実写化とアニメ化
何故実写ではなくアニメなのか?19年秋はやたらと実写的題材のアニメが目立つ。そこでこのテーマで話を書いて見る。基本フォーマットは星合で書いた。それにそって過去の作品を探ってみようとなる。
実写も存在したすべてはFになる。この原作者が問題だ。野崎まどと森見氏はアニメの方が向いてると思う。明確にアニメ向きだとは思わない。ただその境界線にいる事は間違いない。こういう人は問答無用でアニメが向いている。どう考えても実写向きだという作品をアニメでやる話しで境界線ならどっちを優先すべきか?ならアニメだ。
(追記)失礼森見氏はすべてがFになるの作者じゃありまえせんでした。森氏でした。アニメ化スカイクロアの人なので、やはりアニメ向きの共通点はあるのかと思います。
何故なら、実写はリアリズムがかなり重要だからだ。それに対して突飛な設定ってのは現実でも存在する。そういったものはアニメで扱われる題材だと思う。ただ実写が向いてないわけじゃない。ここがポイント。
今期の野崎まどは2話までは普通の刑事ものだ。だが私は何か?やらかすと思ってる。4畳半やたぬきの話しの森見氏はもろアニメ向きだ。だがこういう癖はそうではない作品にも出る。すべてはFになるは非現実的なものは少ないが、突飛であるのは間違いない。例えばだ、これは実写化されてるがカイジにも当てはまる。
なんだ日本の地下で奴隷的強制労働所があると言う設定は…。こういうのは非現実的要素が無くても十分に実写的リアリズムから逸脱したものなんだ。実写成功してるがリスキーな扱いではあると思う。
さて次は、フォーマットどおりの評価を扱う。あれ重要なのはエルにあると思う。実はホータローはかなりどうでも良いと思う。エルのキャラデザを生かすためにアニメじゃないといけないんだ。それ以外氷菓のアニメの価値って無いんじゃない?京アニの背景もエルを着飾って見栄えを良くするための服みたいなもんだ。
最後の最後にホータローがエルを意識するけど、これは多分前からで、私気になりますでぐいぐいおねだりされるから推理するのであって、あそこが無ければ多分ホータローは推理をし無い。エルは言葉にはし無いが、すごいすごいホータローさんの推理満足していますと思ってるに違いない。
だからあれは多分あれは難しい数学の問題でも多分良いんだ。声優も同じなので、あれさすおにに近いよね?ならそうだと思う。根本的な所で殺人事件に発展しない推理物は弱い。何故か?サスペンスって別ジャンルの刺激を暗黙で推理物=探偵物は含んでるからだ。探偵者からサスペンスやポーの黒猫やモグル街ならホラーテイストもある。オカルトだけどアナザーはもろホラーテイスト。ひぐらし、金田一もそうなる。
恐怖を土台とした緊張があるから別刺激がある。これがそっくり無いんだ。既存の推理物と比較して良いのか?となる。だからあれはアニメ的キャラデザの魅力を持ったエルを喜ばせるために俺SUGEEEする男主人公の話だと思う。氷菓はむしろ実写的刺激が薄いと思う。こてこてのラノベフォーマットだ。
有名作ばかりになるが、アニメの実写的作品ってどっちかと言えば評価が高い。ただ売上げに繋がるのはあまりそうでもない。これに関してはアニメ向きであっても売上げが低く評価が高い作品は数多くあるのであんまり意味が無い。その中で氷菓は売上げも高いのでアニメが得意のキャラデザによる刺激が強く創れてるためアニメのど真ん中の題材だとなる。
昨今ラノベの売上げが落ちてきたのは多分ラノベがキャラ刺激がある作品が減ったせいだからじゃないか?と思う。この点も実力主義の教室がBDはさっぱりでラノベが売れてるのを私が危惧したのが的外れではないとエッセイで過去書いた追加の視点で見ている。ラノベが漫画っぽく内容で評価されてしまってるって意味で。
そういえばよう実もこの手の作品で、突飛な設定でカイジ的なものを作り出してるのでアニメ向きだと言える。ただしこの手の根本的に非現実的要素が溢れてるものじゃないと実写で受け入れられるのが不可能とは言えない。
