003.待つ側の才能
アリスは冒険者組合内に設けられた机に突っ伏して、冒険者たちの様子をぼんやりと眺めていた。
足早に冒険に出掛ける者、仲間と昼間から酒を交わす者、はたまた喧嘩する者、壁に寄りかかって寝ている者、受付嬢を口説いている者。その全てがアリスの視界に映ったただの像として、時間の流れを刻んでいる。
「振られちゃったね」と、アリスの向かい側から声が聞こえる。アリスがその言葉を自分のつむじで受け止めると、「そういうのじゃないから」と不貞腐れたように文句を垂れた。
「でも、あの場面に立ち会った人はみんな、アリスが好きな男に振られたようにしか見えないよ」
「だから、そういうのじゃないってばぁ……」
アリスは口元を腕に埋もれさせるようにして、向かいに座る受付嬢――ローデリカをジトっとした目で見上げた。すると、ローデリカは頬杖を突きながら片腕をアリスの方に伸ばしてきて、手のひらを頭の上に置いた。そのまま一撫で、二撫で。
慰めてもらっている、ということは理解しながらも、アリスの心は晴れなかった。
先刻、アリスは大恥をかいた。いや、自分から恥をかきに行っただけではあるのだが、この際細かい部分はどうだっていい。
命の恩人に再会した。四か月も探し回った恩人だ。それなのに、結局感謝の言葉一つも言えずじまいだった。というか、感謝そのものを拒まれた。
その上、彼のことを覚えていたのはアリスだけで、当の本人はアリスのことなど覚えていなかった。彼にとってアリスは、数多い助けた人間の内の一人程度の存在なのだ。
伝えたい感謝の気持ちは、行く当てを無くしていた。感謝の言葉を伝えるだけでは足りない。救われたこの命を持って、彼に恩返しがしたい。だがきっと、それは叶わぬ願いなのだろう。
以前ローデリカから聞いた通り、彼は――シャルル・ボーンはあからさまに人間を避けていた。目を合わせない。顔を出さない。感謝されることさえ拒む。
思えば、不思議な雰囲気を纏う人だった。どこか浮世離れしているというか、放っておいたら消えてなくなってしまいそうで、生に執着していなさそうな、誰のことも信用していなさそうな、不思議な人。
「追いかけたら?」
「迷惑でしょ、どう考えても」
ローデリカの提案を一蹴する。もちろん、それくらいのことは一度考えた。一度考えて、やめたのだ。
「感謝されたくないんだ」と言ったシャルルの声音は優しかったが、アリスにはそれがとてつもなく強い拒絶のようにも聞こえた。端から人間など信用していないから、期待していないから、冷めたような声が出てくる。感情が薄れていて、優しそうに聞こえるだけなのだと、アリスは思った。
「でも私、シャルルさんが人と話してるの初めて見たな」
言って、ローデリカは側頭部で一つに結った茶の髪束を、いじるように指先にくるくると巻き付けた。
「……そうみたいね。組合の雰囲気を見て、そんな気がしてたわ」
アリスはもう一度、組合内の様子を観察してみる。特段、先ほどと様子が変わったわけではないが、何人かはアリスの方を見ていて、何やら小声で話している。
耳を澄ますと、どうにもシャルルが初めて人と会話したことを話題にしているようだ。
というかそもそも、他の冒険者たちは噂話ができるほどに彼を目にしていたのか。
「……彼、中央にはよく来てたの?」
依然として机に伏せながらも、アリスはローデリカに尋ねる。すると「うーん」と唸った後、
「アリスが後を追い始めてから、二回は来たかな」
そう答えた。
つまり、彼のことを追いかけずに、中央の冒険者組合で待っていれば自然と彼にお目にかかれたわけだ。家出したことといい、彼を追いかけたことといい、アリスは自分の行動力が憎たらしくなった。
「……待つのって才能が要るのね」
溜息と一緒に、そんな言葉を吐く。「そうなんだよ」とローデリカが相槌を打った。
「待つのには才能が要るの。私たち受付嬢がそう。いつも、冒険者の帰りを待つだけ」
