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相談の多い仕立て屋さん

作者: 双葉からす
掲載日:2026/05/02

俺が異世界に転生して最初に手に入れたスキルは、【裁縫】だった。


 剣術でも魔法でも鑑定でもない。裁縫。針と糸で布を縫う、あの裁縫だ。

 正直、最初は「ハズレ引いたな」と思った。魔物と戦えるわけでもない。ダンジョンに潜れるわけでもない。

 でも、やってみたら意外と面白かった。ぬいぐるみを作れば子供が喜ぶし、刺繍を入れたハンカチは貴族の奥様にウケる。仕立て服を一着仕上げれば、それなりの金になる。

 将来は自分の洋服屋を開こう。そう思って、日々腕を磨いていた。


 ——そんな俺に、おかしな変化が起きたのは、裁縫レベルが8を超えたあたりだった。


 人と人の間に、糸が見えるようになったのだ。


 最初は目の錯覚だと思った。だが、スキルレベルが上がるにつれて、それはどんどんはっきりしてきた。

 夫婦の間に張られた温かい赤い糸。商売仲間をつなぐ金色の糸。友人同士の淡い青い糸。——そして、こじれた関係に絡みつく、くすんで硬くなった糸。

 どうやらこの世界では、人と人の縁が「糸」として存在しているらしい。普通の人には見えない。見えるのは、たぶん、俺だけだ。

 しかも裁縫道具を使えば、その糸に触れることすらできる。

 面白い特技だが、特に使い道はないと思っていた。


 ——あの日までは。


   ◇


 友人の紹介で、ダルクという商人から仕立ての依頼が来た。四十がらみの恰幅のいい男で、笑うと目尻にしわが寄る気さくな人だ。

「大事な商談があるんだ。勝負服を一着、頼めるか」

 採寸しながら雑談をする。聞けば、穀物の大口取引の話が来ているらしい。

「条件も悪くない。相手も乗り気なはずなんだが——なぜか話がまとまらなくてな」

 ダルクは困ったように笑った。俺は特に深く考えず、「それは大変ですね」と相槌を打ちながら、仕上がりイメージを詰めていった。


 数日後、仕立て上がった服を届けると、ダルクはやたらと喜んだ。

「いい仕事だ! 体に吸い付くような着心地だな。——なあ、取引相手のレナードにも一着仕立ててやってくれないか。近々あいつとの食事会があるんだが、同席してくれると助かる」

「俺、商売の話はわかりませんよ」

「いいんだ、場が和めば。お前、話しやすいからな」

 断る理由もない。軽い気持ちで引き受けた。


   ◇


 食事会の夜。個室の丸テーブルに、ダルク、レナード、そして俺。

 レナードは細身で物腰の丁寧な男だった。ダルクとは対照的だが、商人同士の距離感をわきまえた会話は滑らかで、料理を褒め合い、互いの商売を持ち上げ、冗談で笑い合う。

 傍から見れば、和やかな会食だ。


 ——だが、俺には見えていた。


 二人の間に張られた金色の糸が、ぐちゃぐちゃに絡まっている。

 商売の信頼を示すはずの糸が、何重にもねじれて結び目だらけになっていた。色もくすんでいて、所々に黒ずんだ箇所がある。

 まるで、タコ足配線みたいだ。


 会話は弾んでいる。条件の話も出た。双方、悪くないと言っている。——なのに、核心に踏み込む瞬間になると、なぜか話題がずれる。レナードの目が泳ぐ。ダルクの声が一瞬硬くなる。

 本人たちは気づいていない。でも、この絡まった糸が「見えない壁」を作っているのだ。

 過去の取引で積もった小さな不信感、行き違い、言わなかった本音——そういうものが糸に染み込んで、凝り固まっている。


「……これか」


 俺は黙って肉を切りながら、心の中で呟いた。


   ◇


 後日。レナードの仕立ての最終フィッティングに、ダルクも同席していた。

 二人が並んで立っている。今しかない。


 俺はポケットから縫い針を取り出した。普段は布を縫うための道具だ。今日は——ちょっと違う使い方をする。


 二人の間に絡まった糸の塊に、そっと針先を差し込んだ。


 ——硬い。


 最初の結び目に触れた瞬間、指先にじんわりと熱が伝わってきた。

 これは……怒りだ。たぶん、過去に納期が遅れた時の苛立ち。小さな出来事だったんだろうが、糸にはしっかり刻まれている。

 針先で結び目の隙間を探り、少しずつ緩めていく。力を入れすぎると糸が傷む。かといって弱すぎると全然ほどけない。


「ユウト、袖丈はどうだ?」


 ダルクが話しかけてくる。


「あ、ちょうどいいと思います。少し詰めましょうか」


 会話しながら、指先では糸をほどき続ける。

 一つ目の結び目が、ぷつん、とほどけた。——よし。


 二つ目。これはさらに硬い。値段交渉で折り合わなかった時の不信感が染みている。触るとヒリヒリする。皮膚の薄い指先が擦れて、じわっと赤くなる。

 歯を食いしばって、ゆっくり、ゆっくり。


 三つ目。四つ目。五つ目——。


 次から次へと結び目が出てくる。長い付き合いの分だけ、小さなわだかまりが積もっているのだ。

 手が痺れてきた。額に汗がにじむ。レナードのジャケットの肩を直すふりをしながら、俺だけが必死に糸と格闘している。


「……マジか、まだあるのか」


 心が折れそうになる。前世で徹夜明けに上司から「やっぱりこのプレゼン資料、全部やり直して」と言われた時と同じ気持ちだ。

 でも、あの時も結局やり切ったんだよな、俺は。


 最後の結び目に針を入れる。これが一番大きい。古い、古い引っかかり。たぶん二人が初めて取引した時からのものだ。


 ——ほどけた。


 瞬間、金色の糸がふわっとまっすぐに張った。くすみが取れて、柔らかな光を放つ。


 俺は息をつく。指先がヒリヒリする。たぶん今夜は何も縫えない。


「——ダルク」


 不意に、レナードが口を開いた。


「さっきの穀物の件なんだが。改めて考えたら、悪くない条件だと思ったんだ」


 ダルクが目を丸くする。


「……本当か?」


「ああ。なぜだかわからないが——今なら、素直にそう思える」


 二人は顔を見合わせて、少し照れくさそうに笑った。


 俺は黙って針をしまった。レナードの仕立て代はきっちりいただく。俺は仕立て屋だ。糸をほどいた分の請求書は——まあ、出さないでおこう。


   ◇


 それから数日後。ダルクが礼を言いにやってきた。——別の男を連れて。


「こいつも最近、取引先との関係がうまくいかなくてな」


 ダルクが隣の男の背中を叩く。


「お前のとこで服を仕立てると、なぜか人間関係も良くなるって聞いたんだが——」


「いや、俺は仕立て屋なんですけど……」


 その翌週にも、また別の客が来た。「服を仕立ててほしいんだが、ちょっと相談もあって」。さらにその次の週も。


 いつの間にか、俺の仕事場には服の採寸だけでなく、「ちょっと聞いてくれ」を持ち込む客が増えていた。

 洋服屋を開きたかっただけなのに。気づけば、界隈では「相談の多い仕立て屋さん」と呼ばれていた。

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