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幻の少年  作者: まきの・えり
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幻の少年2

19.選挙異変


 夏の参議院選挙には、これといった争点も無く、史上最低の投票率になることが予想されていた。

 ところが、蓋を開けてみると、いつもは選挙なんかに見向きもしない若者達が、続々と各地の投票場に現れた。

 各テレビ局の出口調査では、「さあ」とか「忘れた」という答えが多く、「何で今回、投票する気になったんですか?」という質問にも「別に」「何となく」という答えが返ってくるばかりだった。

 投票率は、最終的に八割を越え、各政党をヤキモキさせた。

 このついに動いた浮動票の行方が、選挙の結果を左右することは明らかだった。

 開票が始まった時、各選挙管理委員会は、『KIYOSHI』と書かれた無効票が、余りにも多いことに驚いた。そこで、協議した結果、一応票数を記録として残すことに決定した。

 各テレビ局は、このニュースに飛びついた。

 選挙速報には、比例区と各選挙区ごとに、『KIYOSHI』の欄が設けられ、時々刻々と報道し続けた。

 選挙速報の視聴率は、跳ね上がり、大勢の若者達が、熱心に速報を見つめ続けた。

『KIYOSHI 五百万票獲得! 比例区堂々の一位』と翌日の新聞にも、大きく報道された。

『小選挙区でも、百五十五議席獲得!』

 もしも『KIYOSHI党』なんてものが実在すれば、参議院では最大規模の政党になっている。

 これは、『日本人のブラックユーモア』とか、『政治不信の若者的表現』といった形で、外国の新聞やテレビのニュースにもなった。

「これが、アメリカなら、大統領になれる」と大統領補佐官が呟いたということだが、真偽のほどは明らかではない。

 この選挙結果は、『KIYOSHI現象』と呼ばれ、評論家達は、その分析に嬉々となった。

 が、ニュースには何の関心も無い、当の山浦聖は、勉強したり、歌ったり踊ったりという、規則正しい日々を送っているだけだった。

 食事はおいしかったし、夜は、ぐっすりと眠る。

 朝の目覚めも快調そのもの。

「さあ、今日も楽しい一日が待っている」とわくわくするのだった。

 アメリカの映画に出ると決まってからは、英語の勉強にも非常な興味を持ち始めた。

 美代子先生に頼んで、英語でレッスンしてもらうという熱の入れようだ。

 元々音楽好きなので、耳はいい。大抵の日本人がつまづくリスニングが難なくできる。

 また、直人インストラクターの影響で、パラランゲイジという、ことば以外の表現をすることにも、読み取ることにも優れている。

『この子は、英語なんか勉強しなくても、どこの国の人とでも意思が通じるんじゃないか』と美代子先生は思った。が、本人がやりたいと言うのだから、英語の構造を教え、ビデオやテープも使って、語彙を増やしていった。

 

 夏が終わり、三枚目のCD『KIYOSHI 秋』と作品集『KIYOSHI 6』が出版された頃、アメリカから手紙が届いた。

 ブルース・チャン監督からで、ロザンゼルスまで往復のオープンチケットが同封されていた。

 KIYOSHIの出番が増えたので、登場場面の撮影には一ヵ月はかかるということと、出来るだけ早く来て欲しい、と書かれていた。

 別便で、シナリオも届いた。

 台詞はないということだったのに、かなり長い台詞も含まれている。

 当然のことだったが、社長は苦い顔をし、健三は、どうしたものかとうろたえた。

 まだまだ、先の話だと思っていたからだ。

「大体、映画を作るような人間は、常識がない」と社長は、本人の前では決して言えない暴言を吐いた。

「は」と健三は、どう答えていいのかわからず、いつもの返事をした。

「立っているだけでいい、と言っていたくせに」

「何か問題があるんですか?」と聖はたずねた。相変わらず、単刀直入な質問だ。

「まず、一人で行かせるわけにはいかない」と社長が言った。

「それに、君には、パスポートが無い」

 なるほど、と健三は納得した。

「空港や飛行機など、人が大勢集まるところに行けば、大変な騒ぎになる。それに、一ヵ月も拘束されると、その間の雑誌掲載などを全部ストップさせなければならなくなる」

「じゃあ、早速パスポートを作りましょう」と聖。

「パスポートを作れば、君の姓名、住所、本籍などが全部わかってしまう」

「そうですね」と聖も少し考えた。

「じゃ、変装しましょう。俳優なんだから」

 一件落着。

「それから、雑誌掲載のことですが、続けて大丈夫ですよ。アメリカから送られてきたことにすればいいんだから。前、漫画で読んだんですが、外国から原稿を送っていたって話が載ってましたし」

