レアンドルは昔から知っていた仲だし、側近候補に挙がってからの付き合いも長い。……レアンドルは自分の道を進むことにしただけだと分かっていても、少しつらい」
肩を落としたお兄様は悲しげだった。
それはそうだろう。
側近となるはずだった友人が自分から離れる道を選び、そして、恐らく今後は関わる機会が減る。
レアンドル自身も、ムーラン伯爵家も、お兄様の期待を裏切ってしまうことになったのだから顔を合わせるのは気まずい。
他の貴族からもムーラン伯爵家は後ろ指を差されるだろう。
「お兄様……」
そっと近付き、その背中をさする。
何と声をかければいいのか分からない。
安っぽい慰めの言葉なんてお兄様は望まないだろうし、そんなもので、癒されるほど浅い傷でもないはずだ。
お兄様が困ったような顔をする。
「大丈夫だ」
「ありがとう」と微笑み返される。
そして改めてレアンドルについて聞いた。
レアンドルは家同士の契約である婚約を守れなかったこと、王太子の側近候補から外れること、不貞を働いたこと。
色々な件で罰を受ける。
まず、卒業後、ムーラン伯爵家から放逐される。
貴族籍を抜けて平民となるのだ。
そしてフィオラ様との婚約は解消。
これもレアンドルの有責で解消されるため、ムーラン伯爵家はナイチェット伯爵家にかなりの額の慰謝料を支払うことが決まった。
そしてフィオラ様は本人の希望通り、お兄様とエカチェリーナ様の結婚後、王太子妃の侍女になることが決定した。
フィオラ様は傷心を言い訳にしばらく婚約する気はないそうだ。
お兄様は「結婚しないだろう」と言っていた。
フィオラ様は自活の道を行きたいので、結婚はせず、一生を侍女として王太子妃に仕えたいと以前からおっしゃっていたそうだ。
レアンドルは学院卒業後は恐らくどこかの地方に移住して、そこで一騎士として身を立てていくだろうとのことだった。
少なくとも王都に残らないだろう、とお兄様は予想している。
……まあ、お兄様達とは顔を合わせ難いよね。
レアンドルとフィオラ様の婚約解消は公表されるそうなので、レアンドルが側近候補から外れるのは明白だ。
きっと、次の候補が選ばれる。
レアンドルはともかく、フィオラ様は婚約者に浮気された女性としてしばらく好奇の目にさらされることだろう。
レアンドルの方は社交界から爪弾きにされるか、逆に噂の的として注目されるか、何れにしても良い方向には転がらない。
「それでも学院を卒業させる辺り、ムーラン伯爵も我が子には甘いようだ」
確かに、と思う。
王太子の不興を買う可能性もあるのだ。
普通なら即刻家を叩き出されているだろう。
「私も残念には思うが、レアンドルが落ちることを望んでいるわけではない。どこかでそれなりに元気に暮らしてくれたら嬉しい」
期待を裏切られても、お兄様はレアンドルに対して友人としての情を持ち続けているようだ。
……でも、それこそがレアンドルを苦しめるかもね。
お兄様の優しさはきっと、レアンドルの罪悪感や後ろめたさを強くするだろう。
けれどそれをお兄様に伝える必要はない。
罪悪感を抱えながら平民として生きる。
それがレアンドルに与えられた罰なのだ。
「では、レアンドルはオリヴィエ=セリエールとの関係を続けるということですか?」
お兄様やフィオラさまと道を違えた。
オリヴィエ=セリエールの下に行くのだろうか。
「いや、レアンドルには男爵令嬢の中に二つの人格があることを含めて大体は説明した。今のレアンドルはオリヴィエではなく、オーリを助けたいと思っているようだ」
「オーリを?」
「ああ、自分の行いを気付かせてくれたオーリに一言礼を言いたいそうだ。そのためにもレアンドルの方でもオリヴィエ=セリエールをどうにか出来ないか調べると言っていた」
……レアンドルはオーリのことも知ったんだ。
オーリはレアンドルのことが好きだ。
そしてレアンドルはオーリのふりをしたオリヴィエに恋をした。
もし許されるならオーリとレアンドルが一緒になってくれたらと思う。
オリヴィエにレアンドルが利用されることに、オーリは酷く心を痛めていた。
少しでもオーリの心が軽くなればいいのだが。
「オーリからの手紙はどうだ?」
お兄様の問いに頷き返す。
「最近、頻度が増えています。どうやらオリヴィエは良い子のふりをすることで大分心労を感じているようで、そのおかげで、オーリが出て来られる時間が増えたみたいです」
