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001 -わけもわからぬ間に-

 私こと夢生詩音(ゆなしおん)は高校二年生、華の女子高生だ。

 可も不可もない程度のなんちゃって進学校で、一応特進という扱いのクラスに属している。

 お陰で出たくもない土曜日の補講に出席しなければならず、半ドンなどという死語ですら現役である。

 制服に指定されているブレザーは濃紺を基調としたあしらいとなっており、絶妙に可愛くないと専らの評判である。

 髪は染めても抜いてもいないナチュラルな黒髪のショートで、右のこめかみ辺りで結わえた小さな三つ編みがチャームポイント。

 吊り気味でも垂れているわけでもない二重の目元はそれなりにぱっちりとしており、友達にも褒められることがないでもない。

 端的に言って、普通の外見。

 自分で言うのもなんだが、普通に可愛い部類であると思う。


 運動神経は抜群というわけではないが、短距離走は得意で、運動会では必ず50か100メートル走あたりに立候補する。

 しかし得意とはいっても所詮陸上部には敵わない程度であるのが悲しいところだ。

 私自身は演劇部に所属している。

 ただしそれも校則で何らかの部活に所属しなければならないと決まっているからであり、実際は活動に参加したことはほぼないに等しい。

 幽霊部員、実質帰宅部と言っていい。


 父と母、1つ下の妹とで4人家族。

 6つ上に兄もいるが、就職して東京に出てったので数には入れてやらない。

 家族仲は良く、喧嘩らしい喧嘩もあまりしない。

 一度喧嘩をしないのが原因で喧嘩をしたことがあるくらいだろうか。


 趣味は語学、言語学。

 喋るのはそこまで自信ないけど、ヒアリングはまずまず得意。

 どっちかというと研究や学習自体が目的で、誰かと話すのはあまり想定していないからだろうか。


 ――よし、自己確認はこんなところだろう。

 これが私、夢生詩音という人間である。

 ちゃんと私は私だということが認識できている。

 頭を打ったとか、錯乱しているとか、そういうわけではないらしい。

 しかしそうなると、問題は状況確認だ。


 試しに首を傾げてみる。

 45度も傾かない私の首は景色を斜めに映し出し、理解の追いつかないままの脳をますます混乱させた。

 ただ分け入っても先の見えなさそうな樹木の列が斜めになっただけだ。


 察するに、どうやらここは森であるらしい。

 そして妙なことに、どうにも暑い。

 今は1月、真冬のはずだ。

 だというのに、まるで夏のように、あるいは熱帯のジャングルにでも迷い込んだかのような熱気を感じる。


「……っかしーなー……」


 確か私は、補講が終わって、学校に長居するのも嫌だからと足早に自宅へと向かっていて……

 それで、そう……いつもの近道を通ったのだ。

 背の高い、名前も知らない木々が密集した林のある公園、そこを抜けると私の家はすぐそこ――のはずなのだが。


 不意に、気づいた。

 木々の並びが――変だ。

 いつの間にか、名前も知らないどころか、見たことすらない木々しかなくなっていたのだ。


 これでも私は記憶力だけは自信がある。

 私の記憶と照らし合わせても、こんな場所に見覚えはない。

 それ以前に、公園にあったのは小さな林のはず。

 引き返そうがそのまま進もうが、抜けるのはわけないのだ。

 なのに、行けども行けども木と草ばかり。

 木漏れ日もわずかで、先を見通すことも難しい。

 獣道すら見当たらないというのは、私の不安を煽るのにはうってつけのシチュエーションであった。


 そう、不安。

 このままこの森から出られることなく、どこにも行けず、誰にも会えず、朽ち果ててしまうのではないか。

 そんな錯覚すら覚える。

 いや……これはもしかしたら、ただの錯覚では済まないかも――


 不意に、

 妙な胸騒ぎのするような音が、耳に飛び込んできた。


「……何?」


 そりゃあ、森だもの。

 音くらいいくらでもするだろうと思いながらも、嫌な予感というものは、いつだって私を待ってくれることはない。


 体は自然に動いた。

 そっと耳を澄まし、周囲の音に敏感に反応出来るように、息を殺して発信源を探す。

 やがて、ほとんど変わらないように見える景色の一点に狙いを定め、ウサギが耳を立てるように注意深く、なお注意深く。

 そして、聞こえる。

 はっきりと、微かなそれが徐々に大きく確かになっていく過程まで。


 ガサガサと草を掻き分けるような音。

 タタタッと大地を駆け抜けるような音。

 ハッハッと荒く呼吸をするような音。

 グルルルと低く唸りを上げるような音。


 心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。

 額を汗が伝い、暑いはずなのに背筋が大きく震える。

 ぷつぷつと肌が泡立ち、目眩のするような錯覚に陥り、頭を押さえる。


 違う、それは錯覚ではない。

 確実に、目の前が真っ暗になるかのように、

 現実が壊れるかのように、


 くらりと、目の前がぶれた、その瞬間、


 ――飛び出したのは、犬だ。


 その体躯をすっぽりと包み込むほどの長さの草むらを割り、

 鈍く輝くような灰色の毛並みを持つそれは、

 下半身の筋肉を巧みに操り、

 その頑強な後肢で強かに地面を蹴ると、

 真っ直ぐに、

 叫ぶ暇すら与えず、

 私に向かって跳びかかり――


 あ、死んだ?