 二件落着。

「それと、撮影を二週間にしてもらう交渉をしたら、どうですか?」

 三件落着の兆し。

「誰か、一緒に来てもらうことは出来ませんか?」

 四件落着の兆し。

 社長は、じっと健三を見た。

「渡辺君、頼めるかね」

「は。しかし、私は、英語が全くダメでして。パスポートもありませんし」

 実は、渡辺健三、この歳になるまで飛行機にも乗ったことがない。

「渡辺君、頼めるかね」

「は。行けとおっしゃるなら」仕方がない。

「高橋姉弟にも行ってもらおう。英語は、彼らにまかせればいい。あとボディガードとして、中西兄弟にも行ってもらおう。君は、全員の統括責任者だ。絶対に、二週間で帰って来るんだよ」

「は」大役すぎて、涙が出そうだ。

 聖は、アメリカに行けるのが、とても嬉しかった。

 美代子先生と相談して、黒縁の眼鏡をかけて、髪は、後ろで束ねて、タートルネックのシャツの下に隠し、その上から、肩までの長さの黒髪のかつらをかぶると、全くの別人に見えた。

 パスポートを持っていないのは、聖と健三だけだったので、二人でパスポートの申請に行った。誰も眼鏡で黒髪の聖には気がつかなかった。

 健三は、恐る恐る家族に、二週間出張すると伝えたが、「あ、そうですか」と妻が言っただけで、行き先も聞かれなかった。


 わーい、アメリカに行ける! と喜んで荷作りしている聖とは違い、健三は、のろのろと旅行カバンに荷物を詰めていた。

 外国慣れしている高橋姉弟の作ってくれたリストを見て荷作りしながら、飛行機が落ちたらどうしようとか、二週間で帰れなかったらどうしよう、テロに会ったらどうしよう、ピストルで撃たれたらどうしよう、と健三の心配の種は尽きなかった。

「お父さん、明日から出張ね」と娘が声をかけてくれた。

「どこに行くの? また、関西?」

「アメリカ」と健三は弱々しく答えた。

「えー! そうか。わかった。山浦君が、『リング・ストーリー』に出演するんだ」

 何と勘のいい娘だ。

「わかってるって。絶対に、誰にも言いません。特にお母さんには」

「うん。頼んだよ」

「けど、お父さん、パスポート持ってないんじゃないの?」

「取った」

「我が家で、外国に行ったことのないのは、お父さんだけだもんね」

 そうか。お前達は、外国に行ったことがあるのか、と健三は思った。

「いいなあ、ハリウッドか。山浦君は、もう世界的な有名人だね。雲の上の人かー」

 彼と歩いた道、彼と座った公園のベンチ、ほんの半年前のことなのに、今では、遠い昔の思い出みたいに感じる。

 あんなに近所に住んでいたのに、と今では前以上に近所に住んでいるとは、まだ知らない美穂だった。


20.KIYOSHI、アメリカ進出!