暗殺教室は完全に非現実的設定が入ってるが、あれの実写の成功はなんとも言えない。もろアニメ向きな物が実写でヒットするのは何も言いたくない。これは結果論としか言えない。
問題はジブリだろうな。思いでぽろぽろも耳をすませばも海が聞こえるも。これはアニオリって話しで良いとおもう。アニメ作家が実写ではなく得意のアニメで表現しただけ。後高畑宮崎の世代はちとややこしい。アニメを実写に近づけたので、そういう段階が終った現在とは比較できない。押井もだ。その証拠に押井は実写で取っている。アニメでは過剰な実績さえ残せばスポンサーがつくからだ。
ただこの問題はどちらが得意なのか?の結果で押井はアニメの方なんじゃないか?と思う。押井の実写は見てないのだが、特別他の監督に比べて優れた力なのか?だと多分そうじゃないだろう。押井が実写を不得意なのではなく、アニメで得られる良さ以上の物発揮できないのじゃ意味が無いと思う。とにかくそれでも選択肢があるなら実写を取るのだから大半のアニメ監督はその選択肢が無いのが理由だと見ていて良い。
前も書いたが、いろいろ考えると非ラノベの原作小説のアニメ化以外無い。しかもアニメ化されたそういった小説は大体実写とアニメの境界線にあるようなものばかりだ。漫画の原作はよほど気をつけないと実写ムキじゃない。作るのは簡単だが漫画としての魅力をリアリズムに基づいてそぎ落とさないといけない。そんな漫画は皆無なんだ。
丁寧に考えると、アニメ化された実写的作品は実はアニメである必然性にあふれたものが多い。
最後に扱うのが、星合の感想で書けなかった部分で、アニメとして枠のメリットになる。なろうで言えば俺TUEEE、ハーレム、異世界の裏返しにあるノーストレスだ。ラノベがもつ読者の読む前の想定となる、私はブランドと呼ぶものだ。ベル子さんはこれをフォーマットと書いてるが、これは間違ってるわけじゃない。ブランドはフォーマットを漠然としたイメージにしてるに過ぎない。
その点からどうか?と言うと、難しいね。私は深夜アニメの独特さは漫画文化の巨大さからすると歪で偏りだと見てて、そんな価値のある枠じゃなく、むしろ閉じコン化と創造性の低下に繋がって弊害が多いと見てる。かつ、深夜アニメはラノベほど厳密じゃない。原作が広すぎるからだ。
そして最大の問題は、男女のオタクで好みが違うからだ。キャラ愛をベースにした時、女性オタ向けはノーストレスは必ずしも重要じゃない。批判をするなら、実写的作品がブランドを壊すと言うより男性向けのブランドとして出来上がった深夜アニメの枠的イメージは、女性向けによって破壊されるというべきだろう。
私はそれよほどきついホモじゃないと、全く問題だとは思ってない。むしろ漫画の幅広さに近づけるから女性向けはありがたいと思ってる。
じゃなろうのノーストレスにも批判的なのか?ならそれは違う。その最大の理由は文字なんかで辛気臭い話し見たく無いから。映像なら余裕で我慢できる。文字表現は多数の人にとっては劣化媒体だと思ってる。ここから導かれるのは何度も書いてるが、私の言う少数精鋭ランキングは多数派の締め出しに狙いがある。
多数派の好みに合わせると排除される刺激がどうしてもあるんだ。それを多数派批判するのじゃなくて、別枠で多数派から隔離して創るべきだと書いてるんだ。
ちなみに何故私がこんなにどうでも良いと思ってるこのランキングに拘るか?は2点。私は価値そのものに愛があると思う。次に、そういったランキングで上位になったものは試しに読んで見たい。多数派芥川賞などの賞自体は好きなんだ。そうでもなければ避けられるって話。いそがば回れで、多数派向けに狙うならこの方が手っ取り早いんだ。
多数派はすでに選ばれて減らされたものなら見るんだ。その時権威がいるんだ。その権威は目の肥えた人が選んだという挑発的な煽りが根底にはある。権威ってのは大体偉そうでしょ?