 白く煌めく牙と爪を視界に収め、時間がゆっくりと流れるような感覚になりながら、

 酷く冷静に、そんな台詞が頭をよぎった。



   ◆   ◇   ◆



 結果から言うと、

 私は死ななかった。


 何故?

 などとは聞くまい。

 そんなもの、一目瞭然なのだから。


 ――少女だ。


 腰のあたりまではあるだろう艶のある黒髪を一つにまとめた、所謂ポニーテール。

 吊り目がちの双眸は鋭く、既に動かないそれを睨めつける。

 纏っているのは……浴衣だ。

 寒色系の色使いでアジサイの描かれたそれは、木々の間を抜ける風に吹かれてふわりと揺れている。

 腰に佩いた刀は二本。

 太刀と、脇差。

 そのうちの一本を刀を袈裟に振り下ろした姿勢のまま、一呼吸、二呼吸――

 流れるような動きで鞘へと刀をしまうと、彼女はこちらに向き直る。


 一瞬の出来事だった。


 犬が私へとまさに飛びかからんとしたその瞬間、彼女がそこへ割って入ってきたのだ。

 獣と相対すること、一秒もない。

 上段に構え袈裟に一太刀――それで終わりだった。

 私へとその凶刃が届く前に、頭部と胴体が切り離されたそれは、慣性の法則に従い、私の体を飛び越えて背後の草むらへと叩きつけられた。

 断面から絶え間なく湧き出す鮮血は、名もない雑草や大地を赤黒く染めていく。

 滴る血糊は刃にこべり付くこともなく、地面へと流れ落ちる。

 ぽたりぽたりと、まるで刀身などそこにはないかのように、ただ上から下へと落ちるかのように、瞬くうちに白刃は元の輝きを取り戻していた。


 非日常的……否、非現実的なその光景に、私の視線は否が応でも釘付けにならざるを得ない。


「Ĉu vi bone statas?《大丈夫か?》 Kaj ĉu la lupo vundis vin?《怪我は?》」


 ぽかんと放心したような私に、彼女は心配そうな声音と共に声をかける。

 ……え?

 その、言葉って……


 いや、言葉なんて今はどうでもよくて。

 だい、じょうぶ……だけど。

 なんだ、この状況。

 なんか変な犬と、え、刀?

 ほ、本物……?

 血、出て……?

 それに……その、頭……


『メガリアキノボリオオカミ。ここらではよく見るな。獰猛な魔物ではあるが……首を落とせばそりゃ死ぬ。一匹くらいなら慣れりゃあどうってこたない』


 仕留めた獲物に対し、彼女は『焼いて食うとうまいぞ』となんの感情も付随しないまま付け足した。

 しかし、そんな言葉は私の耳には入らない。

 まだ私は、混乱しているのだろうか。

 呆けたような、夢でも見ているかのような感覚のまま、私の意識と視線は、吸い込まれるように一点へと向けられていた。


 角だ。


 少女の額の少し上あたり、左右一本ずつあるそれは、付け根を隠す黒髪と対比するように白く尖っている。

 長さは人差し指ほどで、小さく弧を描きながら天を貫くように、見るものを圧倒するように聳えていた。

 呆気にとられるように、馬鹿みたいにぽかんと口を開け、一度ごくりと喉を鳴らす。


「お――鬼?」

「……鬼人(おにびと)じゃない、龍人(たつびと)だ」


 角生えてるからって一緒にするな。

 そう、彼女は吐き捨てるように言う。


瑞穂(みづほ)語……瑞穂人か。見たところ森人(もりびと)のようだが……瑞穂人で森人は珍しいな。瑞穂人のくせに龍人と鬼人を間違えるのも……変な奴だな、お前」

「……初対面で人を変呼ばわりする人に、そういうこと言われたくないんですけど」



   ◆   ◇   ◆



 これが、私の経験した、最初で最後の突然の出来事。

 一生に一度で、これから一生続く、私だけの物語。

 その序章を飾るのが、彼女――


 秋津恋歌(あきづれんか)との出会いだった。

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