 何となく奇妙な一団が、空港を飛び立ったが、誰も、ことさら注意を払わなかった。

 小太りのスキンヘッドの男と背の高い五人の男女、全員が眼鏡をかけている以外、特に変わったことも無い一団だ。

 ただ、観察力の鋭い人なら、誰の眼鏡にも度が入っていず、一人はかつらだと分かっただろう。

 ボディガード役の中西兄弟は、飛行機の中で熟睡し、聖と高橋姉弟は、何やら楽しそうに話している。

 渡辺健三も、眠っているように見えるが、実は、目を閉じて、『神様、仏様、どうか無事に帰って来られますように』と一心に祈っていたのだった。

 何とか飛行機は無事、ロサンゼルス空港に到着し、一緒に乗っていたアメリカ人の団体は、歓声を上げて拍手していた。

 ところが、レンタカーの予約をして、空港から出たばかりの一行の目に、『KIYOSHI WELCOME!』と書かれた大きなプラカードが飛び込んできた。

 ブルース・チャン監督には、飛行機の便は知らせたが、まさか、こんな大袈裟な出迎え風景に出くわすとは思わなかった。

 プラカードの周囲に、たむろしているのは、日本でもお馴染みのカメラマンやレポーターだ。

 パニックに陥りかけている健三に、高橋美代子が囁いた。

「まだ、誰も気がついていないから、さっさとホテルに向かいましょう」

 ファンの群れに手を振りそうになった聖の手は、高橋直人が押さえた。変装している姿を知られたら、身動きができなくなる。

 中西剛が強引にタクシーを止めたところに、黒塗りのリムジンが近づいてきていた。

 高橋直人は、健三と聖と姉をタクシーに乗せ、中西兄弟と一緒に、その場に残った。

 リムジンからは、ブルース・チャン監督が降りてきた。

 わっと周囲に押し寄せてくる報道人の群れ。ファンの群れ。

 高橋直人と中西兄弟は知らん顔をして、その場を離れ、予約したレンタカーに乗って、ホテルに向かった。

「お客さん達、日本人? キョッシーが来るんだって、大騒ぎだけど、同じ飛行機に乗ってたのかい?」とタクシーの運転手が、当の聖に話し掛けてくる。

「さあ。私達は、エコノミークラスだから」と高橋美代子が英語で答えている。

「なるほどね」と運転手は納得したみたいだった。

 まだ、この時の一行は、社長が一ヵ月拘束して百万ドルという出演料と、二週間で滞在費込みの八十万ドルという交渉をしていることは知らなかった。

 知っていたら、ファーストクラスか、せめて、ビジネスクラスにしてくれ、という話にもなっただろうが、行きも帰りも、エコノミークラスだった。

 高橋美代子は、ホテルに着いたとたん、ブルース・チャン監督の携帯電話に電話して、無事にホテルに到着したことを知らせた。

「それは困ったことになった。空港近くにインタビュー会場を準備していたのに」

「申し訳ありませんが、それは、契約に含まれていません。いいですか。KIYOSHIは、日本では、家から一歩も外に出られない生活を送っているんです。日本の首相よりも有名人なんです。アメリカにも極秘で来ています。インタビューで、KIYOSHIは、都合で来られなくなった、と説明してください。そうでなければ、このまま日本に帰ります」

「わかった。全て、言う通りにしよう。で、ホテルは、どこだね。こちらから迎えを出すが」

「それも、極秘です」

「しかし、明日のスタジオ入りは、どうするのかね」

「時間前には、到着します」

「わかった」

 高橋美代子は、生徒には優しいが、仕事には厳しい女性だった。

 聖は、高橋直人と同室で大喜びだった。

「アメリカだー」と喜んでいる。単純なものである。

「聖、荷物をほどかないと」と自分よりも先に着いているくせに、何の荷ほどきもしていない聖に、高橋直人はヤキモキしている。

 姉との計画では、日本では、プロダクションから一歩も外に出ていない聖のために、レンタカーを借りて、ロサンゼルス見物をする計画を立てていた。

 撮影が始まってしまったら、そんな時間は取れないだろう。

 渡辺健三は、シングルの部屋で、一人荷ほどきしながら、心細さに泣きそうだった。

 無事に着いたのはいいけれど、健三は英語がわからない。

 税関でも、空港でも、タクシーの中でも、ホテルのチェックインでも、高橋美代子が全部取り仕切っている。

 それは、大変ありがたいが、こんなことなら、日本に残っていれば良かった、と健三は、一人淋しく思うのだった。

 しかし、高橋直人が借りたレンタカーで、日本人ばかりになると、健三はようやく人心地がついた。ドライブは気持ちが良かったし、ユニバーサルスタジオは、日本でも行ったことが無かったので、入って見物したというだけで嬉しかった。

 最後に日本料理店に入ると、健三は生き返った気がした。料理人や働いている人が日本人だというのが気にいった。

 外国人も周囲にいたが、あんまり気にならなかった。

「明日は早いから、もう引き上げましょう」と美代子に言われても、まだ、この店にいたい気持ちだった。ビールも日本産だし、言うことはない。

 ホテルに戻り、一番広い、聖と直人の部屋に全員が集まって、明日以降の段取りを相談した。

 健三と直人は、ホテルに残り、健三は、社長との連絡係、直人は、聖や美代子の連絡係だ。健三は、訳のわからない撮影現場に行かなくてもよくなり、英語のできる直人も残ってくれるので、内心ホッとしていた。

 中西兄弟は、ボディガード兼運転手兼撮影係、これは、外部には出さない約束で、契約に書き加えられた部分だ。聖の登場場面だけは、撮影してもいいことになっていた。

 美代子は、通訳兼交渉係だ。

 四人は、変装姿でホテルを出て、スタジオの近くで、変装を解き、そのままスタジオ入りする。帰りは、行きと反対だ。

「このかつらは、重いし暑いよ」と聖は言った。

「台詞も随分多いけど、大丈夫ね」と美代子は、そんな愚痴には付き合わない。

「パスポートが出来るまで、日があったから、他の人の台詞も覚えてしまった」と聖。

「OKが出るかどうかわからないけど、歌いながら踊る場面では、直人さんが作ってくれた曲を歌ってみる」

 シナリオを全部読んだ美代子と直人は、台詞を少し手直ししたり、「この歌では、KIYOSHIの良さが出ない」ところは、新しい歌を挿入した。

「さ、今日は、もう寝よう。シャワーは朝」

 聖は、すぐに寝てしまい、高橋直人は、何となく寝そびれて、聖が心配しなけれならない分、自分が、あれこれと心配した。

 シャワーは、朝と言われた健三だが、風呂は寝る前、と堅く思い込んでいるので、ゆっくりと湯船につかった。一人部屋で良かった瞬間だ。

 枕が変わると眠れないタチだったが、なぜか、すぐに眠ってしまった。

 中西兄弟は、飛行機でも寝ていたが、パジャマに着替えて、枕に頭がついた瞬間、夢の世界に旅立った。いつでも、どこででも眠れる幸せな兄弟だ。

 旅慣れているはずの高橋美代子は、少しウトウトすると、聖の台詞が頭に浮かんだり、撮影がきちんと出来なかった悪夢を見たりと、珍しく熟睡できなかった。


 翌朝、朝のシャワーを終えて、ホテルのレストランで食事をすませると、健三と直人は部屋に残り、撮影機材と着替えを積んだ四人は、レンタカーで、ホテルを出発した。

 スタジオの近くで、パーキングすると、聖は、かつらを脱いで、髪を整えて、写真集と同じ恰好になり、中西兄弟は、一度やってみたかったけれど、日本ではできなかった黒のスーツに黒のネクタイにサングラスというマフィアスタイルになり、高橋美代子は、眼鏡を外しただけだった。