「そうか」
良い子のふりをするのはオリヴィエにとって相当なストレスらしい。
オリヴィエの精神が弱ったおかげでオーリが表に出られるなんて、何というか、皮肉である。
でも今のところはオリヴィエが眠っている夜の間しか出て来られないそうだ。
オーリはオリヴィエから主導権を取り戻したいと手紙に書いていた。
「ちなみに男爵令嬢の噂は少し改善されてきているが、それでも、悪評の方がまだ多い。この様子だとルフェーヴルの流している噂は消えないだろう」
悪評を払拭し、味方を増やすためにオリヴィエは良い子のふりを演じ続けているが、ルルの流している噂のせいで、思ったように進んでいないようだ。
……まあ、噂って言っても事実を流してるみたいだし。そういうのはどこからか出てくるものだよね。
オリヴィエは外面だけ正せば良いと思っている。
だから悪評が消えないのだ。
貴族の家に仕える使用人というのは、それぞれの屋敷で独立しているようで、実は意外なところで繋がりがあったりする。
いくら表向きはオーリのふりをしていても、家で癇癪を繰り返し、使用人達に暴力を振るったり傲慢な態度をしていたりすれば、それは使用人達の間で広まってしまう。
そこから他の貴族の耳に入ったのだろう。
オリヴィエはそこを分かっていない。
演じるなら常に演じるべきだった。
「その噂、いつまで流すの?」
控えていたルルに問う。
「ん〜、特に期限は設けてないかなぁ。でもあの男爵令嬢があのままならずっと続けるかもねぇ」
オリヴィエはかなり頑張っている。
母親について行って社交の場にも出ているし、慈善活動にも参加して、人目のある場所では良い子を演じているため、貴族達からの評価は少しずつ回復しているらしい。
そうは言っても微々たるもののようだ。
ルルが闇ギルドに依頼して流している噂は、使用人達の証言もあり、信憑性が高く、なかなか消えない。
……事実だから尚更なんだろうな。
それが嘘であったなら、そこまで長くは続かないし、人々もそこまで大っぴらに話はしないだろう。
しかし事実となれば話は別だ。
自分は事実を話している、伝えている、という思いから、案外口が軽くなる。
事実なので本人が抗議し難いという点もある。
ムキになって噂をしている者達に噛み付けば、更に笑い者にされるのは目に見えている。
今はとにかく噂を払拭するために、自分がそういう人間ではないと暗に示す他ない。
「でもあの男爵令嬢、友達は出来たみたいだよぉ」
ルルの言葉にお兄様が眉を寄せる。
「友達? よく出来たな」
……お兄様ってオリヴィエに対してはかなり辛辣だよね。やっぱり付き纏われた件は根深いのかな。
「まあ、似たり寄ったりなのの集まりだけどねぇ」
「ああ、そういうことか」
お兄様が納得した顔をする。
似たり寄ったりの集まり。
「男爵令嬢みたいな人が他にもいるの?」
ちょっと想像が出来ない。
「そうだねぇ、似てるって言ったけどぉ、噂好きな口の軽〜いご令嬢だったり、人の不幸が好きなご婦人だったり、色々だねぇ」
「……そういう感じなんだ?」
「オレも自分のことあんまりまともじゃないって思ってるけどぉ、男爵令嬢の周りもかなりまともじゃない人間が集まってるんじゃないかなぁ」
それは友達と呼べる関係なのだろうか。
何となく、噂好きな人々がオリヴィエ=セリエールの行動を面白おかしく眺め、話している光景しか想像出来ない。
「そういう人っているんだね」
「貴族は元々噂好きだしねぇ」
「そっか、そうだった……」
別にオリヴィエの心配はしていない。
ただ、そういう人もいるんだなと何とも言えない気持ちになっただけだ。
友人と称しているからと言って本当に友人になれるとは限らない。
わたしの周りには良い人ばかりだけど、優しい顔をして近付いて来る人が全員良い人というわけではない。
「あれじゃあ悪評は消えないだろうねぇ」
「何せ良くない噂ばっかの人達と一緒にいるからねぇ」とルルが笑う。
オリヴィエの努力は実らなさそうだ。
その努力をもっと別の方向に向けてくれるといいんだけれど。
思わず溜め息をこぼすとお兄様と重なった。
側近候補を失ったお兄様からしたら、オリヴィエ=セリエールは厄介な存在だろう。
それによりオリヴィエがお兄様のルートに入ることは絶対になくなったが。