だから、と付け加え、ローデリカはアリスの右の握り拳にそっと手を重ねた。右手には、首から外した階級証を握りしめたままだった。
「アリスに待つ側は向かないと思う」
「……気づいてたのね」
冒険者をやめて受付嬢になろうかという考えが勘付かれていたことに、アリスは少しだけ目を開いて驚いた。
「手紙の文面も、今日中央に入ってきたときの表情も暗かったからね。冒険者やめようとか考えてるんだろうなーって」
アリスが視線を上に向けると、そこにはローデリカの優しい笑みがあった。幼い頃に見た姉の表情にそっくりだった。
ローデリカとの仲は、決して深いわけではない。出会ったのはアリスが王都に来て中央冒険者組合で登録を行ったときだし、まともに私的な会話をしたのは、アリスがシャルルに助けられて、組合の医務室で目を覚ました時だ。
一週間の療養の後、シャルルを探しに出たわけだが、その一週間で、ローデリカはアリスを気にかけ、またアリスも彼女の存在を大きく感じていた。結局のところ、顔を突き合わせたのはたったの一週間に過ぎない。
「ローデリカ、私のことなんでも分かってるわね」
「冒険者の状態をしっかり把握しておくのも、受付嬢の仕事ですから」
冗談めかしたようにローデリカは言いながら、可愛らしく片目を閉じて見せた。
彼女の励ましのおかげか、アリスの頬はいつの間にか自然に綻んでいた。もうちょっと冒険者を続けても悪くはないと思った。依頼をこなし、お金をもらって、そのお金で一緒にローデリカとご飯を食べて、それだけで十分幸せではないか。十分刺激的ではないか。少なくとも、家で見張りをつけられるがごとく育てられて、生きていくよりはマシだ。
「でも私、冒険者向いてないと思うのよね。剣術はお父様の言いつけで習ったけど、使い物になるほどじゃないし、それに、迷宮に行くのは、怖い」
アリスは自分の服の袖をぎゅっと握りしめる。
自分らしく生きようと思って、家を飛び出した。冒険者になって自由に冒険して、それで生きていけるのであればそれが一番いいではないか。刺激的できっと楽しいだろうと思っていた。
だが実際は、危険極まりなくて、命がいくつあっても足りなくて、他の冒険者だって命がけだった。そんな場所に生半可な覚悟しか持っていない自分は相応しくない。少なくとも今はそう考えている。
「それじゃあ」とローデリカは言いながら、アリスの眼前に一枚の紙を差し出した。
「そんな悩める冒険者アリスちゃんに、私からの提案があるんだけど、聞いてくれるかな?」
「提案?」
「そう、提案」
アリスは体を起こすと、差し出された紙を受け取る。どうやら、冒険者への依頼票のようだった。対象は木階級冒険者。星の数に制限はなし。つまりはアリスにも請けることができる依頼なわけだ。報酬は、アリスがやってきた人探しやら失せ物探しの四倍程度はあるだろう。依頼内容は――。
「……これ、迷宮探索じゃない」
アリスは該当する記述を指さしてローデリカを見た。
「そうだよ」
「できないわ。私に迷宮探索なんて」
アリスは首を横に振りながら、依頼票をローデリカにつき戻した。
「でも、このままでいいとも思っていないでしょ?」
そう言われたアリスは、口籠った。
確かにローデリカの言う通りなのだ。
迷宮探索以外にも、冒険者の仕事はある。それこそ、貴族の護衛だったり遠方で発生する魔獣害の対応だったりがそうだ。ただ、そういった依頼は基本的にアリスのような下っ端は請けられない。信用と実力が物を言う依頼なのだ。その辺りが備わっていないアリスにはできない仕事だ。
かといって、人探しや失せ物探しで稼ぎ続けることは現実的ではない。見つからなければ金にはならないし、見つかったとしても一つの依頼で一日潰れることだってある。そもそも、冒険者組合にそういう依頼をする人はいないわけではないが多くない。
アリスが四か月もそれだけで生きていけたのは、家出の時に持っていた金がそれなりにあったのと、色々と運が味方してくれたおかげなのだ。依頼者が探す生き別れの妹と偶然仲良くなったり、依頼にあった高そうなブローチを綺麗だからと依頼を受ける前から拾っていたり、お礼にと報酬金以外で宿を貸してもらったりご飯を食べさせてもらったり。
