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第9話:神の目は、欺けるか


 胃が焼ける。

 三日三晩、エナジードリンクと安物の合成ピザで繋いできた俺の消化器官が、ついに限界を訴えていた。

 だが、今の俺には吐く暇さえ与えられない。

「……来たぞ」

 スタッフの誰かが、ひきつった声を上げた。

 管理ルームの自動ドアが、重々しい音を立てて左右に開く。

 入ってきたのは、全身を白磁のような法衣で包んだ、血の通っていない人形のような男女。神界監査委員会、通称『ホワイト・アイズ』。

 彼らが歩くたび、フロアの喧騒が急速に凍りついていく。

「二課主任、佐藤アラタ。……およびゼウス課長。本日、当世界の運行状況を直接監査する。……不備があれば、その場でサーバーを凍結し、担当者は再教育フォーマットの対象となる」

 中央に立つ男――監査官のベネディクトが、感情の欠片もない声で告げた。

 

 俺は冷や汗を拭い、キーボードから手を離した。

 今日、俺は「何もしてはいけない」のだ。

「……どうぞ、お好きなだけ見てください。我が二課は常にホワイトな運営を心がけていますから」

「……ほう。ならば、見せてもらおう」

 ベネディクトがコンソールの中央に立ち、カイトのいる『王宮の中庭』をメインモニターに映し出した。

 画面の中では、カイトが昨日の『次元を喰らう大蛇タマ』に跨り、相変わらず能天気に庭を駆け回っている。

 

 ベネディクトの眉が、わずかにピクリと動いた。

「……佐藤主任。説明したまえ。なぜ、隠しボスであるはずのモンスターが、勇者のペットとして存在している? これは明らかに設定値のバグ、あるいは不正な書き換えではないか?」

「……あ、あれはですね、カイト君の『カリスマ値』があまりに高すぎて、野生のモンスターが自発的に懐いてしまったという……極めて稀な、物語上の『奇跡』でして」

「数値を見せろ。管理ログを提出せよ」

 来た。

 俺は内心で舌打ちしながら、昨日リアナと仕込んでおいた「偽造ログ」を差し出す。

 

 その瞬間。

 画面の中のリアナが、動いた。

(……プロデューサー様。今ですね?)

 俺の耳にだけ、彼女の微かな念信が届く。

 彼女は優雅に歩み寄り、カイトの肩にそっと手を置いた。

 

 彼女の瞳には、俺から貸与された「管理ウィンドウ」が投影されているはずだ。

 彼女は指先を少し動かし、世界の『因果律ロジック』を直接こねくり回し始めた。

「カイト様、その大蛇さん、少しお腹が空いているようですわ。……ほら、あそこに飛んでいる『魔鳥』を、あなたの力で仕留めてあげてはいかが?」

 リアナが指差したのは、上空数千メートルを飛ぶ高レベルの魔鳥。

 素人のカイトに当たるはずがない。

「えっ、あんなに遠いのに? ……まあ、やってみるよ。えいっ!」

 カイトが、庭に落ちていた石ころを適当に放り投げた。

 本来なら、その石は放物線を描いて数メートル先に落ちて終わりだ。

 だが、リアナは笑みを崩さない。

 彼女は俺から奪った権限で、石ころの『空気抵抗』をゼロにし、さらに『重力の影響』を逆転させた。

 シュパッ、と空気を切り裂く異様な音が鳴り響く。

 石ころは重力に逆らうように加速し、ホーミング弾のごとき軌道を描いて上空の魔鳥を貫いた。

 

 ボフッ、と派手なエフェクトと共に魔鳥が消滅する。

「……えへへ。また僕、何かやっちゃいました?」

 カイトの、いつもの決め台詞。

 ベネディクトは、石ころの軌跡データをじっと見つめ、数秒間沈黙した。

「……佐藤主任。今の事象、石の軌道計算が物理法則を完全に無視していた。管理側の介入があったのではないか?」

「……いいえ。あれこそが、彼が持つ固有スキル【全知全能】の権能です。……彼は『世界に愛されている』ため、世界が彼に都合の良いように物理法則を自ら歪めるのです」

「……“自ら”歪めるだと?」

「ええ。我々運営は、一切のキー入力をしていません。……ほら、私のログを見てください。現在、全てのコマンドは『待機アイドル』状態です」

 俺は、震える手で何も入力されていない真っ白なログを見せた。

 

 実際には、リアナという「外部端末」が処理をしているため、俺のコンソールには何も残らない。

 

 ベネディクトは、疑いの色を濃くしながらリアナを注視した。

「……この王女、先ほどから妙に挙動が落ち着きすぎている。……もしや、彼女が関与しているのでは?」

「まさか。現地のNPCがシステムの管理権限を持っているはずがないでしょう。……彼女はただ、勇者の力に心酔しているだけの、しおらしい乙女ですよ」

 俺がそう言った瞬間。

 モニターの中のリアナが、ふと、監査官のいる「カメラ(俺たちの視点)」の方を、ゾッとするような冷徹な眼差しで見つめた。

 まるで、「余計な詮索をするな」と神に警告するかのように。

「……佐藤主任。……この世界、何かがおかしい」

 ベネディクトの手が、緊急停止シャットダウンのキーに伸びる。

 

「……待ってください、ベネディクト監査官! まだメインイベントが始まっていません!」

 俺は必死に時間を稼ぐ。

 

 このままではバレる。

 リアナの「管理権限」が強大すぎて、世界のバランスが不自然なほど「カイト寄り」になりすぎている。

 

 俺は、彼女に隠れてメッセージを送った。

 

『――やりすぎだリアナ! 少しは“失敗”を演出フェイクしろ! 不自然すぎる強さは、偽物だと疑われる原因だ!』

 リアナは、一瞬だけ瞳を伏せると、妖しく微笑んだ。

(……あら。では、“少しばかりのピンチ”を差し上げればよろしいのですね?)

 彼女が次にクリックしたのは、こともあろうに、王宮の真下に封印されていた『古の邪神』の封印解除ボタンだった。

「……っ!! おい、お前!! 何を開放してやがる!!」

 俺の絶叫は、王宮を揺らす巨大な地震にかき消された。


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