 それでも、万一の場合に備えて、聖には、薄い布をスッポリと被せた。

 スタジオの入口の守衛は、多少、不審がったが、「ブルース・チャン監督を呼んで」という美代子の英語力と迫力に負けて、通過させた。

 KIYOSHI達一行が、車から降りると、それまで騒めいていたスタジオに、一瞬の間、静寂が訪れた。

「キョッシーだ」

「キョッシーが来た」という囁き声が聞こえる。

 昨日のテレビのニュースで、監督自らが、手違いだった、KIYOSHIは、来られなくなった、と謝ったのを見ていたので、本当に、予定通りにKIYOSHIが来るかどうかは、誰にもわかっていなかった。

 監督は、大きく微笑みながら近づいてきて、聖と握手した後、抱擁した。

 中西兄は、既に、ビデオカメラを回していた。サングラスが邪魔だったので、仕方無く外した。

「KIYOSHI、よく来てくれた。一ヵ月かかるところを二週間で撮らないといけないので、早速始めてもいいかな」

「はい」

 監督は、英語で話していたけれど、聖には一ヵ月、二週間、始めるというのが聞きとれたので、言っていることはわかった。

 スタジオの中には、森が出来ている。

 そこに、前に会った主役の二人を見つけた聖は、踊っているかのように、近づいた。

「カメラ」と監督が叫んでいる。

 二人と笑い合いながら、一緒に転がったり、踊ったりしていた。

「あなたは、誰?」ともう台詞に入っている。

「私は、誰でもないもの」と聖は歌うように答える。

「妖精?」

「そう呼ぶ者もいる」

 そして、聖は、踊りながら、直人の作った歌を歌い始めた。

 主役の二人は、本当に、呆気に取られて、その歌を聴いている。

 台本とは違うけれど、奇妙に、この場に合っている。

 そして、演技以前に、心の中に力強い何らかの意志が生まれ、希望が生まれ、夢が生まれた。

 その直前の物語では、もう何もかも失ったはずだったのに。

 妖精に誘われて、二人も一緒になって、歌い踊る。

 二人が、明日への希望に燃える瞳に変わった時、突然、妖精は、姿を消した。

「カット」と監督が言った。目が血走って、頬が赤くなっている。

 予定では、衣装合わせをやり、台詞の読み合わせをやり、英語の発音のまずいところを直して、細かい打ち合わせをして、撮影に入るはずだった。

 今の場面は、台本以上にパーフェクトだ。

 きちんとフィルムに撮れていればいいが。

 この場面は、全体のクライマックスになるだろう。

 何て、自然で自由な動きなんだ、また、何という声だ。

 本当に、目の前に本物の妖精が現れたのかと錯覚してしまった。

 KIYOSHIを主役にした映画を作りたい、と監督は、本気で思った。

 最初に、監督やスタッフの度胆を抜いてしまったお蔭で、後の撮影は、驚くほど順調に進んだ。

 最初の台本には無かったが、予定が全部終了した後、監督は、海辺で歌って踊るKIYOSHIを撮りたいと言い出した。

「それは、契約にはありません」と高橋美代子は言い張ったが、「いいですよ」と聖は言った。

「その代わり、主役の二人と、僕のインストラクターも一緒に」

 監督の自家用ジェットで、東部の海岸まで飛び、聖と高橋直人、ミッキー・マトロフとミリアム・バトラーは、波とたわむれながら、子供に戻ったかのように歓声を上げ、歌い踊り、転げ回った。

 ブルース・チャン監督は、放心したように、それを見ていた。

「全ての原点が、そこにはあった」と監督は、後に語った。

「きっと、我々の遠い祖先は、今よりもずっと自由で豊かで幸せな生活を送っていたという確信を持った」

 ずっと後の話になるが、監督は、その映画の後、休業宣言を出し、ハリウッドのヒットメーカー、銀幕の魔術士という異名を返上して、地味な作品を作るようになった。

 以前のような大ヒット作品ではないが、家族をテーマにした、いつまでも観た人の心に残る作品を作った。

 

