新歓パーティー(1)
入学から一ヶ月後。
オリヴィエ=セリエールに送った手紙に対する返事はいまだ来なかった。
それはつまり本物のオリヴィエ=セリエール、オーリが表に出て来れていないということであった。
そして現在表に出ているオリヴィエも静かなもので、この一ヶ月、何のアクションも見せていない。
だがルルを諦めたわけではないらしい。
闇ギルドからの報告書を読み、その独り言を繋ぎ合わせてみると、どうやら彼女はお兄様かロイド様のルートのトゥルーエンドを目指すことに決めたようだ。
お兄様との出会いイベントですらまともに出来なかったのにそれを選択するのかと思ったが、わたしをかなり憎んでいるみたいなので、リュシエンヌが表舞台から姿を消すお兄様かロイド様ルートを選んだのだろう。
選択するルートからもわたしを排除したいという気持ちが汲み取れる。
原作のことを知っているルルも、彼女の選択の意味を気付いており、報告書を読みながら不機嫌そうな顔をしていた。
「リュシーを排除したってオレはあんなの絶対好きにならないのに、そんなことも分からないなんて本当頭おかしいよねぇ」
と、ルルは心底嫌そうな様子で言っていた。
実際、彼女の思考は不思議なものだった。
わたしを同じ『転生者』と気付いたらしいのに、わたしが原作と違う行動を取っていることにも怒りを感じているみたいだ。
……破滅するって分かってて同じ行動なんてしないでしょ、普通。
でも彼女の中ではそうではないらしい。
同じ『転生者』同士、仲良くする気もなさそうだ。
この一ヶ月、何とかお兄様かロイド様と縁を繋ごうと学院内をうろついている。
おかげで二人の学院での行動範囲は限られてしまい、少し窮屈そうだった。
二人が息をつけるのは授業中か昼食の時間くらいのもので、朝や放課後、休み時間は気を張っていて、やや近寄りがたい。
そう考えるとお兄様もロイド様も可哀想だ。
オリヴィエのせいで、学院生活最後の一年間が気の抜けないものになってしまうなんて。
「リュシエンヌ様、どうかされましたか?」
外面のルルに問われてハッと我へ返る。
いつの間にかパーティー会場となっている広間の入り口まで来ていた。
見上げれば、灰色の瞳が心配そうに見下ろしてくる。
……そうだ、新歓パーティーに出るんだった。
色々と考えているうちに到着してしまったようだ。
「ごめんね、ちょっとボーっとしてた」
エスコートしてくれているルルの腕に添えた手を、軽く組み直す。
ルルが小声で「後で教えて」と言うので頷いた。
多分、わたしが何を考えていたのか知りたいのだろう。別にルルに隠すようなことではないので話すのは構わない。
背筋をピンと伸ばしてルルを見る。
ルルが頷き、ゆっくりと歩き出す。
それに合わせてわたしも歩き始め、会場へ入っていく。
大勢の視線を感じたものの、王族として公務を始めて三年経った今は、この程度の視線ではもう動じなくなった。
何よりルルと一緒だから不安はない。
普段通りの笑みを浮かべていればいい。
わたしとルルが会場に入ると、すぐにお兄様とエカチェリーナ様が近付いて来た。
「遅かったな。何かあったのか?」
エカチェリーナ様をエスコートしてやって来たお兄様に言われ、わたしは苦笑した。
「いえ、わたしが少しぼんやりしてしまっていただけです」
それにエカチェリーナ様が心配そうに眉を下げた。
「まあ、体調は大丈夫ですか? 具合がお悪いようでしたらご無理をなさらずに。椅子に座りましょうか?」
どこか他人行儀な雰囲気があるのは公の場だからか。
けれども心配する金の瞳はいつものエカチェリーナ様のもので、わたしは安心させるために微笑んだ。
「大丈夫です、具合が悪いわけではありませんので」
「そうですか? でも、もし気分が優れないと思われたらすぐに休まれてくださいね」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
お兄様も「具合が悪いと感じたらすぐに退出するんだぞ」と念押しするように言う。
二人とも過保護だけど、その気遣いが嬉しい。
そうしていると遠巻きに他の生徒達の視線を感じ、お兄様とエカチェリーナ様は「挨拶を受けてくるから」と残念そうに離れていった。
わたし達から離れると二人はすぐに他の生徒達に囲まれて、挨拶を受けたり、話をしたりと大変そうだ。
……その点、男爵に嫁ぐわたしに挨拶に来る人はあまりいない。
おかげでのんびり出来るけどと思っていれば、ロイド様とミランダ様を見つけた。