そういう幸運が重なってのことだ。今となっては貯金も減っているし、これがこれからも運の良いことが続くとは、アリスにも思えなかったのだ。
「安心して、アリス。この依頼はね、すでに調査済みも調査済みの迷宮の探索なの」
「どういうこと?」
アリスはローデリカの口ぶりに首を傾げる。
「そもそも、迷宮がなぜできるのかは知ってるよね?」
問われたアリスは、「魔王が私たちの国に魔物を送り込むために生み出した、門みたいなものなんでしょう?」と、冒険者になったばかりの頃に買った教本通りに答えて見せる。
ローデリカが頷く。
「そう。この依頼の迷宮は、今から二百年以上も前に発生したもので、それこそ魔王が生まれた頃にできたものだから、すでに探索は終わっているの。ただ、探索が終わったからといって迷宮が死ぬわけではなくて、今でも魔物が排出される。それが地上に出てきて、被害を生む」
「つまり?」
「探索済みの迷宮でも、定期的に潜らなくちゃいけないの。そうしないと、気がついたときには魔物がうじゃうじゃ出てきてて、国軍が動かないといけない事態になる。国軍も、こんな古い迷宮で動きたくないのが本音。そうなる前の予防ってところかな」
「迷宮を壊した方がいいんじゃない?」
「壊せないの。迷宮は生き物みたいに自己再生能力がある。壊しても壊しても、次の日には元通りってわけ」
「なるほど」とアリスは呟く。大体の事情だとか背景だとか、そういうところは分かった。分かったのだが。
「でも、結局は迷宮に入るってことでしょ? 私に迷宮なんて――」
アリスは下を向いた。
迷宮は危険な場所だ。一度命を落としかけた。また危険な目に合うかもしれない。今度こそ本当に死ぬかもしれない。
――怖い。
「だからこそ、この依頼がうってつけなのよ」
俯いたアリスの肩を、ローデリカは立ち上がってしっかりと掴んだ。驚いて、肩を一度跳ねさせてからローデリカの目を見る。
「いい? さっきも言った通りこの迷宮は既に調査済みで、ちゃんと階層地図が作られている。おまけに出てくる魔物がまとめられた書類が組合にあるし、その魔物の対処法もすでに分かってるの。おまけにそれほど強くないし、罠の類はすべて解除済み。他にも、初めて行く冒険者が当たり前のように生還してる。初心者の腕試し的な場所なの。だから、アリスなら絶対大丈夫。少なくとも、私が最初に間違えてアリスに行かせた迷宮と比べたら、きっとお散歩みたいに思うわよ。これでも、挑戦できない?」
じっと、ローデリカがアリスの碧眼を見つめる。アリスはローデリカの熱意に気圧されながらも、その真剣な眼差しを見返して、「どうして、そこまで」と、疑問を呟いた。
「アリスが変わりたいと思っているのが伝わったから。アリスの背中を支えたいから。待つ側として、友達として。それじゃあ、足りないかな?」
依然として、ローデリカは訴えかけるようにアリスを見ていた。またアリスも、その視線を見つめ返していた。
だが、その視線の色は先ほどとは少しだけ変わっていた。ローデリカの熱意に気圧されて、呆けた視線を返していたのではない。今はもう、彼女の気持ちに答えたいと、その熱を受け取って、見つめ返していたのだ。アリスの碧眼は、もうくすんだ宝石のようではなかった。
「分かったわ」
アリスは依頼票を持ち上げると立ち上がった。受付に向けて歩き出して、三歩だけ移動したところで止まる。振り返る。
「手続きしなくちゃでしょ。お願いね。私の受付嬢さん」
アリスは笑って見せた。
迷宮に挑む恐怖心が消えたわけではない。ただ、友達が背中を押してくれるから、一歩前に進みたくなった。それだけのことだ。
アリスの笑顔に、ローデリカも笑みを浮かべる。
「少し待ってて。今、書類を準備するから」
そう言い残して、ローデリカは駆け足で受付台の向こうに消えていった。