20.変化の兆し


 行きと同様、聖達一行は、エコノミークラスで帰還した。

 全員が、それぞれ、様々なことを感じる旅だった。

 撮影自体は、二週間以内に終了し、最後の海岸行きには、全員が参加した。

 実際には参加せず、見ていただけだったが、健三の心は、波のそばにいて、聖達と歌ったり踊ったりしていた。

 中西兄弟は、カメラを回しながら、日本に帰っても、マフィアルックをしようと心に決めていた。

 高橋美代子と、弟の直人は、自分達の役目は、一応終わった、と思っていた。

 聖に教えるよりも、聖に教えられる方が多かったような気がする。

 聖だけは、あまりものを考えず、凄く楽しかった経験だけを覚えていた。

 そして、変装さえすれば、どこにでも行けるという知恵を身につけた。

 社長は、上機嫌で、全員を出迎えた。

 中西兄弟の撮ってきたビデオは社長を喜ばせ、早速、それで写真集の第二作を作ることに決めた。

 以前と変わらない日々が戻ってきていたが、そういう日々をこなしながらも、アメリカに行った一行は、微妙に、以前と違ってきていた。

 高橋美代子は、とにかく自分の持っている知識や経験を、より効率良く聖に譲り渡そうと考えていたし、それは、弟の直人も同様だった。

 中西兄弟も、以前と同じように、職務は忠実にこなしたが、マフィアルックだけは、社長が何を言おうと変える気はなかった。

 アメリカ旅行で一番影響を受けたのは、健三だったのかもしれない。

 不思議に、子供時代のことを思い出すようになった。カルチャーショックというよりは、人生ショックを受けたと言った方がいい。

 日本のマスコミは、ブルース・チャン監督に振り回されていた。

 KIYOSHI、アメリカ上陸の噂を聞きつけて、大挙してアメリカに取材に行くはずが、KIYOSHIは来ない、ということで、全部キャンセルになった。

 それなのに、その後で、KIYOSHIは、『リング・ストーリー』に出演するためにアメリカに来ていた、という。

 全て、後の祭りだ。


 KIYOSHIの四枚目のアルバム『KIYOSHI 十七歳 冬』と作品集『KIYOSHI 7』『KIYOSHI 8』も、相変わらず、売れ続けた。

 それに、写真集『KIYOSHI アメリカ』も出版された。

『KIYOSHI 十七歳 冬』には、高橋直人が映画のために作った曲も挿入され、アメリカでの映画公開と重なって、日本でより先に、アメリカのヒットチャートを駆け登っていた。

 KIYOSHI関係のものは全部手に入れないと気がすまないファンの数が、恐らくは一番多いだろうが、作家としてのKIYOSHIの堅実なファンも着実に増えていた。

 聖の冬のボーナスも、夏と同様、二千万だった。

 聖は、夏に感動したほど、冬には感動しなかった。

 大抵の人間なら感じるような欲では無かった。

 会社に貢献した額から言えば、二億や三億はもらってもバチは当たらない。

 そんなことではなく、どこかで、自分は贋物ではないか、という気分がつきまとい始めてしまったのだ。

 学校にも行かなかった自分が、仕事をもらい、勉強やレッスンまでしてもらった上に、給料までもらえる。こんなあり難い話はない。

 夢みたいなあり難い話だ。

 最初に、渡辺健三に出会ってから、一年が過ぎようとしていた。

 渡辺健三も、手取りで五百万というボーナスの明細書を見ながら、どこか納得のいかない気分を味わっていた。

 仕事にも給料にも、まったくもって異存はない。ありがたい話だ。

 本来なら、リストラ予備軍のまま、クビになっていても仕方がなかった自分なのだ。

 それなのに、どこかで、自分が間違った道を歩んでいるような気がする。

 言いたくはないが、ペテン師への道だ。

 フロリダ以来、自分が掘り出してきた山浦聖は、最終的にどうなってしまうんだろう、というのが、脳裏を離れてくれない。

 鉄を金に変えてしまうような社長の才覚には、ほとほと敬服している。

 そして、社長の父上の大量の作品群も、そろそろ底をつき始めていることに気がついていた。

 そもそもの始まりは、父親の作品集を出版したいという社長の熱き想いだった。

 それは、数えていくと、『KIYOSHI 12』で終了する。

 渡辺健三の部屋に、高橋美代子と直人が、密かに集まって、『KIYOSHIを普通の少年に戻す』プロジェクトを発足させた。

「髪を黒に戻して、眼鏡をかけて、あの衣装を着なければ、彼は、普通の少年に見えると思うわ」

「僕達は、一年契約で雇われたもので、もうじき、契約期間が切れるのです。契約を更新するつもりが無いことは、社長には伝えてあります。ただ、最初の契約書に契約を更新しない場合は、五ヵ月前に文書なり口頭で申し入れること、というのがあって、あと数ヵ月は、残ることになります」

