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風の中にあるのは  作者: 佐久田恵孝
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照りつけていた陽の光が赤みを帯びて、

うんざりする暑さが収まってきた頃、

私は日課の散歩に出かける。


いつもの様に玄関を出てエントランスに通じる通路を歩いていると、仰向けになった蝉が落ちていた。

私は可能な限り距離を取り蝉を(かわ)す。

この時期蝉が転がっているのはよく見るが、死んでいると思って油断していると

いきなり羽をばたつかせてジジジ-!とか言いながら人の顔をかすめていく。

あれはほんとに度肝を抜かれる。


なんで奴らは死んだふりをするのか長年疑問に思っていたが、

最近読んだ文献によると蝉はまず足が弱ってくるらしい。

そうなると、木にとまることができなくなり、

地面に落ちても踏ん張れないから仰向けになってしまう。

つまり地面に仰向けになっている蝉は必ずしも絶命しているとは限らず、足が弱っているだけの者も混ざっているということだ。


生きている蝉が最後の力を振り絞って再度大空を目指すということも時にはあるかもしれない。

しかし、たまたまそんな場面に出くわしてびっくりするのは御免被りたい。

”君子危うきに近寄らず”これに限る。


蝉を躱してエントランスに差し掛かった時、

『すみません』

誰かが声を掛けてきた。

振り返ったが誰もいない。

あれ?そら耳かな?

『そら耳ではありません』

また聞こえた・・・いや聞こえたというより脳に直接響いた様な感じ?

テレパシーって奴かな?

『そうテレパシーって奴です』

どぅわー!!間違いなく聞こえたっ・・なんじゃこりゃあ

驚愕と恐怖で腰を抜かしそうになった・・・いや完全に抜かした。

『そんなに怖がらないで下さい危害は加えません』

きがいはくわえないっていわれても・・・だれなんだいったい

『少し視線を下に向けて下さい』

へたり込んだ私の視界はだいぶ地面に近くなっている。

少し下げた視線の先にはひっくり返った蝉しかいない。

『そう、そのひっくり返った蝉です』

せみがてれぱしーではなしかけてるってか!

その事実を受け入れるべきか逃げ帰るべきか頭の中は渦を巻いて全く考えがまとまらない。

『受け入れて下さい』

直ぐさま声は言った。

こちらの思考は向こうに筒抜けの様だ。

テレパシーで通信しているというのは本当なのか・・・

しかしなんの目的で蝉が話しかけてくるのだろう。

『お願いがあります』

おねがいってなに?

反射的に思ってしまった。

『ご覧の様に私には死期が近づいています。でも、できればもう一度飛んで見たいと思っています。』

かってにとびゃあいいじゃん。

『先程から羽をばたつかせて試みてはみましたが、表向きになることができないのです。』

過去に見た蝉が仰向けのまま羽をバタつかせ、地面を這い回る姿が浮かんだ。

『そう!そんな感じです!・・・自力ではどうしても体勢を立て直すことができません。』

それはお気の毒ですが・・・

『そう思っていただけるならどうか私を空中に放り投げてもらえませんか?空中でなら楽に体勢を整えることができます!』

!?・・・・・となると蝉を持たなくてはいけないってことか・・・

せみさわりたくないな~

『そんなこと言わないで・・・』

切なそうに懇願してくる。

確かに子供の頃は蝉取りをして遊んだ事はあるし、虫かごで飼ったりしていた。

しかし今は大人で数十年触ったことがない。

はっきり言ってマジで触りたく・・・・無い!

そこへ間髪いれずまくし立ててきた。

『あなたになら絶対出来る!さあ!あの頃を思い出して!』

ってなんで蝉に励まされなきゃいけないんじゃ。


恐怖よりイラッとのパーセンテージが高くなった時、神風が吹いた。

そう私にとっての神風が。

その神風は蝉を巻き上げあっという間に数メートル先まで運んだ。

体勢を整えるのに十分な高さまで持ち上げられた蝉は

そのままラストフライトに飛び立ち

ハッピーエンド・・・のはずだった・・・

しかし予想に反して蝉はカサッと音をたてて地面に落ちた。


どうやら奴にはもう羽ばたく力は残っていなかった様だ。

こっちも力が抜けてしまったが・・・どうにかよろよろと立ち上がる。

軽い立ちくらみを覚えた時、

『ありがとう』

と弱々しい声が聞こえた。


なあ蝉よ・・

お前は死の直前まで飛ぶのを諦め無かった。

その愚かしい程のひたむきさは昔は私にも有ったんだ。

でも蝉を捕まえて嬉しかった気持ちと共に

いつの間にか無くしてしまった。

それを思い出させて貰ってこっちこそ・・・


その時また風が吹き蝉は何処かに飛ばされてしまった。

もう蝉の声は聞こえなくなった。


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