無くしていた物
俺は能力を長年封印してきた。
人の業に触れるのが嫌だったからだ。
しかし最近ひょんなことから封印を解いてしまった。
そしてその時気付いた。
俺はいつの間にか人の業なんか慣れっこになっていて
今では面白いとさえ思ってしまうことに。
今日も暑さが収まってきた頃、俺は面白い物を探しに外へ出る。
程なくして、あるマンションの前に差し掛かった。
そこは歩道より少し入った所にエントランスがあり、
奥に向かって住居へ通じる通路が延びている。
その通路からこっちに向かって歩いてくる男が視界の隅に入った。
次の瞬間そいつは急に仰け反った!
そして足下を気にしながらそろそろと通路の端を歩き始めた。
その動作が面白かったので思わず直視してしまった。
通路に何が落ちていたんだ?
好奇心に駆られ奴の意識を覗き込む。
・・・ははぁ・・蝉ね。
この時期蝉が落ちているのはよく見かけるが、そんなに怖いかね。
しかし、良いリアクションだったなー。
俺はさっきのリアクションがもう一度見たくなり、その男に念を送った。
『すみません。』
奴は後ろを振り返った・・・がもちろん誰もいない。
「あれ?そら耳かな?」
訝しがる奴に
すかさず念を送る。
『そら耳ではありません』
そう言われて奴はテレパシーを想像した。
『そうテレパシーって奴です』
と、念を送った瞬間奴は驚いて腰を抜かした。
俺は期待以上のリアクションに声を殺して爆笑した。
そして更に念を送る。
『そんなに怖がらないで下さい危害は加えません』
『きがいはくわえないっていわれても・・・だれなんだいったい』
キョロキョロし始めた。こっちに気付かれても嫌だから・・・
『少し視線を下に向けて下さい』
そして・・・奴の視線の先にはひっくり返った蝉がいるようだ・・・
これは面白い!
俺は蝉になることにした。
『そう、そのひっくり返った蝉です』
『せみがてれぱしーではなしかけてるってか!』
奴は現状を受け入れようか逃げようか迷い出した。
『受け入れて下さい』
直ぐさま念を送る。
奴は蝉のテレパシーを信じかけている。
ちょっといたずらして嫌いな蝉を触らせてやろうかな。
『お願いがあります』
『おねがいってなに?』
『ご覧の様に私には死期が近づいています。でも、できればもう一度飛んで見たいと思っています。』
『かってにとびゃあいいじゃん。』
『先程から羽をばたつかせて試みてはみましたが、表向きになることができないのです。』
奴は蝉が仰向けのまま羽をバタつかせ、地面を這い回る姿を想像している。
『そう!そんな感じです!・・・自力ではどうしても体勢を立て直すことができません。』
『それはお気の毒ですが・・・』
『そう思っていただけるならどうか私を空中に放り投げてもらえませんか?空中でなら楽に体勢を整えることができます!』
『・・・せみさわりたくないな~』
想像通り奴は相当困っている。面白いな~
こっちも困った様な雰囲気でお願いしよう
『そんなこと言わないで・・・』
奴は子供の頃の記憶を引き出していた・・・
それを覗くと・・・・なんだよ蝉取りとかしてたじゃん。
ちょっと触ってみろよ~
励ましてやるから~
『あなたになら絶対出来る!さあ!あの頃を思い出して!』
『ってなんで蝉に励まされなきゃいけないんじゃ!』
その時強い風が吹いた。
風は蝉を巻き上げあっという間に数メートル先まで運んだ。
そして蝉は・・・落ちた。
奴は落ちた蝉を眺めていたが、よろよろと立ち上がった。
なんだよ!もうちょっとで触らせられたのに邪魔が入っちまった・・・
・・・でもまあいいか。十分楽しんだ。
爆笑した後、妙にしんみりすることがある。
帰り道、奴のことを考えていた。
なんか・・・あいつ良い奴だったな。
たかが蝉の為に触りたくも無い物を触ろうか本気で悩んでいた。
悩む程の事でもないだろうに。
からかって悪かったな・・・・
そういえば俺も子供の頃、蝉を捕まえて飼っていたっけ。
でも蝉は成虫になってから一週間しか生きられないと聞いてからは捕まえるのをやめたんだ。
俺はいつの間にか小さい命への慈悲を無くしてしまった。
奴は無くさずに持っていたんだろうな。
あの蝉はきっと感謝したと思うよ。
俺は頬を伝う涙を拭いた。
さっき爆笑しすぎた涙を。