「授業中に抜け出して、大検の資格は取っていて、後は受験するだけなの。問題は、社長の意向だわ」

 健三も、二人の意見に異議はない。健三自身も、同じようなことを考えていたのだから。が、社長の意向という難関が、鋼鉄の要塞のように立ち塞がっている。

 社長にそんなことを言うなんて、健三には、自信がない。想像しただけで、尻の穴がピクピクするような恐怖を感じる。

「で、本人の意向は?」と健三は、恐る恐るたずねた。

「あの不思議な子は、今度は、受験というものに興味を持っているの。演劇と歌と踊りを基礎からやりたいらしいの。それと、物語を作るとか、映画を作るなんてことにも興味を持っている」

「しかし、そんな大学が果たしてあるものなんですか」と文学部とか経済学部とか法学部なんていう名前しか知らない健三はたずねた。

「それがあったのよ」と美代子は言った。

 私立の芸術大学の中に、演劇創作科というのがある、というのである。

「KIYOSHIだと言えば、フリーパスで入れるだろうけど、彼は、自分の実力で入りたいらしいの。私と直人は、アメリカの同じような大学で講師になるように誘われているので、そこに一緒に来るように誘ったんだけど、断られたわ」

 どうも、この姉弟の話には、健三はついていけない。大体、アメリカ人と同じように英語を話すという段階で、別の人種のような気がする。

 山浦聖は、自分の家の近所に住んでいた日本人の少年なんだから、大学に進学するなら、日本の大学の方がいいに決まっている。

 健三自身は、社長と同じように高卒だけど、聖の場合、高校にも行っていないんだから、何とか手があるんだったら、大学に行った方がいいと思う。今のままでは、中卒でしかないんだから。

「彼と一緒だったら、アメリカで、何か面白いことがやれると思うのに」と直人が言った。

「ダメよ、直人。彼は、普通の少年に戻るんだから。それは諦めなさい」

 三人が、密談している間にも、日は刻々と過ぎていった。

 レコードで特別賞をもらい、これは、辞退せずに、社長が代理で受け取った。

 小説でも別の賞をもらい、これも今回は辞退せずに、社長が代理で受け取った。


21.KIYOSHI、引退!


 新年になると、KIYOSHIが出演した『リング・ストーリー2』が、日米同時に公開され、記録的なヒットを飛ばし、KIYOSHIフィーバーは、止まるところを知らないように見えた。

 外部から見ていると、超流行作家並の執筆速度、定期的なアルバム作り、その合間を縫っての、ハリウッド進出という鬼神の技である。

『KIYOSHIは、いつ眠るのか』といったことが、特集されたりした。

『KIYOSHI、ロボット説』とか、『実は、KIYOSHIは、双子だった』とか、ありとあらゆることが、マスコミを賑わしていた。

 そして、社長の父親の最後の作品集『KIYOSHI 12』が発売された。

 その前に、各新聞や雑誌の連載は、既に終了しており、新しい作品が掲載されることは無くなっていた。

 新聞や雑誌関係者の間では、『KIYOSHIは、もう書けなくなった』という噂が飛び交っていた。

 作品集にも、『KIYOSHI 12 最後の作品集』と銘打たれている。

 その前にも、新聞雑誌社やテレビ局、プロダクションあてに、『KIYOSHI、書くのをやめないで!』という懇願の手紙やメールや電話が殺到していた。

 社長も仕方無く、作家KIYOSHIの引退を宣言せざるを得なかった。

 国東産業株式会社所有のホテルを二日借り切って、作家KIYOSHIの引退記者会見が行われた。

 これには、契約期間切れが迫っている、高橋姉弟が、全面的に協力した。

 聖と高橋姉弟を始め、スタッフは、全員、前日にホテルに集合。アメリカ行きでの変装経験が、大いに役に立った。

 ホテルの内部は、入口から出口までの一方通行にし、ホテルの玄関では、厳しい身分チェックが行われた。入場者は各社二名までに制限され、撮影は厳禁、質問も無しという条件を飲んだ会社しか入場できなかった。

