「絶学無憂 」 老子 道徳経より
この現世で生きとし生ける生物の中でただ人間だけが答えを求める。
他のすべての生物は
ただ、無心に生き、本能のままに行動し食べ、子を産み、、子育てし、そしてある日老いて死んでいく。
そこに何の,恣意もないし、また方便もない。
すべては大自然まかせ、流れるままに生きそして死んでいく。
たとえ、不幸や災難が起こったって、「何で俺がこんな目にあわきゃいけないんだ?」
何て悩んだりしない。人間だけに与えられた、考えるという能力、
それは両刃の剣でもある。精神病があるのは人間だけ。カブトムシにうつ病はありえない。
何かあると、人は常に、なぜなんだ?と答えを求める。
しかし、この大自然には答えがないことのほうが多いのも事実だ。
なぜ、今私がここにいるのか?私はなぜ日本人なのか?おとこなのか?
なぜ友は、35歳で急死し、私はながくいきたのか?
これに明瞭な答えを出せる人はあまりいにだろう。
先祖のタタリですよ。とか
家の方位が悪いとか。
お墓が悪いですねとか。
そんな、お茶を濁した?答えがほとんどだろう。
老子は
「絶学無憂」といった。
人間の学問なんてそんなものを絶てば憂いもなくなるよ。
そんな意味だ。
確かに科学の進歩は私たちの暮らしを一変させた。
しかし、人間自体の総合力はむしろ退化しているのではないか。
昔の人のほうがむしろ、もっと、「智慧」があった。
今の人は「知識」はあるが本当の意味での「智慧」がない。
親殺し、子殺し、家庭崩壊、 学校崩壊、目を疑うような、異常な犯罪の増加、うつ病の蔓延、政治家の汚職、カルト宗教の増殖。
何かがというか、すべてが狂っているとしか、いいようがないようなこの日本。
日本と日本人に明日はあるのか?
ソドムの市のごとく、一旦、神にすべて焼き尽くしてもらうしかないのかも知れない。
そしてその廃墟から、また、一からやり直すしかないのかもしれない。
何だか絶望的な結論になってしまったが、
救いはあると思う。
この際、日本人が1億総懺悔して、日本的な魂の故郷に回帰し、
何が日本人のアイデンティティなのか、よくよく考えて
根幹に立ち返ることしかあるまい。
老子道徳経、
単に「老子」とだけ言われている、中国の、古典である。
はるか昔の中国に生まれた百家争鳴の戦国時代。
それは老子という半ば伝説的な人物によって書かれたといわれている。
私が「老子」と出会ったのは、中学生時代だろうか?
しかしその意味が分かったのは高校生、以降であることは確かだ。
更に本当に悟りえたのは、30代も後半になって、世の浮き沈み、栄枯盛衰、毀誉褒貶の
仕事人生に忙殺されていたころであったろうか?
老子の中で特に私の心に訴えかかる言葉があった。
それが冒頭の4文字だ。
「絶学無憂」、、、、、、、。
読み下すと、「学を絶てば憂い無し。」
となる。
私は大学で哲学を学び、主任教授から、大学院進学をすすめられたが、
経済的理由でその思いを断ち、就職した。
大学時代、様々な書物を読みふけり、部屋はまさに、汗牛充棟を呈してもいた。
しかし、就職して、現場に身を置いたとき、その,机上の学問がいかほど実務に役立ったかと、言われれば、全く役立たずだったというしかない。
心の栄養にはなったろう。
しかし、ご飯を食べるために働く糧にはならなかった。
更に、なまじっか、本をかじっているから、世間がバカに見えて仕方ない。
道学者気取りに、世間を鼻でわらうことにもなりかねない、
私は深い無力感に襲われた。
そのときこの言葉がよみがえってきた。
学を絶てば憂い無し。
学問が何の役に立ったか?
そんな物がなければどんなに気楽だろう。
私は万巻の書を読んできた、しかし、世の悩みの一つも解決できない、
学の虚しさを痛感したのであった。
しかし、
おそらく老子が言っているのは、
そうではなく、世間の俗学を絶って、無何有の郷に至りなさいよ、という意味であろう。
でも、当時のわたしには全ての学が無でしかないと思えたのである。
無何有の郷もどこにあるのか?
しごとに忙殺されて、綿のように疲れて帰宅、そのまま泥のように眠る。
そんな暮らしの連続。
悟りなんてあるはずもない。
まして、無何有の郷なんて夢のまた夢。
過労死でもしないで何とか、定年にたどり着いたら、やっとおとずれるかもしれない、
そんな頃、やっと得られる、のが、無何有の郷としか思えなかったのである。
それから、幾十年。いろいろなことが私の身の上に去来した。
おかげさまでなんとか、、過労死もせず、私もすっかり立派な中高年となり、
成人病もかかえて、体力気力もすっかり衰えた。
そして、今、絶学無憂の本当の意味は、こうだと思っている。
即ち、
万巻の書を読み漁りなさい。
しこうして、
読み終わったなら、それを、全て捨てなさい。