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第4話 信仰は盆踊りのごとく

 ──ざわつきの名残がまだ残っていた。


 数人の冒険者がちらりとこちらを振り返り、ひそひそと声を潜めている。メリアも、帳簿に目を落としながらときおり顔を赤らめていた。つい先ほどうっかり口にした“髭オ”という通称が、自分の舌にまだ残っているらしい。


 そんな空気の中、トシオは淡々と素材を荷車から一つずつ降ろしていた。朝のギルドの雑然とした音と匂いに溶け込むように、無言で、しかしやたらと手際よく──まるで神官が儀式でも執り行うような神妙さで。


 その姿はすでに、ペルオ村ギルドの“朝の風景”として定着しつつある。


 霧混じりの陽光が窓から差し込み、木の梁にぼんやりと影を落とす。煙突から漏れる薪の香り、干し肉と安酒の匂い、冒険者の声。それらすべてに混じって、今日も変わらず“あの素材屋”がいる──という空気が、場の隅に確かにあった。


 荷を降ろし終えたタイミングで、メリアが顔を上げた。


 彼女の視線が素材の山に止まり、ほんの一瞬、まばたきが遅れたように見えた。すぐに帳簿に手を伸ばしたものの、その動きはやや慎重で、トシオの目には“戸惑いと慣れが綱引きしている”ようにも映った。


「……はい、お預かりしますね。で、では、確認させていただきます」


 トシオがぺこりと頭を下げると、彼の視線は自然と壁際のクエスト掲示板へと滑っていった。


 護衛依頼、素材集め、魔物討伐。依頼の種類はまるで惣菜パンのラインナップのように豊富で、そしてどれも少しずつクセがある。


(……ああ、こうして皆さま依頼を選んで働いておられるのですね。ええ、立派なことです……私は依頼には出ませんが……登録だけでも“身元保証”になると聞きまして……)


 そう、トシオは「素材を売るだけのカッパー」。依頼は受けない。目立たず、惜しまず、健やかに、これがトシオの三原則。


 冒険者登録は信用証。滞在や取引に便利であり、カッパーやブロンズなどの下位等級は三巡(約三ヶ月)ごとの更新が義務づけられている。もちろん登録料はきっちり取られる仕様だ。


 視線の先、掲示板の端に目を凝らすと、小さな告知文が貼られていた。


《告知:カッパーおよびブロンズ級の更新時期が近づいています。三巡目に登録照の更新が必要です。》


(……ああ、やはり、来てしまいましたね。三巡目。財布が震えております)


 この世界では“女神暦”と呼ばれる暦が使われており、1年を十二の「巡」に分ける仕組みだ。今は「霧巡」──静けさと内省の季。


(日本でいえば……ええ、九月あたりでしょうか。異世界で秋支度とは……情緒というのは案外どこにでもございますね)


 「っは、なんだアイツ……ヒゲもじゃのクセにクエストボード見てんのかよ?先に鏡見て髭剃ってから来いや」


 振り返らずとも、脳に刺さる声質だった。


 酒場の隅。妙にギラついた三人組の若者が、こちらを見ながらにやにやしている。


「カッパーだろ? クエストも受けない腰抜けが、冒険者ヅラかよ」


「いやいや、素材集めて納めるだけって……それもう“納品係”だろ。魔物も泣いてるぞ」


 場にじわじわと笑いが広がるなか、トシオはそっと、そして完璧な角度で頭を下げた。


(……はいはい、きましたね。この日のために、PCで異世界モノを読み漁った甲斐がありました……ファンタジーモノに一人はいる“絡み要員その一”。テンプレですね。できれば後ろの“その二”と“その三”は黙っててほしいところでございますが……)


「やめてください。ギルド内での争いごとは御法度です。……それとも、ペナルティを受けたいのですか?」


 ピシャリと音がしたような気がした。


 戻ってきたメリアが冷ややかな視線を投げると、三人組は一瞬でスンとした顔になる。


「チッ……くだらねぇ」


 そう言い残し、椅子を軋ませて去っていった。


 空気が戻る。メリアが静かに頭を下げた。


「すみません、トシオさん。あの人たち、最近来たばかりでして……」


「……いえ、ああいうのは“風物詩”のようなものでございますから。ええ、秋の風と共に現れて、そして去ってゆく……風情があると言えなくも、ない……かもしれません」


 メリアがくすっと笑うと、帳簿を閉じ、小袋を差し出した。


「確認が取れました。こちらが今回の報酬になります」


 袋の中で大量の硬貨が小気味よく音を立てる。


 この世界では共通通貨「アウレ」が用いられ、トシオの手に渡ったのは、銅貨「ルーネ」と銀貨「ヴェルト」。日用品と保存食を支える、冒険者の二大通貨である。


(……ありがたいものでございます。異世界でも、働けば賃金が出る……この世界は思っていたより合理的です)


 そのとき、ギルドの奥から重めの足音が響いてきた。


「……また君か、素材屋のヒゲくん」


 現れたのはガラハム。渋面の支部長であり、名実ともに“融通の利かない石像系上司”として恐れられている男だ。だが今、その眉間には軽くしわが寄っていた。


「メリア、また何か変なものでも持ち込まれたか……?」


 メリアが小さく肩をすくめて頷く。ガラハムは鼻を鳴らし、荷車をぐるりと回ってトシオを正面から見た。


「君、クエストは……相変わらず受けてないんだよな?」


「ええ、はい。ありがたいことに素材が……勝手に……」


「勝手に湧くとでも?」


 睨まれているのか、観察されているのか、判断に困る沈黙が数秒続いた。


 ガラハムは黙って荷車の荷を一つ手に取り、皮の一端を持ち上げる。指先にぴたりと何かが引っかかると、そこで初めて、少しだけ目を細めた。


「……この傷跡……自然じゃねぇな。刃物の跡だ。真っすぐ過ぎる」


 トシオ、秒で言い訳に入る。


「い、いえ! その……偶然、新鮮な……死体をですね、見つけまして。はい、まったく腐っておらず、それはもう、この世の奇跡というやつでして……ええ、きっと魔物同士の争い……その、たぶん、縄張りとか……はい……」


 沈黙。


 ガラハムの眉間の皺が一段階深くなり、後ろのメリアが肩を小さく震わせる。笑いではない、明らかに「またか……」という疲労のそれだ。


メリアがため息交じりに口を開く。


「……トシオさん、その“偶然”ってやつ、前回のも含めて三回目です」


「……三度目の正直でございます」


「前回も“奇跡”って言ってましたよね……?」


「ええ、神はおられます」


 トシオは胸の前で謎の十字を切るような仕草をし、目を伏せて静かに頷いた。


 その手つきは、どこか西洋風でありながら、妙に盆踊りのようでもある。


 ──宗派不明、信仰姿勢だけはやたらと本格的である。


 ガラハムが素材を元の場所にそっと戻すその所作が、まるで「もう今日は怒る気力もない」という無言の意思表明のようだった。


 ……怒りすら通り越すと、人はこうも静かになるのかと、トシオはひそかに学びを得た。


 そしてトシオは、逃げた。


「ああ!そ、そうでした、頼んでいたワインを受け取りに行かねば!今日はワイン煮込み料理にせよと、神のお告げがあったのですよ!で、では失礼いたします!」


 全速力とは思えないほど丁寧な所作で後ずさりし、回れ右し、ドアを開け、絶妙に雑な音を鳴らして霧の中へと消えた。


「また逃げやがった……」


「……あ、と、トシオさん……っ!」


 メリアの声が追うも、すでにヒゲの背中は朝靄に飲まれていた。



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