 イラストレーターとライターという組み合わせが一番多かったが、中にはKIYOSHIの熱狂的なファンである社長と孫娘という組み合わせもあった。

 トイレは全部封鎖されているということで、全員、前日から飲食物を控えていた。

 途中で、トイレに行きたくなったら、退場しなければならなくなるからだ。

 時間も厳守され、午後二時という入場時間に遅れた場合は、入場を断られるということで、午後一時には、長い行列ができていた。

 一体、どういったことになるのかは、待っている人には何一つわからなかった。

 この日は、山浦聖の十七才、最後の日でもあった。そして、KIYOSHIとして、一般の人の前に姿を現した、最初で最後の日でもある。

 ホテルの宴会場には、ステージがあり、そこから離れたところに、座席が備えつけられていた。

 人々は、正面の席から座っていった。

 午後二時五分。照明が落とされ、周囲は真っ暗になった。

 観客にはわからなかったが、まず、高橋直人がスポットライトの中に登場して、走り始めた。

 KIYOSHIだと思って、叫んだ観客もいた。

 直人と並んで、誰かが走り始めたが、その姿には、スポットライトが当たっていない。

 直人が叫び、その相手も叫んだ。

「KIYOSHI!」と誰かが叫ぶのと、KIYOSHIにスポットライトが当たるのとは、同時だった。

 舞台上で、KIYOSHIのレッスン場面が再現されていた。

 観客は、思わず、総立ちになった。

 全身に鳥肌が立った。

 ここに集まった人の誰一人として、今の今まで、生のKIYOSHIを観た者はいなかった。

 残念ながら、以前、プロダクションの庭のKIYOSHIを観てしまった者は、今回は参加させてもらえなかったからだ。

 KIYOSHIは、ずっと、半信半疑の存在だった。

 コンピューター・グラフィックスだと決めつけられ、そうだと思ってガッカリし、テレビや新聞でKIYOSHIは、生身の人間だと言われてホッとしはしたれど、唯一KIYOSHIに接触したと言われるブルース・チャン監督の言うことも、何となく怪しかった。

 アメリカに来ていないはずのKIYOSHIが、映画に出演している。

 しかし、KIYOSHIは、いた。

 今、目の前にいるのだ。

 直人と聖は、踊りだし、そのうち、歌い始めた。

 その声は、聴く者の内臓を揺さぶった。

 人生を揺さぶり、存在を揺さぶり、全身の細胞を揺さぶるのだった。

 誰一人として、自分が取材に来ていることを思い出したものはいなかった。

 熱狂的なファンなら尚更だ。


「KIYOSHIって、CGなんだよ」

「あんなの、贋物に決まってるじゃん」

「本当は、どこにもいないんだよ、KIYOSHIなんて」

 そう身近な人間に言われたことのないファンは、一人もいなかった。


「今日は、来てくださって、ありがとう」とKIYOSHIは、あの映画でお馴染みになった歌うような声で言った。

「今日のことは忘れないで、と言いたいけれど、忘れてください。僕は、起きれば覚めるただの夢、あなた達の願望が生んだ、ただの幻」


 うわああ、と全員が腹の底から叫んだ。

 何を言うんだ、KIYOSHI、君は、あなたは、今、ここにいる。

 山浦聖の言うことにショックを受けたのは、観客だけではない。

 社長を始め、渡辺健三、高橋姉弟。

 予定に無いことを、聖は話している。


「僕は、遠い世界に旅立って、もう戻っては来ない」

 わああ、と観客は叫ぶ。

 何でなんだ、KIYOSHI。何で。


「さようなら、僕を愛してくれた、皆さん、さようなら。そして、ありがとう!」

 照明が落ち、山浦聖は、舞台裏に去り、そのまま、これは予定通り、高橋姉弟と一緒に、裏口から車で去って行った。

 後に残された観客は、いつまでも叫び続けていた。

「KIYOSHI! KIYOSHI!」と。

 渡辺健三は、倒れる寸前だったが、同じようにパニック状態に陥っていた社長は、舞台に照明をつけさせ、マイクを持って、舞台に上がった。

「今日は、ありがとうございました。皆さんと同様、私もパニックに陥っています。まさか、KIYOSHIが、作家生活だけでなく、全面的に引退する気だなんて、今の今まで知らなかったのですから、私の方が、本当は叫びたい」

 それまで叫んでいた観客が、微かに笑った。

「KIYOSHIは、以前から、アメリカで勉強したがっていた。彼は、我が社のドル箱スターだったので、私は、ずっと、彼の希望を聞き入れなかった。彼も普通の人間です。

あなた達や私のように、学校にも行きたかっただろうし、普通に買い物もしたかったに違いない。

そして、友達だって欲しかっただろう。KIYOSHIとしてではなく、一人の少年として」

 場内は、静まり返った。

 人々は、一人の少年としてのKIYOSHIに想いをはせた。

「今回、彼の決意のほどを、私が思い知らされました。でも、いずれ、KIYOSHIは戻ってくる。その日のために、彼の引退を認めましょう。今回の皆さんの幸運を、心からお祝いします。

