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温もり

* * * * *







 ふ、と意識が浮上する。


 目を覚ましたオリヴィエ、いや、オーリは数度目を瞬かせた後、むっくりと起き上がった。


 しばし自身の手を見下ろす。


 そして手を開閉して、自分の体が自分の意思で動くことを確認した。


 前回から半月以上経っていたけれど、それでも、今までに比べたら入れ替われるまでの期間は短かった。


 それもこれも、今日あった新歓パーティーが理由だろう。


 表のオリヴィエは酷く動揺していた。


 オリヴィエの心が乱れている時でないとオーリは出てこられないため、今晩は、かなり精神的に弱っているのだということが分かった。


 そうでなくともオーリは目を通してオリヴィエの見たものを共有しているし、心も伝わってくるため、知りたくなくても理解してしまう。


 ……誰とも踊らなくて良かった……。


 オリヴィエは王太子殿下とアルテミシア公爵子息、そして王女殿下の婚約者であるニコルソン男爵と踊りたかったらしい。


 でも全員、婚約者がいるのだ。


 オリヴィエが近付いて良い人々ではない。


 王太子殿下もアルテミシア公爵子息も、公務以外では婚約者としか踊らないと他のご令嬢の誘いを断っていた。


 そのおかげでオリヴィエも踊らずに済んだ。


 表のオリヴィエは怒っていたが、オーリは誰とも踊らずに済んで、心底安堵していた。


 ……レアンドルとも踊らなくて良かった。


 ズキリと胸は痛むものの、もしもレアンドルとオリヴィエが踊ったら、レアンドルの立場が悪くなる。


 ただでさえオリヴィエは貴族の間でも敬遠されており立場が良くないのに、婚約者のいるレアンドルと親しげに踊ろうものなら、それこそ彼の婚約者に申し訳ない噂が立ってしまうだろう。


 オーリはベッドから立ち上がる。


 相変わらず苛立ちを部屋の物にぶつけているようで、オリヴィエの部屋は荒れていた。


 落ちているものを踏まないように避けつつ出入り口へ向かい、部屋を出れば、控え室にいたメイドが気付いて立ち上がる。




「お、お嬢様、どうなさいましたか?」




 前回手紙を託したメイドだ。


 オーリはそのメイドをよく覚えていた。


 少々気弱で、他のメイド達から嫌がられているオリヴィエの世話係を押し付けられた哀れなメイドだった。




「私宛てに手紙は届いてる?」




 オーリは出来る限り普段のオリヴィエのふりをして話しかける。




「は、はい、届いております」


「今すぐ持ってきて」


「はいっ」




 慌てて部屋を出て行くメイドに心苦しくなる。


 尊大なオリヴィエのふりは、オーリにとっては嫌なものでしかなかったし、高圧的な態度を取るのも苦手だった。


 メイドはすぐに一通の手紙を持って戻ってきた。


 オーリはそれを引っ手繰るように受け取った。




「内容を確認するわ。もし返事が必要なら書くから、またその時は送りなさい」




 あの、と小さな声がする。




「い、今からお返事を書くのですか……?」




 夜も大分更けた頃だ。


 深夜になってこっそりと書くのが、普段のオリヴィエらしくないと感じているのかもしれない。




「何よ、文句あるの?」


「いえ! な、何でもありません!」




 意識して睨めばメイドが青い顔で両手を振る。


 後ろ手に扉を閉め、小さく息を吐く。


 ……ごめんね。


 心の中で謝罪してから机へ向かう。


 手紙の送り主は王太子殿下のお名前で、逸る気持ちを抑えながら、ペーパーナイフで丁寧に手紙の封を切る。


 中には何枚かの便箋が入れられていた。


 取り出してみると、それは二つの束に分かれている。


 一つは薄く、開けてみれば、やや角張った几帳面そうな文字が綴られており、それは王太子殿下からのものだった。


 時季の挨拶に、事情は理解したこと、オーリとしての謝罪は受け取るがオリヴィエの方が反省しなければ意味がないこと、極力殿下達はオリヴィエを避けるから了承するようにといった内容だ。


