第6話:聖王女の甘い密約
夜の王宮、静まり返ったリアナの私室。
豪華な天蓋付きのベッドに腰掛ける彼女の前で、俺は『不可視モード』を維持したまま、空中にホログラムの文字を浮かび上がらせていた。
『……聞こえているな、王女。先ほどのことは、誰にも話すな』
俺のブラインドタッチによる文字入力が、彼女の網膜に直接「神の啓示」として映し出される。
リアナは震える指先で、誰もいない空間をなぞった。
「カイト様の奇跡、彼を守る運命……。すべては貴方様が、天から糸を引いておられるのですね?」
彼女の瞳に宿るのは恐怖ではない。むしろ、未知の深淵に触れた好奇心と、狂気に近い熱っぽさだった。
管理ルームのアラタは、モニター越しに彼女のバイタルサインをチェックする。
「……ダメだ。こいつ、俺のことを『カイトの守護神』だと思い込んで心拍数が上がってやがる。……勘違いすんな。俺はただ、予算内で完結させたいだけのしがないサラリーマンだ」
俺はキーを叩き、彼女に現実を突きつける。
『そうだ。彼を英雄にするのが俺の任務だ。邪魔をするなら、お前の好感度パラメーターをリセットし、物語から退場させることもできる』
少し冷酷すぎる脅し。だが、これで彼女も黙るはずだ。
……そう思っていた俺は、甘かった。
リアナは不敵に微笑むと、寝間着の肩を少しだけ滑らせ、虚空を見つめて言い放ったのだ。
「でしたら、交渉をいたしましょう。……“書き換え”の権能を持つ神様?」
「……交渉だと?」
「私は、カイト様をお慕いしております。けれど、彼があまりに眩しすぎて、いつかどこかへ消えてしまいそうで怖かった……。でも、貴方様が彼を操り、この世界を『舞台』として作っているというのなら――」
彼女は、カメラ越しに俺と目が合っているかのような正確さで、真っ直ぐに視線を固定した。
「私を、彼の隣に永遠に居続けられる『ヒロイン』として固定してください。……その代わりに、私は貴方様の“現地協力者”となりましょう」
「…………!!」
管理ルームのスピーカーが、俺の絶句を拾う。
現地協力者。
それは、俺が管理ルームから必死にキーボードを叩いて行っている「物理法則のハック」を、魔法という形で現地から手伝ってくれる存在。
もし彼女が共犯者になれば、俺の残業時間は劇的に減る。
カイトが転びそうになった時、俺が摩擦係数をいじるまでもなく、彼女が「風の魔法」で支えてやればいいのだから。
「アラタさーん、これ、とんでもない時短案件ですよ!」
スタッフが沸き立つ。
「分かってる……。だが、これは禁忌だ。運営が特定のキャラクターと癒着するなんて、バレたらクビどころか神格剥奪だぞ……」
だが、俺の目の前には、未処理の残業届と、次話に予定されている「魔王軍四天王・第二の刺客」の強大なステータス画面が並んでいる。
背に腹は代えられない。
俺は、震える指でコンソールの『契約合意(YES)』のボタンをクリックした。
その瞬間、リアナの瞳に、俺の管理画面の一部を共有する「サブ・ウィンドウ」が投影される。
「ふふ、これで貴方様と私は……秘密を共有する仲ですね」
リアナは満足げに、そして独占欲を隠しきれない笑みを浮かべて横たわった。
翌朝。
何も知らないカイトが朝食を頬張っている横で、リアナは優雅に茶を啜り、誰もいない空間に向かって小さくウィンクを送る。
運営とヒロイン。
カイトの知らないところで、世界を欺く「最強のカンニング・チーム」が結成されてしまった。
モニター越しにそれを見届けるアラタの元に、一台の電話が鳴り響く。
相手は――魔王軍の『運営』を担当している、隣の部署の同期からだった。
「よう、アラタ。お前のところの勇者、ちょっと派手にやりすぎじゃないか? ……今、うちのボス(魔王)がマジギレして、デバッグ用の裏コマンドを使おうとしてるぞ」
平和な朝の訪れを告げるはずの鳥のさえずりは、その一言で、再び戦場の咆哮へと塗り替えられていく。