ロイド様がこちらに気付き、わたしが小さく手を振ると、ミランダ様に声をかけてこちらへやって来る。
「やあ、リュシエンヌ様、ニコルソン男爵」
「ご機嫌よう、リュシエンヌ様、ニコルソン男爵」
二人の挨拶にわたし達も返す。
「ご機嫌よう、ロイド様、ミランダ様」
「こんにちは」
「お二人の装い、とてもお似合いですわ」
ミランダ様が微笑ましそうにわたし達を見る。
わたしとルルは二人で纏う色を合わせ、色のはっきりした濃い緑と爽やかなレモンイエローを使った衣装になっている。
どちらも濃い緑を主役に、所々にレモンイエローを使っているので、濃い色合いでも重たく見えない。
「濃い緑が春らしく、レモンイエローがこれからの夏を想像させて、良い色合いでございますね」
「二人とも茶髪だから、こうしているとまるで一対の妖精みたいだね」
一対の妖精というのは、お似合いの夫婦や恋人同士を表現する言葉の一つだ。
この世界では生まれて間もない力の弱い精霊の存在を妖精と呼ぶ。妖精はまだ子供なので人の前に姿を見せることもあり、精霊よりも目撃談が多い。
そして妖精は必ず二つ生まれる。
対となる存在が同時に生まれるのだ。
妖精は生まれながらに自身の対となる存在──人間風に言えば夫や妻──が共にいる。
その二つは同じ色合いを持っているそうだ。
だから、同じ色合いの装いを纏っている仲の良い夫婦や恋人同士の褒め言葉に使われる。
二つの妖精のように対になって見える。
つまり、それほどお似合いの二人という意味だ。
ちなみに対の精霊ではないのは、精霊は滅多に人前に姿を現すことがないからである。
社交界に全く出て来ない人や領地に引きこもっているような人を精霊と比喩することがあるくらい、目撃情報がない。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
ルルがニコッと邪気のない笑みを浮かべた。
わたしが嬉しいと感じたように、ルルもこの言葉を喜んでいるようだった。
わたしもこの濃い緑とレモンイエローの色合いは好きだ。大人びた緑に明るいレモンイエローが入ると軽やかな印象になり、着ているわたしまで気分が明るくなる。
わたし達が話していると何人かのご令嬢が恐る恐るといった感じで近付いていて、話の途切れたタイミングで挨拶をされる。
わたしとルルの装いを見て気になったらしい。
色だけでなくリボンやフリルなど衣装のデザインもお揃いなのが、彼女達の心に深く刺さったようだ。
「婚約者同士で揃いの装いが素敵ですわ」
「あらまあ、リボンもお揃いですか? 愛する方と同じ物を身に付けるなんて、とてもロマンチックですわね」
「よく見たら身に付けていらっしゃる宝石も同じですのね」
「まるで対の妖精のようでお羨ましい……」
「私の婚約者も見習って欲しいものですわ」
わたしとルルを交互に見て、ご令嬢達がはしたなくならない程度にきゃあきゃあと黄色い歓声を上げている。
互いの瞳や髪の色を差し色に使ったり、同じ色の小物を身に付けたりすることはあっても、装い自体を全く同じデザインにするのは珍しい。
よほど仲が良くないと出来ないものだ。
ルルの手が伸びてきて、目元にかかった髪が耳に除けられ、脇の耳にそっとかけられる。
「ありがとう」
ルルがにっこりと微笑んだ。
ご令嬢達がほう、と感嘆の溜め息を漏らす。
「お二方は仲がよろしくて羨ましい限りですわ」
「ええ、お二人が並んでいると素晴らしい画家が描いた絵画のようで、いつも見惚れてしまいますものね」
「どうやってその仲睦まじさを保っていらっしゃるのでしょうか?」
「私は婚約者との仲があまり良くなくて……」とご令嬢の一人が言い出すと、他にも「私も」「わたくしも実は……」と互いに顔を見合わせている。
そして全員がわたしを見た。
「わたし達ではあまり皆様の参考にならないと思いますが……」
そう言ってみたけれど、全員がそれでも聞きたいという顔をするので、わたしはルルを見上げた。
ルルは困っているわたしにクスッと小さく笑う。
それからルルに肩を抱き寄せられた。
「私にとってはリュシエンヌ様が全てです。愛したい、愛されたい、独り占めしたい、全てを捧げたい。そう思った相手がリュシエンヌ様でした」
わたしの肩に触れる手に、自分のそれを重ねる。
「そしてわたしも、わたしの全てを差し出す代わりにこの人が欲しいと思ったのです」
「リュシエンヌ様、どうかあなただけに許した名前で呼んでください」
「そうね、ごめんなさい、ルル」