 殿下達がオリヴィエを避けるおかげで彼女の言うところの攻略対象との仲が深まらずに済んでいた。


 上手くいかずに当たり散らしているが、婚約者のいる男性、それも複数の人達と親密な関係になる方が問題だ。


 王太子殿下の手紙には返事は不要と書かれていた。


 もう一つの束を開く。


 そちらには細く、やや丸みを帯びた丁寧で整った文字が綴られている。


 一目で女性が書いたものだと分かる。


 読み進めていくと、何とリュシエンヌ王女殿下からの手紙であった。


 そこには時季の挨拶と共にオーリを気遣う言葉が並んでおり、オリヴィエの行動とオーリの思いは別物であるときちんと理解してくれているようだった。


 オリヴィエはリュシエンヌ王女殿下を敵視している。


 今日の新歓パーティーでもオリヴィエはリュシエンヌ王女殿下を睨み、非常に深い憎悪を向け、王族に対してとても不敬な考えをしていた。


 王女殿下はオリヴィエに恨まれていることを知っておられ、その上で、オーリのことを案じてくれている。


 手紙の文面からそれが読み取れて、オーリは思わずこぼれた涙を慌てて袖口で拭った。


 せっかく王女殿下が送ってくださった手紙をオーリは自分の涙なんかで汚したくなかった。


 それなのにあふれてくる涙は止まらない。


 あんな非常識な手紙を送ったのに、王太子殿下も王女殿下も否定せずに真摯にオーリの手紙に向き合ってくれた。


 しかも王女殿下はオリヴィエに恨まれていると分かって尚、オーリを心配し、このように手紙を送ってくださったという事実が嬉しかった。


 王太子殿下には罵倒されても仕方ないと思っていたし、もしかしたら罰されるかもしれないとも考えていた。


 オリヴィエはそれだけの不敬を働こうとした。


 だが、関知せずという最も穏やかで、そしてオリヴィエにはつらい罰を与えた。


 そのお慈悲に感謝と謝罪の気持ちでオーリはいっぱいだった。


 王女殿下はオーリを気遣い、そして、もし良ければオーリの意識がある時に連絡を取り合おうと提案してくれた。


 それはオーリとしてもありがたい申し出だ。


 前もってオリヴィエのやろうとしていることを伝えられれば、王太子殿下や王女殿下、それ以外の方々もオリヴィエの魔の手から避けられるかもしれない。


 オーリはもう一度袖口で目元を拭うと、小さく鼻をすすりながら、手紙と便箋を手に取った。


 震えそうになる手に力を込めて文字を綴る。


 王女殿下からの手紙を読み返し、それへの返事を綴り、また読み返した。


 その手紙をそっと胸に押し当てる。


 手紙に温度なんてないと分かってる。


 でも、そこから微かながらも温もりが伝わってくるような気がするのだ。


 王女殿下の温かな気持ちが、手紙を通じて、オーリの手に、心に、沁み渡ってくる。


 そう感じられるのだ。


 それが幻でもいい。


 ここに綴られている言葉は本物だから。









* * * * *









 頬を何かが撫でる感触に目が覚める。


 頬に触れているのは誰かの手のようだ。


 でも考えなくても相手が分かる。




「……ルル……?」




 ベッドの縁に座り、こちらを覗き込んでいるルルの影が見える。


 残念ながらランプを背にしているためルルの顔は影になっていて見えないけれど、抑えた声が落ちてくる。




「起こしちゃったぁ?」




 頬を撫でられる。


 その手にすり寄れば「猫みたいだねぇ」と微かに笑いの混じった声がする。


 普段よりも静かで柔らかなこの声が好きだ。


 多分、ルルが気を抜いている時の声だ。




「ううん、へいき……」




 そっと頬にある手に自分の手を重ねる。


 何となく上半身を起こすと、もう片方の手が支えるようにわたしの腕に触れる。


 閉じてしまいそうな瞼を擦る。




「いつも、思うけど、ルルはいつねてるの……?」




 いつ目を覚ましてもルルは起きている。


 そして目を覚ましたわたしに気付いて「ん〜?」と柔らかな笑みを向けてくれる。




「ここで寝てるよぉ」


「……ここ、椅子で……?」


「そうだよぉ」




 いつもははぐらかされるのに、今日は何故かルルは素直に教えてくれた。


 ……椅子で、寝てるの……?