十七才のKIYOSHIの最初で、最後のライブに接することができたのですから。

ありがとう、そして、おめでとうございます」

 社長も泣き、どうなることかと舞台の袖ではらはらしていた健三も泣いた。

「こうなったら、KIYOSHIの引退記念パーティーとします」

 このパーティーは、後々までも、KIYOSHIのライブとあいまって、人々の語り草となった。

 社長は、参加者全員に、ホテルの特別料理を振る舞った。

 当然、閉鎖されていたトイレも解禁だ。


『時期だったのかもしれない』と社長は思い、『お父さん、おめでとう』と思った。

 そう。元々は、父の作品を世に出したかったための一大プロジェクトだった。

 それは、完全に成功した。

 父の作品は、KIYOSHIの名前ではあるけれど、末永く、読み継がれていくだろう。

 そして、いずれ、父の名前に変わるだろう。


 その頃、「思い切ったことをやったわね」と美代子先生に髪を切ってもらいながら、山浦聖は、笑っていた。

 別に計画していたことではなかったけれど、こういう結果になってしまった。

 直人インストラクターは、髪を黒く染める準備をしている。

「惜しいとは思うけど、KIYOSHIというのは、君の言うように、人々が見たいと思っていた夢、幻だものな」

「ええ。僕自身も素晴らしい夢を見せてもらったと思っています」

「僕もだよ」と直人は言った。

「私もよ」と美代子。

 後は、ことばも無く、この一年が、脈絡無く、三人の脳裏をよぎった。

 髪を切り、黒く染めてしまうと、ただの十七才の少年が残った。

「僕って、自分が思っていたよりも、平凡な顔立ちですね」と聖は言った。

 後の二人は、それには、返事を控えた。

「やっぱり、眼鏡をかけた方がいいわよ」と美代子先生が言った。

 最初に会った時よりも、男らしくはなったけれど、この美貌は、どこに行っても目立つだろう。

 問題の社長も、聖の決意を認めた。


「君は、我が社をクビになった」と翌十八才の朝、社長に言われた。

「だから、もう、どこに行って、何をしようが、君の自由だ。これからは、給料は出ないぞ」

「はい」

「それから、これは、退職金だ。少ないかもしれないが、取っておきたまえ」

 聖は、もう明細のゼロを数えるのは、やめた。

 これからは、普通の経済感覚を持たなければならない。

「けど、もし何か困ったことがあれば、いつでも連絡して欲しい」

「はい。そうします」

 そばで成り行きを見守っていた渡辺健三は、嫌悪していたアメリカ人のように、聖と抱き合った。

 その日の朝刊は全て、政治や経済問題を全て無視して、『KIYOSHI 引退!』がトップ記事だった。

 テレビのニュースでも、前日以来、KIYOSHIの引退ニュースが流れている。

『普通の少年に戻りたい』などという一昔前に流行ったタイトルをつけた特集が多かった。

 生のKIYOSHIに触れたニュースキャスターが、喉を詰まらせながら、KIYOSHIについて語ったり、KIYOSHIファンの局の社長が、テレビに登場したりしていた。

 渡辺健三も、元の資料室に戻り、係長と涙の再会を果たしたりした。

 部長の肩書は変わらず、会社の中で、資料室は、KIYOSHIの資料を保管し編集し、外部に流すという、再重要部門になっていた。

 健三のもといた家は、妻の提示していた値段では売れずに、元のままで残っていた。

「何で、もう運転手が使えないんですか? 降格されたの?」としばらくは、妻の愚痴に付き合ったが、そのうち、何も言わなくなった。

 また、元通りのカルチャースクール通いや近所の友達との仲が再燃したためらしい。

 山浦聖は、自分の家には戻らずに、志望校の近くにマンションを借り、「KIYOSHIって、私のお兄ちゃんなの、ほら」と友達に言いたかった、妹をガッカリさせた。

 引退がきっかけで、KIYOSHIの本もレコードも写真集も売れに売れ、国東社長は、もうその気も無いのに、大きな収益をあげた。

 KIYOSHIは、『リング・ストーリー 2』で、アメリカの映画賞の助演男優賞(最初は、助演女優賞にノミネートされたのを、監督が訂正した)に輝いた。

 これも、国東社長が、代理で賞を受けた。

 その他、国の内外で、色々な賞が転がりこんできて、社長が代理で出席した。


 翌年の四月、山浦聖は、志望校を変え、あまり有名ではない私立大学の文学部国文学科に入学を果たした。

 アメリカにいる高橋姉弟が聞けば激怒するような選択だ。

 社長のお父さんの原稿の中に、未完の小説が一つあった。

 他の作品は、何度も推敲を重ねた末に、大抵は完成していたが、その一つだけが未完だった。

 聖は、その題名にひかれた。

『幻の少年』

 正に、KIYOSHIの存在そのものだ。

 そして、自分の手で、それを完成させようと思った。

 何となく、それが、自分が贋物でなくなる道のような気がしたのだ。

 後に、『幻の少年』は、新人賞を取り、「KIYOSHIの模倣だ」という散々な悪評を得ることになるのだが、まだ、聖は、そのことを知らない。


「あれ、君って、KIYOSHIに似ていない? 眼鏡取ってみてよ」

 大学に入学した最初の日に、知らない同級生に言われた。

「え、本当に似てる? よく言われるんだけど」

 という遣り取りは、その後も何度かある。

 が、眼鏡を取った聖に、相手は、必ず言うのだった。

「似てるような気もするけど、あのKIYOSHIが、こんなところにいるわけないもんな」

「えー、僕は、本当に、KIYOSHIかもしれないよ」

「まさかー。そんなはずないじゃん。今頃はアメリカで勉強してるって」



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