相談の多い仕立て屋さん
俺が異世界に転生して最初に手に入れたスキルは、【裁縫】だった。
剣術でも魔法でも鑑定でもない。裁縫。針と糸で布を縫う、あの裁縫だ。
正直、最初は「ハズレ引いたな」と思った。魔物と戦えるわけでもない。ダンジョンに潜れるわけでもない。
でも、やってみたら意外と面白かった。ぬいぐるみを作れば子供が喜ぶし、刺繍を入れたハンカチは貴族の奥様にウケる。仕立て服を一着仕上げれば、それなりの金になる。
将来は自分の洋服屋を開こう。そう思って、日々腕を磨いていた。
——そんな俺に、おかしな変化が起きたのは、裁縫レベルが8を超えたあたりだった。
人と人の間に、糸が見えるようになったのだ。
最初は目の錯覚だと思った。だが、スキルレベルが上がるにつれて、それはどんどんはっきりしてきた。
夫婦の間に張られた温かい赤い糸。商売仲間をつなぐ金色の糸。友人同士の淡い青い糸。——そして、こじれた関係に絡みつく、くすんで硬くなった糸。
どうやらこの世界では、人と人の縁が「糸」として存在しているらしい。普通の人には見えない。見えるのは、たぶん、俺だけだ。
しかも裁縫道具を使えば、その糸に触れることすらできる。
面白い特技だが、特に使い道はないと思っていた。
——あの日までは。
◇
友人の紹介で、ダルクという商人から仕立ての依頼が来た。四十がらみの恰幅のいい男で、笑うと目尻にしわが寄る気さくな人だ。
「大事な商談があるんだ。勝負服を一着、頼めるか」
採寸しながら雑談をする。聞けば、穀物の大口取引の話が来ているらしい。
「条件も悪くない。相手も乗り気なはずなんだが——なぜか話がまとまらなくてな」
ダルクは困ったように笑った。俺は特に深く考えず、「それは大変ですね」と相槌を打ちながら、仕上がりイメージを詰めていった。
数日後、仕立て上がった服を届けると、ダルクはやたらと喜んだ。
「いい仕事だ! 体に吸い付くような着心地だな。——なあ、取引相手のレナードにも一着仕立ててやってくれないか。近々あいつとの食事会があるんだが、同席してくれると助かる」
「俺、商売の話はわかりませんよ」
「いいんだ、場が和めば。お前、話しやすいからな」
断る理由もない。軽い気持ちで引き受けた。
◇
食事会の夜。個室の丸テーブルに、ダルク、レナード、そして俺。
レナードは細身で物腰の丁寧な男だった。ダルクとは対照的だが、商人同士の距離感をわきまえた会話は滑らかで、料理を褒め合い、互いの商売を持ち上げ、冗談で笑い合う。
傍から見れば、和やかな会食だ。
——だが、俺には見えていた。
二人の間に張られた金色の糸が、ぐちゃぐちゃに絡まっている。
商売の信頼を示すはずの糸が、何重にもねじれて結び目だらけになっていた。色もくすんでいて、所々に黒ずんだ箇所がある。
まるで、タコ足配線みたいだ。
会話は弾んでいる。条件の話も出た。双方、悪くないと言っている。——なのに、核心に踏み込む瞬間になると、なぜか話題がずれる。レナードの目が泳ぐ。ダルクの声が一瞬硬くなる。
本人たちは気づいていない。でも、この絡まった糸が「見えない壁」を作っているのだ。
過去の取引で積もった小さな不信感、行き違い、言わなかった本音——そういうものが糸に染み込んで、凝り固まっている。
「……これか」
俺は黙って肉を切りながら、心の中で呟いた。
◇
後日。レナードの仕立ての最終フィッティングに、ダルクも同席していた。
二人が並んで立っている。今しかない。
俺はポケットから縫い針を取り出した。普段は布を縫うための道具だ。今日は——ちょっと違う使い方をする。
二人の間に絡まった糸の塊に、そっと針先を差し込んだ。
——硬い。
最初の結び目に触れた瞬間、指先にじんわりと熱が伝わってきた。
これは……怒りだ。たぶん、過去に納期が遅れた時の苛立ち。小さな出来事だったんだろうが、糸にはしっかり刻まれている。
針先で結び目の隙間を探り、少しずつ緩めていく。力を入れすぎると糸が傷む。かといって弱すぎると全然ほどけない。
「ユウト、袖丈はどうだ?」
ダルクが話しかけてくる。
「あ、ちょうどいいと思います。少し詰めましょうか」
会話しながら、指先では糸をほどき続ける。
一つ目の結び目が、ぷつん、とほどけた。——よし。
二つ目。これはさらに硬い。値段交渉で折り合わなかった時の不信感が染みている。触るとヒリヒリする。皮膚の薄い指先が擦れて、じわっと赤くなる。
歯を食いしばって、ゆっくり、ゆっくり。
三つ目。四つ目。五つ目——。
次から次へと結び目が出てくる。長い付き合いの分だけ、小さなわだかまりが積もっているのだ。
手が痺れてきた。額に汗がにじむ。レナードのジャケットの肩を直すふりをしながら、俺だけが必死に糸と格闘している。
「……マジか、まだあるのか」
心が折れそうになる。前世で徹夜明けに上司から「やっぱりこのプレゼン資料、全部やり直して」と言われた時と同じ気持ちだ。
でも、あの時も結局やり切ったんだよな、俺は。
最後の結び目に針を入れる。これが一番大きい。古い、古い引っかかり。たぶん二人が初めて取引した時からのものだ。
——ほどけた。
瞬間、金色の糸がふわっとまっすぐに張った。くすみが取れて、柔らかな光を放つ。
俺は息をつく。指先がヒリヒリする。たぶん今夜は何も縫えない。
「——ダルク」
不意に、レナードが口を開いた。
「さっきの穀物の件なんだが。改めて考えたら、悪くない条件だと思ったんだ」
ダルクが目を丸くする。
「……本当か?」
「ああ。なぜだかわからないが——今なら、素直にそう思える」
二人は顔を見合わせて、少し照れくさそうに笑った。
俺は黙って針をしまった。レナードの仕立て代はきっちりいただく。俺は仕立て屋だ。糸をほどいた分の請求書は——まあ、出さないでおこう。
◇
それから数日後。ダルクが礼を言いにやってきた。——別の男を連れて。
「こいつも最近、取引先との関係がうまくいかなくてな」
ダルクが隣の男の背中を叩く。
「お前のとこで服を仕立てると、なぜか人間関係も良くなるって聞いたんだが——」
「いや、俺は仕立て屋なんですけど……」
その翌週にも、また別の客が来た。「服を仕立ててほしいんだが、ちょっと相談もあって」。さらにその次の週も。
いつの間にか、俺の仕事場には服の採寸だけでなく、「ちょっと聞いてくれ」を持ち込む客が増えていた。
洋服屋を開きたかっただけなのに。気づけば、界隈では「相談の多い仕立て屋さん」と呼ばれていた。