 ぼんやりとした頭でも、それじゃあ熟睡出来ないだろうと思う。




「ねえ、ルル……」




 口元に手を添えて見せれば、ルルが顔を寄せるために距離を詰める。


 その首に両腕を回してベッドの中へ引っ張り込む。


 珍しく、ルルが「わっ?」と声を上げた。


 広いベッドにぼすんとルルと共に倒れ込んだ。


 大きくてしっかりした造りのベッドは軋みすらせず、二人分の体重を受け止めた。


 ベッドに倒れ込んだルルが目を丸くしている。




「リュシー?」




 やや驚いた声音のルルの唇に人差し指を当てる。




「……ルル、しずかに、ね?」




 そのままギュッとルルに抱き着く。




「ルルも、ねよう……」


「それはまずくない? 絶対怒られるよ?」


「……いっしょに、おこられよ……?」




 もう眠くて仕方がない。


 抱き着いたルルの胸元に頭を擦りつける。


 頭上から「何そのかわいい我が儘……」という呟きが聞こえてきたが、わたしは構わずに目を閉じた。


 とく、とく、とルルの心音が心地好い。


 わたしよりも温かな体温が気持ちいい。




「……おやすみ、ルル……」




 響くように「おやすみ、リュシー」と声がした。


 優しく静かな声だった。









* * * * *










 胸元から規則正しい寝息が聞こえてきて、ルフェーヴルは無意識にリュシエンヌの背中に添えてしまっていた手を持ち上げ、自身の目元を覆う。


 視界が遮られるのは嫌いだ。


 だが、今だけはそうしたい気分だった。


 顔が熱い。赤くなっている自覚がある。


 ……リュシーが寝てて良かったぁ。


 こんなところ見せたくない。


 年上としての威厳やら男としての見栄だとか、色々、ルフェーヴルにも思う部分があるのだ。




「……あー……」




 目元を覆ったまま思わず小さく呻く。


 ……これ、絶対後で怒られるやつだよねぇ。


 基本的にリュシエンヌの傍にルフェーヴルがいるものの、リュシエンヌにはリュシエンヌ専用の護衛の影が実はいる。


 それはリュシエンヌが申し出た『監視』の役割も担っている。


 もちろん、実際には監視などではなく、護衛として見守っており、国王であり父親であるベルナールにリュシエンヌの行動が報告されているだけだ。


 これに関してはアリスティードもそうなので、監視というのはほぼ名目上だけのものだ。


 ……うん、やっぱりいるかぁ。


 リュシエンヌに抱き締められたまま気配を探ると、ベッドの斜め上辺りの天井に気配を感じる。


 この影達は王家に、特に現在はベルナールに厚い忠誠を誓っているため、口止めすることは出来ない。


 これもしっかりきっちり報告されるだろう。


 ……どうせ怒られるならいいや。


 捲れたシーツを引き寄せて上へかけつつ、靴を外側へ出しておく。いざという時のために脱ぐことはない。


 少し冷たい細い手足に自分のそれを軽く絡め、体温を移すために更にリュシエンヌを抱き寄せる。


 普段からよくくっついているけれど、こうして眠る時に一緒に横になるのは初めてだ。


 ……リュシー、大きくなったんだなぁ。


 それでもルフェーヴルからしたら小さく華奢だが、初めて出会ったあの頃よりはずっとずっと成長した。


 そして想像以上に美しくなった。


 チョコレートのような柔らかなダークブラウンの艶やかな髪、宝石を思わせる琥珀の瞳は垂れ気味で、その具合に色っぽさがある。


 同年代のご令嬢よりやや長身で、細身で、しかし出るところは出ている。


 新歓パーティーでは多くの男子生徒の目を引いていたのだが、リュシエンヌは全く気付いていないようだった。


 何せリュシエンヌの目はルフェーヴルばかり見ているから。


 それが何よりも嬉しいと感じている自分にルフェーヴルは変わったなと苦笑が漏れる。


 昔は人の視線が鬱陶しかった。


 だから認識阻害のスキルがあることを知った時は喜んだものだ。


 だが今では自らそのスキルを封じている。


 リュシエンヌの傍で侍従として、護衛として、婚約者として姿を現わすために。


 もぞ、とリュシエンヌが身動ぎをする。


 背中を撫でるとべったりとくっついてくる。


 ……そう怒らないでよぉ。


 天井から突き刺さる視線と微かに自分に向けられる殺気に、ルフェーヴルはひらひらと手を振った。


 そしてその手をリュシエンヌの後頭部に回し、しっかりと胸元に抱き込んだ。


 ルフェーヴルも目を閉じる。


 しばらくして、リュシエンヌの寝息に、静かな寝息がもう一つ重なった。










* * * * *

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 読み返していてふと気になったんですが影って四六時中リュシエンヌに張り付いてるんですか?リュシエンヌとルフェーヴルが2人だけのときに前世の話をしてるーみたいなのがあったと思うんですが、オ…
[良い点] ふっ…不可抗力ゥー! [気になる点] 不可抗力……? [一言] 不可抗力、かなぁ…?いやでも寝よう?って要望、めちゃくちゃかわいいお願いのされかたしたら無視する訳にもゴニョゴニョ… 前半…
[良い点] あらあら、まあまあ そういう方面にも我慢してたんですかルフェーヴルさん Σ( ˙꒳˙ )!? いつぞや攫って囲いたいけど体の関係を望んではいない的なこと言ってたのに、いつの間に・・・ …
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