ルルがわたしの髪を一房取り、そこへキスをする。
手を伸ばしてルルの顔を引き寄せ、その頬に口紅がつかないように、触れるか触れないかギリギリのキスを贈りながら愛称を呼べば、ルルが蕩けるような笑みを浮かべ、互いに微笑み合う。
わたし達の様子にご令嬢達が頬を赤らめた。
ロイド様とミランダ様が苦笑する。
「二人とも、それはご令嬢方には少々刺激が強過ぎると思うよ?」
「ほどほどになさいませんと、お二人の仲睦まじさに当てられて他の方が倒れてしまいますわ。ねえ、皆様?」
ミランダ様の言葉に赤い顔のご令嬢達が頷く。
……まあ、それもそうだよね。
まだ婚約中なのに、こんなに人前でベタベタくっついて、互いに唇ではないとは言ってもキスを贈り合うなんて、滅多にあることじゃない。
婚約者同士と言っても礼節は必要だ。
結婚するまでは他人なのだから。
でもそれはわたし達には当てはまらない。
だってこの婚約は破棄も解消も出来ないものだ。
婚約した時点でわたしとルルはもう結婚が確定しており、それ以外はありえないのだ。
つまるところもう他人ではない。
わたしもルルもそう解釈している。
「……劇よりも劇のよう……」
「ああ、まだ胸がドキドキしますわ……」
「お二方は夫婦のようですわね……」
「……素敵……」
胸を押さえたり、両手を組んだり、それぞれ反応は微妙に違うけれど、ご令嬢達はポーッとした顔でわたし達を眺めている。
ルルが残念そうに眉を下げた。
「私ももし許されるのであれば、今すぐにでも結婚し、攫ってしまいたいほどリュシエンヌ様を独占したいのですが……」
はあ、とルルが溜め息をこぼせば、ご令嬢達の顔が更に赤くなる。
……結婚して攫った後のことを想像したのかな?
というか、ルルがこの状況をちょっと楽しんでいるのが分かる。
それくらいにしてねという意味を込めて「ルル」と名前を呼べば「何でしょう、私の姫様」と甘い声と笑顔を返してくる。
「あまり皆様をからかってはいけませんよ」
めっ、と指で頬をつつくとルルが笑った。
「申し訳ありません。リュシエンヌ様とこうして触れ合えるのが嬉しくて、つい」
「ルル?」
「分かりました、リュシエンヌ様」
わたしがジトッと見上げれば、ルルが自分の口元に手を当てて、これ以上は控えますとジェスチャーをする。
これにはご令嬢達もクスクスとおかしそうに笑い、場の雰囲気が甘いものから和やかなものへと変わる。
でもルルの手は肩を抱いたままだ。
そっと身を寄せれば、その手が更に抱き締めるようにしっかりとわたしの肩に触れる。
……本音を言えばわたしだってルルとの触れ合いが嬉しい。
人前で「この人はわたしの婚約者で愛する人です」と声高に叫びたいくらいだ。
いつだってイチャイチャしたいし、一緒にいたいし、触れ合っていたい。
でもそれだと周りを困らせてしまうから。
それは結婚後のお楽しみとして我慢しているのだ。
ルルの方はわりと遠慮なくわたしに触れるし、くっついてくるし、構いたがるが。
そのおかげでわたしも我慢出来ている。
……結婚したら、ルルから片時も離れられなくなっちゃいそう。それくらい好き。すごく愛してる。
「おや、もうダンスの時間だね」
それまでゆったりとした音楽を奏でていた楽団が、一旦途切れ、そして軽やかな音楽が流れ始める。
ロイド様の言葉に全員が我へ返った。
ダンスはパーティーが始まってから一時間ほど後だと聞いたけれど、話し込んでいるうちにあっという間に時間が経ってしまったようだ。
他のご令嬢達も「あら、もう?」と呟いている。
肩からルルの手が離れた。
横を見れば、大きく、すらりと指の長い手が目の前に差し出される。
「オレのリュシー、どうか踊っていただけますか?」
細められた灰色の瞳にわたしも笑みを浮かべる。
「ええ、もちろん」
そして、その手にわたしの手を重ねた。
優しい力加減で手を引かれ、広間の中央、ダンスを踊るスペースへ二人で歩いていく。
そしてその中心で互いに向かい合い、礼を執る。
そっと体を寄せ、流れてくる音楽に合わせて動き出すルルに体を預けた。
婚約を発表してから公の場ではルルと毎回踊っているので、意識しなくても、自然に体がルルの動きを覚えている。
くるりくるりと軽やかなターンをする度に、ドレスの裾がふわりと空気を含んで揺れる。
大きくターンをした時、呆然とこちらを見つめる新緑の瞳と視線が絡んだ。
大きく見開かれた瞳が一瞬でギラギラとした憎しみの色を宿すのが見えたが、それを隠すようにルルが動き、視界を遮った。