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ホワイトバランス

作者: e-makidori


 辺りはもう日が暮れていた。

 大通り、と呼べるかは定かではないが、この辺りで唯一舗装された道を真っ直ぐ行くと橋にでる。昼間はそこそこ交通量の多い橋だ。橋に何本かある街灯は欄干の鳥を薄暗く照らしている。ぽつぽつと民家を通り過ぎると橋の手前から川原へ繋がる脇道があり、その先は街灯がなく道は暗闇に消えていた。地面には紅葉を終えた落ち葉が積もっており、踏むとサクサクと気持ちのいい音を立てる。道の脇に錆びた一輪車やらタイヤやらが放置されていて、同じように赤茶色に塗装が剥げていた。

 いつもどおり星が綺麗な夜だった。虫の声もいつにも増して張り切っていたように感じる。ここは誰にも邪魔されない私だけの秘密の場所だ。砂利の上に手足を投げ出す。特に何をするわけでもない。こうしていると全てを忘れられるような気がするのだ。

 木々のかすれる音、水の流れる音、自然と一体になる感覚。それはこっちへ引っ越してきてから初めて覚えた感覚だった。

 少し疲れたときはここへ来て心身を休めることにしている。真っ暗で襲われたらひとたまりもないが、もともと人口の少ないこの町でその心配は不要だろう。昼間でさえ生きている人間よりも狸や猪に合う方が多いかもしれないのだから。

 だんだん暗さに目が慣れてくると自分の手の輪郭がぼんやりと分かるような気がした。ここでなら目を開けたまま寝れるかもしれない。そう思いながらうとうとしている時、意識の片隅でなにかが聞こえた気がした。

 魚も跳ねた音だろう、と思い直したが、今度ははっきりと聞こえた。


 カメラのシャッター音だ。

 こんな時間にこんなところにやってくる私のような物好きがいることにまず驚いた。次に姿を見られて大声を出されると困るので息をできる限り潜めた。

 まだシャッター音は続いている。心なしかだんだん近づいてきている様な気

もする。いよいよ不安を感じたので耳をすました。

「こんばんわ、お客さんだなんて珍しい」

 耳元で囁かれて脳内で無限に反芻されるような声。幻聴かと疑うような小さな声だったが、何かを思い出させるような声だった。若い女の人のものだろうか。

 昨日の夜はその後どうなったか覚えていない。一つ二つ言葉を発した記憶があるが、会話になっていたのか分からない。寝不足でぼやけた頭の中を整理してみるけれどもどうも収集がつかなかった。

 この土地に昔から住む友人のN氏に聞いてみたところあの橋は毎年何人か飛び込み自殺が起きる有名なスポットらしい。

 それを聞いて少し怖くなったが、次の日も川原に出かけた。


 いつものように小石の絨毯の上に寝転がっていると、昨日と同じ声がした。

「こんばんわ、今日もお会いしましたね」

 驚く準備は出来ていたので、思ったよりも冷静に話すことができた。

 私は彼女について訪ねた。何者であるのか。何をしているのか。私についてどう思っているのか。

 彼女から見た私も相当奇妙で不気味な存在だろう。そんな危険を冒してまでここに来る理由が知りたかった。

「写真を撮りたいからです」

 彼女はそうとだけ答えた。この暗闇でも撮れる高性能なカメラもあるもんだ、とカメラに無知な私は驚いた。ここの風景はそんなにいいものかと疑問に思ったが、そっと心の奥にしまっておいた。

 今カメラのファインダーには何が写っているのだろうか。満天の星空か、水面に映る月明かりか、もしかしたら私なのかもしれない。夜空には名前の分からない星たちが所狭しと散らばっている。

 彼女はKと名のった。全ての情報が不確かで、見ず知らずの、つい昨日会った人に名前など教えていいものかと考えた。


 後日、友人のN氏にそのようなカメラマンがこの町に存在するのか聞いてみた。

 どうやら一年前にあの橋の上で大きな自動車事故があったらしい。原因は飲酒運転で対抗車線にはみ出した車同士の正面衝突。その時不運にも事故に巻き込まれたのが、丁度撮影に来ていたカメラマン、名前は望月憩、けっこう有名なカメラマンだったそうだ。

 さらにN氏から興味深い話を聞いた。

 その望月というカメラマンは事故後、半年たってから撮られた新たな写真のデータが次々と出回っているらしい。だから巷では生存説が囁かれている。ゴーストフォトグラファー望月という異名もあるくらいだ。

 その話を聞いて脳裏に浮かびあがったKという人物。憩とK。これ以上に辻褄があう話もない。

 なぜか心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。


 意を決した私は例の場所に向かった。

「ここに来れば会えるかなと思って」

 そこには顔など知らない顔馴染みがいた。

 ただ一つの質問をするのが怖かった。存在すら否定できてしまうようなものに、少しばかり魅力を感じていた。

「変な質問なんだけど、...君は存在するの?」

 長い長い沈黙が続いた。耐え切れなくなり口を開こうとすると、返事の代わりに冷たいものが振ってきた。川の水だろうか。

「存在してるといいですよね」


「私を探してください」



突然サイレンの音が鳴った。川の氾濫を警告するサイレンだ。雨は降っていないけれど山の天気は変わりやすい。上流で何かあったのかもしれない。

「ここにいると危険だ。安全なところまで行こう」

「ほら手を貸して」

 闇に差し出した手。恐る恐る差し出されたもう一つの手。2つとも冷たくて小さい、そんな印象だった。

 地面に躓かないように注意しながら、一気に雑草だらけの坂道をかけのぼった。酒屋の軒先の明かりで一息ついた。

 そこで声の正体の姿を始めて見た。思ったより若く、私より5歳くらい年下のだろうか。幽霊などではなかったことに安心するあまりその場にへたり込んでしまった。

 女性は私を見て目を白黒させている。その瞳には色々な感情がこめられていた。

「.............!」

 女性は泣いていた。

「......!............!!」

 突然抱きつかれて泣かれたので、私は困惑した。どうしたの、怖かったの、と言って彼女を慰めることしかできなかった。

 街灯は2人の輪郭をくっきりと照らし出していた。

 世界にたった2人だけ。灯りの中で影は出会う。



追記

 私は今、彼女と一緒にとある川に来て、写真の撮り方を教わっている。


 彼女は名前を望月朱灯あかりといった。

 憩=Kというのは彼女の兄の名前であり、私の名前でもある。


 私は事故でどうやら記憶を失っていたらしく、朱灯、つまり私の妹のことも思い出せていない。

 彼女は私が撮りたかったであろう景色を、私の代わりに撮り続けていたそうだ。

 望月憩という、写真家の、私の名前で。


 写真を撮ることが昔の記憶を思い出す鍵になるかもしれないし、私も彼女も写真が好きなのだ。

 これからは実家に帰って兄妹でフォトグラファーをやって行こうと考えている。


 しかし、なぜN氏は私がカメラマンだと気づかなかったのだろう。

 そもそもN氏とはどうやって知り合ったのだろうか。

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